百田尚樹『海賊とよばれた男』講談社
こういう前置きをすること自体がめんどくさいし、自分のけつの穴の小ささだと思うのですが。ともあれ。
この本、連れ合いに持たされて、半分しぶしぶ持ってきました。しかし、一部の百田氏の書きぶりはともあれ、ベストセラーになるだけはあるな、と思わせました。この小説が出光佐三氏の物語であることは、解説でようやく明かされるのですが、それまでは国岡鐵造という人物が主人公となります。まずは、弱小石油卸商がいくつかの苦難を乗り越えて、日本を代表する企業へと成長していく判官びいきにはしびれる作品であること。豊富な時代の資料に基づいた資料的にも面白いものであること。最近では珍しい明治から戦中戦後にかけてのイケイケな立身出世物語。そして、強烈な父性を持つ主人公、それを裏付ける、終身雇用制どころか、社員(店員)はすべて家族で、家族に馘首がないように店員にも馘首はない、そして定年退職もなしというワーキングプアが当たり前の昨今では想像もできない会社の設定。さらに、それを「日本的」企業や「日本的」社会の原(幻)型として位置づけてみていること。
最後の皮肉はともあれ、上司としての鐵造はそれはそれは魅力的。百田氏がこの小説を通じてどれだけのメッセージを発信しようとしているのかわからないけど、一つの会社という社会を取り上げているのも間違いはないでしょう。上司-部下の関係は、会社を考える上で、とても重要であることは疑いないでしょう。ブラック企業という言葉も定着した感がありますが、はっきり言ってかなりスパルタンな鐵造は決して暴力的な人物として描かれることはありません。ある意味、完全な社長で、それは、一つは鐵蔵のカリスマ性、そしてそのカリスマ性の裏付けとなるような高邁な理想(「個人のことよりも国家のこと」)にこの完全性が回収されていくように読めます。確かに、鐵造の人心掌握スタイルは、部下の能力を能動的に伸ばそうとしていて、どこか、サントリーの佐治信治郎氏の「やってみなはれ」精神的にダブルところがあるし、それでいて強烈に部下を思いやる、父のような社長として描かれます。実際自分の上司だったら…と考えれば、何ともやりやすそうな会社に見えます。
前置いたことと考え合わせれば、たぶん少し突き放して、とても多彩な百田氏の知性と問題意識を楽しむ作品なのかな(個人的にはあまり文章がウマい人には見えなかったのですが)、と思いました。「民族企業」とか、「国家を…!」というところに真面目に付き合うと、前置いたことを繰り返さねばならず、あまり生産的ではないように思うので。
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