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日本アフリカ学会 第63回学術大会@名古屋大学

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  今年も日本アフリカ学会の学術大会で発表してきました。 これまで、できるだけ調査した新しい資料を提供しようと、いろんなテーマで発表してきましたが、今回は前回のブルキナファソのライシテ研究との連続性を考え、中間集団としてのイスラーム系の「信仰NGO」についての発表をしました。発表要旨は以下の通りです。 「イスラーム系「信仰NGO」による国内避難民支援:ワガドゥグ第9区の事例より」 まあ、発表など、アブストラクトの通りにはいかないもので、データを整理したり、新しい文献を読んだりしてしまうと、未来予想図からはずいぶんとずれが出てしまう。今回の場合、「信仰NGO」という概念自体が問題となった。先行研究にも、特に疑うことなく、「組織」としてのNGOが描かれているが、実際に制度に則ったNGOなどほとんどない。実際に調査してみると、より緩やかな町内の互助会のような、そんなイメージ。NGOにカッコを付けて逃げ場を作っておいて正解で、この枠組みをどうするか、ということは今後の課題とした。 しかし、全体的には、ちょいと酷い発表過ぎた。調査でもう少しまとまった資料が集まるかと思っていたら、思いのほか不調(そもそも2週間という短期ではアポイントをとるところまでが精一杯…)で、データが薄すぎる。そして、発表当日にいまさら気が付いたのだけど、宗教社会学を注視しすぎた挙句、難民研究がノーマークという失態…ゼミがあったら指摘してもらえたのに…という泣き言ばかりが頭をよぎる。 とりあえず発表まではこぎつけたものの、反省ばかりの今回の発表。来年はおそらくオープンキャンパスが重なって参加叶わないのだけど、どこかの機会にしっかりリベンジしていきたい。

社会実践力育成プログラム・国内ショート(アジア学院)2025年度

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でかいニンジン。今回のアジア学院の滞在では、1か月分くらいニンジンを食べたのではないかと思います。たっぷり有機の栄養分を含んだ土で育ったニンジン、特に生のものは本当に甘くてフルーツのようでした。 さて、今年度もアジア学院のプログラムを実施しました。今年度は3名の履修者がいたものの、最終的にプログラムに参加したのは1名のみ。例年のインタラクションの多いワークショップ形式のプログラムは難しく、ひたすら農作業に勤しむこととなりました。学生のいないアジア学院、冬の凛とした空気の中の静寂の中、たっぷりと土と向き合いました。 薪を割り、鶏に餌をやり、ヤギを追い、ニンジンを収穫し、畑の草を抜き、いつものように、大豆の選別をしました。アジア学院の理念を学ぶ、という、民主的な社会を築くための理念を言葉を紡ぎながら学ぶ例年のキャンプとは異なり、非言語的な光景からたくさんのことを学んだ気がします。 20数年前にアジア学院に来るとこんな感じだったな、というノスタルジックな気持ちを持ちつつ、うまくゼミと結びつけられないか、ということを考えていました。 その昔、恩師の森本先生は、ゼミ合宿をアジア学院でやっていて、朝晩の食事の前だけ農作業をし、そのほかを卒論やゼミ論のディスカッションとしていた。現在は、こうした枠組みのキャンプはなくなってしまったのだけど、土に触れるという行為は、都会で暮らす我われにとっては非日常。今回もそうだったが、土に触れることで普段の食がどこから来ているのか、ということを再認識させる。これだけでも、アジア学院での数日間は大きな意義を持っている。窓口になってくれている山下さんには迷惑な話であることは間違いないのだけど、少しカスタマイズさせていただけたら…などとと思っている次第。 ここまで冬を中心にプログラムを行ってきましたが、2026年度は夏の開催をもくろんでいます。たくさんの学生に参加してもらえたら、と思っています。

カレンダー

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  2026年のカレンダー 出張の用務の合間に「緑のサヘル」の事務所に寄った。事務局長の菅川さんとはずいぶん長い付き合いで、私が来るなら、と週末にも関わらず事務所を開けてくれるという。少々恐縮しながらも久しぶりの再会に向け、手土産を持ち、少し早めに到着する。 事務所に到着し、先日のブルキナ出張のことやらをお伝えする。その政治的な体制はともあれ、少しずつ新たな日常を取り戻すブルキナファソのことをお伝えし、菅川さんからは活動のこと、カウンターパートのことなどを伺う。関西在住ということもあり、なかなかお目にかかる機会も少なく、積もる話もたくさんある。 さて、1991年に活動を開始した「 緑のサヘル 」。もう35年の歴史を持つ、アフリカをフィールドとするNGOとしては老舗中の老舗だ。コロナ禍の煽りを受け、あまり元気はないが、砂漠化対処、アフリカの人びとの生活支援、近年では国内避難民への支援など、その活動意義は全く薄れることはない。こうした活動は、菅川さんの献身的な活動、会員の会費や助成金により支えられている。すでに手あかがついてしまった感は否めないが、「ファンドレイジング」という言葉がNGO界隈でも流行したが、これは、裏返してみれば、日本という土壌に「寄付文化」が根付いていないことを示しているわけだが、そうは言え、団体の維持のためにはお金は必要。緑のサヘルの場合は、大きな柱として、毎年カレンダーを出している。 カレンダーは2001年以来、写真家の 小松義男さん による写真提供により毎年発行している。今年で26年目。私も10年ほど前から毎年購入しているが、小松さんの写真はとにかく人の表情がよい。ここまで人の笑顔が撮れる人はいないだろうし、直線的な絵を好まない、つまり、人間(や人間が作り出す)の曲線の美しさ、言い換えれば、「人間」と「人間の仕事」を撮ろうとしてきた哲学が込められていると勝手に思っている。毎年当たり前のように「今年はどうしますか?」と連絡があり、新年に新たなカレンダーにかけ替える、という日常的なイベントだったが、今年でそれも終わりなのだという。小松さんももう80歳。体の自由が利かなくなり、編集をしてくれている方を含め、「潮時」なのだという。 とても残念なのだけど、これも時間の流れ。致し方ない。受け入れるしかない。 最後のカレンダー、まだあまりがあるようです...

【フィールドワーク2025‐2026】ブルキナファソに到着:初動~Association pour la Promotion des Arts訪問

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Association pour la Promotion des Arts 調査3日目。ここまで大体予定通りにスケジュールはこなせており、とりあえず挨拶は大体終わり。あと1人、今回の調査の最大のミッションである、UJKZ(ジョセフ・キ-ゼルボ大学)のシリル・コネ先生との面会を明日に控えているが、後は昨日、今日で仕込んだ流れで進める。そして、すでにデータになりそうな話題もちらほらと、期待以上のデータがついてきている。教科書通りに言えば、ラポールが出来上がっている相手に会い続けているので、挨拶を済ませると、スムーズに話が進む。それぞれの新たな動きから、聞き取りの項目も調整し、初動の期間が終わる。 今回は久しぶりにUJKZの社会学者、アブドゥライ・ウェドラオゴ先生とも面会。例年、この時期はお連れ合いのいるスイスで過ごされることが多いが、今年はお連れ合いさんがブルキナで過ごす、とのことで、こちらでゆっくりされており、ずいぶん話し込んだ(深い話になるほどにフランス語の拙さが…)。 ともあれ、ぜひお連れしたいと言われていた、ウェドラオゴ先生が始めたAPA(Association pour la Promotion des Arts)を訪問した。2020年に先生ご自身が購入した敷地は、ディゲットを活用してブッシュ(この地域的には原生林)となり、中心には一本の道がアトリエに向かって通り、アカシアの木にはアーティストの作品が何枚も掲げられている。 敷地内に掲げられる作品。「乾季」だからできる展示 作品を鑑賞していると、敷地内で活動しているメンバーたちに次々と声をかけられる。早速作品の説明を聞き、植物を絵に盛り込んでいたり、ここで取れる植物を使って紙を作っていたり、なかなかに活発に活動している。 作品 アトリエで少し話を聞き、道を挟んで向かい側にあるもう一つの敷地は、ほとんどを畑が占め、整然と野菜畑が広がっている。生徒たちと一緒に取り組んだものなのだそうだ。なかなかに厳しい地域ではあるが、人が手をかけると整然として美しいものになる。 畑の説明をしてくれるウェドラオゴ先生 すでに何度も収穫がされている様子が見てとれ、子どもたちの食事に使われている。 この施設、10年近くに渡りテロが頻発し、住んでいたところに住めなくなった子供たち(家族がいる子もいる)が収容されている。名前の通り、「アー...

1001夜目を迎えるにあたり

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2010年7月に始めたこのブログが1000エントリーに到達しました。実に現在2025年11月なので、15年4カ月(304か月、36歳~51歳)の達成です。そんなに長いことやってるんですね。改めて計算してみて驚きました。年間、60エントリー強、月に直すと5本ほど、大体週1ペースということになります。細く長く、という感じでしょうか。途中1年以上更新しなかったり、一日に複数本エントリーしているので、かなりムラもありました。 元々は書き癖をつけるために、できるだけ毎日キーボードを打つため、ということを考えて始めたこのブログ(今でも自信はないですが、当時の日本語は悲劇的でした…)。とにかく何でもかんでも書いていましたが、文章を早く正確に書く、ということを考え始めてから次第に読まれていることを意識するようにし(グダグダにならないように)、いくつかのテーマについて継続的に書く、文体のパターンを作る、といういくつかのルールを課しているうちに、何か定型化されて来ているようにも思います。内容として読みやすくなってきているのか、定型化されてつまらなくなっているのか…このあたりは?ですが、論文や本を書いていないときでも、何かしらメモをする場としては、やっていてよかったと思います。 さて、この下は完全な自己陶酔の記録ですので、万一このブログに迷い込んでこられた方はこの辺で。 このブログを書き続けたこの15年、どんなことがあったのでしょうか。 1. キイチロウが生まれ、もう10歳になる 別の媒体に写真を写してしまったので、なんだか中途半端なところから始まっていますが、一番上が京都に引っ越してきたころ(2019年-2020年)のキイチロウ。一番下が最新(2025年10月)。多分この頃の倍くらいの体重になっています。昨日、久しぶりに抱っこしてみたら、いろんなものが溢れていました。今度の2月で10歳。ハーフ成人を迎えます。基本的にひょうきんでニコニコ。最近ちょっとわがままになった気がするけど、大人の感情の襞を敏感に感じる繊細な感性も持っていたり。【アフリカ子ども学と子育て】というシリーズでキイチロウの成長をメモしていますが、改めて見直してみると、赤ん坊から子どもへ、そして、少年へとすくすくと育っているのがよくわかります。 2020年春 2022年ころ 2023年ころ まだパッツン前髪 2024年赤の...

セネガル・プログラム2025 ④ NGOの力、アーティストの力

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マングローブ林を解説するThomas Thomasと回るセネガル沿岸の旅2日目。かねてよりThomasが案内したいと言っていたNGOを訪問する。Nbourの街中の川のほとりにあるAGIREの事務所には、多くの小中学生がたむろしている。 Thomasに導かれて通された事務所の中は、多くの「女性」が忙しく立ち回り、私たちはサロンのテーブルにつかされた。しばらくすると、AGIREの活動についての説明が始められる。このNGOの活動として、マングローブ林の植林、蠣や水産加工品や食用として消費される貝類の養殖、そして、ことさらに強調されていたのは「リーダーシップの養成」、ということだった。 話はそれるが、僕自身、アフリカやNGO、国際開発ということに関わり始めたのは、以前、このブログでも何度か紹介してきた森本栄二さん(学生時代の恩師)やアジア学院の影響によるものだった。特にアジア学院は、創設以来、途上国のリーダーの育成を強く押し出し、コミュニティのすべての人が取り残さないという哲学を持ち、そのために、サーバントリーダーシップ(奉仕するリーダーシップ)という独特なリーダーシップ論を展開、実践してきた。アフリカのローカルNGOも数十の団体を見てきたが、大変素晴らしい活動をしているNGOであっても、その多くは、創設者によるワンマン経営であることが多く、創設者が倒れるとその団体そのものが存在を消す、というのが常であった。つまり、多くのローカルNGOは継続的なコミットメントが脆弱で、支援の瞬間風速で勝負している感じ。AGIREの代表のカリム氏がこうした考え方に共鳴する、ということは強く興味を惹く。  Nbourで活動を展開するNGO AGIRE 話をそこそこに、潮が満ちる前に見せたいものがある、とのことで、長靴をはき、事務所前の橋を渡ったところにある水辺へ。河口部には、囲いがしてあり、様々な設備が整然と並べられている。大西洋に面するセネガルはアフリカ有数の水産物の豊かな国。セネガル沿岸は寒流と暖流がぶつかる好漁場に面している。40年ほど前から蠣の養殖が始まり、沿岸部に広く養殖場が広がっている。人々の生活にも入り込んでおり、イエットのような蠣の加工物なども生産されている。今回AGIREに見せていただいたのは、このNGOが試みているいわば「実験圃場」のようなところだった。 蠣の養殖器...

【フィールドワーク】セネガル人と日本語学習

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  ハサイドを朗誦する コロナ禍最中の2021年。海外調査が限定的となり、再開した「在日アフリカ人」の調査研究。日本に住むアフリカの人びとを対象とした研究は、私の指導教官でもある和崎春日先生によってはじめられました。私自身は、と言えば、2007年、2008年ころまではあるアフリカ系の方が起こした国賠訴訟に関わりながら調査を進めたものの、以来アフリカでの調査に専念していたため、10年ほど時間が空いてしまいました。 研究の本筋の話は、下にある「最近の研究」をご覧いただくとして、少しずつ関係性が強くなってきたセネガル人コミュニティとのメンバーと一緒に日本語教室を始めました。参与する中で日本に来たばかりの方が日本語で苦労されていること、また、男性についてきた女性や子供たちが日本語習得で困っていることなどの状況を知るに至り、私の方から申し出ることにしました。同じ時期、所属校で親しくさせてもらっている若手職員が 日本語教師の国家資格 (登録日本語教員)を取得したとのこと。セネガル人コミュニティの日本語習得状況を話しているうちに、日本語を教える練習がてら…ということで、講師役を引き受けていただけるとのことになった、という、幸運も重なったという背景もありました。 そんなわけで今年1月から少しずつ始めた日本語教室。幸運にも、学内の予算も取れ、若手職員の人脈でボランティアの方にも応募いただき、5月後半から毎週開催にこぎつけています。一応、調査の一環ではありますが、少しでもお役に立てればよいと思っていますし、なかなか交流を持てない人たち同士が交わり、お互いの理解が進むとよいと思っています。 在日セネガル人の研究、公刊の度にお知らせしていますが、改めてご紹介しておきたいと思います。 ■ 最近の研究 「 宗教的な結節点をつくる:在日セネガル人コミュニティの新たな展開 」(日本アフリカ学会第62回学術大会発表資料、2025) 「ムーリッドを中心とする在日セネガル人の 民族誌的研究序説」  (『インターセクション』Vol2、2024)

TICAD・アフリカ学会:産官学とは言いますが…

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  5月17日、18日の両日に開催されたアフリカ学会が終了。先日ブログでも紹介したように、和崎先生らと共に フォーラム(分科会) を組織し、会期中はこのメンバーとひたすらにディスカッションをし、非常に濃厚な時間を過ごしました。 いろんなところで言っているので、このブログのどこかにも書いたのではないかと思いますが、TICADが行われる年の学会くらいは、TICAD、学会が連動してもいいのではないかと思います。結局行けなかったのですが、公開シンポが「社会実装」を謳っているのであれば、意図的にシカトか?!と思ってしまう…TICAD「東京国際アフリカ開発会議」の「開発」が経済のみならず、相互の文化・技術交流なども含みこむのであれば、アフリカ学会は非常に象徴的な学会のはずですし、学際研究としての地域研究は多様で複合的な視点からアフリカを分析していて、間違いなく重要な知見が数多くあるはず…TICADが始まって約30年間、両者は一度もオフィシャルに協働したことはなく(私も何度か「サイドイベント」を組織したことがあります)、これは政府・行政は学術に目を向けてこなかった、ということの証左ではないでしょうか。逆に、学問の独立性はともあれ、学会自体が「社会実装」(最近この言葉があまり聞かれなくなったような気がしますが…)を本気で考えているのか、という辺りも疑問。 国威発揚のために、積極的に働きかけるべきとは毛頭思いませんが、日本のアフリカ研究は、世界的に長い歴史と多くの業績を残している学会です。学会員も1000人ほどおり、地域研究学会としては、異例という話も聞いたことがあります。とある知人が「発表もせずに、知識の搾取ばかりですいません」などとおっしゃっていましたが、「知識の搾取」でもよいので、政府・行政の方は一度見に来るべきだと思いますし、それなりの専門知識をベースにして政策を積み上げるべきだと思います。そして、「産」も然り。きっと、ビジネスのタネや人材が多く眠っているはず。そして、長い目で見て、こういう学会に時間もお金も投資すべきではないかと思います。 そんなわけで、TICADの度に恒例となるつぶやきですが…

社会実践力育成プログラム:アジア学院2024

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アジア学院のコーディネーターのタカシさん 本学には「 社会実践力育成プログラム 」というオフキャンパスプログラムがあります。大学の外の社会との結びつきを学生に意識させるうえで、僕は個人的に大変有意義なプログラムだと感じています。 京都精華大学に赴任し、当時は「一人2プログラムを企画」するよう言われ、最初に思い浮かんだのが、アジア学院プログラムでした。僕自身、大学生のころに5回ほど訪れ、就職先としても考えたことのあったほど、馴染み深い。恩師や同窓生と過ごした濃密な時間、一人ひとりを思い出すことは困難でも、「多文化共生」や「異文化理解」を体で感じ、今、自分自身が文化人類学に関わるきっかけとなった場所。すべてではないにせよ、一部の学生には確実に刺さるはずだと確信していました。 コロナ禍の2021年度から始めて今回で4回目。夏場はセネガルのプログラムがあるため、どうしても冬になってしまいます。冬はアジア学院も静かで、活動もある程度制限されてしまいますが、それでも参加者同士、またアジア学院のスタッフの密な関わりは変わることなく、私が伝えたいことは冬開催でも十分に学ぶことができると思っています。このプログラムのいくつかのポイントについて書いてみようと思います。 オリエンテーション アジア学院、どれくらいの方がご存知なのでしょう。 URL を見れば大方のことがわかりますが、少し理解しにくいのが、学校なのか、NGOなのか、という点だろうと思います。私は、学校かつNGOと理解しています。創設者の故高見敏明さんが掲げる理念は、現在につながる思想や姿勢が現わされています。国際協力の表面的なソフトは、アジア学院が生まれた1950年代に較べると大きく変化しました。アフリカをはじめとする「南」の世界は、大きく経済発展し、必ずしも「支援」という形がよいとは限らなくなりました。そのため「支援」という面でのみ活動を展開しようとすると、上滑りしてしまっているように思います。 みんながみんな、専門的に「南」に関わることはできません。また、その必要もないと思います。しかし、生活習慣の中で思いを馳せることは難しいことではなく、アジア学院で学んでほしいのは、そのきっかけのようなもの。さらには、民主主義を小さな実際の体験として考えられるようになること、その民主主義がどのように養われるのか、とうことだったりします...

【映画】「荒野に希望の灯をともす~医師・中村哲 現地活動35年の軌跡~」(日本電波ニュース社, 88分)

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 今年は忙しい中、割と映画が見られているのがうれしいです。 12月4日は中村哲さんが凶弾に倒れて5年目なのだそうです。SNS上には、中村さんのような政治家が…とか、国民栄誉賞を…とか、いう賛辞の言葉が躍っていましたが、私はそんなことは微塵にも思いませんでした。清廉潔白で、利他的で、さらには頭脳明晰、どんな職業であっても成功すべくして成功した方のはずですが、大変幸いに「医」という人を癒す仕事に進み、その究極を突き詰めた方ではないかと思います。 中村さんにとっての「医」とは何だったのか? 上医、中医、下医という、「医」の考え方があります。 中国の陳延之の著書『小品方』に由来しているそうですが、一番有名なのは、「上医は国を治し、中医は人を治し、下医は病を治す」というもの。ほかにも、こんな会社くがあるそうです。 その1、 上医はいまだ病まざるものの病を治し、中医は病まんとするものの病を治し、下医はすでに病みたる病を治す。 その2、 上医の勤勉な医者は、毒さえも薬となして人を助ける。中医の凡庸な医者は、薬を薬として使って人を助ける。下医の怠惰な医者は、薬を毒となして却って病を重篤にする。 その3、 化学合成薬を使って治療する医師を下医と言い、漢方医のことを中医、そして食事で病気を治す人を上医、つまり食医と言う。 ( たかすぎ内科クリニックウェブサイト より) 医師にも関わらず、地形を学び、土木技術を学び、現地の言葉を学び、そして、約230haの砂漠を緑に変える…こんな評価をしてしまうことすら烏滸がましいですが、上医中の上医と言えるでしょう。そして、下の記事を見ると、次世代も育ち、中村医師亡きあとも地道に活動を続けられているあたりは、ペシャワール会の組織としても大変高く評価されるべきだと思います。 そして、私も長く砂漠化対処には関心を持ち、「緑のサヘル」というNGOに関わっています。コロナの影響で活動はかなり縮小しましたが、そうした視点から見ても、中村哲さんの見通しや行動力は、およそ我われ凡人にはたどり着けない境地におられたことを実感します。 昨年、中村哲さんのドキュメンタリー映画(この映画の劇場版)が公開されました。今回見たのは、そのDVD版です。言わずと知れた、食が紛争を止める、という食こそが平和の根源、という中村哲流の哲学が、体現していく様を大変わかりやすく映像に...

チルメンガを思う

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「緑のサヘル」から送っていただいた近影  3月のある日、長年かかわっている「 緑のサヘル 」から会報を受け取った。緑のサヘルの会報のトップページには、コラムが載っているのだが、そこには見慣れた名前が。 「ジュリアン・サワドゴ」。僕は彼を本名で呼んだことはない。懇意にしていた故Roch Nazaire SAWADOGOさん(ローカルNGO、AJPEE代表) に、 この地域の農業に精通している方 として、紹介を受けた。二人は小学校の同級生で、R.Sawadogoさんは、ニヤニヤしながらジュリアン・サワドゴさんを「チルメンガ(薬草師)」と呼び、あいつに聞け、と言い、会いに行く前に僕が尋ねていくことを話してくれていた。 彼の元を訪れると、10年の知己のようなに親しみを持って迎えられ、農業のことを話し出すと、畑を見せてくれて、あれこれと説明してくれる。苦手なフランス語も僕のために覚えてくれて、僕のモレよりもずいぶん早く上達した。生来の酒好きで、チルメンガのところを訪れるようになると、初日は予定を控えめにして、 朝からチャパロの歓待を受けた 。 ブルキナファソ中北部 彼等はこのブログでも何度か書いた「バム県」に住んでいる。残念ながら、R.サワドゴ氏は数年前に若くして亡くなられてしまったが、コングシでの調査の際には、二人のサワドゴさんを中心に動いていたように思う。拙著(2019)にも、このことは若干の紙幅を割いて記述している。毎回、ほんの少しでもコングシを訪れ、彼らの顔を見て一時を過ごすのがブルキナファソで最も好きな時間だった。しかし、北部のテロが益々激化した2021年を最後に、この地域には足を踏み入れられていない。最後の訪問はR.サワドゴさんの弔問で、チルメンガには一目会った程度。時折、思い出しては「元気かな…」と思いをはせていたが、緑のサヘルの記事に彼の名前を見つけ、彼の健在を喜ぶとともに、難民キャンプで暮らしていることに大きなショックを受けている。 何度か書いているように、この地域の情勢は情報が少なく、どのような状況なのか、どんな見通しが立っているのかを把握することが極めて難しい。特に、バム県やその北のジボDjoboのあたりはテロの多いところで、政府による統治が出来ていないと言われていた地域。「便りがないのは無事の証拠」であればよいのだが、そんなに楽観的な状況でもな...

第3回地球研サニテーションプロジェクト-高知大拠点プロジェクト合同勉強会

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事後報告になりますが、こんな研究会で発表してきました。アフリカに関わりつつも、SDGsとか、TICADとか、世の中の大きな流れについてはあんまりちゃんと勉強したことがない。むろん、しゃべることもそれほどなくて、こういうテーマ設定はとても緊張してしまう。 発表しようと思っていたのは、トイレの要不要の議論を既成事実化したSDGs事態を疑うことも我々研究者の仕事です、という話を展開することだった。先日のカメルーン調査の事例とブルキナファソの事例を使うのだけど、伝統主義に陥らないように気を付けた。裏テーマとしては、「SDGsの達成」は絶対的なものではない、踊らされすぎるな、というメッセージを込めたつもりだが、どうだっただろうか。 この辺は、若干斜に構えた、あまのじゃくなメッセージに見えるかもしれないが、これはずっと思っていることで、「誰一人とりのこさない」という実現不可能な理念を掲げているのに、教育の面では、「近代的」/西欧型の教育システム以外は一顧だにしない。マラブーやタリベは、その存在を認められず、ものすごい数のムスリムがその枠外に追いやられている。「誰一人とりのこさない」が多様性を尊重して、すべてを取り込むという理想なら関心もするが(実際はそうなのだが)、実はともなっていない。 今回の発表に際して論文を少し読んだのだけど、SDGsに至り、また、その先にどのようなことが考えられているのかを知ることができたのは、とても勉強になったし、もちろん、産学連携のプロジェクトをどのようにSDGsに絡めて考えるのか、とか、SDGsを踏まえたプロジェクト評価と設計といった、普段なかなか話せないテーマのディスカッションもとても興味深いものだった。 そして、地方開催のお楽しみ、ご当地グルメも秀逸だった。 にほんブログ村 アフリカ(海外生活・情報)ランキング

あるNGOを辞めた話

3月に前職を退職し、4月から「無職」状態となったので、いろいろな会員ステイタスを整理することにした。学会もなんだかんだと6つも入っていたし、NGOも3団体に加入していた。これだけでも年間10万円近い会費を払っていたことになる。 多くは幽霊になっておいて、おカネが払えるようになったらまとめて…という作戦に出たが、一つのNGOに関しては積極的に辞めることにした。10年以上会費を払い続けた団体をなぜ辞めることにしたのか。もちろん、経済的にきつくなってきた、というのが大きくて、ほかにもいくつも理由があるのだが、それらを全体的に言えば、会の方針に納得がいかなかったためだ。NGOは、ともすれば素人に毛が生えた程度の設立者が自己顕示欲をむき出しにした独善的な組織になりやすいが、このNGOは多くの研究者を巻き込み、客観的な問題理解を目指していた。活発に活動も展開していた。 この会を辞めることを考え始めたのは2年前。すでに、関東を離れ、10年ほどが過ぎ、関東にいたころのようにNGO活動に関われなくなりずいぶん時間が過ぎていた。総会すら参加できず、とりあえずおカネを払い続ける、という状態が続いていたが、この会のリーダーだった方との個人的なご縁から、そのままにしておいた。しかし、そのリーダーが交代することとなり、少し僕の気分にも変化が生まれた。 昨年、会費の請求のメールをいただいた時に、「会費を払い続けるか悩んでいる」ということを、その理由を含めて書いて新しい事務局長宛てに送った。そこには「お返事無用」と付け加えておいた。何を書いたかと言えば、関東を離れてしまうとただただおカネを払い続けているだけになってしまうから、地方での活動を活発化させてほしい、ということ、このNGOの性質として特定の一分野に特化するのではなく、もっとオーガナイザー的な活動を強化すべきではないか、ということなどである。 「お返事無用」ということで、意見への回答はなかったが、とりあえず昨年は会費を納め、何か変わるかと思って会報誌などを眺めていたが、残念ながら、それらしい節は見当たらなかった。広島で何かある、ということもなかったし、それの呼びかけもなく、活動の見直しもない、総会もやはり委任状と報告が送られてくるだけ。従来の活動は活発だったようだが、オーガナイザーとしての役割を強化したようにも見えなかった。...

清水貴夫(編著)町慶彦(著)岡本敏樹(著)菅川卓也(著)Roch Nazaire Sawadogo(著)『ブルキナファソ バム県の生業・砂漠化対処・開発のモノグラフ』

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ようやく仕上がりました。しかし、いきなり著者名に誤植が… 肩の荷が下りたのと同時に、自らの失礼さに穴があれば入りたい心境です。 ともあれ、2012年~2017年まで、4年間の専従の期間と1年間の外部から参加した総合地球環境学研究所「砂漠化をめぐる風と人と土」プロジェクトの成果物の一つが出ました。 もともとは、町慶彦さんの修士論文を形にする、というミッションでしたが、それだけでは味気ない、ということで、自分の研究成果とバム県で活躍するNGOの方にご執筆の労をお願いして、できる限り厚みをもった地域の記述を目指しました。××論とか、××学という論文スタイルは取らず、とにかく地域の生業と砂漠化問題、それへの対処について記述する、というモノグラフ的なスタイルをトリました。これは、今あるデータや経験だけでは、「論」にしていくだけの自信がなかったことが大きいのですが、後に書くように、これは一つの節目で、ここからさらに発展させていこうという意思の表れです。 町さんには申し訳ないのですが、論旨はできる限り守ったつもりだったのですが、ずいぶん削ったところもありましたし、また、足した部分も相当多いのが事実。ただ、やはり町さんが体を壊しながら頑張った成果は、この本の下敷きにあり、本当は町さんがファーストオーサ―であるべきでした。 この作業、実は3年ほどかかったのですが(本当に仕事が遅いのです…)、「あれもやっておけばよかった…」の連続。とりあえずプロジェクトの終了という節目に色々と書いてみましたが、改めて読み直してみると、足りない部分は数多く、これは、プロジェクトの成果ではありますが、こういう問題点のあぶり出しの試験紙的な意味が強かったように思います。 幸いにして、プロジェクトは今年度で終わりますが、来年から再度ブルキナで展開されるプロジェクトの末席に加えていただき、あと4年か5年はブルキナファソとお付き合いさせていただけそうです。今回のプロジェクトよりももっと頻度は落ちると思いますが、細く長くお付き合いさせていただき、次の5年では、もう少ししっかりしたものを残せるようにしたいと思います。 ちなみに、手元に少しコピーがありますので、ご希望の方には、着払いでお願いしますが、お送りいたします。 にほんブログ村

内海成治[編]2016『新版 国際協力論を学ぶ人のために』世界思想社

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編者の内海先生よりご献本いただきました。 人類学に軸足を置くようになってから、こうした、「国際協力」の本からは自然に縁遠くなってしまった。数年前から参加させていただいている、アフリカ教育研究フォーラムの雑誌でも、人類学者が論文を書いているし、僕自身も最近なんとか掲載してもらえるようにしようと、準備をしつつある。目次を拝見して、やはりもう少しこうした分野も読まねば、という思いを強くした次第。 改めて90年代後半から20年間、しっかりこの分野のレビューに本書の内容に助けていただこうと思っています。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村

感想文:大山修一2015『西アフリカ・サヘルの砂漠化に挑む ごみ活用による緑化と飢餓克服、紛争予防』昭和堂

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(本書でも紹介される半月耕法、Tigo Zeno, Niger)  当初の予定では、GW中に読み終わる予定だった、大山修一『西アフリカ・サヘルの砂漠化に挑む ごみ活用による緑化と飢餓克服、紛争予防』、やっと読み終わりました。大山先生は僕の現在の所属先のメンバーでもあり、自分の仕事にも強く関わりのあるテーマなので、メモと感想を書き記しておこうと思います。 最初から雑駁ですが、常々思うのですが、(人文)地理という領域は恐ろしいです。データの緻密さや文理の手法や知識を縦横無尽に使いこなす図太さ。人類学はどのように差異化できるか?というのは、色気を出しすぎでしょうか。 ともあれ、サーヘルという土壌が貧弱になってしまった(砂漠化した)エリアにおいて、人びとは様々な形で収入を増やそうと努力する一方で、いかに収量を上げるかと言う点に血道をあげているか、ということが本書の一貫したテーマだと思います。 中でも本書で僕の目を惹いたのは、2点あります。大きく分けて、①「第7章、第8章のゴミを畑に撒くことについての観察と実験」、②「第9章、第10章の農耕民と牧畜民の紛争とその解決」の部分です。 ①ゴミを畑に撒くことについての観察と実験 堆肥や厩肥ではなく、「ゴミ」を畑に撒くというのはなかなか聞かないと思う。もちろん、こうした有機物を撒くのが原則なのだが、ハウサ社会では、1970年代くらいからこうした取り組みが行われているといいます。ここで着目されるのが、シロアリの働き。 「村びとが畑に投入する肥やしにはビニール製品や鉄製品など難分解性のごみが混入していた。このような廃品にひか見えない物品でも、人びとは「十分に肥やしになる」と説明する。これらの廃品は直接、シロアリの餌になるわけではなく、雨水や乾燥に弱く、鳥類やクロアリなどの捕食者の多いシロアリの住み処を提供していたのである。シロアリがごみに群がり、有機物を取り囲むシェルターと、そこに通じるトンネルをつくることによって、多くの孔隙が固結層につくりだされ、透水性が高まっていたのである(大山・近藤2005)」(169-170) とこんな仕組みを大山先生は見出します。「そこにあるもので、なんとかする」という、アフリカの人たちらしい取り組み。僕も自分が調査していたニジェールの村でのことを思い出し...