素晴らしい祝辞②[立教大学2015、立教新座中高等学校2011]

卒業シーズンも一段落。毎年、いくつかの学校の祝辞が注目されますが、今年も素晴らしいものが紹介されていました。
立教という学校には全く縁もゆかりもありませんが、たまたま2つの祝辞に接する機会があり、それらにいたく感銘を受けました。双方、それぞれのホームページから拝借してきました。是非ご一読ください。
立教新座中高の渡辺校長の「祝辞」は、実際には生徒の前に話されていないようです。2011年のものだからです。3.11後、多くの学校の卒業式が中止され、「祝辞」は「メッセージ」と呼び換えられたのが印象でしたが、こうした時期だからこそ新しい門出を迎える若者たちに言葉をかけたい先生たちの言葉はより鋭く、重いものになっていきます。以前、高橋源一郎さんの祝辞を紹介しましたが、これも大変すばらしいものでした。
渡辺校長は、大学に進むことを「海に出ること」にたとえ、「津波」に負けない強い人間になるように訴えています。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。」
ちょっと熱すぎるか、そんな風にも思ってしまいますが、大災害で混乱した当時の社会でのこと、敢えてこうしたことを述べられたのだと思います。
このメッセージを受けた立教新座の高校生たちが進んだであろう、立教大学の吉岡総長は(大学院の卒業式でのものですが)、大学という、知の海で、「考える」ことの大切さを説きました。大きく首肯できる、今の時代にとても大切な言葉を紡がれたと思います。
大学は「物事を根源にまで遡って徹底的に考える」場所です。 やや誇張した言い方をすれば、大学が存在しているのは社会の中で大学以外にそのように物事を徹底的に考える場所が他にないからです。もしもそのような場所が、社会の至る所にあるのであれば、大学は不要でしょう。 あるいは逆に、社会がもはや考えることを全く必要としないのであれば,(そのような社会が望ましい社会であるか、そもそも人間の社会と言えるかどうかは別として)、大学は存在意味を失うことになります。
立教大学は、今述べたような「徹底的に考える場所」であることを自らに課してきました。本日学位を取得された皆さんは、立教大学におけるこれまでの研究の過程で、自らのテーマに関して考えられる限りのことを考えぬいたことと思います。そしてその過程で、「物事を根源にまで遡って徹底的に考える」ということの持つ人間社会における意味を体得したに違いありません。この経験をこれからの研究生活、そして社会のためにぜひ役立ててください。」
どんなところで生きていくにせよ、荒れ狂う海で考え抜くこと、とてもしんどいことのようにみえますが、きっとその中にこそ生きていくことの楽しみを見いだせるのではないかと思います。別れと出会いの季節、新しい門出を迎える人には素晴らしい未来が待っていることを切に願います。
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http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/philosophy/president/conferment2014/
2015年3月25日
立教大学総長 吉岡 知哉
立教大学はこの春、358名に修士号、29名に博士号、30名に法務博士号を授与いたします。このうち、修士46名、博士3名が外国人学生です。学位を取得された皆さん、おめでとうございます。
昨日と本日、このタッカーホールで学部生の卒業式が執り行われましたが、この卒業式は立教大学にとって特別な意味を持つものでした。それは言うまでもなく、今年卒業する学部生の多くが2011年4月に本学に入学した学生たちだ、ということによります。その年の3月11日に起こった東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故によって、私たちは卒業式と入学式を中止し、新年度の授業開始をもひと月遅らせざるをえませんでした。
3.11は、私たちの生きる日常がいかに脆弱な基盤の上に成り立っているかを暴き出しました。同時に私たちは、科学技術によって自然を支配し統御することができるという、人間の傲慢な幻想が打ち砕かれる瞬間を、文字通り目の当たりにしたのです。
巨大地震と津波そして原発事故は多くの人々の命と生活を奪い、広範囲にわたって豊かな国土の喪失を引き起こしました。水や食糧、空気や大地といった物質的環境から社会制度、国の仕組みに至るまで、それまでの信用がことごとく打ち崩され、言わば「底が抜けた」状態になりました。 学問の府であるべき大学も例外ではありません。
あれから4年。震災の年に入学した新入生が卒業するだけの時間が流れました。しかし被災地の復興はまだ途上であり、原発事故は収拾の見込みが立たないまま汚染水漏れが続くなど現在進行形の状態であり、なお多くの人々がかつてのすみかを追われたまま、避難生活を強いられています。それでも、物質的環境の復興は現場の努力によって少しずつ進んでいます。むしろ大きな問題は、3.11によって露呈し加速することになった社会的な意識構造の変化にあると思われます。それは、精神的な価値や創造物をも含め、あらゆるものを市場原理に準拠して価値付けるという思考の強化徹底です。
もとよりこのような思考は資本主義の基本原理であり、今に始まったものではありません。しかし、情報通信技術の発達とグローバリズムの急激な進展に伴って地球規模に拡大すると同時に、生活の隅々にまで行き渡ることになりました。
人間活動のあらゆる局面を市場の判断に任せるという思考は、結果のみがリアルであるという観念を導きます。問題は、人間が歴史的に作り上げてきた社会的な諸制度に関しても、それが産み出す結果と効率のみを基準として価値付けられることになるという点です。企業という組織は利潤を最大化することを目的としており、結果の判断基準は明確ですが、企業以外の社会的な諸組織、諸制度は、直接にある結果を出すことのみを目的としているわけではありません。
大学もまた、そのような組織の一つです。大学において、個々の研究の成果が現在の社会の基準に従って有益であるかどうか、その時々に役に立つ人材を輩出しているかどうかは確かに大切ですが、それよりもはるかに重要なのは、高度な研究と教育が持続的に行われていること、それ自体です。大学は歴史的に、それぞれの社会にとっては異質な多様性を自らの中に内包することによって、社会の画一化とそれによる劣化を防ぎ、社会全体の刷新を進めてきたのです。それはちょうど、ヨーロッパの歴史において、異端研究を行う修道院が教会改革の原動力でもあったのと似ています。
大学は「物事を根源にまで遡って徹底的に考える」場所です。 やや誇張した言い方をすれば、大学が存在しているのは社会の中で大学以外にそのように物事を徹底的に考える場所が他にないからです。もしもそのような場所が、社会の至る所にあるのであれば、大学は不要でしょう。 あるいは逆に、社会がもはや考えることを全く必要としないのであれば,(そのような社会が望ましい社会であるか、そもそも人間の社会と言えるかどうかは別として)、大学は存在意味を失うことになります。
立教大学は、今述べたような「徹底的に考える場所」であることを自らに課してきました。本日学位を取得された皆さんは、立教大学におけるこれまでの研究の過程で、自らのテーマに関して考えられる限りのことを考えぬいたことと思います。そしてその過程で、「物事を根源にまで遡って徹底的に考える」ということの持つ人間社会における意味を体得したに違いありません。この経験をこれからの研究生活、そして社会のためにぜひ役立ててください。
皆さんのこれからのご活躍に心から期待しています。
おめでとうございます。

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http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

立教新座中学・高等学校

校長 渡辺憲司

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