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5月, 2024の投稿を表示しています

オンライン合評会 伊達聖伸・見原礼子(編)『イスラームの定着と葛藤』(6月21日)

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6月21日にオンライン合評会『イスラームの定着と葛藤』のコメンテーターを務めます。 伊達さんは言わずと知れた日本を代表する宗教学者(ちなみに同い年)で、何度か私の研究会にもお呼びしたり、セネガルでご一緒したり、見原さんとは別の比較教育学系の科研費でもご一緒させていただくなど、ご縁のあるお二人からお声がけをいただきました。 この本は「ライシテ」科研の成果物で、私が代表を務める「西アフリカのライシテ」科研が強く影響を受けている科研プロジェクトです。この機会を通し、改めて勉強させていただこうと思っています。この本の出来上がりと共にご恵贈いただき、ゆっくり読み進めていましたが、大急ぎで読まねば… もしよろしければ、ご参加ください。 

オマール・カナズエ その2 ヤルセであること

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  Wikipedia "Oumarou Kanazoué Dam (https://en.wikipedia.org/wiki/Oumarou_Kanazo%C3%A9_Dam) 随分前になりますが、 オマール・カナズエのことを書きました 。こちらももう少しまとめて書いておこうと思います。 ヤルセについても、散発的に3つくらい書きました。一つは 2010年にサガボテンガSagbotengaのモスク について、二つ目は ワガドゥグの最古のモスク について(直接的にはヤルセには言及していない)、そして三つ目に サガボテンガの調査 に関して。謝らねばならないのは、ほぼほぼ中身に入れていないということです。 これまで、3回にわたり、Sagbotengaに入り、ヤルセがモシ社会と融和していった経緯を聞き取ってきました。特に、ヤルセのことを考えるうえで重要なのは、歴史的に王権に支えられた強力な軍事力を背景に、西アフリカのイスラーム帝国の向こうを張った非イスラームのモシ王国をイスラーム化させた存在であることだということです。しかし、イスラーム化の痕跡をワガドゥグを中心として見ると、どうしてもヤルセは見えにくく、より華やかな文化を持つハウサの存在ばかりが目に入ってきます(もちろん、私のワガドゥグへの関わり方にもその要因がありました)。たとえば、現存する上のワガドゥグのモスクは(土づくりのモスクでワガドゥグ駅構内に放置されているので、現存するかは不明です)、ハウサのムスリムによって建てられたものですし、旧ザングエテン地区にある大モスクもハウサによるものです。半面、ヤルセの人びとは「ヤルセ」として民族意識を前面に出すことは、少なくともワガドゥグではありませんでした。ヤルセの見えにくさは、このようにして、ランドマークがないことに加え、ヤルセが独自の言語を失い、モレ(モシ語)を生活言語としていることがあり、人口統計的にも「モシ」としてカウントされることが多いことがあります。おそらく2,3年ワガドゥグに住んでも、ほとんどの人が気が付いていないのではないでしょうか。 ヤルセの歴史については、まだちゃんとまとめていないのですが、小出しに少しづつ文字にしています。最近では、清水2023(35ページ)に概略を書きましたし、2021年に発表したものでは、もう少しまとまった形で口頭発表してい

【日本のアフリカン・レストラン】シリーズを始めます

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  「アフリカ・マンガ展」に合わせて東京から来ていただいたFOFOさん(2023年11月11日) 日本には、現在約20,000人ほどのアフリカの人が住んでいます。在日外国人が約322万人ですから、その割合は小さいですが、毎年着実にその数が増えています。また、 JICA協力隊は毎年15,000人ほどがアフリカに派遣 されており、アフリカ学会会員が1000人強なので、毎年数百人がアフリカに渡航し、さらには、企業の人も相当数がアフリカを訪れているでしょう。 こうしたアフリカに接した人たちを繋ぐうえで、重要なものの一つは「食」であることは異論がないでしょう。しかし、アフリカで日本と同じクオリティの日本食に出会うことが難しいように、日本でうまいアフリカ料理に出会うことも難しいことです。そこで手に入る食材も違えば、環境も大きく異なります。しかし、ここのところ、両サイドとも間違いなくクオリティが上がっていることは間違いありません。 「X」をしていて、ちょいちょいアフリカ料理の話を見るようになったので、ちょっとまとめてやってみようと思い、「日本のアフリカン・レストラン」をシリーズとしてやってみようという気分になってきました。 とりあえず、ウェブで調べてみると、「アフリカ」というキーワードで、tabelogで85件、ぐるなびで26件がヒットしました。tabelogの方では、かなりエジプト、モロッコなどのマグレブ系のレストランが多く、なぜ「アフリカ」の名前を関しているのやらわからないレストランも…サブサハラに絞ってウェブ上で確認できるレストランは全国で40-50店舗程度ではないでしょうか。日本でもアフリカ料理を食べる機会が普通よりもはるかに多いのですが、実はアフリカ料理屋には、それほど行ったことがなく、おそらく10店舗くらいではないかと思います。食文化研究者の端くれとしては、ちゃんと食べんといかんだろう、ということもあります。 とりあえず、シリーズを始めるにあたり、いくつか条件を付けておこうと思います。 ① 「サブサハラ」であること。ただ、サブサハラ料理をフィーチャーしたアレンジ系は含める。 ② ちゃんと営業許可をもってレストランとして営業していること(再現性を高めるため) ③ レストランで「おすすめ」を必ず食べること ④ ディスることはしない。ただ、ちゃんと評価する。 ⑤ ブログを書

ブルキナファソのイスラーム過激派による不安定化-① はじめに:現状

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  「令和4年防衛白書」(https://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2022/html/n131010000.html) 去る2月20日に所属するアフリカ・アジア現代文化研究センターで 「 西アフリカ諸国で何が起こっているのかーセネガル、マリ、ギニア、ブルキナファソとニジェールの政治危機を考える 」という緊急シンポを行いました。もちろん、何年も続くこの地域の混乱は基礎知識として知っていますし、肌感覚として理解しているつもりです。ただ、若干もやもやと分からないことがあったり、そもそもどんな問題だったのか、ということが分からなくなる瞬間があります。 私の個人的な肌感覚からいうと、2018年ころから顕著に雰囲気が悪くなり、2019年1月に本格的に身の危険を感じることがあり、ちょっとまずいかな、と思ったことがありました。当時までの様子、一度この ブログでもまとめて いますが、なぜこの時期かというと、協力隊が退避となり、クーデタが散発し、フランスが追い出されと、いくつものイベントが重なり、現在の状況になったのが大体それくらいだからです。その一方、この5年、ワガドゥグの街には、なぜか高級ホテルが林立し、ビザはE-VISAとなり、入国を歓迎している様子もうかがえます。なぜかホテルには意外に人が入っていて、なんだかな…という感じです。VISAに関しては、簡便化に反して「観光ビザ」がなくなり、入国者を選別しているような様子もうかがえます。 ここのところで言えば、2023年9月、2024年3月と何とかブルキナファソに調査に行くことができましたが、一方でいつものワガドゥグはそこにあったものの、外国人を見ることはほとんどありませんでした。マリやニジェールは一気に状況が悪化したように思いますが、ブルキナファソはジワジワとこうした状況になっていったような印象を受けています。 いったい、この混乱がどのように始まり、現在、どのような状況にあるのか、一度まとめておこうと思いました。西アフリカ情勢、かなり複雑ですし、おそらく時々新聞に載る記事からだけでは何のことやら分からないのではないと思うので、その一助になればよいと思っています。もちろん、私自身の西アフリカ情勢理解のため、ということも大きな目的です。 資料について少し述べておきます。政治イベントがあると、その

町内会③:地蔵盆

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地蔵盆のイメージ(Wikipedia「地蔵盆」より) 町内会役員となって最初のイベントは「地蔵盆」でした。関東出身の僕には、「地蔵盆」と言っても馴染みはありません。というか、地域のお祭りなど、遠くから眺める程度で、実家の自治会も実態がよくわかっていませんでした。ただ、人類学などやり始め、地域の祭礼の話を聞いていたこともあり、「祭り」には関心がありました。そのため、銀座の飲み屋のマスターが熱を入れていた「神輿サークル」に入れてもらい、数年間、年間に10回ほど神輿を担がせてもらっていました。 京都には、2012年~2016年、2019年~現在と、在住期間はそろそろ10年になろうとしています。お祭り好きであることは間違いないのですが、最初に住んだ際は、アパートだったこともあり、町内会にすら入っていませんでした。ちょうど住んでいた家の前を御神輿が通り、ちょっとうらやましく感じていたりもしましたが、どのようにお祭りに絡んでいってよいのか皆目見当がつかず、そうこうしているうちに京都を離れてしまいました。 前記事で書いたように、2019年、京都に戻り、2020年の秋に今の住まいに移ったのですが、早々に町内会の役員になることになり、京都のイベントに組み込まれるようになりました。「地蔵盆」という言葉は知っていても、どんなお祭りなのやら分からないままことは進んでいきました。 自身のメモのためにも、地蔵盆を簡単にまとめておきます。 京都のお盆は8月16日の五山送り火をもって終わります。一般的に8月15日がお盆の終わりなので、1日遅いことになります。地蔵盆そのものは、正式には「毎月」24日に行われる「辻地蔵」をお祭りする行事で、道祖神信仰に関わるもの(Wikipedia「地蔵盆」)とのこと。現在京都で行われている地蔵盆は、お盆に最も近い7月24日に行われることが正式ですが、町内会では、お盆近辺の週末、ということになっています。ちなみに、京都の地蔵盆は、「京都を繋ぐ無形文化遺産」とされています。 私の所属する町内会は、このあたりでも比較的古く、2世代連続で町内会に関わる人がいる一方で、高齢化が進む地域でもあり、子どもが少ない、というのが大きな問題にもなっています。大変ありがたかったのは、子どものいる家庭を大切にしてくれることで、昨年の地蔵盆では、うちの都合を加味して日程調整していただけました