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8月, 2013の投稿を表示しています

ダカール到着

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この写真、どこの写真かわかりますか?決してお盆明けのどこかの高速ではなくて、なんとダカール。今や日本の料金所は大概ETCになってるから、人がおカネを回収する風景も少なくなったけど 、セネガルにもこんな風景が見られる。 さて、一昨日、最後までいろいろとゴタゴタしたものの、無事にダカールに到着。昨日さっそくモーリタニア国境にほど近い、Saint Louis(「サンルイ」と読む)に移動。上の高速の料金所の写真はこの途中。ダカールでいろいろ用事を済ませながら出てきたので、約6時間かけてサンルイに入った。2008年にセネガルを訪れた時にも、この街に滞在したが、セネガル川の河口に作られた、コロニアルな街並みと漁村としての活気、あとはとにかく魚がうまい、というのが印象的。まだある。アフリカ大陸最西端のこの街のセネガル川を渡ると中洲があり、ここがオールドタウン、さらにわたると、一番狭いところで200mほどの砂州があって、そこからの夕日はそれはそれは美しい。 到着、即移動、ということで、今日から調査に入りたいと思う。というか、締切があってそうもいかなそうだけど…やっぱりいろいろ持ち込むのはいかん… にほんブログ村

いざ、セネガルへ。

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と、それほど勇ましく言い放てるような状況ではなくて、いつも以上に仕事がやり残っていて、あと1日くらいでどこまで終わるか、ということを考えたり、さほど能率の上がらない機内や現地に宿題を持ち込まなければならないな…と思ったり…いやいや…いきなり愚痴から始まってしまった。 明日からセネガル-ブルキナ-セネガルというまたややこしい旅程にて調査+ワークショップに出発します。すでに気になることがあって、そのことを少し書いておこうと思う。 まずはヴィザのこと。 セネガルはサハラ以南アフリカ唯一のヴィザなし渡航が可能な国でした。2013年7月よりヴィザが必要になった。ヴィザの申請は、このURLから事前申請をする。 www.visasenegal.sn    その後、申請受け付けのメールがすぐに来て、そのあと確認のメールがくる、「はず」。このメールを持ってダカールの空港でヴィザをもらう、という段取りらしい。今回はこの確認メールが来ない。催促してもなしのつぶて。なれないとはいえ、余計なことをしてくれたもんだ。 また行ってから書こうと思うけど、物価が非常に高くなっているという話をよく聞く。屋台で200円(1,000Fcfa)とか。ワガドゥグの倍以上。本当だろうか? あとは野となれ山となれ。徳俵に足がかかったまま2,3週間を過ごして、ワガドゥグでちょっと仕事をこなしてセネガルに戻ってボスを迎えます。 にほんブログ村

小馬徹「アフリカの教育」日野瞬也(編)『アフリカの21世紀 第2巻 アフリカの文化と社会』勁草書房(1992年)

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半年くらい前に読んだ(たぶん2度目)この論文。もう20年も前の論文だけど、その切れ味にいたく感動した。そして、先日のアフリカ学会の懇親会から駅への道で小馬(こんま)先生をお見かけして、お声掛けして、そのことをお伝えした。「あーそんなの書いたっけな…でも、少しでもお役にたてたならうれしいです」と飄々とおっしゃる。お名前もお顔も存じていたが、直接お話しするのは初めてで久しぶりに緊張したけど、これからいろいろと学ばせていただこうと思う。 今書いている文章にも大いに参考になるので改めてこの論文を読ませていただいた。備忘録的にまとめておくことにする。 小馬先生の担当された章は、アフリカの教育を考える視点というところから始まる。そこで2つの問題を議論する。地理上のアフリカに統一的な「アフリカ性」を容易に見出しがたい、ということで、もう一つは教育の定義づけのむずかしさである。植民地時代から60年代のアフリカ諸国の独立の折の旧宗主国の政治的影響を抱えながら自主独立を達成しなければならなかった自己矛盾、これが、西欧型の教育を採用したアフリカの教育の諸問題に通底すると論ずる。 次に、アフリカの伝統教育についての論が続く。まず、教育の定義を「個人が、他人との相互行為を通じて、自分の属する集団または社会に適合的な理想や行為のパターンを内面化する過程、すなわち社会科(socialization)過程と規定する」(小馬1992:162)。このように広く定義していくと、教育を非定型的教育(informal education)と定型教育(formal education)に二分して考えると、アフリカの伝統教育は「独自の学校制度のネットワークをもっていたイスラム圏と、それ以外の地域とに大別するのが常識的な分類とされている」(小馬1992:163)。僕に大事なイスラーム教育の部分だけまとめると、イスラーム教育がアフリカの伝統教育として考えられるが、イスラーム原理が民族宗教とが統合される中で、イスラームの学校教育が民族社会の父権的な伝統や中心価値に不可分に統合される。また、イスラーム教師がその社会の宗教的政治的な権威をもつようになることを考えると、「イスラム圏アフリカの伝統的な学校教育は、個人を各民族固有の文化や価値から解き放って、「国民国家」という新たな価値へ統合する目的をもつ今

そうだ。小説を選びに行こう。

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忙しくてもできるだけ小説は読もう。ずいぶん前にそう決めたけど、ここの所あまり読めていない。 忙しいのだ。 今週末はセネガルに向けて出発、来週締切の原稿が2つ、非常勤の準備もある。小説を一日のうちでいつ読むかは忙しさのバロメーターみたいなもんで、それはもしかすると生活の乾き具合にも比例していく。日中に読むという暴挙ができる時は割と生活にゆとりがあるとき、寝る前にしか読めないのは勝手にそうしているときか、それなりに忙しいとき。小説を読みながら寝落ちるのがちょうどいい生活なんだと思う。そして、今は、というとまったく手に着かない。こんな時は仕事の効率も良くない。 でも、調査に出ているときは24時間自分の時間がアンダーコントロールにあるので、比較的いろんな本が読める。できるだけ読み止しの本は持っていかないようにして、たっぷり時間を使って読書もする。前回も1か月で8冊、学術書も3冊ほどあったから、まあまあいいペースで読めた。今回もっていく本も今朝あたりから選んでいる。 でもそういえば小説がなかった。たぶんあんまりいい状態じゃないんだろうな…近日中に何か新しいのを買いに行こうかと思う。 にほんブログ村

『「ゆるく生きたい」若者たち 彼らはなぜ本気になれないのか?』榎本博明+立花薫著 廣済堂新書 (2013年)

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なんとなくアマゾンで注文した本。 心理学者の師弟で書かれた感じでしょうか。いまどき女性(立花さん?)の年齢を気にするのは野暮だけど、少々抹香くさい感じを受けてしまった。おっちゃん+おばちゃんの「いまどきの若い者は…」的な、それを正当化する理屈を与えてくれる、おっちゃんの僕としてはありがたい一冊(たっぷり皮肉「も」こめて)。しかし、皮肉抜きで、心理学者から見た現代若者論としてはとても勉強になった。 色々書きかけては、書ききれないのだけど、ハウツー本なんぞ読まんでよろしい、そんなところに人生の答えなんか書いてない、とか、若者にどうこう言うのと同時に大人のみなさんももっと頑張れ、と言ってるところとか、まあ、どうぞ読んでみてください、という本ということで紹介しておきます。別に新しくもないし、刺激的でもないけど、そういうおっちゃん+おばちゃんが考えそうなことを心理学的に理論武装してくれそうです。

夏休みいただきました(尾道)

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福岡を後にして尾道に向かう。本当はのんびり鈍行の旅…の予定だったがあまりに時間がなかったので広島までは新幹線、広島は「みっちゃん」でお好み焼きを頂き、一路尾道へ。 いつもの通り、村上さんのところにお世話になる。そいでまたいつもの通り、「 とこぶし 」にて宴会。その翌日はこんな風景に出会う。 来島海峡まで飛ばしてもらう。海はべたなぎ。暑い太陽が照り続けたけど、とても気持ちのいい海。この時ばかりは仕事のことはすっかり忘れた。 そして夕方。向島のてっぺんに上り、絶景を楽しむ。その夜は地元の人が並ぶ串カツ屋さんへ(取材お断りの頑固おやじの店らしい)。とても楽しい滞在。 最終日は浄土寺の祭事に参加して、ちょうどやっていた小津安二郎展に足を運び、京都へ。遊び疲れた子供のように、電車の揺れに体を任せると強烈な睡魔が襲う。会いたかった方に会い、力を貰ったはず。少し頑張れそうな気がする、いいことがありそうな予感のする休み。たまにはこうやって休みをとるのもいいもんだ。

夏休みとりました(九州)

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先週一杯夏休みを取りました。休んでいる場合じゃないんだけど…でも、行った先々で大層なおもてなしをいただき、何年振りかで夏休みらしい夏休みになりました。遊び疲れるくらい遊んでしまった… ルートは福岡にあるjunkoの実家に行き、復路に広島、尾道を廻って昨日帰京。 ちっとくらい写真があるので、写真を出しつつ。 福岡のjunkoの実家に着いたのが夕方で、その翌日は熊本へ。今年の年始に行ききれなかったのでリベンジということで。熊本も暑い一日で、熊本城も暑かった。しかし、おそらくは満足度の一番高い天守閣で、なかなか勇壮ないいお城だと。そして、本丸御殿もしっかり修繕してあって、もっとゆっくり回ってみたいな、と思った。 この辺は名古屋の人が見たらニヤリとするところ。 お城のあとは阿蘇へ。正月は雪のために通行止めになっていて、大観峰までだったので、今回は火口を見に行こう、ということで、一番上まで上った。   しかし天候が悪く、駐車場に車を入れてすぐに雷雨。しかも… 火山ガスが出ているということで、火口までは行けず…しかも、頂上に続く道も雷が危ない、ということで通行止めに。またお預けを喰らった。 それにしても阿蘇は雄大で、ぜひまた来てみたいと思った。 そのあとは写真がないけど、翌日はわがままを言って義理の父と甥っ子、junkoと新宮まで魚釣り。何から何まで申し訳なかったです。でも普段砂漠の方のことばっかりやってると、海が恋しくて…久しぶりの潮風、しばし暑さを忘れて過ごさせてもらいました。 そして九州はご飯がおいしい…夏のモツ鍋もなかなか!今度は福岡市内にも繰り出したいもんです。

Bob Marleyを知らない?

朝、職場に着いて、汗を拭き、コーヒーを入れてYou Tubeで選曲する。一日の僕のルーティンだ。 最近誰が歌っているとか、あまり気にならなくなった。そこに意識が行くと仕事の手が止まってしまうからだ。なので、割とスムーズなジャンル、曲が多くて、自然とBossaとかピアノjazzなんかが増える。 今朝も“Bossa n' Marley”というトラックを聞いているのだけど、これを見てふと思い出した。 先日呼んでいただいた都内の某大学で、僕の研究遍歴を少し話したのだけど、ちょっと若ぶろうと思って、音楽の話をしてみた。ラスタの話やらレゲエの話だったのだけど、ラスタがラスタファリアンという宗教社会運動に発端があって…とかいうのはともかくも。 「Bobはさすがに知ってるだろうと思って、Bob Marleyっているでしょ?彼らみたいなお兄さんたちのことを調べてました」 って言ってもポカーン…あれ?知らない? 話を聞くと、最近は「レコード屋(この言い方が伝わらない)」にもいかないのだそうだ。その大学、渋谷も新宿も近いのに、繁華街すら足を運ばないらしい。呼んでいただいた方によれば、音楽ソフトは基本的にダウンロード、そして、最近の学生はおカネがなくて「レコード屋」で物色するということもないのだそうな。 ものすごいジェネレーションギャップを感じた出来事だったのだけど…それでもBob Marleyくらいは知ってて欲しかったな… はっ!もしかしてBeatlesとかも知らんのかな…

『終戦のエンペラー』(ちょっとネタバレ)

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8月は戦争や平和について考える機会が多い。映画もこの前見た『風立ちぬ』もそうだし、今日見た『終戦のエンペラー』もその一つ。 個人的にはハリウッドがこの作品を作れた、と言うだけで評価するし、『風立ちぬ』よりもテーマが面白かった。配役も僕好みでなかなか見応えがあった。 戦いの果てにわかり合えるのか」という副題があるけど、これはあんまりどうでもよかったけど、たぶん当時のアメリカにしたら、日本は理解不可能な、「オリエンタル」の象徴だったのだろう。作中、何度も天皇が戦犯でない「証拠」という言葉が使われるのだけど、悉くそれはなくなっている。そして、官僚や側近の決死の証言は、天皇の戦争責任を回避するに至らない。状況証拠的に、日本人の心性がこの間を埋めていく、というシナリオなのだけど、「タテマエとホンネ」とか、割と僕らには聞き覚えのある分析がなされていく。もちろん『菊と刀』なんかを思い出すのだけど。 最終的に「わかり合える」のではなくて、アメリカが日本をいかに理解して、平和的な統治が始まったか、という、ハリウッド的に言えば日本はいまだにアメリカの植民地、という超政治的なメッセージ?と取れないこともないけど、これは十分に面白かった。 しかし、血なまぐさい戦争を恋愛劇で中和しようというプロット、『風立ちぬ』もそうだったけど、やっぱりこうなっちゃうのかな?違うのも見てみたいもんですが。

日常の回復

調査から帰り、国内出張で東京に出て、帰ってきてオープンハウス。そして、愛知県立大学をお迎えして、ようやく日常の研究に戻った。 辞書を片手にじっくり文献に向かい合い、メモを取り、少しずつ論文を書く、というプロセスがずいぶん久しぶり。そんなんではいかんけど。少し詰め込みすぎた感は否めないけど、いくつかのフロンティアワークに、教育のトレーニング、「お勉強」以外のところでずいぶん成果もあったと思う。 そんなわけで、一通りのイベントが終わった。まだ報告書が残っていたりするけど、ここから次の調査の準備をしながら論文書き。遅々として終わらない学会誌投稿論文を仕上げて、今月末締切の原稿を書く。あとはセネガルでのワークショップの資料作りか。 ようやく訪れた日常の中で、少し潤いを回復させながら、闘い、楽しみたいところだ。

第7回「西アフリカのイスラーム」研究会

7月31日に第7回「西アフリカのイスラーム」研究会を実施した。 昨年から理系の多い今の職場でバリバリに人文学系の研究会を続けている。寛大なボスのおかげで、「みんなにわかるように」ということだけを考えて若手の西アフリカ研究者を集めて、しかもセミクローズドに開催できている。オーガナイザー本人はともあれ、きっと次世代の西アフリカ研究の中核を担う若手研究者が集まり、喧々諤々やっている。これまでの経過はこんな感じ。 回 開催日 発表者 所属 タイトル 備考 1 2012年8月13日 清水貴夫 総合地球環境学研究所 はじめに 「西アフリカ・イスラーム研究会」の「砂漠化をめぐる風と人と土プロにおける位置づけ キックオフ、西アフリカ史研究の手法と限界、可能性について 中尾世治 南山大学大学院人間文化研究科人類学専攻 西アフリカ中世史 2 2012年9月10日 清水貴夫 総合地球環境学研究所 モシ王とイスラーム:西アフリカにおけるもうひとつのイスラームのあり方 政治権力とイスラームの関係性を民族誌的に分析した 伊東未来 大阪大学大学院人間科学研究科 都市ジェンネのイスラーム 今中亮介 京都大学大学院アジア・アフリカ・地域研究研究科 マリ帝国とイスラーム 3 2012年10月5日 清水貴夫 総合地球環境学研究所 タリベとコーラン学校のモビリティ:ブルキナファソの事例から イスラームの重要な社会的機能である教育機関と教育者についての解説 伊東未来 大阪大学大学院人間科学研究科 隣人としてのマラブー:マリ共和国のアルファを事例に 4 2012年12月20日 溝口大助 九州大学人間環境学府 研究員 マリ共和国南部カディオロ県におけるセヌフォ社会の集団性と死 西アフリカの湿潤地における「社会的紐帯の

愛知県立大学地球研訪問セミナー

8月2日の「オープンハウス」に引き続き、明日から地球研に愛知県立大学の亀井伸孝先生のゼミをお迎えする。「大学共同利用機関法人」とかいう冠があるけど、意外にこうしたケースは少ないらしい。 セミナーが5コマ、6日のお昼は20枚程度のポスター発表、同じ時間にアフリカンランチ、その夜はBBQと、予定もたっぷりしている。地球研は同じ人間文化機構の中でも、純粋な研究機関で「教育」がない。それぞれの機関の趣旨があるから、それはそれでいい環境なのだけど、得た知見のアウトプットの場が少ないのは否めない。 今回は個人的に引き受けることにしていたけど、もう少し希望するところが増えるようであれば、もう少しシステマチックにした方がよいだろう。というか、もう少し積極的に色んな大学/高校を読んできてもいいような気がするけど。 もちろん、明日からいらっしゃる皆さんが充実した滞在になるようにしたい、と言うのが第一で、もう一方で地球研にとっても試金石になるとよいと思う。

今年のドラゴンズは…

10数年ぶりにBクラスの危機。こんなギリギリ感は何年振りだろう。 大勢が高木批判を繰り返す中、僕は今年のこの状況は落合政権の負の遺産の要素の方が遥かに強いと思っている。客を呼ぶ野球をすると言って就任したんだから、高木監督は/で遊べばいいと思っている。贅沢な話だけど、やっぱり底力はあるのだから。 すでにシーズンも後半。今日のオーダーはこんな感じらしい。 (中)大島、(二)森野、(一)クラーク、(三)ルナ、(左)和田、(右)平田、(遊)高橋周、(捕)谷繁、(投)山井 落合政権のときでは考えられない、荒木+井端を外したラインナップ。森野もいい年だけど、高橋や谷、岩崎あたりを加えていい人を使う。この雰囲気は来年以降を考えると、少し楽しみになる。 端から今年は期待してなかったけど、Aクラスが狙える程度ならまずまず楽しい。積年の疲れのたまったピッチャーも大概帰ってきたし、あと3分の1、少し楽しみにしてみようかと思う。