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【フィールドワーク2026③】ーブルキナファソ②ラマダンにあたり

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全然ムスリム感がないですが…イマームはバッドマン  2月19日から始まった今年のラマダン。3月21日に無事にイード・アル=フィットルを迎えました。 今回の調査、ラマダンのど真ん中に行われました。もちろん、そのことは理解していて、食事の調整やら、色々シュミレーションして、ホテルもキッチン付きの部屋にしておいたり、日本から少し多めに食べ物を持って行ったりしました(イマームのところで食事ができないのが残念…)。 上の写真の青い箱は角砂糖なのですが、ラマダンの際に皆さんに配るのが習わしとか。ずいぶん前にラマダンをやった時には、デーツをたくさん買ってモスクに持って行ってイフタールに配ってくれた記憶があるのですが、角砂糖というパターンもあるんですね。 ラマダンの最中の調査は注意が必要。まず、ズフル(午後最初の礼拝)の後は、モスクで過ごすことが多く、ほぼ調査にならない。つまり、調査はいつも以上に午前中に設定する。かと言って、夜通しの礼拝があることもあるので、午前中もあまり重い調査はできない。そもそも、断食中は皆さんしんどいので、あまり大がかりで時間のかかる調査は避けておく。そして、午後は、「世俗的」なインフォーマントもしくは「クリスチャン」系のインフォーマントへの聞き取りを設定すると、比較的ストレスなく調査が進行する。 まあ、皆さん慣れているとはいいますが、やっぱりしんどいですよね。今年は昨年よりましとはいいつつ、2月末~3月終盤という、この地方で最も暑くなるちょい前で、連日の40度越え。ちょっとノートを取っていたら、皆さん、こんな感じ。 今回もお付き合いいただきありがとうございました。

【フィールドワーク2025ー2026】ブルキナファソ渡航を前に

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  今回の旅のお供 キイチロウが用意してくれた「サンタさんのおやつ」 卒論の審査が終わり、年内にやらねばならないことはとりあえず一段落(しているはず)。クリスマスの明け方、キイチロウのプレゼントを仕掛け、キイチロウが用意してくれた「サンタさんのおやつ」をやっつけて荷造りをしています。読みかけの本といただいたのに読めていない本、後は読まねばならない本6冊を選び、とりあえずひと段落。 今回は、分担者となっている 科研費(25H00456、代表者:伊達聖伸) 関連の調査です。行先はブルキナファソ。調査の準備はあまりよくできておらず、何をどこまでできるかは、到着までに詰めてやっていきたいところ。兎にも角にも、今回のミッションは、来年招聘予定のジョセフ・キ-ゼルボ大学のシリル・コネ先生と打ち合わせをすること、そして、自分の本来研究でお世話になっているアブドゥライ・ウェドラオゴ先生に会い、意見交換をすることは決めました。その他、インフォーマント何人かにアポイントを取っているものの、1年半ぶりということもあり、安否確認や近況報告でかなり時間がとられてしますことでしょう。さてさて、今回はどんな収穫があるでしょうか。 2019年ころからテロが激化し、ブルキナファソもずいぶん遠い国になってしまいました。ツーリストのビザがなくなったのもあり、気軽に旅行…などということもできず、研究者では、とうとう私一人になってしまいました。とにかく、ブルキナファソの研究を切らさないように、研究者との関係を続けていくように、という最低限のミッションのために行っているような気がします。 また少しずつですが、現地の様子などもアップしていきたいと思います。

1001夜目を迎えるにあたり

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2010年7月に始めたこのブログが1000エントリーに到達しました。実に現在2025年11月なので、15年4カ月(304か月、36歳~51歳)の達成です。そんなに長いことやってるんですね。改めて計算してみて驚きました。年間、60エントリー強、月に直すと5本ほど、大体週1ペースということになります。細く長く、という感じでしょうか。途中1年以上更新しなかったり、一日に複数本エントリーしているので、かなりムラもありました。 元々は書き癖をつけるために、できるだけ毎日キーボードを打つため、ということを考えて始めたこのブログ(今でも自信はないですが、当時の日本語は悲劇的でした…)。とにかく何でもかんでも書いていましたが、文章を早く正確に書く、ということを考え始めてから次第に読まれていることを意識するようにし(グダグダにならないように)、いくつかのテーマについて継続的に書く、文体のパターンを作る、といういくつかのルールを課しているうちに、何か定型化されて来ているようにも思います。内容として読みやすくなってきているのか、定型化されてつまらなくなっているのか…このあたりは?ですが、論文や本を書いていないときでも、何かしらメモをする場としては、やっていてよかったと思います。 さて、この下は完全な自己陶酔の記録ですので、万一このブログに迷い込んでこられた方はこの辺で。 このブログを書き続けたこの15年、どんなことがあったのでしょうか。 1. キイチロウが生まれ、もう10歳になる 別の媒体に写真を写してしまったので、なんだか中途半端なところから始まっていますが、一番上が京都に引っ越してきたころ(2019年-2020年)のキイチロウ。一番下が最新(2025年10月)。多分この頃の倍くらいの体重になっています。昨日、久しぶりに抱っこしてみたら、いろんなものが溢れていました。今度の2月で10歳。ハーフ成人を迎えます。基本的にひょうきんでニコニコ。最近ちょっとわがままになった気がするけど、大人の感情の襞を敏感に感じる繊細な感性も持っていたり。【アフリカ子ども学と子育て】というシリーズでキイチロウの成長をメモしていますが、改めて見直してみると、赤ん坊から子どもへ、そして、少年へとすくすくと育っているのがよくわかります。 2020年春 2022年ころ 2023年ころ まだパッツン前髪 2024年赤の...

【日本のアフリカレストラン】番外編② Siddique/八潮スタン

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インスタ でも書きましたが「 もはや東京にホテルをとることを諦め、初手から埼玉ねらい。」というわけで、1日-2日と「埼玉出張」。今回のお宿は八潮(埼玉も宿が取りにくくなりました…)。日中は東松山のスリーデーマーチを視察して、宿に戻り(埼玉も横移動が難しい)、「 在日セネガル人向け日本語教室 」が終わるとすでに20時。時間も時間でそんなに遠くにはいきたくないな…と思いつつ、スパイシーなもん→アフリカン以外→ビリヤニ、と思考がおよび、知恵袋に尋ねてみる。3軒ほど紹介してもらうが、いずれも徒歩30分ほど…食べログを見ると、どこもおいしそうで、口の中は益々ビリヤニ… さらに検索していると、あるではないですか!Siddique!おっ、しかもあの「八潮スタン」ここやったか!さらに、ホテルから徒歩5分と至近。というわけで、レッツゴー。 Google先生のおっしゃる通り、5分ほどで到着。高速道路と工業団地の暗がりの道の中、住宅地に入るころに見えてくる煌煌とした明かり。「ハラール屋台村 八潮スタン」。怪しい(笑)。 中をのぞくと、中東系のグループがにぎやかに食事をしている。オープンキッチンでは、何かカレーのようなものを調理中。突然異国感満載。 食券を購入して着席。店内を見てみると、ハラール中華、ハラール日本食、マレーシアレストラン、チャレンジキッチン(ハラールのハンバーガーなど)と、本当にムスリム向けの屋台村になっている。この時間は営業していないようだったが、数人のスタッフが忙しそうに動き回っている。 そして、やってきました。マトンビリヤニ。ビリヤニ、とても好きなのだけど、未だ経験値不足で、どの辺が最高地点なのかがわからない。今のところの認識では、食感はふんわり+パラパラで、スパイスはむしろ味のムラがあって、自分で調整しながらができる仕上がりで、というくらい。スパイスの加減はよくわからない。 という、薄い知識をもとに口に運ぶ。若干乾いている感じがするが、自分の好みでは、これくらいでよい。少しおこげ気味の部分は、セネガル料理ともどこかで通じ、これも悪くない(バスマティのおこげ、初めて口にしましたが、軽くてパリッとして、アクセントとしてよいのではないかと思いました)。おそらく、日本人向けにマイルドには作られていないことが分かるのが、時々くるピリッとした辛み。香りも今まで食べたビリヤニより...

【映画】『ノー・アザー・ランド』(2024年、監督:バーセル・アドラー, ユバル・アブラハーム, ハムダーン・バラール ラヘル・ショール, 95分)

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久しぶりに劇場で鑑賞しました。それなりに忙しく、なかなか劇場での鑑賞は叶いませんが、どうしても見たい作品は万難を排して時間を作るべきですね。 あらすじは こちら (公式Webサイトに繋がります)。 イスラエルとガザ、長く争いの続くこの二つの「国」。2020年代のイスラエルによる破滅的なガザ侵攻は苛烈で、SNSの浸透により、リアルタイムで、剥き出しの現実の映像が世界に配信されています。僕も、今でもこうしたニュースにはアンテナを高くしているつもりですし、そうした中で目の前で人が死に、侵略されていく姿を目にしてます。 この作品のチラシを目にしたときに、必ず見に行こうと決め、近くの「出町座」のスケジュールを確認していました。ようやくそのチャンスが訪れ、授業前に見に行ってきました。この映画を見ようと思ったのは、撮影陣にユダヤ人ジャーナリスト、ユヴァル・アブラハームが参画していること、ユダヤ人がパレスチナで撮影していること、残酷な描写が多いはずだけど、ユダヤ人の中に残る良心、言い換えれば、一抹の希望が見える作品であるだろう、と思ったからでした。 ずいぶんニュースに触れてきたことを自負していましたが、この映画の映像はあまりに凄惨で、胸を締め付けられるシーンが多く、鑑賞中に頭が真っ白になるようなシーンがいくつもありました。舞台となるマサーフェル・ヤッサを侵略する軍隊や入植者による破壊と二人のジャーナリストと、デモ隊の衝突、圧倒的な武装を誇る軍隊による無慈悲な発砲…あまりに理不尽ないくつものシーンは衝撃的です。そして、何より、人間の一番汚い部分を隠そうともせずに、獣性むき出しなのは、圧倒的な資源を持つユヴァル以外のユダヤ人であり、ユダヤにも関わらずガザに寄り添おうとするユヴァルを、ユダヤ人であるが故に責める被害者の男性は、よほど追い詰められているのにも関わらず抑制的で理性的で、「ディベート」と言い、ユヴァルもそれを受け入れる。もはやどちらが追い詰められているのかわからない。 この作品は「「イスラエル人とパレスチナ人が、抑圧する側とされる側ではなく、本当の平等の中で生きる道を問いかけたい」という彼らの強い意志のもと」製作された、という。(公式Website「ストーリー」) 様々な意味での理不尽さを突き付けられ、そのうえで、この映画のあらすじを見返すと、こんな一文が目につきます。被抑圧者...

【イベント】シンポジウム「西アフリカにおける宗教性と「政治」・「社会」ー「ライシテ」概念の運用をめぐって」

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2021年から始まった科研費「現代西アフリカにおけるライシテと宗教性の連続性の文化人類学的研究」(21H00651)も最終年度を迎え、いよいよ成果報告の時期となりました。始まった当初はコロナ後半。まだまだ海外調査に行きにくい時期でした。しかし、当時の海外渡航におおらかだった本学の仕組みのお陰で何度か海外調査に行くことができ、何とか最終年度を迎えました。 昨年度のアフリカ学会では、「西アフリカのライシテ研究の可能性と課題」と題した フォーラム を組み、プロジェクトの全体的な途中経過を公開しました。また、今年度の文化人類学会では、「 西アフリカのライシテの文化人類学的研究試論 」としてライシテの文化人類学的なアプローチの可能性を議論しました。 このプログラムの最後の締めくくりを、統一テーマとして「西アフリカの宗教性と「政治」・「社会」-ライシテ概念の運用をめぐって」として議論を深めたいと思っています。ここで、「ライシテ」という言葉を副題に落としたことがポイントで、フランス語的なライシテ、というのは、もはや西アフリカで語っても仕方ないのではないか、という結論です。むしろ、宗教(イスラーム)的な事象が正統に評価を受けるための、一つの免罪符的な役割しかしておらず、運用されるものなのではないか、ということを説いたいと思います。私自身は、「西アフリカの人びとの日常から「ライシテ」概念を再考する」という中でこのことをお話しできれば、と思っています。  

【科研費関連調査】ブルキナファソ20240809-0820④:北部からの避難民たち

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頂いたドキュメント トピックが散漫ですが、フレッシュなうちにブルキナファソ、セネガルに関して記録していこうと思います。 すでに1月半も経ちますが、ブルキナファソ調査のことをもう少し。 Sawadogo Hamidouさんのことは、これまでもしばしば書いてきましたが、ここしばらく、ずっとイスラーム系のNGOについて、彼の友人のことで尋ねてきました。なかなか出口がなかったのですが、今回、ようやく糸口が見えてきました。 これまで、こんな尋ね方をしてきました。 「××みたいなアソシアシオンがありますよね?あそこはキリスト教系のNGOで、教会が活動をバックアップしていますよね?そういう団体、イスラームでもないでしょうか?」 どうもずっとピンと来ていなかったようで、なかなか、こちらが納得いく答えをいただけないままとなっていました。もう一人、ここ2,3年よく合うようになった、Nanaさん。彼もフランコ・アラブを経営している方ですが、彼からは「NGO」というのが、「(イスラームの)協会」として捉えれば、7つほどそうした団体がある、という説明を受けていました。 今回の調査では、その中のいずれか一つでも訪問できれば、と思っていました。お二人には、事前にその旨を伝え、Hamidouさんから、「ブルキナファソ・イスラーム協会」のワガドゥグ第9区支部(Hamidouさんのお住まいの地域)なら、という申し出をいただいていました。ただ、非常に多忙な方なので、早朝に行きましょう、ということで、朝7時に待ち合わせ、8時には支部長のお宅の隣のモスクを訪れました。 迎えてくれたのは、Ouedraogo氏ら数名。穏やかな笑みで迎えられ、静かにそれぞれが自己紹介をし、9区のこと、Hamidouさんとの関係などをお話しいただきました。アフリカのムスリムたちは、その立場が上がるほどに慎ましやかで抑制が効いている。放っておくと、私のことばかり話を聞かれるので、その場の雰囲気をよく見て、ポイントを逃さないようにせねばなりません。今回は、9区での活動を聞きたかったので、Hamidouさんの活動への強い賛意を示し、ムスリムへのシンパシーを目一杯お話ししました。 そこで聞けたのは、9区支部が避難民のリストを作っており、かなり詳しく人数を把握していたこと、避難民の居住地域についてでした。この地域、ワガドゥグの北辺に位置し、...

ブルキナファソのイスラーム過激派による不安定化-② カッザーフィー(カダフィ)と西アフリカ

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Wikipedia「ムアンマル・アル=カッザーフィー」より ずいぶん長い時間がかかってしまったが、現在の西アフリカの政治を理解する上で、どのあたりから考えればよいのか、ということを考えていました。もちろん、根源はイスラーム化や西アフリカの王権について踏まえておくことが重要なのですが、そこから書くことは私の能力を超えているので、歴史家の仕事に一任することとし、ここ20-30年の大きな出来事に思いをはせれば、おそらくマグレブの影響はとても大きかったにも関わらず、余り注目されてこなかったような気がしています。なので、ある一区切りの歴史を振り返る意味で、「アラブの春」と西アフリカについて、カッザーフィーを中心に見ていこうと思います。 2010年から2012年にかけ、「 アラブの春 」と呼ばれる、アラブ諸国の「民主化」の大きなうねりがマグレブ諸国を中心に起こる。発端は、2010年12月17日にチュニジア中部のシディ・ブジドで起こった露天商の青年の焼身自殺だった。モハメド・ブアジジというこの青年は、いつものように露店で果物や野菜の販売を始めたが、販売許可がないとして地元の役人が野菜と秤を没収したうえ、女性職員から暴行と侮辱を受ける。ブアジジは没収されたものの返還を求めて複数回役所を訪れるが、役人から賄賂を要求された。再三の申し出を断られたブアジジは、午前11時30分、県庁前で自分と商品を積んだ荷車にガソリンをかけて焼身自殺を図る。その様子を撮影したブアジジの従兄弟のアリ・ブアジジがFBに投稿すると、アルジャジーラがそれを取り上げ全国にこのことが知れ渡る。ブアジジと同じく就職できない若者を中心に、就業の権利、発言の自由化、政治行政の腐敗の改善を求め、ストライキやデモが起こるようになる(Wikipedia「ジャスミン革命」)。 こうした民主化運動にあったが、その流れは周辺国に及ぶ。この記事で述べるリビアにも「アラブの春」の波は押し寄せ、リビアの「独裁者」ムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ)もその動きの中で命を落とし、中東の現代史に大きな変化をもたらした。(APF) 「アフリカ屋」の私がなぜリビアなのかは、後々述べるとして、今少しカッザーフィーを中心としたリビア情勢を復習しておきたい。 1942年にリビアの砂漠地帯(スルト)に生を受けたカッザーフィー。中東、アフリカが次々と独...

オンライン合評会 伊達聖伸・見原礼子(編)『イスラームの定着と葛藤』(6月21日)

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6月21日にオンライン合評会『イスラームの定着と葛藤』のコメンテーターを務めます。 伊達さんは言わずと知れた日本を代表する宗教学者(ちなみに同い年)で、何度か私の研究会にもお呼びしたり、セネガルでご一緒したり、見原さんとは別の比較教育学系の科研費でもご一緒させていただくなど、ご縁のあるお二人からお声がけをいただきました。 この本は「ライシテ」科研の成果物で、私が代表を務める「西アフリカのライシテ」科研が強く影響を受けている科研プロジェクトです。この機会を通し、改めて勉強させていただこうと思っています。この本の出来上がりと共にご恵贈いただき、ゆっくり読み進めていましたが、大急ぎで読まねば… もしよろしければ、ご参加ください。 

オマール・カナズエ その2 ヤルセであること

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  Wikipedia "Oumarou Kanazoué Dam (https://en.wikipedia.org/wiki/Oumarou_Kanazo%C3%A9_Dam) 随分前になりますが、 オマール・カナズエのことを書きました 。こちらももう少しまとめて書いておこうと思います。 ヤルセについても、散発的に3つくらい書きました。一つは 2010年にサガボテンガSagbotengaのモスク について、二つ目は ワガドゥグの最古のモスク について(直接的にはヤルセには言及していない)、そして三つ目に サガボテンガの調査 に関して。謝らねばならないのは、ほぼほぼ中身に入れていないということです。 これまで、3回にわたり、Sagbotengaに入り、ヤルセがモシ社会と融和していった経緯を聞き取ってきました。特に、ヤルセのことを考えるうえで重要なのは、歴史的に王権に支えられた強力な軍事力を背景に、西アフリカのイスラーム帝国の向こうを張った非イスラームのモシ王国をイスラーム化させた存在であることだということです。しかし、イスラーム化の痕跡をワガドゥグを中心として見ると、どうしてもヤルセは見えにくく、より華やかな文化を持つハウサの存在ばかりが目に入ってきます(もちろん、私のワガドゥグへの関わり方にもその要因がありました)。たとえば、現存する上のワガドゥグのモスクは(土づくりのモスクでワガドゥグ駅構内に放置されているので、現存するかは不明です)、ハウサのムスリムによって建てられたものですし、旧ザングエテン地区にある大モスクもハウサによるものです。半面、ヤルセの人びとは「ヤルセ」として民族意識を前面に出すことは、少なくともワガドゥグではありませんでした。ヤルセの見えにくさは、このようにして、ランドマークがないことに加え、ヤルセが独自の言語を失い、モレ(モシ語)を生活言語としていることがあり、人口統計的にも「モシ」としてカウントされることが多いことがあります。おそらく2,3年ワガドゥグに住んでも、ほとんどの人が気が付いていないのではないでしょうか。 ヤルセの歴史については、まだちゃんとまとめていないのですが、小出しに少しづつ文字にしています。最近では、清水2023(35ページ)に概略を書きましたし、2021年に発表したものでは、もう少しまとまった形で口頭発表してい...

ブルキナファソのイスラーム過激派による不安定化-① はじめに:現状

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  「令和4年防衛白書」(https://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2022/html/n131010000.html) 去る2月20日に所属するアフリカ・アジア現代文化研究センターで 「 西アフリカ諸国で何が起こっているのかーセネガル、マリ、ギニア、ブルキナファソとニジェールの政治危機を考える 」という緊急シンポを行いました。もちろん、何年も続くこの地域の混乱は基礎知識として知っていますし、肌感覚として理解しているつもりです。ただ、若干もやもやと分からないことがあったり、そもそもどんな問題だったのか、ということが分からなくなる瞬間があります。 私の個人的な肌感覚からいうと、2018年ころから顕著に雰囲気が悪くなり、2019年1月に本格的に身の危険を感じることがあり、ちょっとまずいかな、と思ったことがありました。当時までの様子、一度この ブログでもまとめて いますが、なぜこの時期かというと、協力隊が退避となり、クーデタが散発し、フランスが追い出されと、いくつものイベントが重なり、現在の状況になったのが大体それくらいだからです。その一方、この5年、ワガドゥグの街には、なぜか高級ホテルが林立し、ビザはE-VISAとなり、入国を歓迎している様子もうかがえます。なぜかホテルには意外に人が入っていて、なんだかな…という感じです。VISAに関しては、簡便化に反して「観光ビザ」がなくなり、入国者を選別しているような様子もうかがえます。 ここのところで言えば、2023年9月、2024年3月と何とかブルキナファソに調査に行くことができましたが、一方でいつものワガドゥグはそこにあったものの、外国人を見ることはほとんどありませんでした。マリやニジェールは一気に状況が悪化したように思いますが、ブルキナファソはジワジワとこうした状況になっていったような印象を受けています。 いったい、この混乱がどのように始まり、現在、どのような状況にあるのか、一度まとめておこうと思いました。西アフリカ情勢、かなり複雑ですし、おそらく時々新聞に載る記事からだけでは何のことやら分からないのではないと思うので、その一助になればよいと思っています。もちろん、私自身の西アフリカ情勢理解のため、ということも大きな目的です。 資料について少し述べておきます。政治イベントがある...

科学研究費「西アフリカのライシテと宗教性の連続性の文化人類学的研究」(基盤B/21H00651)② 学会報告(2023年度)

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  2023年5月に千葉で行われた日本アフリカ学会第60回学術大会で本科研研究の進捗を発表しました。昨年の学会では、科研費の中間発表を行いました。「西アフリカのライシテ研究の可能性と課題」と題し、科研費のメンバーの 和崎春日先生 、 ウスビ・サコ先生 、 伊東未来先生 、 阿毛香絵先生 と私の5名でフォーラムを組みました。 【本フォーラムの趣旨】   本フォーラムでは、科研費「現代西アフリカにおけるライシテと宗教性の連続性の文化人類学的研究」(21H00651/代表者:清水貴夫)の途中経過を提示し、本課題の妥当性や方向性、新たな視点を募り、本研究の進捗を発展的に検証することを目的とする。この研究課題の対象となる西アフリカは、ここ10 年ほどの間に多発したイスラーム過激派のものとされるテロ、社会保障を補完する信仰NGO、私学として国家が正式に認可する初等中等教育と言った、公共空間における宗教組織の存在が前景化し、その影響は到底無視できるものではなくなった。 これらは、政治―宗教、公共空間―宗教、宗教-社会福祉と言った、様々な関係性の中に重層的に観察できる問題群であり、これらを束ねる概念として「ライシテ」に着目し、こうした関係をどのように捉えるべきか、という点に着目した本研究の問題意識である。さらに突き詰めれば、西アフリカにおいて考えられるラ イシテの概念は、必ずしもフランス的なライシテ概念には収まらないということであり、 西アフリカ的な宗教と公共空間、政治の関係性を、公共空間―宗教性―日常―政治の連続性にあるという点にある。 本フォーラムでは、いわば「西アフリカ的なライシテ」を検討することの可能性と課題を提示し、フロアと議論したい。ライシテ概念とは、共和政体としてのフランス近代国家の成立を裏付けた、宗教性から自律した世俗性を定めた近代国家の成立条件である。旧フランス領アフリカは、1960 年 前後の独立に際し、その憲法に、フランスに倣いライシテの原則を書き込んだ。しかし、ライシテが生まれたフランスでもその綻びはさらに顕在化し、宗教と世俗社会の間のアプリオリとなっている。いわんや、外来の概念として「上から」課せられた西アフリカにおけるライシテは、この地域の社会形成の上で上滑りしてきており、こうした現象は、様々な政治・社会問題において散見される。その都度...

トルコ①:「オキシデント」担当者

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  今さらですが、私はアフリカ地域研究を専門としています。現職に着任した際も、ゴリゴリのアフリカ担当として、他の地域のことは知らない、という色がついていて、学生の海外フィールドワークの担当もセネガルのみが私のテリトリー。なかなか心地よいものでした。 ところが、同僚の異動のことなどがあり、2023年よりトルコも私の担当に。担当できる人を消去法的に選んでいくと、イスラームのことだったり、西の方だったりという理由で私しかいなかった。ほかにもヨーロッパをご専門にされているお二人も共同担当ということになってはいるのですが。 とにかく担当になってしまったので、後付けでも勉強するしかありません。まずは、学生の興味関心を聞きながら、私も勉強する、というスタンスで一緒になって本を読んだり、人の話を聞いたり、ということをしていくつもりです。さすがに、今から専門家になるのは難しいとしても、ある程度の知識は蓄えていこうと思います。 まずは、ブログ上で少しずつノートを作っていこうと思います。長い間、世界の中心にあり、地理的にもアフリカに近いところ。さらには、イスラームの地域でもあり、これまでのアフリカ研究に厚みが出るのは間違いないありません。

【ブルキナファソ調査】国旗の意味するもの

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  【3月27日一部修正・追加】 2024年2月27日~3月4日までブルキナファソに滞在しました。前の投稿でビザのことを書きましたが、観光ビザの発給停止がどのようなことを意味しているのか、もしかすると、政治的な意味も含まれているのではないかと勘繰っています。 ワガドゥグの一部の店舗には国旗が据えられていることがあります。多くがブルキナファソの国旗なのですが、アメリカファッションの洋服屋には星条旗、フランスのトリコロールがかかっているところもしばしばみることがありました。 こうした国旗事情、2023年9月の前回滞在の時に大きな変化に気が付きました。星条旗やトリコロールが掲げられていた店の国旗の多くが、ロシア国旗に代わっていました。昨年時点では、「トリコロールを90度回転させたらロシア国旗になるだろ?」という冗談が通じたのですが、今回、一切のトリコロールが姿を消しました。NHKの報道でも、このことは言われています(関連記事にURLあります)。そして、ほとんどの交差点(ラウンドバウト)の中心には、マリ、ニジェール、ロシア、時に北朝鮮の国旗がはためいていました。 友人によれば、こうした交差点では、夕方になると若者たちがお茶を飲んでいるとか。確かに、炭の後やらお茶の箱やらがちらほらと見える。こんなところで何をしているのだろう…もしかしたら、新たな友好国の国旗に囲まれながら熱く政治を語っているのでしょうか。 街中からなくなったフランス、新たに増えるロシア、この流れは政治的なものだけでなく、私が調査をする人たちからもよく聞こえてきたものを象徴しているように思います。歴史的なフランスの所業、独立後も続いた支配への恨みや怒りは、普段穏やかな民衆の生活の中でもしばしば見え隠れするものでした。 現地滞在中に調査協力者はこんな話をしていました。昨年、クーデタ直後より、エールフランスの就航が取りやめとなりました。この解釈について、調査協力者は、事態が落ち着き、エールフランスから再開の「通達」があると、ブルキナファソ側からフランスの非礼を理由にそれを拒否(勝手に出ていって自分の都合で戻って来る。フランスのそういう態度が我われをいらだたせる、ということらしい)。よって現政権の方針を指示すると。 ただ、ここで注意しておかねばならないのが、交差点に掲げられている国旗に交じり、現トラオレ大統領...

科学研究費「西アフリカのライシテと宗教性の連続性の文化人類学的研究」(基盤B/21H00651)

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  (トゥーバのグランモスク) 2021年度より「 西アフリカのライシテと宗教性の連続性の文化人類学的研究 」というテーマで科研費の研究助成をいただけることになりました。 科研のウェブサイトにも出ていますが、この研究の概要を次に示しておきたいと思います。 19世紀にフランスで確認された政治における宗教の不介在(ライシテ)は、現代社会では当然のものと認識されるが、ライシテ発祥のフランスにおいてすら、この原則から逸脱する事例が数多くある。旧フランス植民地の現仏語圏アフリカでもライシテはそれぞれの憲法に謳われているものの、社会救済性を是とするイスラームは、本来行政が担うべき、教育や社会福祉などの領域を肩代わりしている。ムスリムたちの日常実践の束は、近代化した宗教学校や、信仰NGOなどと呼ばれるムスリムによる中間集団を形成している。本研究では、これらをアフリカ的なライシテ-宗教性の連続体として分析し、現代社会の個人と宗教の在り方を考察する。 先日アップした学会報告の指摘でもあったように、まだ語句の不安定さや、問題の焦点化が甘いですが、すでに3年目に差し掛かり、そろそろこの研究課題なりの「答え」を出すことを考え始めねばなりません。 コロナ禍により、最初の1年間は現地調査ができませんでしたが、昨年から少しずつメンバーの海外調査も進められるようになってきました。そろそろ調査結果を集積し、成果を考え始めねばならない時期になりました。 また少しずつこちらで研究進捗などを報告したいと思います。

【出版】藏本龍介(編)2023『宗教組織の人類学 宗教はいかに世界を想像/創造しているか』法蔵館

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続けてもう一冊。2023年3月に出版された『宗教組織の人類学 宗教はいかに世界を想像/創造しているか』は、藏本龍介さんを代表とする科研費「宗教組織の経営についての比較民族誌的研究」(挑戦的萌芽、2015~2017)、「宗教組織の経営プロっすについての文化人類学的研究」(基盤B、2018~2021)の成果として出版されました。コロナの関係で、2022年まで研究プロジェクトは続き、この本は2022年度の発表となりました。 この本では、第5章「イスラーム教育の再創造 ブルキナファソのイスラーム教育機関を事例として」を担当しました。前回紹介した『SDGs時代にみる教育の普遍化と格差…』と同じ対象を宗教側から眺める、つまり、ブルキナファソ国家内の教育機関としてだけでなく、「より広い意味での組織の想像/創造プロセスを明らかにする」(216)という点を目指しました。宗教組織は、他の社会から分断されたユニークなものではなく、国家や社会と呼応しながら変容していくこと、そして、その変容はあるバランスの中で調整されるので、一方のみにすり寄ることはありません。そうした中で、外部者のまなざし、また、外部者的なまなざしを持つ人たちの考え方だけは所与のものとして、そこにあるのだ、ということを述べました。 第4章を担当した中尾さんがブルキナファソの宗教教育史を書かれているので、セットで読んでいただけるとブルキナファソの伝統教育のことがかなりよくわかるのではないかと思います。  

【出版】澤村・小川・坂上(編)2023『SDGs時代にみる教育の普遍化と格差 各国の事例と国際比較から読み解く』明石書店

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  しばらく紹介できていなかった業績を何冊か紹介します。 本書の(主)編集の澤村先生には、広島時代から非常にお世話になってきました。 科研費 の分担者として関わらせていただき、この本はこの成果物になります。内容についてはタイトル通りですが、特に序章と終章を読んでいただければよいと思います。大変すばらしい問題提起とまとめになっています。 この序章と終章は小川さん、坂上さんという、大変若い研究者によって書かれています。この科研プロジェクトが始まる際に、澤村先生はご挨拶で、「最後の科研」ということを何度かおっしゃられており、いわば世代交代がこの本を通じて行われた、と言ってよいかと思います。お弟子さんお二人に編集の澤村メソッドを伝え、二人が最前線に出ていくお膳立てをした、比較教育学の儀礼的な意味を持った本であることは間違いないでしょう。 私は、この科研費の中ではトリックスター的な存在だと思っていて、前著(『発展途上国の困難な状況にある子どもの教育』)でも、少しズレた視点を提供することを意識しました。今回も、この本で語られる「教育」を西欧起源の「学校教育」と捉え、必ずしも西欧起源であるものを普遍化するのではなく、土着の教育、宗教教育を含めた新たな教育を考えねばならない、という視点から論を展開しました。もちろん、非現実的であることはわかっていますが、特に研究者はこうした少し広い視点も持っていてほしい、というささやかなメッセージを発信したいと思っていました。 大きな本ですので、ご関心のある方は、ぜひ図書館にお問合せください。

学内公開講演会「現代アフリカにおける宗教の多様な諸相 「マダガスカルのライシテ」と日系新宗教」上野庸平氏

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またずいぶんブログを放置してしまいました。ほぼすべてのSNSが開店休業状態。適度に忙しいのは良いことですが、4月以降少しは状況が改善したものの、6月から9月にかけてはとんでもないことになっています。まあなんとか元気にしています。 さて、なぜ突然ブログをあげたかというと、ブログの使い方を忘れないようにするためというのと、この講演会のログを取っておくためでした。ここでは公開していますが、「直接いらしていただいても」入れません(意味わかりますよね?)。というか、こんなに久しぶりだと誰も見てないか… どこかのタイミングでこの間に出版されたものなど、上げたいと思います。

『イスラーム教育改革の国際比較』(日下部達哉(編著))が出版されました

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  『イスラーム教育改革の国際比較』が出版されました。私は、第5章「ブルキナファソにおけるイスラーム改革主義運動」を分担執筆しました。 この本自体は題名通り、アジア、中東、アフリカ、ヨーロッパという、ムスリムが多い地域(ヨーロッパが入るのは意外でしょうか?)のイスラーム教育の位置づけを並べてみる、という企画です。編者の科研費で集められたメンバー9人が執筆しています。 私は、ブルキナファソのフランコ・アラブと政府の間の相克について書きました。政府がどのようにイスラーム教育を捉えるのか、という点なのですが、やはり、政府はうまいこと使ってやろうとしている、フランコ・アラブはそれに振り回されつつも、今、置かれた環境の中でなんとかかんとかやっている、というようなことを書きました。2年間フィールドに行けなかったこともあり、データの積み増しがなく、若干消化不良…というのが正直なところです。 しかし、この本はこの本でとても面白くて、イスラーム教育の多様性がよく出ていて、そのおかれた立場、政府、市民からのまなざしの違いがよくわかる。しかし、今、とても気になるのが、「比較」という言葉なのです。実は、来期から「比較社会学」という科目を持つのですが、未だ「比較」という言葉に悩まされています。「比較」するには、ある視点と、それにまつわる複数の事例が必要なはずで、僕の理解では、さらに分析があるべきだと思っているのですが、多くの「比較」が分析がない気がする。この本がどうかは、世の中の評価をお待ちするということにして、もう少し「比較」ということについて考えを深めていきたいと思います。 話がずれましたが、出版のご報告です。 この本にご関心のある方は、ブログからお申し出ください。著者割(+送料?)でお譲りいたします。

ブルキナファソ調査【20191227-20200117】④「手榴弾」爆破事件

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Sidwaya Paalga誌(20200109より) 少し間が空いてしまいました。年始のブルキナファソ調査の最後です。 2020年1月8日。新年があけてもワガドゥグは大きな変化はなく、街はいつも通りだった。僕も朝から調査を手伝ってもらっているザカリアといつもの場所で待ち合せる。乗り合いタクシーに乗り込むときに電話をし、時間と場所を確認する。普段の調査と変わらない調査の朝を迎えていた。 9:00数分前に待ち合わせ場所に到着。いつも少し遅れてくるザカリアのことなので、到着を電話で知らせ、僕はキオスクでコーヒーを飲んでザカリアを待つが、彼が来る気配はない。30分ほどして、イマームを連れてキオスクに来るが、着くなり、小さな声で僕に語り掛ける。 「我々のエリアがおかしい。テロが起こったと言って街区全体が大混乱になっている」 イマームは、僕を安心させようと思ったのか、「まあ、すぐに終わる。問題ない。」を繰り返すが、僕はよくないことがあったことは間違いないと思い、ザカリアが勧めるようにすぐにホテルに引き返すことにした。しかし、都心に向かうタクシーは軒並み乗車拒否。どこか騒然とした雰囲気の中、結局ザカリアのバイクに乗せてもらってホテルまで戻ってきた。 ホテルに帰り、FB、Twitter、その他現地新聞社のWebサイトで情報収集をする。こうした突発的な事件の場合、速報性の高いのは、間違いなくSNS。すでにいくつかの現地通信社がニュースを上げているが、そこに踊るのは、「手榴弾」や「クルアーン学校」の文字。少し前まで目の当たりにしていた調査地の周囲の混乱ぶりと相まって、確実に何かがあったことはわかるが、一つ一つが結びついていかない。大使館にも電話をしてみて、状況を確認するが、その時にには僕が集めたニュース以上の情報は手に入らなかったが、そのあとのやり取りのかなり早い段階で「テロとは無関係」という情報だけは聞き、少し安心する。しかし、一応、僕も勤め人。情報確認後に職場に連絡すると、翌朝には「非常事態対策本部」が立ち上がるとのことで、職場の指示を待つことにする。 情報は錯そうし、今でも真相とされていることは、少し眉に唾をつけてみておかねばならないと思っている。顛末はこうだ。 1月8日の朝、市内北部の未認可のフランコ・アラブ校に通う生徒の一人が、登校途中...