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ご恵投いただきました(高野秀行「謎の未確認納豆を追え!」『小説新潮』)

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『小説新潮』11月~1月 これもお知らせが遅くなりました。この前の記事の関連です。 10月に研究会をご一緒した高野秀行さんが『小説新潮』に「謎の未確認納豆を追え!」という連載をされています。毎号、ご恵投いただき、とても興味深く読ませていただいています。この連載は、一昨年ナイジェリア北部(僕らは入れない…)、セネガル南部の風間ンス(こちらも推奨されていない)での取材をもとにしたもの。僕がひたすらブルキナファソだけをやっていたので、周囲の発酵調味料類の状況がよくわかります。 高野さん、突然この発酵調味料をやり始めたわけではなく、少し前には『謎のアジア納豆』という本に東南アジアの納豆について書かれています。東南アジアの納豆は、小泉武夫さんや石毛直道さん、さらに最近では、横山智さんがしっかりとまとめられていますが、アフリカとなると、高野さんがトップランナー。成分や薬効に関する論文はたくさんあるのですが、日本語で書かれたものなら、最も広く網羅されているように思います。 作家と研究者という呼び名の差はありますが、やっていることは同じ。「なんぜこんなところに納豆が」という驚きも共有しています。これからどんなものが生まれるのか、楽しみなところです。 にほんブログ村 にほんブログ村

高野秀行氏との出会い

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世の中に辺境を目指す人というのはそれほど多くないもので、とうとう出会ってしまった。高野秀行氏。この人の名前は、僕の人生の中で時折顔を見せる。大方、この三冊がその象徴的な本だ。僕なりには、あるシチュエーションでは、結構なとっておきの話なので、どこかで僕がしゃべりだしても、先取りしたりしていじめないでほしい。 下からいく。 『幻獣ムベンベを追え』という、旅行記でももっともバカバカしい部類の本だけど、これは打算的になってしまった学生諸子にはぜひ読んでいただきたい本だ。今後僕がどこかで講義をして、首にならないようであれば、参考図書にしようと思っている本だ。 1999年、僕が都内の某船会社に入社して、僕の教育係になったのは、故佐藤英一さんだ。残念ながら、僕が退職して数年後に亡くなってしまった。佐藤さんは、いつも下を向いて、ことあるごとに、頭を抱えて固まっている。その集中力たるや、すさまじく、頭を抱えてしまったらほぼ人の話は聞こえない。なので、最初のころは全くコミュニケーションが取れなかった。僕は割と開放系の性格をしているから、実は10年先輩の佐藤さんよりも営業の仕事はうまかった。2年目の終わりころで、外回りもさせられ、佐藤さんはひたすら内勤。しかし、いわばコントロールタワーで、船のスケジュールはほぼ佐藤さんの手によるものだ。飲み会に参加することもなく、必要以上に話をすることもなかった。だけど、ほかの上司などから聞く、佐藤さんの話は実に魅力的で、それが、早稲田の探検部時代の話だった。たとえば、メコン川の中州の島に無装備で2か月生活して、その時には、「動くものはなんでも食った」という話だったり(これはのちに僕の思い違いかなんかということが分かった)、アマゾン川を川下りして遭難した後輩たちを助けに行ったとか…ご本人からは、一切そんな話を聞くことはなかったのだけど。 2003年。僕はこの船会社を辞めるのだけど、決意して辞表を持って、課長にそれを渡して、という一通りの儀礼が済み、いよいよ職場を離れる日が迫っていた。僕は、「課長、アフリカで生きていきたいので、会社を辞めます」とまるでマンガのような辞め方をした。そして、確か、送別会の時だったか、最終日だったか、佐藤さんが一冊の本をくれた。それが、高野氏の『幻獣ムベンベを追え』だった。そして、「君はこういう...

司馬遼太郎1971(2008)『街道をゆく1 湖西のみち、甲州街道、長州街道』朝日新聞出版

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数年前から心を入れ替えて日本のことを学ぶべく、宮本常一を中心に日本民俗学の本をことあるごとに購入しては読むようにしている。多くの記述にうる覚えの風景がくっつくので、なかなか面白く勉強できている。 宮本常一や柳田國男、その他民俗学者の本はまだまだあるのだけど、電車の中や寝る前のちょっとした時間に気軽に読めて、シリーズもの、と思って探していると、民俗学者ではないが、司馬遼太郎のこのシリーズがあることを思い出し、試しに1冊購入した。 この巻は湖西、甲州街道、長州路のほか、大和の路なども収められている。山口はよく知らないし、甲州街道も新宿の辺りしか知らない、湖西も途中までしか知らないし(自宅の山を隔てた向こうなのだけど)…読み進めていくと、この企画自体が風の向くまま、忙しかったであろう、司馬遼太郎の時間の合間に、お友達とフラフラ、書いていることも歴史に飛んだり、食べ物に飛んだり、司馬遼太郎自身の子ども時分の話に飛んだり。かといって、情報量はさすが司馬遼太郎でそれなりだ。気楽に読むには実にいい本を見つけた、と喜んでいる。 そして、40巻ほどのシリーズだけど、結構な巻がアマゾンで1円というのも魅力的。とりあえずこの巻を読み終わってから5巻まで購入。 にほんブログ村 にほんブログ村

小松義夫(でいいのかな?) 2006 INAXライブノート001『土と水のドナウ紀行 小松義夫&衛子 記憶のへの旅・ルーマニア』

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写真家の小松義夫さんからご恵贈いただきました。ありがとうございます。 昨年11月に行った座談会でたっぷり2時間ほどご自身の写真家になった経緯、写真観というか、人生観を伺いました。上がってきたテープ起こしの原稿を読みながら、何度も小松さんの語り口が思い出され、とても楽しい作業になりました。 とりあえず初稿をあげ、座談会に参加された皆さんにそのご報告をしたところ、「補足」に、ということでお送りいただきました。 まず見た目、ライブ「ノート」なんですね。本当にノート、スクラップブックみたいな装丁なのが目を引く。そして、中身ですが、最初に小松夫妻が1960年代にルーマニアを回ったときの回顧録、現在のルーマニア周遊の際の写真、そして、同行したライターによる小松さんご夫婦との旅行記、という珍しいつくりです。写真家が一人称で語られたり、観察され撮影され、また、写真家も撮影する、というように、構成的に見ても面白いです。 朝からドナウの写真でほっこり。仕事を忘れそうです。 にほんブログ村 にほんブログ村

道尾秀介2012『ノエル a story of stories』新潮社

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恒例の出張前のジャケ買いで手にした本です。今回は3冊。読みかけの本、何冊かを今回の出張中に読んでしまおうと思っていて、文庫に絞って買い込みました。今までの経験で、道尾秀介の作品はほぼ外さないので、最近毎回のように買っている気がします。 3つの小話が次第に一つの話に紡がれていくという仕掛けと、それをつなげる童話、そして、もちろん3つの話に少しずつ重なるそれぞれの話の登場人物たち。幾重にも重ねられた仕掛けは裏表紙に書かれている様に「最高の技巧」と呼ぶにふさわしい作品だったと思う。 道尾秀介の作品は、どれも後味の良さが残る。必ずしも完全なハッピーエンドである必要はないし、たぶん物語中の時間の経過で致し方ないアンハッピーは取り返しのつかないものになるはずで、そうしたところもうまく掬い取っている、そんな印象を受ける。僕は記憶力が良くないので、極端に多い登場人物や複雑な仕掛けのものはあんまり得意ではない。この作品もそうなのだけど、そのあたりのバランス感覚や、適度なカタルシスは、言ってしまえば大衆的ともいえてしまうかもしれなけれど、それぞれに考え抜かれた誠意を感じる作家、ということです。 にほんブログ村

百田尚樹『海賊とよばれた男』講談社

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研究者としてこういう本をブログに挙げる、というのはなかなか勇気がいる。しかし、まあ、僕ごときが挙げたから思想的に云々ということにはならないと思うし、もしそうであっても、この人の小説を読んで感想を書くことでときにどんなことになるのか、ということをわかっていて書くので、そうご理解いただきたいです。 こういう前置きをすること自体がめんどくさいし、自分のけつの穴の小ささだと思うのですが。ともあれ。 この本、連れ合いに持たされて、半分しぶしぶ持ってきました。しかし、一部の百田氏の書きぶりはともあれ、ベストセラーになるだけはあるな、と思わせました。この小説が出光佐三氏の物語であることは、解説でようやく明かされるのですが、それまでは国岡鐵造という人物が主人公となります。まずは、弱小石油卸商がいくつかの苦難を乗り越えて、日本を代表する企業へと成長していく判官びいきにはしびれる作品であること。豊富な時代の資料に基づいた資料的にも面白いものであること。最近では珍しい明治から戦中戦後にかけてのイケイケな立身出世物語。そして、強烈な父性を持つ主人公、それを裏付ける、終身雇用制どころか、社員(店員)はすべて家族で、家族に馘首がないように店員にも馘首はない、そして定年退職もなしというワーキングプアが当たり前の昨今では想像もできない会社の設定。さらに、それを「日本的」企業や「日本的」社会の原(幻)型として位置づけてみていること。 最後の皮肉はともあれ、上司としての鐵造はそれはそれは魅力的。百田氏がこの小説を通じてどれだけのメッセージを発信しようとしているのかわからないけど、一つの会社という社会を取り上げているのも間違いはないでしょう。上司-部下の関係は、会社を考える上で、とても重要であることは疑いないでしょう。ブラック企業という言葉も定着した感がありますが、はっきり言ってかなりスパルタンな鐵造は決して暴力的な人物として描かれることはありません。ある意味、完全な社長で、それは、一つは鐵蔵のカリスマ性、そしてそのカリスマ性の裏付けとなるような高邁な理想(「個人のことよりも国家のこと」)にこの完全性が回収されていくように読めます。確かに、鐵造の人心掌握スタイルは、部下の能力を能動的に伸ばそうとしていて、どこか、サントリーの佐治信治郎氏の「やってみなはれ」精神的にダブルところがあ...

鶴見俊輔『旅と移動 鶴見俊輔コレクション3』河出書房新書(2013年)

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「もっと早く読んでおけばよかった」、そう思う本は数多い。ちゃんと本を読んできたつもりでも、僕などは本当に読書の才能、本を読みこむ努力を怠ってきたから、日常的にこんな後悔に苛まれている。 ●●全集、とか、○○著作集、とかいうと、大先生の論文の寄せ集めのようなものが多くて、どうも苦手なのだけど、この本は題名を見て購入を決めた。自分の研究にもキーワードとして、こんな言葉が入ってくるからだ。しかし、読後感として、鶴見俊輔という巨人の懐の深さやご自身の人生から紡ぎあげた、実に豊かな味わい深い思考と万人に伝わる表現は感じ入るものがある。もちろん、最後の方の「国家と私」あたりは特に賛否両論あるだろう。この節に限って言えば、鶴見俊輔の特異な経歴から語られる国家と、まったくの小市民の間には、乗り越えがたい溝があるように思う。 ジョン万次郎から始まり、ご自身のディアスポラ(という言葉は使っていないが)の経験までをまとめて、「旅」という一本貫かれた筋から、様々な旅と人の移動が語られる。「ひとりの読者として」として、解説を書かれている四方田犬彦氏はそのはじめにこんなことを書く。 「たくさんの種類の旅がある。 知的探求のための旅。社会的により高い地位に到達するための、試練の旅。未知の風景をこの眼で確かめてみたいという好奇心だけに促される旅。」(443) まさにさまざまな旅がある。時代の大きなうねりの中で期せずして、もしくは時代に押し出されるようにして異国の地を踏むもの、また、その跡。今回の調査でも他のNGOのスタッフたちと話している中で、決して「問題」があることが、子どもたちをストリートに押し出す要因とはならない、ということはしばしば聞いた。おそらく、僕が大学生の時にしたようなバックパッカー、また、その後もこうして続いているアフリカとの往復の旅は、これらの旅ではなく、その前の引用の類の旅なのだろう。四方田犬彦氏が続けて、 「鶴見俊輔が拘泥するのは、そのような旅ではない。好むと好まざるとにかかわらず状況に強いられてなされてしまった旅、庇護者も受け入れ先もなく、身を隠すようにしてなされた旅のことだ。」(443) というように言う。しかし、こうした旅を経験した人たちの子孫、もしくは、彼らのように旅すらできなかった人たち、また、なんとか押し留まった人たちもいる。今、僕...

道尾秀介『龍神の雨』

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  誘惑に負けて空港で買ってしまった1冊。行きの飛行機ではウェーバーを読むぞ!と意気込んで搭乗したものの、ついページを開いてしまったが最後。一気に読み切りってしまった。 2,3年前から少しずつ読んでいる道尾作品。どれも非常にクオリティが高い。扱う題材が重いのに話のテンポも、話の展開をもったいぶった感じも、読後感もとても好きな作家。 この作品は複雑な2つの家族の2つの兄弟(妹)が主役。面白く感じたのが、最初に付与された登場人物像がドラスティックに変化していくところ。適当に読んでいると人物を見失ってしまいそうになった。前の作品(『月と蟹』)でも書いたけど、とにかく子どもの心理描写が実に旨い。今回は小学生から思春期、19歳までの子どもが出てくるけど、(小学校5年生は少し大人すぎる気がしたが)、しっかりと書き分けられていて、14歳の少年(おそらく反抗期を想定した)の心理描写は自分の当時の心境をおもいださせるほどだった。 そして、巻末の解説が最後の山場(?)。道尾氏の飲み仲間、という方のものなのだけど、よほどうれしかったと見え、非常に熱のこもった解説。よく読み込んでいるし、こうやって道尾作品を楽しむめ、という気迫を感じた。そんなわけで、最後まで面白かった作品だった。

『合併人事 二十九歳の憂鬱』江上剛

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今日はだいぶ働いた。仕事も何個か終わったし、家のことも2つやったし。もちろん後いくつかの用事に追われてはいるけど、とりあえず一服。 11月の頭にあった古本市で纏め買いした小説その1(?)。 さすがに105円という小説。池井戸潤とどっちが古いか知らないけど、劣化版みたいなイメージを受けた。ちょっといやな感じを受けるのが、この作者がおそらくバブルに相当遊んでいただろう、ということ。銀行の重役さんがナンボ稼いでいる設定か知らないけど、愛人のためにシティホテルのスイートルームにバラの花をちりばめて…なんていう発想自体がバブリーだ。 この中に僕自身足しげく通っていた店が実名で出てくる。実は、おとといの夜、ちょっとそれを確かめたくて、その店のオーナーと話したら、そんなの初めて聞いた(これもどうかと思う)と。それは僕の問題でないので、どうでもいいけど、大方2005年ころの話らしい。すっかりバブルもはじけ、氷河期と言われた時期に、この設定。おカネがジャブジャブだった時代をノスタルジックに語ったつもりか… さらに、ヨガのインストラクターの設定の主人公の女性のルームメイト(ちなみに彼女たちがすんでいるという設定になっていたのが、確か松井秀樹が巨人にいたときに住んでいたマンション…だと思う)に「癒されて」しまう、話。浮気して、仕事とプライベートを混同させて、社内の立場が悪くなって、「そんなところも受け入れて私らしく生きればいいんだ」!…少々理解に苦しむ… 先日、文学のイベントに出させてもらって、ある作家いわく、「僕の本を読んで、まったく学ぶところがなかったと言われたらとても悲しい」と。こういう文章を書いてはいけない、と言う意味では勉強になったけど…たぶんこの作者の本はもう買いません。

『サウスバウンド』奥田英朗著

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書店で手に取ったか、古本屋で手に取ったか…なんとなく読んだことがあるような気がしながら古本まつりで買ったこの本。やっぱし読んだことがあった…きっと本棚のどこかに眠っていることだろう。 そんなわけで機内で2度目。2度目と言えば、フライト前半で『42』がやっていたので、こっちも2度目だった…それはどうでもいいのだけど、まあ、2度目にしてはずいぶん面白く読めた。奥田英朗の本は3作目か4作目。少し前から注目している作家さんなのだけど、池井戸潤と比べるとストーリーラインはシンプルで、少しコミカルに書く気があるように思っている。 テーマも多彩だし、この本に関してはものすごくたくさんの興味深い要素を扱っている。たとえば子ども、社会運動、家族、学校、メディア、社会通念…そして、この作品の第2の舞台、沖縄での儀礼のこともなかなかよく描けているような気がするし、この人、八重山あたりで生活したことがあるのではないか、と思わせるほど、沖縄の日常生活の描写が瑞々しい。とにかく盛りだくさんなのだ。 アミューズメントとしての小説としては秀逸。2度目を読んでみて改めてそんな評価をしておきたい。

道尾秀介『背の眼』(上)(下)幻冬舎文庫

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「文化人類学者は出来そこないの小説家…」とある人類学者の言葉だが、中島らものように人類学に着想を得た小説も少なくない。この作品も文化人類学、特に宗教、呪術、憑依と言った研究に実に示唆的な作品だった。とにかく、道尾氏のこうした領域への知見、そしてそれをもとにしたストーリー展開は実に感心させられる。 心霊現象、除霊、憑依…実に科学的な回答を与えつつ、この作品ではミステリーホラー小説として、本質的な心霊現象を最後まで否定しない。いくつもこの点で感心させられる点があるのだが、一つだけ紹介してみようと思う。 山奥の「天狗」による神隠し(殺人)事件のクライマックス。亡き妻秋子に「憑依」された歌川。亡き妻は聾者で重い病を得てこの世を去り、歌川は幼い息子とともに生活したが、その息子も不慮の死を遂げる。歌川はその結果、元気に走り回る「子ども」に恨みを持つが、良心との板挟みにあった歌川は、秋子の人格(ペルソナ)の元で「子ども」を攫って危害を加えた。主人公の心霊現象探究家、真備は滝壺に亮介(子ども)を叩きつけようとした歌川に「除霊」を試みる。のちに真備は語る。「憑依体との間の共通の言語」を介在させることが「除霊」であり、被憑依者と憑依体、除霊者の三者の間での意思の疎通が必要で、そして除霊者が語りかけるのは、憑依体ではなく被憑依者だ… 小説としても楽しかったし、とても勉強になった。この前、研究仲間とも話していたのだけど、人類学を学ぶ者、小説は忙しくても読まねば、と再実感したのでした。

『シャイロックの子供たち』池井戸潤(2008)

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ドラマ「半沢直樹」のお蔭でやたらメジャーになった池井戸潤氏。こんな感想文を書いて、やたらミーハーにみられるのがなんだけど、面白いものは面白いので、気にしないことにして。 たぶんこの作品もいろんなところに感想文が書かれているだろうから、すごく端的に。この作品は小説の作りが面白かった。短編小説のように感じながら読み始めると、銀行の一支店の空間を中心として、そこに働く行員とその家族の物語で、ちゃんと一貫性のあるひとつの小説として成立している。 池井戸潤作品の多くは基本的に勧善懲悪調のいわば水戸黄門的に安心して読める作品なのだけど、その意味ではこの作品は少し異色。謎を置きっぱなして読者に委ねるという、ミステリーでよく使われる手法を使っている。 銀行/金融、また、会社という世界を分厚く描く池井戸作品だけど、もしかするとそのうち飽きが来てしまうかな…と思ってしまう。世界観がぶれないので、定番としての位置づけは得られるのだろうし、もしかすると、金融論とか、商学のテキストになっていくかもしれないけど。まあ、かと言ってもミステリー。余計な心配をせずに、たっぷり楽しみたいと思う。

道尾秀介『月と蟹』文春文庫(2013年)

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今は読んではいけない、と思うと手が伸びてしまう小説。調査の際の精神衛生管理のために鞄に入れておく小説は大概そんな葛藤を生み出す。 道尾秀介の小説は以前から何冊か読んでいて、ミステリーというか、少しオカルトチックなイメージがあった。結局本屋で気になった本が見つからず、関空の本屋で直感で買った。直木賞を受賞しているということで、面白くなくないわけはないだろう…と思って。 アフリカ子ども学、などとここのところ自分の研究を標榜しているけど、子どもを描くのは実に難しい。僕ら大人は必ず子ども時代を通ってきているはずなのに、その時の感情や考え方をもう一度しろ、と言われてもまずできない。忘れてしまうのか、経験の中に埋もれてしまうのか、はたまた別の理由なのかはよくわからないけど。 この本は慎二という少年を主人公を中心に進められていくのだけど、子どもを中心に親の再婚、暴力、子ども同士の友情や甘酸っぱい初恋、嫉妬や苦悩が描かれていく。解説にも「生のあやうさ」という言葉が出てくるけど、まさにそんなところを描きたかったのではないだろうか。 その中でも、ヤドカリを焼く、そこに願をかけるとそれが叶う、というストーリー設定。少しグロテスクで、子どもに特有の残酷さが如実に現れる行為は呪術的だけど、結局それは呪術的でなくて、春也の複雑な感情の蟠りから生まれ来る「行為」だった。そしてそれをわかってしまう慎二は少し大人びすぎだけど、その結果… いずれにしても、次第に雁字搦めになる少年たちが子どもであることの苦しさは、この作品では「父」という存在に求められそうだ。慎二の父はがんで早世、惜しまれながらなくなり、慎二の父の父、つまり祖父の昭三は、慎二が心を寄せる鳴海の母を事故で亡くした時に同じ船に乗っていた船乗り、男やもめの鳴海の父は慎二の母に思いを寄せ、春也の父は暴力癖がある。親を偲び、親を愛し、親に殺意を抱く…こんな風に立体的に子どもの感情を描き出したこの作品は秀逸だろう。次作も期待したい。

そうだ。小説を選びに行こう。

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忙しくてもできるだけ小説は読もう。ずいぶん前にそう決めたけど、ここの所あまり読めていない。 忙しいのだ。 今週末はセネガルに向けて出発、来週締切の原稿が2つ、非常勤の準備もある。小説を一日のうちでいつ読むかは忙しさのバロメーターみたいなもんで、それはもしかすると生活の乾き具合にも比例していく。日中に読むという暴挙ができる時は割と生活にゆとりがあるとき、寝る前にしか読めないのは勝手にそうしているときか、それなりに忙しいとき。小説を読みながら寝落ちるのがちょうどいい生活なんだと思う。そして、今は、というとまったく手に着かない。こんな時は仕事の効率も良くない。 でも、調査に出ているときは24時間自分の時間がアンダーコントロールにあるので、比較的いろんな本が読める。できるだけ読み止しの本は持っていかないようにして、たっぷり時間を使って読書もする。前回も1か月で8冊、学術書も3冊ほどあったから、まあまあいいペースで読めた。今回もっていく本も今朝あたりから選んでいる。 でもそういえば小説がなかった。たぶんあんまりいい状態じゃないんだろうな…近日中に何か新しいのを買いに行こうかと思う。 にほんブログ村

澤地久枝『家計簿の中の昭和』

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3月のある日、調査から帰って一乗寺のあたりをブラブラ。「そういえば最近恵文社に行ってなかったな…」と思って立ち寄った時に買った本。 家計簿から昭和史/自分史を語る、という、なんともうらやましい発想力の元で書かれている。物書きの頭の柔らかさ、というのは、こういうところに出てくるのだろう。 あまりマークしていなかった作家だけど、アマゾンをパラパラ見ていると、もっと早く出会いたかったな、と思わせる作品が多い。今度の調査のお供に何冊か買ってみようかな…春樹の新刊はもうちょっと取っておくこととして。

『モンスター』百田尚樹

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最近、映画化が決まったこの作品。僕が読んだ百田尚樹は2冊目。最初に読んだのは『永遠の0』。とても硬派な内容の小説で、語りを紡いでいくスタイルで、この作品もとても期待していた。 もちろん、期待を裏切られるどころか、とても面白くて、エンジンが掛かってくると一気に読まされる魅力に溢れた小説だった。 劣等感とか、コンプレックスとかいう心性を持たない人はいないらしいけど、きっとこういう感情や感覚が紡がれていくのはとても複雑な経験や体験を経ていて、この作品を読みながら、自分の劣等感やコンプレックスがどうやって紡がれてきたのかをずいぶん考えてしまった。 ブサイクをコンプレックスに持つこの話の主人公は如何に「美しく」なるか、というところに異常なまでの執念を燃やすのだけど、「美しく」なることが幼いころに恋い焦がれた人にもう一度会うためという目的と自分を馬鹿にした人に仕返しをしようとする復讐心と「美しく」なること自体が目的になったり… 男性作家が女性を描いているので、果たして女性が共感できる主人公像なのかがわからないので、女は怖い…というところに落ち着いてしまうのだけど。また読んでみたい作家です。

伊坂幸太郎2009『終末のフール』集英社文庫

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先週末、栄のBook Offに初めて足を踏み入れ、『死神の精度』とこの『終末のフール』を購入。『死神の精度』は早々にやっつけ、ここ数日間は『終末のフール』を読んでいた。 伊坂は研究室内でも読者が多いので、飲み会のときのネタになりやすい。とてもスマートな文体だし、仕掛けも面白いので、「文学研究科」の大学院生にとっては、格好の「酒のあて」となる。 構成は8つのプロットで、最初のプロットで全体の前提が敷かれる。5年前に発見された小惑星が、8年後に地球に衝突し、人類が滅亡する、人類全体が残り3年の命と宣告された世界が舞台である。 解説を書いた吉野仁氏が的確に、そして完結に、この小説の見どころを書いているのだが、もっと簡単にしてしまうと、「死」を描くことで「生」、「生きること」の在り方を問う、これが本作品の狙いだろう。吉本隆明が引いたE・キューブラー・ロスの一節を吉野氏が引いている(曾孫引き…すいません)一節から。ロスは「〝死に至る″人間の心の動きを明らかにした」のだが、ほとんどの人は、死を「否認」⇒自分が死ぬことに「怒り」⇒生に執着するために何かにすがり(「取り引き」)⇒何もできなくなり(「抑鬱」)⇒最後に「受容」する、という5段階を経る、という。伊坂はこのロスの〝死に至る″人間の心の動きをたどっている、という。 この物語が始まる前、世界の滅亡が宣言され、殺戮が繰り返され、いわば社会規範自体が崩壊する。しかし、死を「受容」したタイムリミット3年のこの世界では、再び人が人を必要とするようになる。ニーチェあたりを下敷きにしていそうな、死を語り、ポジティブに生き抜かねば、という話なのかと思う。 「明日までしか生きられなかったら、何をするか」、よくカレーとかラーメンを食べる、と答えていたように思うけど、改めて「生きる意味」のようなことを考えてみたくもなった。 深くてさわやか、伊坂作品でも割かし上位にランクづけ。

田中慎弥氏を思う。

ここ数日間、もっとも世間を騒がせているのは、芥川賞を受賞した田中慎弥氏ではないだろうか。石原慎太郎氏との掛け合い、受賞のインタビューなど、ここ数年で記憶にないくらいに盛り上がっている。 さまざまなメディアで報道されているが、日経ビジネスon lineの小田島隆氏の記事( http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120119/226297/?mlp )は白眉だ。残念ながら田中氏の作品は未読で、名前すら今回知ったくらいなので、田中氏がどのような人物かということを知らなければ、芥川賞とか直木賞受賞作など、ブックオフで安ければ買う程度にしか注目もしてこなかったので、いわゆる文壇のこともよう知らない(一応、文学研究科の院生としては恥ずかしい話だが)。 小田島氏によれば、選考委員は任期はなく、「選考にあたるメンバーが、受賞作の販売元となる企業の差し向けた人間のみで構成されており、賞を得た人間が、その文学賞配給企業御用達の選考委員諸氏に対して麗麗たる感謝の言葉を並べている現状」(小田島氏)なのだとか。なんだ、出来レースだったのか…今まで僕の生活にあまり関係がなかったので、関心がなかったけど、なんかガッカリ感がある。 石原都知事のパフォーマンスに田中慎弥氏の応答、石原氏の再応答、順を追ってみていくと、小田島氏の指摘した、文壇自体の問題は非常にリアリティをもっているように感じる。プロレスのような境界的なエンターテイメントなら、ジャッジが演壇に包摂されていてもいざ知らず、小説はせめてガチであってほしい。たとえ、この騒動が実は石原氏と田中氏が仕組んだパフォーマンスだとしても、個人的にとても楽しめたので、これから生協で田中氏の本を買ってみようと思う。受賞作はしばらくして文庫化されてからにさせてもらおうと思うが。

『最悪』奥田英朗 講談社文庫

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サスペンスもの。奥田英朗の作品は初めて読んだ。Book offで購入。鈍行の旅のお供に、ということで、厚手のサスペンス。 3つのバラバラの話が次第に一つに集約されていく。町工場を経営する男性、やんちゃな若者(チンピラ)、銀行に勤める若い女性。3人がそれぞれの日常を生きる中で、本当によくありそうな落とし穴にはまりこんでいく。次第に近づいていく3人の人生、ちょっとしたきっかけで融資を受けられなくなってしまう町工場の経営者が茫然自失で銀行を訪れる、セクハラを受け仕事を辞めることを考える女性、この女性の妹と付き合う若者、そして妹の手引きによって姉が勤める銀行を襲う… かなりボリュームがあるわりに、話の構造自体はそれほど複雑でなく、とてもシンプル。無駄な描写が多くなりそうなもんだけど、かなりスッキリした文体。帰りの鈍行で一気読み。小説世界に逃避したいときにはなかなかいいかも。

『BT63』池井戸潤 講談社文庫

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アフリカでの調査、小説の何冊かは持って行かないとすっかり娯楽を失う。普段なかなか読めないので、大体表紙を見て直感的に買う。そんなわけで、今回も調査前にほかの買い物がてら小説コーナーでなんにも考えずにパパッと小説数冊を購入。しかし、この「BT63」[[[[[下]]]]]と書かれた一冊のみをカバンの中に発見…下巻から読んでも面白くない、と思ってきれいなまま日本に持って帰ってきた。帰ってから上巻を購入し、いざ! 著者の池井戸氏、銀行ミステリーの名手だとか。まだほかの作品を読んでいないので、何とも言えないけど、この本については金融系の話は話の骨格ではそれほど重要ではない。それよりも、構成として面白かったのは、夢の世界と経験したことのない父の記憶が、まったくずれた焦点が次第にあっていくように、話が整合してくところだろう。その意味では少々ファンタジーの臭いすらする。もしかしたら「昭和」の時代を書きたかったのかな、とも思わせる。 決して読んでいて不快な感じはしないのだけど、スッキリしない小説だな、というのが率直な感想。まず、BT63の「63」が何を意味するのか分からない(たぶん、昭和38年の西暦?)。「BT21」というトラックは出てくるけど、どこかで示唆してほしかった。あと、琢磨(息子)の離婚や病気などがどうも話の展開で意味を持たない。結構大事な話のようなのに。 夢の世界と現実世界を行き来する琢磨を「精神病」の設定をすることで、この話にある種の厚みを持たせているのはわかるが、はたして、別に「精神病」であった必要性があっただろうか。銀行出身の筆者の嫌銀行の世界感はわからないでもないけど、逆にわざわざこの設定にしない方がよかったように思う。 そんなわけで、カタルシス不足、話の根拠がよくわからないなど、とても傑作とは思えないけど、読んでもいいかな、という感じ、だということだけは記録しておく。