投稿

ラベル(西アフリカ情勢)が付いた投稿を表示しています

日本アフリカ学会 第63回学術大会@名古屋大学

イメージ
  今年も日本アフリカ学会の学術大会で発表してきました。 これまで、できるだけ調査した新しい資料を提供しようと、いろんなテーマで発表してきましたが、今回は前回のブルキナファソのライシテ研究との連続性を考え、中間集団としてのイスラーム系の「信仰NGO」についての発表をしました。発表要旨は以下の通りです。 「イスラーム系「信仰NGO」による国内避難民支援:ワガドゥグ第9区の事例より」 まあ、発表など、アブストラクトの通りにはいかないもので、データを整理したり、新しい文献を読んだりしてしまうと、未来予想図からはずいぶんとずれが出てしまう。今回の場合、「信仰NGO」という概念自体が問題となった。先行研究にも、特に疑うことなく、「組織」としてのNGOが描かれているが、実際に制度に則ったNGOなどほとんどない。実際に調査してみると、より緩やかな町内の互助会のような、そんなイメージ。NGOにカッコを付けて逃げ場を作っておいて正解で、この枠組みをどうするか、ということは今後の課題とした。 しかし、全体的には、ちょいと酷い発表過ぎた。調査でもう少しまとまった資料が集まるかと思っていたら、思いのほか不調(そもそも2週間という短期ではアポイントをとるところまでが精一杯…)で、データが薄すぎる。そして、発表当日にいまさら気が付いたのだけど、宗教社会学を注視しすぎた挙句、難民研究がノーマークという失態…ゼミがあったら指摘してもらえたのに…という泣き言ばかりが頭をよぎる。 とりあえず発表まではこぎつけたものの、反省ばかりの今回の発表。来年はおそらくオープンキャンパスが重なって参加叶わないのだけど、どこかの機会にしっかりリベンジしていきたい。

2026年度始まる:今年度の抱負と計画

イメージ
  花見をしたものの、今年はちゃんと桜を愛でることができず… 葉桜どころか、なんだか初夏のような陽気。新学期が始まり、1週間一回りしました。なんとなく、雰囲気がつかめてきて、見通しも立ってきたころ。そろそろGWも近いし、あっという間に一年が過ぎ去っていくことでしょう。 さて、新年度も始まりましたし、所信表明的な投稿をしておきたいと思います。どこまでコンプリートできるでしょうか。 今年度も、科研費不採択だったものの、二つの科研費の分担者とさせていただいているので、アフリカ、日本での調査を続けながら研究活動を展開できそうです。ありがたいことです。その他、1件がまだ確定していませんが、セネガルの仕事が入りそうですし、大学の出版助成をいただくことができ、 前の科研費 の成果物の出版を進めることになります。このほか、現在執筆中の原稿が4本あり、年度内か年度をまたぐくらいのタイミングで分担執筆が3冊出る予定です。 センターの活動も頑張りたいところです。今年も「アフリカ・アジア現代講座」、また、いくつかのイベントの開催を見込んでいます。都度、こちらのブログでもアップしたいと思います。 食文化系の仕事、去年はなんかずいぶん書いた年でした。研究面では、新しい視点を進めていきたいと思っています。今、考えているのは、食材の民族誌的な資料の作成と生態学的な分析を考えています。そして、アウトプットは、少しずつパッケージ化されてきた食文化に関する教材を整理し、今まで書いたものを少しずつ直接いろいろな人にお伝えする、というフェーズにしたいと思っています。 今年度の研究計画、大学のウェブサイトのどこからか見られるのだと思いますが、見つけられなかったので、少し整形したものを以下の通り示しておこうと思います。 【 研究テーマ・目的・方法 】 2026 年度は、 2025 年までに引き続き 2 つの研究テーマに取り組む。 ① 「在日アフリカ人の日本社会への適応に関する実践的研究:特にフランコ・フォン・アフリカ出身者に注目して」   コロナ禍の 2021 年より再開した在日アフリカ人研究も 5 年目を迎える。これまで、在日セネガル人に着目し、送り出し国側の社会経済的変化による来日する人びとの属性の変容(清水 2024 (論文)また、 2023 年に埼玉県東松山市に設立された「ムリッド教祖の家 Ke...

【フィールドワーク2026①】セネガルーブルキナファソ①

イメージ
  Almadieの海鮮屋の大将 年跨ぎの調査の後、一瞬の静かな時間を経て、アジア学院、卒業展示と続き、あっという間に2月末。年度末ということもあり、様々な書類の束が続々と舞い込んでくるが、渡航日が刻一刻と迫ってくる。予算の都合で、年度内に完全処理を済ませなければならないということもあり、とりあえずは調査の前にお金の計算、というなんだか、な感じで出発の日を迎えた。 今回の予定は、前半2月28日~3月5日がセネガルで海外長期FWの調整、3月5日~3月17日がブルキナファソで科研費関連の調査、というスケジュール。セネガルの調整がかなり手間取り、ギリギリのタイミングで決まったこともあり、ブルキナファソの調査がかなり準備不足の状態での出発となった。しかも、2月28日に起こったアメリカ・イスラエルのイラン侵攻は、もう一つの担当のトルコも不安定にさせるという、落ち着かない中での出発となった。 セネガルの調整の細部は省くが、バタバタと打ち合わせをしたり、お礼をしたり、学生のアパートを見に行ったり、その後お世話になる方にご挨拶に行ったり… 乾燥した乾季の海辺の少し肌寒いくらいの一足先に来た初夏のような気候の中、着いたばかりの環境に慣れようと奮闘している学生の姿を見て、不安ながらもほほえましく、ここで彼らの人生の大切な経験が積み上げられ、友情が育まれていくのだろう、と感じていた。 なんか、ここのところ筆が進まず、実は現在出国直前。この後、いくつかは記事をアップしていく予定にしている。

【フィールドワーク2025-2026】一国の誇り:ブルキナファソの決断

イメージ
  新年早々ですが、ブルキナファソ(多分マリとニジェール)もサヘル三国へのビザの制限に報復して(公用以外の)ビザの発行をやめました。フランスに続いての措置です。年末のものとは言え、なんだか物々しいニュースから1年が始まりました。 2023年に先じてビザ発行を停止したフランス。現在、ブルキナファソにはフランス国籍を持つ人はほぼゼロと言っていいくらいです。ブルキナべの場合は、 シェンゲンビザ を取得し、ヨーロッパからの唯一の直行便を出しているベルギーに渡ってフランスに行くのだそうです。逆に、フランス人はこうした方法がなく、ブルキナファソ国内には二重国籍保有者かNGO関係者くらいしか存在しない、ということになります。 世界の片隅の出来事で、実利的に強情を張っているようにも見えるし、経済的な影響など全くないので、誰の関心も呼ばないのではないかもしれません。しかし、こうした小国がここまで艱難辛苦を経て尊厳を傷つけられて我慢も限界に達したこと、そして、自分たちの尊厳を守るための誇り高い判断だと思います。 現在のトラオレ政権になってすぐに、フランスがブルキナファソを去り、2年半ほどが経過しました。ブルキナファソは、現在いわゆる軍事政権下にある国です。情報は統制され、市民生活はある程度制限されていることは間違いありません。しかし、フランスが去って困っている人は特に僕の周りでは少なくありません(民芸品屋とかレンタカー屋とかNGO)。しかし、こうした生業は遅かれ早かれ見直しが必要であったわけで、フランスが去りその時期が少し早まっただけのようにも見えます。ワガドゥグの街を見るにつけ、フランスの経済的影響力は中国、インド、トルコと言った新興の国々により、相対的にそれほど大きなものではないし、しばしば聞く、薄汚いフランスの商売のやり方が少なくなったことで街自体は相変わらずの活況があるようにも見えます。フランスの影響はともあれ、軍事政権であることは欧米で教育を受けた大学の教員ですら納得ずくで、むしろ、200年に渡って人類(欧米)が築き上げた「民主主義」という概念に強い疑問を呈している、という話も聞きます。このことは、大変興味深いし、僕らも少し立ち戻って考えるべきことだと思います(かといって、現在の日本の状況を良しとは全く思いません。為念。)。ここまで色々な人と話す中で、「軍事政権」とい...

【フィールドワーク2025-2026】アソシアシオン(Association)かソシエテ(Société)か?

イメージ
サワドゴさんが購入した土地  28日、30日と10年間継続しているイマーム、サワドゴさんの事務所を訪問した。また恰幅がよくなった気がするが(人のことは言えない)、貫禄が増し、1年半という長い間訪問できなかったことを詫び、この後はもっと頻繁に来るように言われる(そうしたいのはやまやまだが)。宗教の調査なので、もちろんなのだが、毎回ここを伺うと、何度も何人もの人に祈ってもらえて、何だかご利益があるような感覚を持ってしまう。 2023年の1月に立ち上げたスンバラ・プロジェクトが軌道にのり、順調に製造、販売が行われている、という報告を受け、この先の展開として、いくつかのプロジェクトの立ち上げを進めていることの話が聞けた。すなわち、石鹸製造とコットンの布の製造販売、なのだが、サワドゴさんは、すでに着々と準備を始めている。このうち、石鹸の製造に関しては、当初より希望していたものだったが、コットンの方は何かピンときたのだろう、すごいスピードでビジネスを始めている。 石鹸ビジネスを始める予定 石鹸はこれから講習を受けて始めるとのことだが、すでに象りをする機械を制作し、アソシアシオンのロゴが入るようにしている。あとは講習を受けるのと、原材料の仕入れのための資金をためるという段階だ。 下の写真はサワドゴさんがスンバラなどを売っていたブティックをコットン販売のための店舗に改装。スンバラなどは事務所近くの広場に立てた小さな小屋に置いているそう。 3つの商材を柱として、製造から販売まで手掛ける予定だが、これらの製造は、しばらく前にサワドゴさんが購入した土地(トップの写真)に工場を作る予定。こちらも資金調達待ちとのことで、この後の展開が待たれるところだ。 繊維の販売も始めた こうして手広くビジネスを展開するサワドゴさん、2023年に話していたように、多くの雇用を生んでいるのは間違いない。とにかく安定した仕事の少ないこの地域にとっては、大変重要な人物であることは間違いない。 そして、サワドゴさんが紹介したい方がいる、とのことで、30日の午後に紹介を受けたのがイルブドゥさんという女性。お連れ合いに先立たれ、3人の子供を抱えながら、ごみ収集業を行っている。7人のスタッフと共に、「タクシーモト」と呼ばれる3輪車と2頭のロバに荷車を引かせ、忙しく収集をしている。 Ilboudouさん、サワドゴさ...

【フィールドワーク2025‐2026】ブルキナファソに到着:初動~Association pour la Promotion des Arts訪問

イメージ
Association pour la Promotion des Arts 調査3日目。ここまで大体予定通りにスケジュールはこなせており、とりあえず挨拶は大体終わり。あと1人、今回の調査の最大のミッションである、UJKZ(ジョセフ・キ-ゼルボ大学)のシリル・コネ先生との面会を明日に控えているが、後は昨日、今日で仕込んだ流れで進める。そして、すでにデータになりそうな話題もちらほらと、期待以上のデータがついてきている。教科書通りに言えば、ラポールが出来上がっている相手に会い続けているので、挨拶を済ませると、スムーズに話が進む。それぞれの新たな動きから、聞き取りの項目も調整し、初動の期間が終わる。 今回は久しぶりにUJKZの社会学者、アブドゥライ・ウェドラオゴ先生とも面会。例年、この時期はお連れ合いのいるスイスで過ごされることが多いが、今年はお連れ合いさんがブルキナで過ごす、とのことで、こちらでゆっくりされており、ずいぶん話し込んだ(深い話になるほどにフランス語の拙さが…)。 ともあれ、ぜひお連れしたいと言われていた、ウェドラオゴ先生が始めたAPA(Association pour la Promotion des Arts)を訪問した。2020年に先生ご自身が購入した敷地は、ディゲットを活用してブッシュ(この地域的には原生林)となり、中心には一本の道がアトリエに向かって通り、アカシアの木にはアーティストの作品が何枚も掲げられている。 敷地内に掲げられる作品。「乾季」だからできる展示 作品を鑑賞していると、敷地内で活動しているメンバーたちに次々と声をかけられる。早速作品の説明を聞き、植物を絵に盛り込んでいたり、ここで取れる植物を使って紙を作っていたり、なかなかに活発に活動している。 作品 アトリエで少し話を聞き、道を挟んで向かい側にあるもう一つの敷地は、ほとんどを畑が占め、整然と野菜畑が広がっている。生徒たちと一緒に取り組んだものなのだそうだ。なかなかに厳しい地域ではあるが、人が手をかけると整然として美しいものになる。 畑の説明をしてくれるウェドラオゴ先生 すでに何度も収穫がされている様子が見てとれ、子どもたちの食事に使われている。 この施設、10年近くに渡りテロが頻発し、住んでいたところに住めなくなった子供たち(家族がいる子もいる)が収容されている。名前の通り、「アー...

ブルキナファソのビザ情報

イメージ
  2023年2月以降、ブルキナファソの観光ビザの発給が中止となった。2022年9月、激化する過激派によるテロ行為の最中に起きたトラオレ現大統領によりクーデタがおき、大きな混乱を呼び起こした中で取られた措置であった(2024年5月26日の選挙でさらに5年間の暫定大統領として選任)。また、2024年12月5日以降、大使館でのビザ受付ができなくなり、オンラインのみとなった。物理的にも治安的にも遠い国ではあったのだけど、制度としても少しさらに遠くなってしまったような気がする。 これまで旅行者ヴィザで入国していた(しかも、とある理由で5年間の特別ヴィザをいただいていた経緯もあり…)が、これを機にカンファレンス・ヴィザが我われに唯一残された手段となったのだが、ちょうどこうした措置が取られる直前からワガドゥグ大学の複数の先生方と交流を始めることができ、インビテーションレターを取ることが可能となった。何人かの先生に交代でインビテーションレターを書いてもらい、ヴィザ取得をしている。 ちなみに、ブルキナファソは2022年のクーデタ後、フランスとの関係が冷え切った。いろいろなことが言われているが、ブルキナファソの堪忍袋の緒が切れた、というところではないかとみている。エア・フランスは2023年8月7日に治安の悪化を理由にブルキナファソ政府に無断で運航を停止し、その後現在まで就航再開を許されていない。また、下のようにフランス国籍保有者はヴィザ自体が発行されないことになっているので、フランス経由での入国は現時点で不可能なので、注意が必要。 Alerte:  Si vous êtes de nationalité française, le visa est refusé. Le délai pour les autres nationalités est de 4 ou 25 jours non garantit et sans remboursement (Belgique, Suisse, Canada, Luxembourg etc.) オンラインヴィザの ウェブサイト には、上のように書かれている。つまり、「あなたがフランス国籍であれば、ヴィザ発行は拒否されます。他の国籍の方は、有料かつ返金不可の条件で 4日~25日の期間で発行されます」。 【カンファレンス・ヴィザ...

【イベント】”ゼロ”プロパガンダ展 (11月10日/応募はすでに締め切り)

イメージ
イベント情報が続きます。こちらはすでに応募が締め切られている、というか、主催の比呂啓さんの周辺で一瞬で埋まってしまう、という超コアイベント。軽く引き受けましたが、何の目的で行われているイベントなのか、また、どんな属性の方が来られるのか、訳が分かりません。 こちらは「”ゼロ”プロパガンダ展」というイベントです。なんと11回目。シンポジウムの翌日の11月10日に開催されます。先日、比呂さんにはブルキナファソの食文化についての話を聞いていただきましたので、また別の話、ということで、少しずつ準備を進めています。 昨年は食文化の講演依頼が多かったですが、皆さん飽きられたのか、今年は別のもの(私にとっては、イレギュラー)が多い感じがします。若干たいへんですが、お呼びいただける限りはできる限りお受けしたいと思います。

ブルキナファソのイスラーム過激派による不安定化-② カッザーフィー(カダフィ)と西アフリカ

イメージ
Wikipedia「ムアンマル・アル=カッザーフィー」より ずいぶん長い時間がかかってしまったが、現在の西アフリカの政治を理解する上で、どのあたりから考えればよいのか、ということを考えていました。もちろん、根源はイスラーム化や西アフリカの王権について踏まえておくことが重要なのですが、そこから書くことは私の能力を超えているので、歴史家の仕事に一任することとし、ここ20-30年の大きな出来事に思いをはせれば、おそらくマグレブの影響はとても大きかったにも関わらず、余り注目されてこなかったような気がしています。なので、ある一区切りの歴史を振り返る意味で、「アラブの春」と西アフリカについて、カッザーフィーを中心に見ていこうと思います。 2010年から2012年にかけ、「 アラブの春 」と呼ばれる、アラブ諸国の「民主化」の大きなうねりがマグレブ諸国を中心に起こる。発端は、2010年12月17日にチュニジア中部のシディ・ブジドで起こった露天商の青年の焼身自殺だった。モハメド・ブアジジというこの青年は、いつものように露店で果物や野菜の販売を始めたが、販売許可がないとして地元の役人が野菜と秤を没収したうえ、女性職員から暴行と侮辱を受ける。ブアジジは没収されたものの返還を求めて複数回役所を訪れるが、役人から賄賂を要求された。再三の申し出を断られたブアジジは、午前11時30分、県庁前で自分と商品を積んだ荷車にガソリンをかけて焼身自殺を図る。その様子を撮影したブアジジの従兄弟のアリ・ブアジジがFBに投稿すると、アルジャジーラがそれを取り上げ全国にこのことが知れ渡る。ブアジジと同じく就職できない若者を中心に、就業の権利、発言の自由化、政治行政の腐敗の改善を求め、ストライキやデモが起こるようになる(Wikipedia「ジャスミン革命」)。 こうした民主化運動にあったが、その流れは周辺国に及ぶ。この記事で述べるリビアにも「アラブの春」の波は押し寄せ、リビアの「独裁者」ムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ)もその動きの中で命を落とし、中東の現代史に大きな変化をもたらした。(APF) 「アフリカ屋」の私がなぜリビアなのかは、後々述べるとして、今少しカッザーフィーを中心としたリビア情勢を復習しておきたい。 1942年にリビアの砂漠地帯(スルト)に生を受けたカッザーフィー。中東、アフリカが次々と独...

チルメンガを思う

イメージ
「緑のサヘル」から送っていただいた近影  3月のある日、長年かかわっている「 緑のサヘル 」から会報を受け取った。緑のサヘルの会報のトップページには、コラムが載っているのだが、そこには見慣れた名前が。 「ジュリアン・サワドゴ」。僕は彼を本名で呼んだことはない。懇意にしていた故Roch Nazaire SAWADOGOさん(ローカルNGO、AJPEE代表) に、 この地域の農業に精通している方 として、紹介を受けた。二人は小学校の同級生で、R.Sawadogoさんは、ニヤニヤしながらジュリアン・サワドゴさんを「チルメンガ(薬草師)」と呼び、あいつに聞け、と言い、会いに行く前に僕が尋ねていくことを話してくれていた。 彼の元を訪れると、10年の知己のようなに親しみを持って迎えられ、農業のことを話し出すと、畑を見せてくれて、あれこれと説明してくれる。苦手なフランス語も僕のために覚えてくれて、僕のモレよりもずいぶん早く上達した。生来の酒好きで、チルメンガのところを訪れるようになると、初日は予定を控えめにして、 朝からチャパロの歓待を受けた 。 ブルキナファソ中北部 彼等はこのブログでも何度か書いた「バム県」に住んでいる。残念ながら、R.サワドゴ氏は数年前に若くして亡くなられてしまったが、コングシでの調査の際には、二人のサワドゴさんを中心に動いていたように思う。拙著(2019)にも、このことは若干の紙幅を割いて記述している。毎回、ほんの少しでもコングシを訪れ、彼らの顔を見て一時を過ごすのがブルキナファソで最も好きな時間だった。しかし、北部のテロが益々激化した2021年を最後に、この地域には足を踏み入れられていない。最後の訪問はR.サワドゴさんの弔問で、チルメンガには一目会った程度。時折、思い出しては「元気かな…」と思いをはせていたが、緑のサヘルの記事に彼の名前を見つけ、彼の健在を喜ぶとともに、難民キャンプで暮らしていることに大きなショックを受けている。 何度か書いているように、この地域の情勢は情報が少なく、どのような状況なのか、どんな見通しが立っているのかを把握することが極めて難しい。特に、バム県やその北のジボDjoboのあたりはテロの多いところで、政府による統治が出来ていないと言われていた地域。「便りがないのは無事の証拠」であればよいのだが、そんなに楽観的な状況でもな...

セネガル新大統領(2024年大統領選挙)と西アフリカ情勢

イメージ
  バシル・ジョマイ・フェイ新大統領(Mali jet 20260326 より) 2024年3月26日、セネガルに新大統領が誕生した。バシル・ジョマイ・フェイ氏だ。日本の報道各社も小さく、論調も似たようなものではあるが速報を流している。選挙が行われた当日は気が抜けるほどあっさりと勝利宣言が出たが、ここにいたるまで、かなりの混乱を経ていた。昨年学生がセネガルに滞在していた5月ー6月ころから、マッキ・サル大統領が憲法で禁じられている三選を目指す、という話が出始め、ダカール市内で市民蜂起があったりした。2月3日には、2月25日に予定されていた選挙を延期すると発表されると、市民はデモを組織し、治安部隊との小競り合いが各地で起こった(武内20240206)。こうした動きの背景には、マッキ・サル大統領による野党候補の(乱暴とも思える)抑え込みがあり、さらには、100歳になろうとしているアブドゥライ・ワッド元大統領、その息子のカリム・ワッドなどの動きが複雑に絡まりあっている。対立候補が絞り込まれていく過程で、最大の対立候補のウスマン・ソンコ氏はジョマイ氏の指示に回り、3月6日の憲法評議会で投獄されていたソンコ、今回当選したジョマイ氏ともに恩赦法により14日に釈放、24日に選挙実施案が承認された(武内20240316)。結果は報道されている通りである。 アフリカ・アジア現代文化研究センター主催の 緊急シンポジウム「西アフリカ諸国で何が起きているのか―セネガル、ギニア、マリ、ブルキナファソとニジェールの政治危機を考える」 (2024年2月21日)の開催趣旨で、次のように書いた。 「2024年2月3日、月末に予定されていたセネガルの大統領選挙が無期限に延期となったニュースは耳新しい。多くのアフリカの国々で大統領選挙が近づくと、任期延長や「三選問題」が浮上するが、セネガルでは現サル大統領の一期目の選挙以降、「民主的」な選挙が行われていたこともあり、このニュースは一抹の不安と驚きをもって受け入れられた。アフリカの多くの国々が大統領権力の長期化による腐敗を防ぐため、憲法で三選禁止規定が明記されているが、これまでも、ブルキナファソ(2014年)、南スーダン(2018年)、コートジボアール(2020年)、ソマリア(2021年)、ブルンジ(2023年)、中央アフリカ(2023年)など、三選...

ブルキナファソ調査【20191227-20200117】④「手榴弾」爆破事件

イメージ
Sidwaya Paalga誌(20200109より) 少し間が空いてしまいました。年始のブルキナファソ調査の最後です。 2020年1月8日。新年があけてもワガドゥグは大きな変化はなく、街はいつも通りだった。僕も朝から調査を手伝ってもらっているザカリアといつもの場所で待ち合せる。乗り合いタクシーに乗り込むときに電話をし、時間と場所を確認する。普段の調査と変わらない調査の朝を迎えていた。 9:00数分前に待ち合わせ場所に到着。いつも少し遅れてくるザカリアのことなので、到着を電話で知らせ、僕はキオスクでコーヒーを飲んでザカリアを待つが、彼が来る気配はない。30分ほどして、イマームを連れてキオスクに来るが、着くなり、小さな声で僕に語り掛ける。 「我々のエリアがおかしい。テロが起こったと言って街区全体が大混乱になっている」 イマームは、僕を安心させようと思ったのか、「まあ、すぐに終わる。問題ない。」を繰り返すが、僕はよくないことがあったことは間違いないと思い、ザカリアが勧めるようにすぐにホテルに引き返すことにした。しかし、都心に向かうタクシーは軒並み乗車拒否。どこか騒然とした雰囲気の中、結局ザカリアのバイクに乗せてもらってホテルまで戻ってきた。 ホテルに帰り、FB、Twitter、その他現地新聞社のWebサイトで情報収集をする。こうした突発的な事件の場合、速報性の高いのは、間違いなくSNS。すでにいくつかの現地通信社がニュースを上げているが、そこに踊るのは、「手榴弾」や「クルアーン学校」の文字。少し前まで目の当たりにしていた調査地の周囲の混乱ぶりと相まって、確実に何かがあったことはわかるが、一つ一つが結びついていかない。大使館にも電話をしてみて、状況を確認するが、その時にには僕が集めたニュース以上の情報は手に入らなかったが、そのあとのやり取りのかなり早い段階で「テロとは無関係」という情報だけは聞き、少し安心する。しかし、一応、僕も勤め人。情報確認後に職場に連絡すると、翌朝には「非常事態対策本部」が立ち上がるとのことで、職場の指示を待つことにする。 情報は錯そうし、今でも真相とされていることは、少し眉に唾をつけてみておかねばならないと思っている。顛末はこうだ。 1月8日の朝、市内北部の未認可のフランコ・アラブ校に通う生徒の一人が、登校途中...

ブルキナファソ政情その3

続けてもうひとつ。大使館からの勧告も引っ張ってきます。出所はいずれも 在ブルキナファソ日本大使館 。 4月15日 在ブルキナファソ日本大使館発  在留邦人の皆様へ(本情報は在留届等に記載されたメールアドレスにも送信されています)  15日21時頃より、大統領官邸付近で軍人による威嚇発砲事件が発生,本日午前から不満兵士らが市内に展開し始めている模様です。邦人の皆様におかれましては,不要不急の外出は避けるとともに,外出時には安全に十分な注意を払ってください。また,JICA関係者の皆様はJICA事務所からの指示に基づき行動願います。なお,現在までのところ,邦人の皆様への被害は報告されていません。 ●事件経過 15日21時頃から、大統領官邸(ワガ2000地区)の裏に位置する大統領警備隊の10数人の若手兵士が、上空に向けて威嚇射撃を開始。同威嚇射撃は、市内の軍キャンプの兵士にも波及し,ワガ2000地区以外でも威嚇発砲事件が発生。コンパオレ大統領は市内中心部の政府の建物に避難、本日早朝に大統領の出身地であるジニアレ市へ待避。ディエンデレ軍参謀長の自宅が被害を受けた。 ●市内状況 現在,不満兵士がワガドゥグ市内に展開し始めている模様。市内目抜き通り(クワンエンクルマ通り)のバイク店や携帯電話会社,市場等のガラス扉,ショーウィンドウなどが破壊され,略奪にあっている。ガソリンスタンド,銀行,家具・電化製品店などは閉店している。 ●事件理由 大統領府筋によると,軍が約束した「住居特別手当」が支給されなかったことへの不満と怒りによるものとのこと。 4月15日発 在留邦人の皆様へ(本情報は在留届等に記載されたメールアドレスにも送信されています)  軍人による威嚇発砲事件及び市内での強奪事件に伴う治安悪化に関し,ブルキナファソ公官庁は職員に対し自宅待機を命じました。  邦人の皆様におかれましても,自宅待機を励行願います。また,JICA関係者の皆様はJICA事務所からの指示に基づき行動願います。  ●事件経過  (1)ジニアレ市へ待避していたコンパオレ大統領は,大統領府へ戻り本事件への対応指揮を執っているとのこと。  (2)現時点においては,戒厳令等は発出されていない。 4月16日発  在留邦人の皆様へ(本情報は在留届等に記載されたメールアドレスにも送信されています)  軍人による威嚇発...

ブルキナファソ政情その2

イメージ
数日前に「 ブルキナファソ政情 」をお知らせした。 この週末、ずいぶん動きがあった。痴話げんかから始まったこの動きは、先日の報告でもあったように、政治や経済の色を強く帯びながら拡大している。 FigaroやLe Mondeなどのフランス各紙、ブルキナファソのローカル紙Le pays, Sidowaya Plaaga紙なども大きくこの事件を扱っている。右の写真はLe Pays紙から拝借したものだが、ワガドゥグの中心、「国連交差点」付近から火の手が上がっている様子である。 この週末、情報収集をしたので、これから渡航される方などは参考にしてほしい。ただ、事象毎の相関関係などは確認がとれていないので、情報があればご教示願えれば幸いだ。 ① 政府官僚の更迭があった。特に、今回の事件の中心となった、陸軍、空軍の代表とそれを取り押さえる役割の憲兵隊の代表も更迭された。(Figaro、Le Paysなど) ② 政府代表団がブルキナファソ南部のポPôに派遣された。ポには、陸軍訓練施設がある。この施設からは、サンカラ前大統領、コンパオーレ現大統領が軍事訓練を行った施設。ブルキナファソの精鋭部隊が駐留している。どのようなことが話されたのかは分からないが、事態を収束させるなんらかの耕作がなされているものとみられる。(ソースは同上) ③ ワガ2000(新都心)やプチ・パリ(高級住宅街)などでも威嚇射撃が続いているという情報。また、クワメ・ンクルマ通り(私のフィールド【泣】)沿いのホテルなどでも軍服を着た兵隊らしき一団に金品を強奪された、という情報もある。しかし、私の友人(中流かそれ以下)によれば「来週になれば収まるのでは」という楽観的な意見がでており、戦闘行為発生地は濃淡がはっきりしていそうだ。 ④ この状況を受け、フランスは渡航禁止令を発令、また、日本大使館からも渡航の延期などを呼び掛けている。フランスの措置に関しては現在確認中。知人からの情報のみ。 引き続き、こちらで得た情報は公開していこうと思う。 ツイッターはいい情報源だけど、TLがすぐに消えてしまうので、こうやって情報を蓄積しておくところも大切。他に情報があればコメントにでも書きこんでいただければ嬉しい。

コートジボアール大統領選挙(結末へ)

約3ヵ月にわたって揉めたコート・ジボアール情勢がようやく終息を迎えそうだ。今朝のTwitterは日本の地震の話以外はかなりこの記事が多かった。この間、日本の地震のニュースの影に隠れて、日々虐殺が起こり、こちらでもずいぶんと多くの人の命が失われた。大変残念なことだ。 しかし、まだ終わっていない。これまでのアフリカでは権力闘争の末、負けたものが無事でいたことなどほとんどないのではないか。バグボ氏は、多くの人々が命を失う原因をつくり、それは決して許されるものではない。ただ、これはバグボ氏の命をもって償われるものではなく、なぜこうしたことが起こったのかを追求することにより断罪されるべきではなかろうか。 *************************  [アビジャン 11日 ロイター] 大統領選の結果をめぐる混乱で内戦状態に陥っているコートジボワールの最大都市アビジャンで11日、大統領辞任を拒否するバグボ氏が拘束された。同氏の身柄は、国際社会が大統領選の当選を承認するワタラ元首相陣営の管理下に置かれている。  フランス軍は同日夜、国連平和維持活動(PKO)部隊とともにバグボ氏の邸宅への攻撃を再開。30台以上の装甲車で施設に向けて進行した。  バグボ氏のスポークスマンは、同氏が避難していた部屋から出て、抵抗せずにフランス軍に投降したと明らかにした。  一方、フランス軍によると、身柄拘束は国連PKO部隊などの支援を受けたワタラ氏の部隊が行ったと発表。同軍のスポークスマンは、「(現地時間午前)3時過ぎ、バグボ前大統領がコートジボワール共和国軍に投降した。フランス部隊はバグボ邸に一切立ち入っていない」と述べた。  バグボ氏が拘束されたことで、大統領選をめぐる一連の混乱は収束に向かうが、新大統領に就任するワタラ氏は、長年の民族対立や経済の低迷、悪化する人道問題という課題に直面することになる。 (http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-20555120110411?feedType=RSS&feedName=worldNews&utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter&utm_campaign=Feed%3A+reuters%2FJPWorldNews...

ブルキナファソの政情(2011.4)

日本が地震で揺れている間、アフリカの政治も大きく揺れていた。地震のおかげで日本にあるアフリカ諸国の大使館が機能しなくなっているし、ブルキナファソの現状もなかなか情報が得にくい。Twitterでも断片的に現地メディアが報じていたが、このデモ、暴動の原因が何だったか、なかなか知ることが難しかった。何人かから問い合わせを受けたので、こちらに知人からの私信を少しアレンジして現状報告。 ************************************ 3月下旬にかけ、ワガドゥグのみならずバンフォラ、ガウア、ファダ・ングルマなどで軍人によるデモが行われた。実弾を使った威嚇射撃が数日間続き、3月30日より4日間夜間外出禁止令が発令した。そのため、エールフランス等各航空会社も便の欠航や変更を余儀なくされた。しかし、現在は大統領と軍で話し合いが決着し、街は落ち着きを取り戻しつつある。 ただ、8日に全国規模でのデモが呼びかけられており、これは軍のデモとは別件で、以前から予定されていたもの。このデモの目的は物価高騰に対するもので、労働組合は学生や商人、失業者、労働者など幅広くデモへの参加を呼びかけている。平和的に行われるかどうかは疑わしく、関係各所が注目しているところである。 また、軍人によるデモで性的暴行の罪で刑務所に拘束されていた軍人が開放されたり、暴動に発展しワガドゥグの商店がいくつか襲われ、根こそぎ商品を奪われたり、裁判所が砲撃対象になったり、法関係者のフラストレーションも溜まっているように思われる。3月に起こったゾンゴ事件(学生が警察に拘束され、拘置所で死亡した事件。1998年のジャーナリスト殺傷事件とは別件だと思われる。)も根本的な解決がなされないまま今に至っており、まだ発端地であるクドゥグでは学校も再開されていない状況だ。 *********************************** おそらく、リビア、チュニジアあたりの民主化要求運動とは一線を画しているのだと思うが(実にくだらない理由で軍隊が動いている)、いずれにしても、いつもより行動には注意が必要、と言ったところか。