セネガル・プログラム2025 ⑤ とりあえずの区切りとして

大西洋に日が沈む

2022年、コロナ禍が収束に向かったころから始まったこのプログラム。今年で4回目となった。4年間合わせてもせいぜい20名程度ですが、アフリカに行ったことがないばかりか、初めて海外に行くという学生を連れてユーさんとセネガルを歩いてきた。

セネガルの人びとの溢れんばかりのホスピタリティ、乾燥地特有の軽い空気感、初めて出会う人たちと囲む料理、熱気にあふれるマルシェ、人々のカラフルな着衣…様々な風景を見せることができたのではないかと自負している。セネガル渡航を通して変わった学生も、変わらなかった学生もいて、20人程度とは言え、様々な反応があり、その一つ一つが私の胸には色あせることなく残っている。

実は、所属先のアフリカのプログラムは次々となくなってきている。私が赴任した際の、アフリカの熱はすっかり冷めてしまったようだ。学部の再編に伴い、3か月の留学(海外長期フィールドワーク)も今年度で終わり、何やらこのプログラムも縮小、ないし廃止のような話もでている。それなりの熱量をもって、毎年2-3か月の準備を重ねてプログラムを練り、安全面でも相当の配慮をして、学生がプログラムに集中しつつ、リラックスした状態でアフリカに接することができる機会を作る努力を重ねてきた。こんな使い方でよいのかわからないが、こんな話が出てくること自体が、「遺憾」である。ただ、どこかでこの経験やらが続いていけばよくて、私の所属先のことは、まあ大したことではない。一つの大学のアフリカ・プログラムがなくなる、というだけの問題である。

しかし、改めて、学生をアフリカに連れていく、ということの意味を考えさせられる。はっきり言って、相変わらず、体調を壊したり事故に遭うリスクは圧倒的に高い(犯罪リスクは小さいと思っているが)し、安全性に気を配るほど金もかかる。それでも、今だからこそアフリカに行っておくべきだ、ということは強く感じている。

僕らが大学生のころ、アフリカは「貧困」とイコールで結ばれていた。今や、我われはそんな一次方程式では理解しなくなったし、アフリカが世界に与える影響力は、実質的なできなくなった。僕らが「バックパッカー」という、冒険家まがいのことは、もしかすると、以前以上に「金持ちの道楽」になっていくかもしれない。そして、サハラ砂漠でも電波がある昨今、ラクダにまたがって砂漠を遊動する、という旅はもはや人間のむき出しの知や経験に裏打ちされた知識の神髄に触れるものでなくなっているかもしれない。僕らと同じような経験はできなくとも、今でなければ、できない「冒険」は必ずある。そして、アフリカは間違いなくこの後、世界の一つの極を占めるようになっていく。新自由主義的な富の偏差は益々強まっていくだろうけど、全く違う価値が生み出されるとしたら、若くて爆発的な力を持つアフリカに違いない。こうした元気な力に触れるとしたら、閉塞感を感じている若者たちはきっと違う世界(観)を持つことができるだろう。

僕らは、こうした世界を知らない若者たちに私たちの頃と今のアフリカを伝え、まだ自分では飛び出せない若者たちの翼を研ぐ作業をしていると思っている。いくつか持っている講義よりも、その密度は濃く、感性に響くのが、このプログラムではないかとさえ思っている。そして、そのことは様々なところでも発信しているし、何より、アフリカから戻った学生の輝き、これを見ているのだろうか。


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