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「ワーク・ライフ・バランス」を調節する

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今年度、貴一朗が4年生(高学年)になり、連れ合いの職場が変わり、遠くなったこともあり、帰宅時間が少し遅くなった。特に連れ合いの帰りが18時となったことで、貴一朗の夕飯の時間を調整しなければならなくなったのだけど、いよいよ食べ盛りを迎えつつある少年をあまり待たせて不良少年になってもよくないということで、若干調整のききやすい僕が調整することにした。 これまでは、夕方18時-19時ころまで研究室にいて、それからジムに行ったりして帰ってきていたが、4月以降、ほとんどこのパターンが出来なくなっていた。しかし、ここ何年が現職で勤める中、週末がかなりつぶれてしまうことを考えると、やはりジムに行くくらいしか運動継続は難しい。もちろん、できる限り自転車通勤をしているので、それなりの代謝はあるのだけど、全盛期のそれには比べ物にならない量しか食べなくなったものの、「我が胃衰えず」で、まだまだ健啖の類だ。なので、ジムにいく時間は何とか確保したい… 限られた1日24時間という制限の中、生活を構成する要素をパズルのように当てはめてみる。日中は授業もあり、どうしても自分ではコントロールできない。その一方で、研究に充てる時間は朝だろうが深夜だろうがどうにでもなる。となると、コントロールできるのはジムの時間。ただ、9月まではジムに行けるのが平日土曜夕方のみ。年度明け、前半で試みてみたが、ジムに行けるのはせいぜい土曜日夕方のみ。平日夕飯を作って食べてから、もう一度外出する、というのがどうしても難しかった。そんなわけで、ジムとの契約を変え、10月から出勤前にジムに行く、というパターンに変えてみた。朝活をして爽やかに仕事に向かう、目指せしごデキおじさん。 今のところ… 卒論やらゲスト講師の準備やら原稿やら…今のところ、結局あまり行けておらず、現状維持状態なのだけど、隙間時間は午前中の方が取りやすい、ということは分かったので、あとは自分次第。 最近ちょっと流行ったので、「ワーク・ライフ・バランス」とかつけてみたけど、あんまり関係なかった…

セネガル・プログラム2025 ⑤ とりあえずの区切りとして

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大西洋に日が沈む 2022年、コロナ禍が収束に向かったころから始まったこのプログラム。今年で4回目となった。4年間合わせてもせいぜい20名程度ですが、アフリカに行ったことがないばかりか、初めて海外に行くという学生を連れてユーさんとセネガルを歩いてきた。 セネガルの人びとの溢れんばかりのホスピタリティ、乾燥地特有の軽い空気感、初めて出会う人たちと囲む料理、熱気にあふれるマルシェ、人々のカラフルな着衣…様々な風景を見せることができたのではないかと自負している。セネガル渡航を通して変わった学生も、変わらなかった学生もいて、20人程度とは言え、様々な反応があり、その一つ一つが私の胸には色あせることなく残っている。 実は、所属先のアフリカのプログラムは次々となくなってきている。私が赴任した際の、アフリカの熱はすっかり冷めてしまったようだ。学部の再編に伴い、3か月の留学(海外長期フィールドワーク)も今年度で終わり、何やらこのプログラムも縮小、ないし廃止のような話もでている。それなりの熱量をもって、毎年2-3か月の準備を重ねてプログラムを練り、安全面でも相当の配慮をして、学生がプログラムに集中しつつ、リラックスした状態でアフリカに接することができる機会を作る努力を重ねてきた。こんな使い方でよいのかわからないが、こんな話が出てくること自体が、「遺憾」である。ただ、どこかでこの経験やらが続いていけばよくて、私の所属先のことは、まあ大したことではない。一つの大学のアフリカ・プログラムがなくなる、というだけの問題である。 しかし、改めて、学生をアフリカに連れていく、ということの意味を考えさせられる。はっきり言って、相変わらず、体調を壊したり事故に遭うリスクは圧倒的に高い(犯罪リスクは小さいと思っているが)し、安全性に気を配るほど金もかかる。それでも、今だからこそアフリカに行っておくべきだ、ということは強く感じている。 僕らが大学生のころ、アフリカは「貧困」とイコールで結ばれていた。今や、我われはそんな一次方程式では理解しなくなったし、アフリカが世界に与える影響力は、実質的なできなくなった。僕らが「バックパッカー」という、冒険家まがいのことは、もしかすると、以前以上に「金持ちの道楽」になっていくかもしれない。そして、サハラ砂漠でも電波がある昨今、ラクダにまたがって砂漠を遊動する、という旅は...

会社と上司

連れ合いが就職活動で苦戦している。 面接の様子を聞くに、小説で読むようなどうしようもない面接官ばかり…昨日など、有限会社の理事長が「徹夜仕事があることがあるけど、残業代は出さない。それでもやる人でないと取らない」という内容を「説明会」で話したとか。絵にかいたような「ブラック企業」」だ。 ここ何年か(ミーハーでないことを自慢してみる)池井戸潤の諸作品を読んでいるけど、この人の小説に出てくる上司もとてもステレオタイプな人が多い。順法意識が薄弱だけど、家庭は大事…という上司キャラクターが多い。 僕も4年間と短い間だけど、何人か漫画に出てきそうな上司にであった。入社早々、激しく虚勢を張ったほかの部の長を見て笑いをこらえるのが大変だったのはとても懐かしい。体が埋もれそうなデカい革の椅子に埋もれて葉巻を吸い、タバコを吸っていたほかの社員に「そんな臭いものを吸うな!」と怒鳴り散らす。威張りたいのはいいけど、もうちょっとカッコよく威張れよ、と心の中で思った。でも、大方の上司は逆にいい意味でマンガに出てきそうな人たちだった。「ガンガンやれよ。やるだけやって失敗したらケツは持ってやる」というありがたい上司が多かった。仕事に失敗すると、ほかの課の上司、先輩が飲みにつれて行ってくれた。今の上司も含め、何人かの上司に使えたけど、不思議と連れ合いが出会ったような人には出会ったことがない。運がいいだけかはたまた… そんなわけで、僕は社会(会社)というのは、いろんな人がいることでバランス取れているように思っていたけど、どうもそうでもないらしい、ということがわかってきた。僕がいたのが、船会社。割と荒々しい業界で、連れ合いが受けているのが教育系、割とお上品そうなのに、後者の方が品がないことをおっしゃる。こんなんでちゃんと「教育」できるのか?ちょっとひどすぎるので、レコーダーを貸してやろうと思う。