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ソウルフードと恩師

高校生のころはやんちゃでした。親にはもちろん、先生方をはじめとする多くの大人に迷惑をかけてきた、と今も時々思う。 「死ぬ前に何が喰いたいか?」 と聞かれたら、迷わず「メーヤウのチキンカレー」と答える。「安い奴だ」と言われようが、ここのカレーは何物にも代えがたい。たぶん、この店に一番長く通う客の一人だろうし、味の変化に一番敏感な客のつもりで、カレー自体に愛を持っている。大概の客と微妙に店の対応も違う。常連客の心もくすぐる店で、店にも愛着がある。そして、ここに来ると、母校の前を通ることになり、いつも高校生のころを思い出したり、迷惑をかけた恩師のことを思い出す。たくさん理由がある。 いつも調査に行く前には必ずここのカレーを喰う。大の飛行機嫌いとしては、飛行機が落ちた時に後悔しないように、とかいう言い訳だかなんだかわからない理由を自分に言い聞かせてここに向かう。昨日は、今回の調査前に行けなかったから、その埋め合わせなのである。別にそんな理由はいらないのだが。 相変わらず旨い。ここだけはダイエットを忘れ、存分に楽しむ。 そして帰り際。駅への道に懐かしい顔を発見。 M先生。冷静沈着で鉄面皮。優しいわけではないけど、たまに見せる顔に人柄がにじむ。さすがに60に近くなった先生は、少しお腹周りに肉がつき、なんか小さくなったような印象を受けた。 そしてなぜか、「勉強してます」のような言い訳をする。その態度にキョトンとしていた。親が一生親なように、先生も一生先生なのかもしれない。

光が丘公園の宴

友人Iさんの送別会。 フランス、トゥールーズで知り合ったIさん。なぜか他の日本人から嫌われていたわれわれ数名は、ちょいちょいと呑んだり、近くのガロンヌ川でピクニックに行ったり。当時からそう感じていたが、命の洗濯の日々。たぶんみんな5年後のことなんて想像もできなかったと思う。僕のことを言えば、会社を辞め、NGOで働いてみたものの、言語のレベルで躓いた。この時に、師匠W先生と知り合った。研究者としてやっていけるか…と言う不安と、ダメだったときのことをよく考えていた気がする。よく勉強もしたけど、ルームシェアをしていた台湾人とIさんたちとよく飲んでいた。 それから5年ほど。幸いにしてIさんは素晴らしい伴侶とゴールインして、(たぶん)夢だったフランスへの移住を果たす。僕はとりあえず院生生活を謳歌している。他の消息の分かる友人たちもそれなりにやっている。それだけで上出来。 送別会は練馬区の光が丘公園で行われた。フランス贔屓らしく、外で持ち寄りで。Iさんの旦那の友人とIさんの仕事仲間にフランス時代に知り合った友人たち。フランス人たちはそれぞれ上手な日本語を話し、日本人もほとんどがフランス語を操る。残念ながら今更アフリカ訛りを隠すことができるわけもなく、皆さんに一発でばれる。 Ou tu a appris?(どこで勉強した?) まま…数枚のシートの上にはすでにワインの空き瓶が数本、パテやらサラダやらが所せましと並ぶ。ぼくも持ってきたバゲットとチーズをそこら辺におき、歓談。 旦那氏の友人は某外国語学校で知り合った人たちが多い。いろいろ話を聞いていると、アルジェリア・オリジンの人、コートジボアール・オリジン、日経のフランス人など、なかなか多種多様。今のところ皆さんまっとうな会社で働いているようだけど、アグレッシブなアイディアもちらほらと。少し調査者の血が疼くが、旧友の送別会にて、しばし我慢する。 そうこうしているうちに、公園の閉まる時間になってしまう。楽しい時間はすさまじく早く過ぎる。久しぶりに感じた「しっかり遊んだ」感覚とみんな最後まで笑いながら(そして酔っ払って)見送ることができたのがすごく充実した感覚を残した。 パリに行く理由が一つ増えた。似合わんけど…

実家に帰る。

別に自暴自棄になっているわけではない。いろいろと用事があって帰ってきている。 久しぶりにバスに乗った。よほど時間に余裕があるときくらいしか乗らないのだが、新幹線よりも実は好き。6時間ほどかけて、本を読んだり、窓の外に目をやってボーっとしたり、そのうち居眠りしたり。特に昼間は空いているので、さらに自由度が高い。 できれば富士山が見たいと思って乗ったものの、すっかり寝てしまって、静岡の次の記憶が御殿場だった。今更恥ずかしくて言えないような人類学の古典は、睡眠導入剤としていかんなく威力を発揮し、書評を宿題にされている本は神経を逆なでして、覚せい効果がある。 なんとか、移動時間も有効に使え、実家に着いたのが8時ころ。間食断ちしているので、腹も減り切っている。確か電話でダイエットのことを伝えていたはずの我が母は、しっかり「海鮮丼」を用意して待っていてくれる。量もいつもと変わらず。3か月ぶりの実家、久しぶりの家族の顔といつもの量のコメ…まあ今日くらいはいいか、と言うことですっかり平らげる。 そして天の邪鬼な母の一言。「一度に痩せると抵抗力が落ちるよ。ちゃんと食べないとダメよ。」 偉大なり母の愛。

ダイエット2週間。

「コメの量を半分に」と言うアドバイスを受けて、人生で初めて本格的なダイエットをしている。 最初の数日間、空腹感で昼前と夕方はカリカリする(ご迷惑をおかけしました)。「こんなんで続くんだろうか…」などと思う。 それでも、「3日坊主でもやらんよりまし」と思い、1日1合(2食)にコメを炊く量を減らす。1日3合近く食べていたから、コメの量は3分の1。コメ中心の食生活から野菜中心に変える。 たとえば昨日の献立… 朝:ご飯(0.5合)+豆腐とねぎの味噌汁+3日前につくった鰯の生姜煮 昼(学食):蕎麦M+サラダ120g 夜:ご飯(0.5合)+朝の味噌汁の残り+鰤カマと大根の煮込み+サラダ(水菜と豆) 3週間くらい前まで大盛り飯に油大目のブルキナのソースをかけていたことが信じられないくらいで、これで結構おなかも満足できるようになってきている。 このおかげかどうかはわからないが、集中力がついたことと、煙草の本数が減ってきている。そして、あんまし金を使わんようになった。割といいことだらけのダイエット。

バレンタインさんの裁判①

約2年半ほど追い続けている裁判です。この顛末はまた後日。とりあえず傍聴の情報をアップします。 ■第9回控訴審口頭弁論■ **日程**平成21年4月21日(火)午後1時30分 開廷 東京高等裁判所8階808号法廷控訴人の事件名「平成19年(ネ)第2429号 」 東京高等裁判所最寄り駅:・地下鉄東京メトロ丸の内線・日比谷線・千代田線「霞が関駅」A1出口 から徒歩1分,・地下鉄東京メトロ有楽町線「桜田門駅」5番出口から徒歩約3分。 ■詳しい裁判傍聴案内はこちらです。 http://www.courts.go.jp/kengaku/ ※今回の傍聴も、裁判所からの抽選連絡はまだありません。(4月9日現在)。前回も、弁論直前に連絡がありましたので、今回もそうなる可能性があります。ただし、定員数40名に満たない場合は通常通りの傍聴になります。抽選になった場合は、追ってご連絡いたします。 支援会ホームページもあわせてご参照ください。 http://sky.geocities.jp/team_vuc/

ルケン・クワリ・パシパミレ ジャパン ツアー

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@Live & Lounge Vio 出演:ロワンビラ(左写真)、プチカン、パシパミレwithハヤシエリカ 毎日顔を合わせている同僚Mが出演するライブに行ってきた。何やら、ジンバブウェから「巨匠」がいらっしゃるということで、大仕掛けなツアーを組んでいる。半分以上は名古屋公演の手伝い(物販+料理)。 仕事をチョロチョロしながら、演奏を聴く。Mはロワンビラを率いるンビラニスト(ンビラ: http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=mb&dtype=0&stype=0&dname=0na&ref=1&index=08655907560970 )。演奏の傍ら、か、研究の傍らか知らないが、いずれにしてもタフに演奏と研究をこなしている。以前、デモテープは聞いたことがあったが、正直、なんかさえないな…という印象を持っていた(ごめん…)。ところが…エンターテイナー性豊かな、なかなか楽しいステージを見せる。見なおしたよ。だいぶサボってしまったので、これから時々ライブにおじゃまさせていただこうかと思います。 一通りの演奏が終わったのち、喫煙所で出会ったお兄さん。ご自身R&Bのバンドでヴォーカルを担当している、と言う。「巨匠」パシパミレ氏を紹介したとき、その説明をしたパシパミレ氏の弟子、ハヤシエリカさんが「ンビラは神を降ろす楽器」という言葉を使う(ハヤシエリカさんは『神とつながる音』という絵本も出版している)。ヴォーカル氏は、この、「いかにして神を降ろすか」、ということを語ってくれた。彼が語るところ、「パシパミレ氏が『神を降ろす』わけでない」とし、「彼がライブ中に、「さぁ、みなさん踊ってください」と促したときに、聴衆が初めて踊りだした。そして、その後大きく盛り上がりだした。」と言う。つまり、「神が降りて」来るために、「聴衆」との合意が必要だ、と言うことらしい。 なかなか深いことを言うものだ、と感心しながら、夜は更けた。後片づけをして帰宅したのは午前3時すぎ。演奏、仕切りをしたMをはじめ、お手伝いの皆さんもお疲れ様でした。

親と健康は失ってありがたみがわかる

毎年この時期の嫌なこと。健康診断。 今年も多いに脅され、医者からは「来年進展がなければ、薬で数値をコントロールしてもらいます」という、最後通牒をいただく。失う寸前、ということか… さすがに体重を見れば、あまりちゃんとした健康体でないことは分かるし、体脂肪率が首位打者を争えるくらいになった。つまり、1歩歩くにしても、機能するからだに数十キロの「錘」を持って歩いていることになる。健康云々の前に、「不合理だ…」という感想を持ち、一念発起(までいくかな…)で保健士さんに相談してみる。 医者は厳しく、保健士さんは優しい。見事なツンデレ。いいおっさんを幼児扱いしてくれる。「萌え」ろと言うのだろうか? 質問に答え、できることを探る。結局コメの喰いすぎ、という結論。その日から、炭水化物半減を開始。オカズなど、飯を食う種だと勘違いしていたことがよく分かる。モノカルチャーな食生活をしていたのを実感する。 親の有難みは重々分かっているつもりだが、日常的な空腹感が健康を失ったときの痛みを知らしめてくれる。

2009業績

論文 (●‐査読あり、○‐査読なし) 学位論文 ○ 清水貴夫1999「アフリカ農村部における持続可能な保健衛生開発への一考察」明治学院大学国際学部国際学科1998年度卒業論文 ○ 清水貴夫2007「アフリカ都市の若者文化の都市人類学的研究‐ワガドゥグのラスタの事例から」名古屋大学大学院文学研究科2006年度修士論文 論文 ○ 清水貴夫2006「ラスタのフロンティア」『名古屋大学人文科学研究』第35号pp.57-70 ● 清水貴夫2007a「ブルキナファソのラスタの演奏活動に見る『アフリカ』」『神話・象徴・文化』篠田知和基編pp.207-223 楽瑯書院 ● 清水貴夫2008b「ワガドゥグのストリートの若者たちの生活とその背景」『名古屋大学比較人文学年報』Vol.5 pp.137-154名古屋大学大学院文学研究科比較人文学講座 ● 清水貴夫2008 c「来住アフリカ人にとっての六本木‐「アフリカ人-アフリカ人」のインフォーマルな接合の調査報告‐」2006年度科学技術研究費報告書『来住アフリカ人の相互扶助と日本人との共生に関する都市人類学的研究』(基盤研究A 研究代表 和崎春日 研究番号:16202024)pp.135-144 ● 清水貴夫2008d「セネガル文化としてのバイファル、ラスタを探る」2007年度科学研究費報告書(基盤研究A 研究代表 嶋田義仁 課題番号:18251006)pp.119-134 研究ノート ○ 清水貴夫2009a「ワガドゥグにおける染色綿布、ボゴランBogolanの制作過程」『名古屋大学人文科学研究』第38号pp. 133-144 雑誌・エッセイなど ○ 清水貴夫2005-2007「国際協力の今」(全10回)『HARMATTAN』(認定NPO法人)日本ブルキナファソ友好協会会報 19号~29号 ○ 清水貴夫 2007b 「来住アフリカ人のコミュニティ形成と生活」『メタプティヒアカ(名古屋大学大学院文学研究科 教育研究推進室年報)』Vol.1 pp.128-129 名古屋大学大学院文学研究科 教育研究推進室 ○ 清水貴夫 2008a「アフリカ都市の路上販売者と「観光」-ワガドゥグのストリートから-」『アフリカNow』79号(特活)アフリカ日本協議会会報誌pp.12-13 ● 清水貴夫2008e「産業化する国際NGO-国際NGOで働く職員たち」『

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特に目的もなく、ブログを始めてみる。 やはり、フィールドノート代わりであり、世の中のことを無責任なことを言ってみたり。 まあ、とにかく初めてみる。 にほんブログ村