ブルキナファソ調査【20191227-20200117】④「手榴弾」爆破事件
Sidwaya Paalga誌(20200109より) |
少し間が空いてしまいました。年始のブルキナファソ調査の最後です。
2020年1月8日。新年があけてもワガドゥグは大きな変化はなく、街はいつも通りだった。僕も朝から調査を手伝ってもらっているザカリアといつもの場所で待ち合せる。乗り合いタクシーに乗り込むときに電話をし、時間と場所を確認する。普段の調査と変わらない調査の朝を迎えていた。
9:00数分前に待ち合わせ場所に到着。いつも少し遅れてくるザカリアのことなので、到着を電話で知らせ、僕はキオスクでコーヒーを飲んでザカリアを待つが、彼が来る気配はない。30分ほどして、イマームを連れてキオスクに来るが、着くなり、小さな声で僕に語り掛ける。
「我々のエリアがおかしい。テロが起こったと言って街区全体が大混乱になっている」
イマームは、僕を安心させようと思ったのか、「まあ、すぐに終わる。問題ない。」を繰り返すが、僕はよくないことがあったことは間違いないと思い、ザカリアが勧めるようにすぐにホテルに引き返すことにした。しかし、都心に向かうタクシーは軒並み乗車拒否。どこか騒然とした雰囲気の中、結局ザカリアのバイクに乗せてもらってホテルまで戻ってきた。
ホテルに帰り、FB、Twitter、その他現地新聞社のWebサイトで情報収集をする。こうした突発的な事件の場合、速報性の高いのは、間違いなくSNS。すでにいくつかの現地通信社がニュースを上げているが、そこに踊るのは、「手榴弾」や「クルアーン学校」の文字。少し前まで目の当たりにしていた調査地の周囲の混乱ぶりと相まって、確実に何かがあったことはわかるが、一つ一つが結びついていかない。大使館にも電話をしてみて、状況を確認するが、その時にには僕が集めたニュース以上の情報は手に入らなかったが、そのあとのやり取りのかなり早い段階で「テロとは無関係」という情報だけは聞き、少し安心する。しかし、一応、僕も勤め人。情報確認後に職場に連絡すると、翌朝には「非常事態対策本部」が立ち上がるとのことで、職場の指示を待つことにする。
情報は錯そうし、今でも真相とされていることは、少し眉に唾をつけてみておかねばならないと思っている。顛末はこうだ。
1月8日の朝、市内北部の未認可のフランコ・アラブ校に通う生徒の一人が、登校途中に「手榴弾(イマームの話では、「金属」)」を見つける。生徒は、下校後に「手榴弾」を売ろうと思い、学校に持ち込む。休み時間に生徒たちが「手榴弾」で遊んでいると、次第に「手榴弾」が熱を持ち破裂した。周りにいた4人が軽いやけどを負ったが、命に別状なし。しかし、破裂音に驚いた周辺住民は、イスラーム過激派の襲撃と思い、パニック状態になる。
当時の情報をまとめるとこんな話なのだが、なんともシュール。なんで「手榴弾」が道端に落ちているのか?「手榴弾」はそもそも手榴弾なのか(爆発規模からして、大きな爆竹程度)?「手榴弾」がその辺で売れるのか?…どれだけニュースを読んでも頭のなかははてなマークだらけ。すべてが、普通のイメージで認知できない。ただ一つだけ、この事件で実感させられたのは、長期間にわたって起きたテロのおかげで、市民は相当に敏感になっていること、そして、その引き金は、「手榴弾」で簡単に引かれてしまうのだということで、穏やかな日常を過ごすブルキナべも強いストレスの中に置かれているということだ。
たまにこんなことがあっても、まだブルキナにいられる自信もあるが、しばらくはブルキナをそっとしておくことにした…という言い方はよくないので言い直すと、ジャーナリストでもない、僕の手に余る状況に陥ったので、少し落ち着くまでブルキナ渡航を待つことにした。実は、この後、2月末にもブルキナでの調査を予定していたが、急遽行き先を変更し、ベナンで調査することとした。
しかし、次はカメルーン編です。どんだけ詰め込んんねん…
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