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京都の名所②:最初の一歩 銀閣寺

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来たぜ「銀閣寺」 6月初頭。そろそろ梅雨に入ろうかという時期でした。初夏の強い日差し、青い空、お出かけ日和なか、名所めぐりの第1弾。行先は銀閣寺でした。家から近いという理由でここを選んだのですが、僕自身も高校の修学旅行以来、ということできいと話していて、がぜん行きたい欲が高まりました。 自転車であれば15分のところ、暑くなり始めていたこともあり、バスで行くことにして路線を調べたら、少し歩くものの、1本で行けることが判明。ドアードアで約30分。家の周りが世界遺産だらけ、というのがよくわかります。 そんなわけでバスに乗り込み、いざ。 参道には、適度な密度の観光客。特に待つこともなく、寺社内に入る。初夏の青空と東山の濃い緑、庭園の白い砂のコントラストが美しい。もしかすると、「侘び寂び」の象徴的な寺院がこんな原色なのは、どうなのだろう…と思いつつ、歩を進める。 まだカラッと爽やかな日でしたが、陽射しは6月のもので、じりじりと肌を焼くようでしたが、日陰に入るとひんやりとしています。お庭の小さな瀧のそばによると、気持ちの良い冷気に包まれていて、きいもこの場所をとても気に入った様子。 若干ヤサグレ気味だった高校生のころは、なんとも思わなかったような気がしますが、苔の広がる緑の木陰は目にも心にも優しく、癒されます。なぜかきいにも大いに同意が得られたのでした。 そして観音堂を回り… その横のよく手入れされた林に癒され… 銀閣寺を後にしました。きいには、当然のようにアイスを奢らされ、参道のカフェへ。 この後、清水寺にも行ったので、そのことも後で書こうと思いますが、ちょっと暑くなってきたので、この後は少し涼しくなってから。足元を知る、というのも大切ですし、なかなか楽しいものです。  

京都の名所① きっかけ:京都タワー

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  6月初頭、きいが通う小学校で土曜日に授業参観。仕事の都合で残念ながらそちらには行くことができなかったものの、翌月曜日は振り返り休日、私も補講期間中ということで、京都駅近くの電気屋にパソコンを見に行きがてら京都タワーに登ることとなった。 東京にいれば東京タワーやスカイツリーに行くことなどなく、離れてみて、登っておけばよかったなどと思うわけだけど、ある街を知るのに、鳥瞰的な理解はとても重要。せっかく京都に住んでいて、そのことを知らない、というのはもったいないというようなことも思った次第。 あいにくの曇り空だったが、タワーからは全方向に京都の町を見下ろすことができ、家の方向やら、あの寺がなんの方向やらと説明していると、「パパは行ったことあるの?」と聞かれる。「まあ、修学旅行の時に…」と言っていると、きいも学校の行事でその中の数か所は足を運んだことがあるとのことだが、「京都に住んでいると却ってなかなか行かないよね」と話していた。さすがに小学生が寺社仏閣もないだろうと高を括っていると、「行ってみたい」との申し出があり、時間があったらいろいろ回ってみようということになった。 先日の奈良訪問で、いかに自分自身が身近な文化のことを知らないかを思い知ったばかり。京都のことを学ぶことは最初の課題として、できたら英―仏あたりで説明できるようになるとよいのだけど。

2025年度の振り返り

年末と学期末の2回も一年を振り返る必要もないのではないかと思い、こちらにまとめました。「あけまして…」感は4月の方が強い気がしますし。 改めて振り返ってみると、2025年度もバタバタと過ぎ去っていきました。普段生活していると、このバタバタの中で、近視眼的になってしまいがちで、今していることがどんな意味があったのかを考えることもないので、ちょっと丁寧に振り返っておきたいと思います。 【研究面】 原著論文がないのがよくないですが、3冊の商業出版(いずれも明石書店)に関わり、一つは、数年前からの懸案事項であった『ブルキナファソを知るための64章』。中尾世治さんと共編著として(大変ご迷惑を…)初出版。中尾さんとは、この後も何度か一緒に仕事させてもらえると思うので、その端緒としての意味合いもあったかと思います。その他、雑誌記事など数本を書きました。 この他、ここには出てきませんが、2026年度、2027年度出版予定の原稿を書きました。来年は編著1冊、分担執筆2冊の予定。 一方、調査の方も少しずつ進展していきました。まず、ブルキナファソでは、伊達科研、日下部科研の分担者として、ブルキナファソの宗教NGO、特にイスラーム系の弱者救済について現地調査を行いました。実は1年数か月振りの滞在となり、いずれも10日強と近々では、比較的長く滞在できたこともあり、まずまず実りのある調査だったと思います。もう一つ、時々ブログでも紹介している在日セネガル人の調査に関しても進展がありました。30回に渡り開催した日本語教室や毎月のダイラに参加することで、ずいぶんセネガル人とも交流が持てるようになってきました。 【教育面】 清水ゼミ3期目の7人が卒論を書き上げ、無事に卒業していきました。2024年度卒業の学生たちがべったりだったのですが、2025年度に卒業した学生たちは、ほとんど研究室に来ることなく、少し不安を感じていましたが、立派な卒論が提出されて安心して送り出せました。清水ゼミ4期目は相変わらずやんちゃな感じですが、これはまた今年度鍛え直す、ということにして、新たに迎えた5期目は7名。現在、5期目の学生はフィールドワーク中。どれくらい成長して帰ってくるか、楽しみです。 スポットの授業としては、九州大学に招待された、食のワークショップは、とても思い出深いです。旧知の横谷奈歩さんからの依頼で、色々と頭...

親子サッカー

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昨年からキイチロウは放課後に週1回サッカーをするようになった。なかなか外で遊ぶことが難しくなった昨今、体を動かすのは親としても嬉しい。仲の良い友達たちと一緒にひとしきりサッカーに勤しみ、うちを行き来するようにもなり、「小学生」を謳歌している。 数週間前、連れ合いから「親子サッカー」なるものがあるとのことで、あまり何も考えずに諾の返事をしておいた。本当にあまりちゃんと考えることもなく、ぼんやりとキイチロウのサッカーを「見に行く」程度だと、思い込んでいた。 そして、当日…前の日にイベントで遅くはなったが、論文で詰まっていることもあり、午前中に泳ぎに行こうかと思うと連れ合いにいうと、怪訝そうな顔をする。まあ、気にしても仕方ないので、すっかりそのつもりでいると、「親子サッカー」の予定を色々とインプットしてくれる。「えっ?なんで着替えないといけないの??」「だって、「親子サッカー」だよ」「えっ?!もしかして俺もやるの?」…チーン。 行く前から筋肉痛確定。それ以前にケガをさせない、ケガをしない、熱くなり過ぎない、と言い聞かせ、いざ… 約20年間ラグビーをやってきて、体を動かすことにはそれほど苦手意識はなく、むしろスポーツは好きな方。ずっとジムには通っているものの、水泳でゆったりと体を動かす程度で、瞬発的な動きなど何年もやっていない。ゲームが始まると、小学生の機敏な動きに翻弄され、おそらく10歳以上若いほかのお父さんたちにも到底ついていけるわけではない。足はもつれ、横の動きについていけずに変な転び方をし、酸素不足で視界が白くなっていく…長年のラグビーの貯金と体が動いていたころの記憶がまだ少し残っているのか、こうした体の様々な変化を(ここだけは冷静に)感じながらプレーしていた… 結果。10分×2×2+7分×2×2の4ゲームにフル出場した。今、書いてみて、1時間以上サッカーできたので、まだまだいける、と思ってしまっているが、まあ体はボロボロ。軸足の右足に体重をかけすぎ、炎症を起こし、その翌日には痛風の発作を誘発して足を引きずる羽目に。しかし、筋肉痛は比較的軽微で、右足をさすりながらも、また「まだまだいける」と…幻想か… その夜、へとへとになった父ちゃんにマッサージを申し出てきたキイチロウ。喜んで受け入れると、なかなかに効き、マッサージをしてもらいながらウトウト…いつしか心地よい疲れと...

社会実践力育成プログラム・国内ショート(アジア学院)2025年度

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でかいニンジン。今回のアジア学院の滞在では、1か月分くらいニンジンを食べたのではないかと思います。たっぷり有機の栄養分を含んだ土で育ったニンジン、特に生のものは本当に甘くてフルーツのようでした。 さて、今年度もアジア学院のプログラムを実施しました。今年度は3名の履修者がいたものの、最終的にプログラムに参加したのは1名のみ。例年のインタラクションの多いワークショップ形式のプログラムは難しく、ひたすら農作業に勤しむこととなりました。学生のいないアジア学院、冬の凛とした空気の中の静寂の中、たっぷりと土と向き合いました。 薪を割り、鶏に餌をやり、ヤギを追い、ニンジンを収穫し、畑の草を抜き、いつものように、大豆の選別をしました。アジア学院の理念を学ぶ、という、民主的な社会を築くための理念を言葉を紡ぎながら学ぶ例年のキャンプとは異なり、非言語的な光景からたくさんのことを学んだ気がします。 20数年前にアジア学院に来るとこんな感じだったな、というノスタルジックな気持ちを持ちつつ、うまくゼミと結びつけられないか、ということを考えていました。 その昔、恩師の森本先生は、ゼミ合宿をアジア学院でやっていて、朝晩の食事の前だけ農作業をし、そのほかを卒論やゼミ論のディスカッションとしていた。現在は、こうした枠組みのキャンプはなくなってしまったのだけど、土に触れるという行為は、都会で暮らす我われにとっては非日常。今回もそうだったが、土に触れることで普段の食がどこから来ているのか、ということを再認識させる。これだけでも、アジア学院での数日間は大きな意義を持っている。窓口になってくれている山下さんには迷惑な話であることは間違いないのだけど、少しカスタマイズさせていただけたら…などとと思っている次第。 ここまで冬を中心にプログラムを行ってきましたが、2026年度は夏の開催をもくろんでいます。たくさんの学生に参加してもらえたら、と思っています。

2026年度 卒業・修了発表展

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 すでに始まっていますが、2月11日~15日まで「卒業・終了発表展」が開催されます。各学部学科研究科の卒業制作、卒業論文が一般公開されます。これは、自主的な企画ではなく、しっかり単位が付き、学生たちはこれを目指して卒業論文・制作にあたります。私のゼミの学生たちも、卒業論文、フィールドワークの報告など、非常に頑張って仕上げました。 私自身、こうしたイベントごとの期間は、たまっていた仕事をこなしたりしていましたが、今年度は何と実行委員として、バタバタと作業をしていました。お祭りを仕込むようでなかなか楽しかったり、展示を裏側から支えてみると、今まで知らなかったこと、たくさん学べています。キュレーターの仕事をアシストして、体を動かす機会も多く、毎日寝つきがよいのも嬉しいところ。 詳細は以下のWebより。奮ってお越しください。 https://seikaten.kyoto-seika.ac.jp/

【フィールドワーク2025‐2026】ブルキナファソに到着:初動~Association pour la Promotion des Arts訪問

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Association pour la Promotion des Arts 調査3日目。ここまで大体予定通りにスケジュールはこなせており、とりあえず挨拶は大体終わり。あと1人、今回の調査の最大のミッションである、UJKZ(ジョセフ・キ-ゼルボ大学)のシリル・コネ先生との面会を明日に控えているが、後は昨日、今日で仕込んだ流れで進める。そして、すでにデータになりそうな話題もちらほらと、期待以上のデータがついてきている。教科書通りに言えば、ラポールが出来上がっている相手に会い続けているので、挨拶を済ませると、スムーズに話が進む。それぞれの新たな動きから、聞き取りの項目も調整し、初動の期間が終わる。 今回は久しぶりにUJKZの社会学者、アブドゥライ・ウェドラオゴ先生とも面会。例年、この時期はお連れ合いのいるスイスで過ごされることが多いが、今年はお連れ合いさんがブルキナで過ごす、とのことで、こちらでゆっくりされており、ずいぶん話し込んだ(深い話になるほどにフランス語の拙さが…)。 ともあれ、ぜひお連れしたいと言われていた、ウェドラオゴ先生が始めたAPA(Association pour la Promotion des Arts)を訪問した。2020年に先生ご自身が購入した敷地は、ディゲットを活用してブッシュ(この地域的には原生林)となり、中心には一本の道がアトリエに向かって通り、アカシアの木にはアーティストの作品が何枚も掲げられている。 敷地内に掲げられる作品。「乾季」だからできる展示 作品を鑑賞していると、敷地内で活動しているメンバーたちに次々と声をかけられる。早速作品の説明を聞き、植物を絵に盛り込んでいたり、ここで取れる植物を使って紙を作っていたり、なかなかに活発に活動している。 作品 アトリエで少し話を聞き、道を挟んで向かい側にあるもう一つの敷地は、ほとんどを畑が占め、整然と野菜畑が広がっている。生徒たちと一緒に取り組んだものなのだそうだ。なかなかに厳しい地域ではあるが、人が手をかけると整然として美しいものになる。 畑の説明をしてくれるウェドラオゴ先生 すでに何度も収穫がされている様子が見てとれ、子どもたちの食事に使われている。 この施設、10年近くに渡りテロが頻発し、住んでいたところに住めなくなった子供たち(家族がいる子もいる)が収容されている。名前の通り、「アー...

卒業論文(2025年)

今年も卒業論文の提出締め切り日を迎えた。  今年は無事に全員が期限内に提出。昨年、一昨年とはまた違った雰囲気の中、とりあえずの形が整いました(と願いたい…ちょっと不安も…)。 今年の学生たちは、あまり研究室にもやってこず、メールでの添削が中心でした。まあ、比較的常識的な学生たちで、ほとんど提出遅れなどもなく、僕の方も時間をコントロールする、という面では助かりました。ですが、そこはやはりメール。難しい点もたくさんありました。例えば、指摘せねばならないところを落としていたり(メールのルールが徹底しきれずに指摘が累積していかなかった)、指摘の趣旨が伝わっていなかったり、このあたりがとても難しかった、というのがありました。何度も「研究室に来てくれればよいのに…」と思いました。このあたりが大きな反省点です。 ともあれ、間違いなくよく頑張ったし、学生たちはしっかり休んで次のステップに進むための英気を養ってほしいです。 こちらもとりあえずひと段落つきました。この後は、年末年始のブルキナファソ渡航の準備や若干滞り気味だった校務をこなしていきます。原稿も書かねばなりませんし。

1001夜目を迎えるにあたり

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2010年7月に始めたこのブログが1000エントリーに到達しました。実に現在2025年11月なので、15年4カ月(304か月、36歳~51歳)の達成です。そんなに長いことやってるんですね。改めて計算してみて驚きました。年間、60エントリー強、月に直すと5本ほど、大体週1ペースということになります。細く長く、という感じでしょうか。途中1年以上更新しなかったり、一日に複数本エントリーしているので、かなりムラもありました。 元々は書き癖をつけるために、できるだけ毎日キーボードを打つため、ということを考えて始めたこのブログ(今でも自信はないですが、当時の日本語は悲劇的でした…)。とにかく何でもかんでも書いていましたが、文章を早く正確に書く、ということを考え始めてから次第に読まれていることを意識するようにし(グダグダにならないように)、いくつかのテーマについて継続的に書く、文体のパターンを作る、といういくつかのルールを課しているうちに、何か定型化されて来ているようにも思います。内容として読みやすくなってきているのか、定型化されてつまらなくなっているのか…このあたりは?ですが、論文や本を書いていないときでも、何かしらメモをする場としては、やっていてよかったと思います。 さて、この下は完全な自己陶酔の記録ですので、万一このブログに迷い込んでこられた方はこの辺で。 このブログを書き続けたこの15年、どんなことがあったのでしょうか。 1. キイチロウが生まれ、もう10歳になる 別の媒体に写真を写してしまったので、なんだか中途半端なところから始まっていますが、一番上が京都に引っ越してきたころ(2019年-2020年)のキイチロウ。一番下が最新(2025年10月)。多分この頃の倍くらいの体重になっています。昨日、久しぶりに抱っこしてみたら、いろんなものが溢れていました。今度の2月で10歳。ハーフ成人を迎えます。基本的にひょうきんでニコニコ。最近ちょっとわがままになった気がするけど、大人の感情の襞を敏感に感じる繊細な感性も持っていたり。【アフリカ子ども学と子育て】というシリーズでキイチロウの成長をメモしていますが、改めて見直してみると、赤ん坊から子どもへ、そして、少年へとすくすくと育っているのがよくわかります。 2020年春 2022年ころ 2023年ころ まだパッツン前髪 2024年赤の...

セネガル・プログラム2025 ⑤ とりあえずの区切りとして

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大西洋に日が沈む 2022年、コロナ禍が収束に向かったころから始まったこのプログラム。今年で4回目となった。4年間合わせてもせいぜい20名程度ですが、アフリカに行ったことがないばかりか、初めて海外に行くという学生を連れてユーさんとセネガルを歩いてきた。 セネガルの人びとの溢れんばかりのホスピタリティ、乾燥地特有の軽い空気感、初めて出会う人たちと囲む料理、熱気にあふれるマルシェ、人々のカラフルな着衣…様々な風景を見せることができたのではないかと自負している。セネガル渡航を通して変わった学生も、変わらなかった学生もいて、20人程度とは言え、様々な反応があり、その一つ一つが私の胸には色あせることなく残っている。 実は、所属先のアフリカのプログラムは次々となくなってきている。私が赴任した際の、アフリカの熱はすっかり冷めてしまったようだ。学部の再編に伴い、3か月の留学(海外長期フィールドワーク)も今年度で終わり、何やらこのプログラムも縮小、ないし廃止のような話もでている。それなりの熱量をもって、毎年2-3か月の準備を重ねてプログラムを練り、安全面でも相当の配慮をして、学生がプログラムに集中しつつ、リラックスした状態でアフリカに接することができる機会を作る努力を重ねてきた。こんな使い方でよいのかわからないが、こんな話が出てくること自体が、「遺憾」である。ただ、どこかでこの経験やらが続いていけばよくて、私の所属先のことは、まあ大したことではない。一つの大学のアフリカ・プログラムがなくなる、というだけの問題である。 しかし、改めて、学生をアフリカに連れていく、ということの意味を考えさせられる。はっきり言って、相変わらず、体調を壊したり事故に遭うリスクは圧倒的に高い(犯罪リスクは小さいと思っているが)し、安全性に気を配るほど金もかかる。それでも、今だからこそアフリカに行っておくべきだ、ということは強く感じている。 僕らが大学生のころ、アフリカは「貧困」とイコールで結ばれていた。今や、我われはそんな一次方程式では理解しなくなったし、アフリカが世界に与える影響力は、実質的なできなくなった。僕らが「バックパッカー」という、冒険家まがいのことは、もしかすると、以前以上に「金持ちの道楽」になっていくかもしれない。そして、サハラ砂漠でも電波がある昨今、ラクダにまたがって砂漠を遊動する、という旅は...

セネガル・プログラム2025 ④ NGOの力、アーティストの力

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マングローブ林を解説するThomas Thomasと回るセネガル沿岸の旅2日目。かねてよりThomasが案内したいと言っていたNGOを訪問する。Nbourの街中の川のほとりにあるAGIREの事務所には、多くの小中学生がたむろしている。 Thomasに導かれて通された事務所の中は、多くの「女性」が忙しく立ち回り、私たちはサロンのテーブルにつかされた。しばらくすると、AGIREの活動についての説明が始められる。このNGOの活動として、マングローブ林の植林、蠣や水産加工品や食用として消費される貝類の養殖、そして、ことさらに強調されていたのは「リーダーシップの養成」、ということだった。 話はそれるが、僕自身、アフリカやNGO、国際開発ということに関わり始めたのは、以前、このブログでも何度か紹介してきた森本栄二さん(学生時代の恩師)やアジア学院の影響によるものだった。特にアジア学院は、創設以来、途上国のリーダーの育成を強く押し出し、コミュニティのすべての人が取り残さないという哲学を持ち、そのために、サーバントリーダーシップ(奉仕するリーダーシップ)という独特なリーダーシップ論を展開、実践してきた。アフリカのローカルNGOも数十の団体を見てきたが、大変素晴らしい活動をしているNGOであっても、その多くは、創設者によるワンマン経営であることが多く、創設者が倒れるとその団体そのものが存在を消す、というのが常であった。つまり、多くのローカルNGOは継続的なコミットメントが脆弱で、支援の瞬間風速で勝負している感じ。AGIREの代表のカリム氏がこうした考え方に共鳴する、ということは強く興味を惹く。  Nbourで活動を展開するNGO AGIRE 話をそこそこに、潮が満ちる前に見せたいものがある、とのことで、長靴をはき、事務所前の橋を渡ったところにある水辺へ。河口部には、囲いがしてあり、様々な設備が整然と並べられている。大西洋に面するセネガルはアフリカ有数の水産物の豊かな国。セネガル沿岸は寒流と暖流がぶつかる好漁場に面している。40年ほど前から蠣の養殖が始まり、沿岸部に広く養殖場が広がっている。人々の生活にも入り込んでおり、イエットのような蠣の加工物なども生産されている。今回AGIREに見せていただいたのは、このNGOが試みているいわば「実験圃場」のようなところだった。 蠣の養殖器...

セネガル・プログラム2025 ③ Thomas Grandさんとンブールから南下する

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  Thomas Grandさん Thomasと出会ってもう5年以上。Thomasの作品『 Poison d'or, Poison d'Afrique 』 が第6回 グリーンイメージ国際環境映画祭 に入選、彼自身が来日した際にThomasのアテンドとして、声がかかり、3日間延々と一緒に過ごしたことがきっかけでした。僕らは3日間会場と飲み屋、そして、ホテルを往復し、なんか明け方の新橋と飲みすぎてヘロヘロだった記憶がある。とにかく濃厚な何日間を過ごし、すっかり意気投合し、その後僕がセネガルに行くと、片道何時間もかけて1時間の時間を過ごしてくれるなど、機会自体は少なかったが、少しずつ仲を温めてきた。 2021年にこのプログラムの視察のため、共担の ユースギョン さんらとセネガルを訪問した時のことである。出発前に行程、レンタカーの手配、ホテルの手配、面会する人とのアポイント、すべて完璧に準備した…つもりだった、いや、していた。しかし、長いフライトを終え、セネガルの空港に到着、ドライバーと落合い、空港近くのホテルへ…ホテルが…ない?!ホテルは探せど見つからず、深夜23時に行き場のなくなった我々は、Mbourに住むThomasの存在を頼ってみることに。久しぶりに電話をすると、突然の来訪を嫌がるどころか、深夜に山盛りのパスタとおかず、そしてビールで迎えてくれた。 学生はこの話をすると、面白がってくれるが、ユーさんも同行した職員も初めてのセネガル。私もガハガハ笑いながらThomasと話していたが、お二人はさぞかし不安だったことでしょう… そんなわけで、ずいぶん長い時間をかけて仲を温めたThomasに、今回は正式にアテンドをお願いした。彼にお願いしたのは、映画で撮ったセネガルで最もよく食べられる魚であるヤボイ漁と水産加工場への案内である。 Thomas宅での朝食(2回目…) 今回の旅程では、ゴレ島から直接Thomasの家で彼をピックアップして南下しながら漁港を訪問する、ということにした。のだけど、Thomasのホスピタリティが炸裂。事前に、「朝飯は打ちで食え!」とのことで、なるべく早く到着するようにすると、期待を裏切らずモリモリの朝ごはん。ゴレ島で少し食べてきたものの、学生たちはすでに食傷気味か… 少し休ませていただいた後、ンブールMbourの漁港→ワランWarang...

セネガルプログラム2025 ② ゴレ島再び

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到着早々、熱く歴史を語るラス・マハ ダカールで滞在の準備を終え、いよいよプログラム本番に突入。今年はダカールからの移動距離の短いところから…ということで、ゴレ島から開始しました。 ゴレ島訪問はセネガル・プログラムで外してはいけないと思っています。「セネガルの歴史」という枠組みだけでなく、世界史を体感できる貴重な機会になるからです。その上、ゴレ島に住む旧知のラス・マハは、プロのガイドではないですが、高い学識とラスタファリアンという立場から、アフリカの側から世界史を俯瞰していただける大変貴重な語り部。そして、毎年彼が調整してくれる宿はとても素敵で、居心地がいい(下の写真)。 ラス・マハが調整してくれた宿泊先 ゴレ島に到着して宿に荷物を置き、早速「 奴隷の家 」へ。「奴隷の家」は毎年行っている。年によって学生の反応は区々で、「ふ~ん」というのから目に涙をためて話を聞く、というのまである。奴隷の経験を自分に引き寄せて考える力、それを感じるためには、少しの英語力(ラス・マハは非常に英語が堪能)と少しの歴史の知識、あとは個人に備わった共感する力。毎年、もう少し歴史についての勉強を…と思うが、資料作成がなかなかに間に合わない。しかし、トイレもない狭い部屋に何十人もが閉じ込められる薄暗い奴隷の部屋の上には、天井の高い海原を見渡すリゾートのような「マスター」たちの執務室、という人種差別が実際の形として現れるグロテスクな建物であることは、多くの学生たちが気が付くポイントです。 奴隷たちはここを通って「積み出された」と言われる いつものようにラス・マハに案内してもらっていましたが、「奴隷の家」には大きな変化が。10時の開場後、ラス・マハが説明を始めると、スタッフから制止され、全体の説明を聞くように促される。しばらくして始まるのだが、すべてフランス語、しかも拡声器を使うので、非フランス語話者は何をいっているのかが全く分からない、という状況に陥る。モグリのガイドによる誤った解説を避けるため、という説明があったが、これは若干興ざめ。 マスターの部屋 そんなわけで、「奴隷の家」に長居できなかったため、今回はもう一つの歴史博物館に向かう。この島は周囲1㎞ほどの小さな島なので、移動は散策しながら。写真の順序が違いますが、何枚か貼っておきます。 以前に比べればずいぶん整備された小道 島の北側の砲台から...

セネガル・プログラム2025 ① 今年も行ってきました

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送り火を眺め、地蔵盆が終わり、原稿は終わっていないが、時間は確実に過ぎ去っていく。夏のもう一つの大仕事セネガル・プログラムを実施しました。今年で4回目となるセネガル・プログラム、今回は3名の参加者と、いつもより少な目だが、毎年続けることが大切。これまで借り物が多かった人脈は濃くなって、自前の人脈ができてきたし、移動のタイミングやプログラムの作り方も少しずつ練れてきた感じがする。 そんなわけで地蔵盆の翌日の8月24日、日本を出発する。できればトランジットが長く、真ん中でたっぷり休めるトルコ回りにしたかったが、価格差を考えると今回もどうしてもエチオピア周り。 円安がしんどすぎる… と言っても、せっかくのプログラム。アフリカなど、人生で何度足を踏み入れるかわからない学生たちにはアフリカをたっぷり味わっていただきたい。 さて、24日夜に成田を飛び立ったエチオピア・エアライン(ET673)は、韓国の仁川を経由して一路アジスアベバへ。長距離フライトに学生たちも若干お疲れか?しかし、せっかくのアジスアベバ。恒例のあれこれを経験します。 まずはコーヒーセレモニー。エチオピア独特ですね。深入りのコーヒーの香ばしい香りに、(私は)疲れも吹き飛ぶようでした。 これはおまけで、アジスでも辛ラーメンが!買う人、いるんでしょうね。しかし、その値段たるや12ドル(約2,000円)…アフリカの空港での韓国、中国の食い込みがすごい! そして、こちらも恒例のインジェラ。お店の方曰く、ここらへんで一番旨い!とのことで、乗っかってみることに。いつもはファラ・フェル(インジェラのトマト炒めのインジェラ詰め)しかないのですが、今回はメニューのものは何でもあるとか。そして、一時期はまってよく食べていたドロワットを選択。あまり辛味は強くなく、学生たちもおいしそうに食べていました。 軽く腹ごしらえをして、いよいよダカールに向けて出発。 さてさて、今回はどんなツアーになるのやら。