今村仁司1996『群衆-モンスターの誕生』筑摩書房
僕は修士論文で「ワガドゥグのラスタマン」について書いたのだけど、実は論理的な背景に「社会運動論」を使った。サブカルや若者論というよりも、どちらかと言うと、何が人と人を結び付けているのか、というところに興味があったからだ。たぶんNGOでの経験も大きくこの問題意識に強く結びついていて、なぜ人がある共通の趣向を持ち、同じ方向に動くことに同意するのだろう、NGOの場合、何が共有されているのだろう、ということをいつも考えていた気がする。
今村仁司さんのこの本の最初に「近代の歴史は、とりわけ19世紀以降の歴史は、群衆の歴史と言っても言い過ぎではない」と述べるが、今村さんが指摘するように、カネッティ、タルド、さらにマルクス、ニーチェなどに至るまで、確かに、得体の知れない人の集合を扱っている。きっと僕が扱っていたようなローカルだけどグローバルな運動体も、現代的な意味では群衆のひとつのあり方なのだろうと思った。
この本では、カネッティを引いて、迫害群衆、逃走群衆、禁止群衆、顚覆群衆、祝祭群衆という5つの群衆のモデルを用いて、その後の群衆の捉えられ方を考えていくのだが、共通認識はどのように醸成されるのか、というプロセスの話が少々乏しいように感じた。カネッティを未読なので、ここは要勉強なのだけど。
マルクスやニーチェのくだりもとても示唆に富んでいる。経済学や哲学の巨人の目の先にあるものが、群衆であり、これをいかに制御するか、また、統治するか、処遇するか、ということが近代の最大の課題であったこと、実に目からうろこ。そう読まねばならなかったか、と思わされた。
きっと、僕が見てきたラスタマンは群衆には当てはまらないだろう。ただ、今、書いているブルキナファソの政変のときの市民蜂起は間違いなく、群衆の仕業だ。さすがにこれを組み込む時間はないが、今後のためにも少しずつ勉強したい領域だ。
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【目次】
プロローグ 群衆への問い
第1部 群衆の本質
1 群衆への視点
2 群衆一般
3 群衆の累計
4 近代の群衆
5 都市と群衆
6 群衆と理性
第2部 群衆の分析
1 恐怖と魅惑-『フランケンシュタイン』
2 多数者の専制
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