セネガル・プログラム2025 ③ Thomas Grandさんとンブールから南下する
| Thomas Grandさん |
2021年にこのプログラムの視察のため、共担のユースギョンさんらとセネガルを訪問した時のことである。出発前に行程、レンタカーの手配、ホテルの手配、面会する人とのアポイント、すべて完璧に準備した…つもりだった、いや、していた。しかし、長いフライトを終え、セネガルの空港に到着、ドライバーと落合い、空港近くのホテルへ…ホテルが…ない?!ホテルは探せど見つからず、深夜23時に行き場のなくなった我々は、Mbourに住むThomasの存在を頼ってみることに。久しぶりに電話をすると、突然の来訪を嫌がるどころか、深夜に山盛りのパスタとおかず、そしてビールで迎えてくれた。
学生はこの話をすると、面白がってくれるが、ユーさんも同行した職員も初めてのセネガル。私もガハガハ笑いながらThomasと話していたが、お二人はさぞかし不安だったことでしょう…
学生はこの話をすると、面白がってくれるが、ユーさんも同行した職員も初めてのセネガル。私もガハガハ笑いながらThomasと話していたが、お二人はさぞかし不安だったことでしょう…
そんなわけで、ずいぶん長い時間をかけて仲を温めたThomasに、今回は正式にアテンドをお願いした。彼にお願いしたのは、映画で撮ったセネガルで最もよく食べられる魚であるヤボイ漁と水産加工場への案内である。
今回の旅程では、ゴレ島から直接Thomasの家で彼をピックアップして南下しながら漁港を訪問する、ということにした。のだけど、Thomasのホスピタリティが炸裂。事前に、「朝飯は打ちで食え!」とのことで、なるべく早く到着するようにすると、期待を裏切らずモリモリの朝ごはん。ゴレ島で少し食べてきたものの、学生たちはすでに食傷気味か…
今回の旅程では、ゴレ島から直接Thomasの家で彼をピックアップして南下しながら漁港を訪問する、ということにした。のだけど、Thomasのホスピタリティが炸裂。事前に、「朝飯は打ちで食え!」とのことで、なるべく早く到着するようにすると、期待を裏切らずモリモリの朝ごはん。ゴレ島で少し食べてきたものの、学生たちはすでに食傷気味か…
少し休ませていただいた後、ンブールMbourの漁港→ワランWarangの水産加工を見学に行く。残念ながら、ンブールの写真が撮れなかったのだけど、ローカルな漁船から瀬取りし、それを海岸で下処理をして、浜にある魚市場まで、一通りが見られる。フカ(サメ)が上がると、ヒレが取り除かれ(中国への輸出用)て、肉はほとんど食べられないそうで、雑に脇に放置されている(実は、その後水産加工の場でナイジェリア、ガーナ向けに塩漬けにされることを聞く)。また、Thomasはしばしばつぶやいていたが、5年前と比べても魚の量が明らかに減っていると…
かなり暑くなってきたこともあり、ンブールを離れ、10㎞ほど南のワランに向かう。このあたりは、漁港とそれに隣接する水産加工場が交互に現れる。ある意味、漁港としての特性などが加味されつつ、地域分業のようなものもあるのだろう。こうして広域に見ていくとこうしたことがよく理解できる。
ジョアルに向かう幹線道路から大西洋に向かって曲がると、車の窓を閉めていてもわかるほどの魚の匂いが立ち込めてくる。いい匂いに感じるかどうかは人次第。塩辛の匂いが好きでない人はかなりつらいだろう。
整然と積まれた魚の山。個体ごとに多少なりとも大きさが異なっているはずなのに、定規で測ったかのように直線的に積まれた魚の山はどこか美しい。魚に塩をまぶし(②)、それを炎天下に積んで乾燥させる。間違いなく保存食だ。ちょいちょい摘まませてもらったが、暑いさなかの塩分補給には最高(?)で、魚の旨味が凝縮された、正に干物。熱海あたりの干物は魚がでかくて、塩味も優しいが、こちらは小さいながらに強烈に塩辛く、旨味も凝縮されている気がする。白米を思い出したのは僕だけか?!
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| ワランのゲジづくり① |
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| ワランのゲジづくり② |
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| イエット?でよいのかな? |
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| ワランのゲジづくり③ |
さらに奥に進むと、こうした種類別に乾燥が行われている。この辺りのイェットやゲジは美しさすら感じます。塩漬けした魚介類を強烈な日差しの中で干す。そしてこれらはセネガル国内、さらには西アフリカ全域に運ばれて食卓を彩ることになる。以前からThomasが述べていた、地域経済と環境の関係性がこんなところに見えてくる。学生にはうまく伝わっただろうか…とても重要なことなのだけど。
そんなわけで、体調不良者も出たこともあり、この後はホテルにチェックインし、みんなはのんびりだったのですが、Thomasと私は、若干深刻化した学生を病院に連れて行くので大わらわ…まあ、無事だったのでよかったですが、彼がもらってきた下痢止め、その後私以外人たちがお世話になることになったとさ。ともあれ、この後は少しずつペースを緩めていくことになった。





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