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【業績】月刊「地理」2026年3月号 「西アフリカ半乾燥地の都市と農村の食─伝統と近代が混交する食卓」(特集 アフリカの食文化 変わる都市と農村の食)

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  おそらく今年度最後の業績です。またまた食文化に関する短報ですが、中高の社会科の先生方がよく読まれる、という月刊「地理」への寄稿となり、まだまだマイナーなアフリカの食文化研究を広く読んでいただける、というのは大変意義深いことです。 このお話をいただいた時、実はかなり途方に暮れていました。今年度だけで、6本(現在7本目の原稿を書いています)の食文化ネタ。さすがにネタが尽きているように思いました。ただ、「都市と農村」という補助線が入ったことで、書き進めるうちに次第にイメージができていき、自分自身としては、かなりお気に入りの原稿になりました。 今回書いたのは、またまた「スンバラメシ」のことなのですが、スンバラメシの要素を大まかに分解すると、比較的新しい食材であるコメと、伝統的な食材であるスンバラで構成されるわけですが、この出会い(マリアージュ、で合ってるのか?)がブルキナファソの食文化に大きな影響を与えている。編者の藤岡さん、藤本さんには、「都市と農村で差異を伴いながら交流し、多様な食材が行き交うなかで、新たな食文化が育まれている。グローバル化という枠組みだけではとらえることができない、よりダイナミックな展開が生じている」(18‐19)と解説していただいています。この原稿を書く上で、特に勉強したのは、ブルキナファソの米の供給と消費のことでした。統計資料を見ていると、やはり、ある時期から供給も消費も大きく伸びていることが分かり、現在ではかなり手に入りやすくなっているのがわかり、この地域の食文化における米の位置づけが確認できたのは、今後の研究にも寄与しそうです。 ご関心のある方はぜひともお目通しください。 ※詳細は以下の古今書院さんのWebから! https://www.kokon.co.jp/book/b673699.html

【出版】山田肖子・溝辺泰雄(編)2025『【第2版】ガーナを知るための57章』明石書店

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  2024年後半のある日。長らくお世話になっている山田先生からメールが来ました。メールの内容は、ガーナの食文化についての執筆依頼。もちろん、山田先生は私がガーナのお隣を専門としていることはよくご存知で、私はもちろん「ガーナには何度か行ったことはありますが、私よりはるかによくご存知の方がいらっしゃるはず…」とお返ししたのですが、「清水さんの文体がいいからぜひとも」とお返事をいただき、そこまで言っていただけるなら!ということで、お受けすることに。 ところが、これからガーナに行くにも、海外調査に行くような研究費は使い切る目途が立っていたため、日本国内で調査をすることにした。その日から、ガーナレストランを探し始めた…というストーリーではなく、その少し前に知己を得た、 比呂啓さん のことや、比呂さんが自費で出された本のことが頭にあって、何となくガーナ料理を実地で勉強する目途は立っていた、というのもお受けしようと思った背景にありました。 ただ、ガーナに行ったのは2014年が最後。しかも国際学会で食べ歩きができたわけでもないし、家庭料理など(今でも)全くわからない。しかし、お引き受けした以上はガーナ料理を勉強せねば、ということで突貫工事を始めたわけです。何軒かのレストランを訪れた中で、 Amaging Grace に照準を定め、集中的に5回ほど伺いました。お店の方は話しかければ、話せるが、向こうから話かけてくれるわけではないので、少しずつ馴らしていくように、3回目にこちらの顔を見て、お店の人がにっこりしたタイミングでちょっと話をしてみる。4回目に30分くらいおしゃべりをして、ようやく聞き取りができるようになる。ある程度原稿が出来上がり、5回目の訪問で足りない情報を聞き取り、おなかも頭もいっぱいで書き上げる…現地で少し食べ歩きたかったし、もう少し聞き取りもしたかった… 書いた後でなんですが、この後、ガーナに行く機会、何度あるかしら。行ったらぜひに食べ歩きをしたいものです。 目次、執筆者等の情報は以下の明石書店さんのウェブサイトからどうぞ。 https://www.akashi.co.jp/book/b670136.html

2025年度 今年度やること

すでに4月も過ぎ、GWに差し掛かっていますが、今年度の目標というか、Todoというか、これからこんなん出ますなども。元気に仕事してます、報告です。 【研究】  昨年度いっぱいで自分の科研費が終了。また、分担者としてかかわっていたものもいったん終了しました。残念ながら、萌芽研究しか出せなかった自分の科研費は不採択でしたが、二つの科研費プロジェクトの分担者としてお誘いいただき、研究者としては研究が続けられることになりました。一つは、「 ポスト世俗時代における地域間比較宗教学に向けてー複眼的世界像の構築と分析 」(基盤研究(A)、代表者:伊達聖伸)、もう一つが「 イスラーム教育と世俗の越境・融解:ムスリム側から描く「ポスト世俗 」(基盤(A)、代表者:日下部達哉)です。この二つはそれぞれのテーマに沿った海外調査がメインです。このほか、学内の「個人研究奨励費」というのをいただきましたが、こちらは在日アフリカ人調査に充てる予定にしています。 一応、調査については、こんな感じで目途が立ちました。で、「いっぱい書きます」は宣言しておきます。まず「書きました」は2.5冊ほどあります。いずれも明石書店のエリアスタディーズシリーズですが、『食文化からアフリカを知るための…』『ガーナを知る…』『ブルキナファソを知る…』と寄稿しました。この辺は年度内には必ず出版します。 そして、現在書いているもの、書き出したものです。まず、昨年度までの科研費の成果出版の目途を立てる(原稿を出す)こと、日下部科研の先行プロジェクトの成果発表の原稿(2本)が大きめのお仕事です。このほか、『ブラック・ディアスポラ事典』の編集委員を仰せつかっており、2027年度出版を目指し、打ち合わせを行っているところです。そしてそして、これだけ受けておいて大丈夫か?!ですが、博論、何とか今年度こそ目途を付けます。 【教育面での目標】 昨年度は、グローバルスタディーズ学科が一巡し、無事に1期生が巣立っていきました。我われも授業が一巡し、ベースが固まってきました。今年度は新たな講義資料を作成する必要はないのですが、来年度からの本格的な学部再編を前に、いくつかの準備をせねばなりません。講義科目は、大きくフィールドワーク関連科目、比較社会学、子ども学概論というのを担当していますが、文化人類学の近接科目でもある比較社会学の充実化...

『子どもたちの生きるアフリカ』ようやく刊行!

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新刊と「とうちゃん、頑張ったね」?by きい 2014年に構想を立て始めた「アフリカ子ども学」の本。3年半の月日を経て、ようやく発売になりました。 17人のアフリカ研究者による力作ぞろいで、17通りの視点からアフリカの子どもを描きました。この本の主眼は、「アフリカの多様性に関する正確な理解を促すこと」(はじめにⅰ)、「多様なアフリカの各地で生まれ育つ子どもたちの現実を学ぶこと」(はじめにⅱ)ということです。そして、「子ども=弱者」、「アフリカ=貧困」という従来的な枠組みに陥らないこと、これも私たちが強く望んだことです。もちろん、こうした図式を、最近はやりの「排除」してしまうことは、逆の意味で誤った記述を導いてしまうので、これらの図式を含みこんだ現実を書き込もうと思いました。 ご予約は アマゾン 、 昭和堂 さん(クリックするとそれぞれのページに飛びます)からどうぞ。すでに印刷が終わっていますので、それほど時間はかからないと思います。 にほんブログ村 にほんブログ村

広島大学大学院総合科学研究科(編)2016『世界の高等教育の改革と教養教育-フンボルトの悪夢』丸善出版

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執筆者の長坂格先生よりご恵投いただきました。 ここ数年間、西アフリカの「伝統的な」初等教育に当たるクルアーン学校を集中的に追ってきたものの、こうした研究活動を行ってきたのは、間違いなく高等教育機関である大学や、研究所だった。我われが置かれた場がどのようなところなのか。 年配の先生方の昔語りを聞いていると、非常におおらかで、たっぷり知識や人間を熟成させる時間があった時代があり、きっと僕はこうした先生方の語りをギリギリで経験できていいたのかもしれない。たとえば、加藤典洋という先生が母校にいたのだけど、この先生の部屋は確か鍵をかけていなかった。加藤先生の部屋には、壁にびっしりと文庫本があり、ソファにはゼミ生たちが座り込んで議論したり、本を読んだり。冷蔵庫にいつもビールがあって、僕が初めて加藤先生の研究室を訪れたときには、ゼミ生が場慣れした感じでビールを差し出されたのを覚えている。また、勝俣先生やらはよく居酒屋で会ったし、学生たちは金もないのに、よく飲んだ。少し基礎学力の弱い大学だったけど、ドゥルーズ+ガタリの分厚い単行本を「持っている」のがステイタス・シンボルだったり、この本で言われる「教養」に近いものの中にどっぷりとつかっていたような気がする。 しかし、きっと、この本で「教養」と呼ばれているものと、当時、僕がそう思っていた「教養」はかなり異なっているのだろう。フンボルトは「自由に研究を進めて批判的思考」する学生が育つことを夢見た。しかし、90年代に入り、バブルがはじけるころには、教養よりも、実学に重点が移っていく。ドゥルーズ+ガタリの本を持つことがステイタス・シンボルだった一方で、ハウトゥ(マニュアル)本に手を出す人も多かった気がする。 そして現在、非常勤講師などで見ていると、やはり本を読む機会が少なくなってきている気がする。もしかすると、電子書籍など、読み方が変わっただけかもしれないけど。また、本以上にコミュニケーション自体がずいぶん少なくなってきている気がする。こういう、教養を醸成する環境が次第に少なくなりつつある。 最後にメモ的に。ヨーロッパの大学の連携を推進する「ボローニャ宣言」および、そのプロセス。経済的な連合体であるEUにとって大きな舵なようだ。最近、ライシテの問題に関心があるのだけど、教育の地域連合的なビジョンは、ライシテの原則と...

内海成治[編]2016『新版 国際協力論を学ぶ人のために』世界思想社

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編者の内海先生よりご献本いただきました。 人類学に軸足を置くようになってから、こうした、「国際協力」の本からは自然に縁遠くなってしまった。数年前から参加させていただいている、アフリカ教育研究フォーラムの雑誌でも、人類学者が論文を書いているし、僕自身も最近なんとか掲載してもらえるようにしようと、準備をしつつある。目次を拝見して、やはりもう少しこうした分野も読まねば、という思いを強くした次第。 改めて90年代後半から20年間、しっかりこの分野のレビューに本書の内容に助けていただこうと思っています。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村

森壮也(編)2016『アフリカの「障害と開発」』アジア経済研究所

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筆者の亀井伸孝先生よりご恵投いただきました。 何度かセネガルにご一緒して、その調査のご様子(そして、本書の原稿をご苦労してご準備されているご様子も)を存じ上げておりますので、拝読するのが楽しみです。 当然のことながら、「障害」を持って生まれた、もしくは、「障害」を負った方はこれまでずっと存在したわけですが、「障害」に注目した研究も実践もまだまだ「新しい」トピック。アフリカという広い大陸を「文化人類学、法学、言語学、開発学といった様々なディシプリンを背景として」(まえがき)網羅的に扱った書は初めてではないでしょうか。もちろん、これがすべてではありません。この書が「障害」という、ようやく注目され始めたテーマのスタート地点となり、ますます研究が進みますように。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村

田中樹・石川智士・清水貴夫・遠藤仁(編)『人びとと出会い考える-総合地球環境学研究所TD座談会記録-』

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2014年後半に開催した座談会の記録がようやく出来ました。僕のパートは、「第四部 自らに問う 表現することの可能性と限界-表現者と社会をつなぐもの」というところで、3回の座談会を纏めました。1回目が山形豪さん(自然写真家)と山中章子さん(フリージャーナリスト)、2回目が村上宏治さん(写真家)と麻生祥代さん(写真家)、3回目が小松義夫さん(写真家)と松崎美和子さん(フリーライター)でした。 トランス・ディシプリナリティ(TD)という、わけのわからない概念を、我われ研究者と同じ表現者との対談から考え直してみようという企画です。企画者としては、ざっくばらんに科学者批判も出たし、そこから地球研が大上段から提唱するTDが、すでにいろんなところで語られているいろいろな考え方の焼き増し(さらに言えば劣化版)であることは指摘し、さらに、もう一度足元を見直して考え直すことを提唱できたかと思います。所内でもおそらくは対して読まれないと思いますが、真正面から議論できれば、面白い話になったのではないかと思います。 部数に限りはありますが、ご希望の方にはお送りいたしますので、メッセージから送り先をお知らせください。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村

想田和弘2011『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』講談社_760円(税別)

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研究室の同僚に勧められた、想田和弘氏の映画、『牡蠣工場』(2月公開)。想田氏のHPを見ていると、「観察映画」という、なんとも好奇心をそそるタームが。しかも、何冊も本を書かれているし、ドュメンタリーをかなりたくさん撮られている。そんなわけで、映画の前に、まずは本から、と思い、この本に手を出してみた。 人類学にも「映像人類学」というのがあり、映像人類学とドキュメンタリーの境界はどこにあるのか、ということは、ずっと疑問に思っていたこと。今更な疑問なのかもしれないが、機会があるたびに映像人類学者には尋ねてきて、今のところ、すっきりと疑問が解決した、ということはない。しかし、この本で逆側(ドキュメンタリー作家側)から行われる言明は、この疑問をますます深めた。これは、とても良いことで、ドキュメンタリー作家が人類学に接近してきている、ということがよく分かった。 まず、想田氏は、ドキュメンタリーが客観的な表現をしている、ということを真っ向から否定する。前もってテーマを決めない、スタディーしない、という制作の態度は、とても興味深い。人類学なら、逆にありえない話だ。ただ、そのために台本を作らない、想田氏はそのように語る。まず、台本を作らなくてもよくなった、そのことを次のように語る。 「デジタル革命は、それまではワイズマンなどひと握りの超エリート作家だけが作れるものであったドキュメンタリー映画を"民主化"すると同時に、作品の製作過程や方法論を"自由化"したと言えるのである。それは、ドキュメンタリー映画のみならず、広く劇映画にも波及した革命」(60) 台本を必要とした、過去のドキュメンタリー製作過程⇒技術革新による長回しが可能になったことで低コストで長い映像が取れるようになり、台本自体が必要不可欠ではなくなったということである。この前提があって、想田氏の「観察映画」が成立する。 「しかし彼の状況を説明するために、「知的障害」とか、「発話に何らかの障害」とか「足に障害」と表現した瞬間に、植月さんは規制の「障害者」というイメージに押し込められてしまう危険がある。言葉=理解の枠組み=我々の思考回路そのものだからだ。だからこそ、そうした表現を使わずにこの原稿を書くのは、実際には難しい。ジレンマである。  逆に言うと、映像にはそのよ...

パオロ・マッツァリーノ2007『つっこみ力』ちくま書房

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「つっこみ力」?漫才の話しか?と思いきや、メディア・リタレシーの話でした(やはり漫才の話もでてくるのだけど)。 パオロ・マッツァリーノというペンネームの方が書かれていますが、本当のイタリア人ではなく社会学者の内藤朝雄さんという説が多いみたい。でも売れっ子はつらいですね。とあるブログに、社会学用語を使えないパオロ・マッツァリーノは社会学ではない、みたいなことを書かれていたり(こんな用語使ってみろ!、という、なんとも嫌な感じのブログ)。もちろん、中の人はちゃんとした社会学者だし、読んでみると分かるんだけど、わざわざジャーゴンを避けて、平易な言葉回しに細心の注意を払われている。まあ、やっかみだかなんだか分からないけど、上記の批判をするのは、修士課程に入りたての、「俺知ってるよ」を振り回したい人たちなのでしょう。 この手の本は、手元に谷岡一朗『「社会調査」のウソ リサーチ・リタレシーのすすめ』やら、結構何冊も持っています。なんでたくさん持っているか、というと、偉そうに書かれた国際機関や学者の本やデータへの疑いが今の僕の関心領域に進ませた理由だからです。僕が大学生のころに実際に目の当たりにしたアフリカとこうした本に書かれていたアフリカの姿がどうしても同じものには見られなかった、また、そのあとも、「貧しい」ところで活動をしているはずのNGOやJICAが実際には、かなり守られたところで活動していて、そして、現地(多くの場合、「開発途上国」)の状況を伝える人たちが、それなりのバイアス(貧しいとか、かわいそうとか)を大いに加えて書き、語ることに疑問、というか、こう書く人たちに人格的な疑念をもった、こんな経験が根っこのところにあります。 パオロ・マッツァリーノさんは、つっこみには「愛と勇気とお笑い」が必要だという。 「つっこみは、批判や否定とは根本的に異なるんだってことをわかっていただくことが、大事です。ボケのいうことを完膚無きまでに否定してしまったら、台無しですよね。つっこみは、ボケの論理の歪みを指摘しつつも、それを否定・批判するのでなく、逆に盛り上げなきゃいけないんです。ボケのおもしろさを世間にアピールしなければなりません。  メディアリタレシーや論理力がなかなか受け入れられないのは、それを使う人たちの態度が間違っているからなんです。そこにあるのは容赦のな...

『世界のともだち 貝がらの島のマドレーヌ』小松義男, 偕成社 2015年10月

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北海道から戻ってくると、この本が届いていた。写真家の小松義男さんの新刊です。 もちろん子供向けの本なので、15分もあれば端から端まで読めるのだけど、子どもの生活がしっかり詰まっている。学校、食事、手伝い、遊び…こういう作品は僕らの参考文献には出てこないけど、僕らの目指すところと大きく共有できる。実に学ぶところが多いのだ。 まだ出てないけど、小松さんのほか3人の写真家との座談会、年度内に出る予定ですので、またこちらも告知したいと思います。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村

速水健朗2013『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』朝日新聞出版

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速水健朗さんの作品第2弾。先日の『ラーメンと愛国』に続く食文化シリーズ。 前回のようにメモ書きはしませんが、こっちはえらく文字も大きく、さらさらっと読める。 この本の中でも言われているけど、左翼と右翼というのは、それぞれにどんな整合性があるのやらだんだんよくわからなくなるけど、というほどにどっちがどっちでもよいということ。でも、この本の中では、おもしろいマトリックスがあるし、それに左右の考え方をくっつけたときになかなか面白い分析ができるのだ、ということがわかる。 こんな雑駁な感想で申し訳ないのだけど、このキャリアと容貌で、この人がジロリアンだったら、ちょっと意外な感じがしてしまう。 「もっと日常や生活、そして消費などの延長線上に生じるものとしての政治の話を書いてみたかった」(204) ということが何度か繰り返されるのだけど、この問題意識や善し。意識せずとも広義の政治には加担している、ということを僕らに語り掛けてくれるのは、ここのところの「政治」に嫌気がさしてきた僕の耳にもとても心地よい。 ぜひ小旅行にでもお持ちいただきたい一冊です。

速水健朗2011『ラーメンと愛国』講談社

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ずいぶん前に知人から勧められていた本書。タイトルは「ラーメンと愛国?どうつなげるんだろう」と関心をひくものです。 速水健朗さんの本は『1995』に続き2冊目。速水さんは僕と同世代で、『1995』などもそうですが、彼が書くことにはとてもリアリティを持って読むことができる。かなり筆の早い人で(僕との比較なので、羨みやらたくさん感情がこもっています。為念)、40歳前後で新書を相当数だしています。●●学者ではないですが、僕らの世代の大切な語り部だと思っています。 ちなみに、特にこの本を批判される方が多いのですが、ここではそこは置いておきます。 それでは、簡単に本書の内容を。 乱暴に本書の流れを纏めてみよう。中国料理のはずだった「ラーメン」がいかに日本に受け入れられ、国民食にまで昇華されたのかというプロセスを追いながら、このプロセスは戦後のアメリカのライフスタイル志向から、「日本的なるもの」への志向への回帰とも密接に結びつきながら展開していったことを示していく。「日本的なる物」は、必ずしも日本古来の真なる伝統は必要ない。つまり、真なる伝統を突き詰めてきたと考えられるナショナリズムではなく、趣味的共同体としてのナショナリズムこそが僕ら(90年代頃に社会に参加し始めた年代)のナショナルなアイデンティティなのだ。 ちなみに、個人的にラーメンは好きだが、体調のことを考え、週1回以下にしているし、以前に比べたら、かなり頻度は減った。しかし、5章あたりで紹介されているラーメン屋は大概暖簾をくぐったことはあるので、なりにすきなのでしょう。 この人の本はデータが豊富で、面白い話題がふんだんに盛り込まれているので、そんなのも含めて章毎のまとめをしながらメモを残しておきたい。長文というか、一応、文脈を意識しながらメモしたが、断片的ではあるので、 第1章 ・第二次大戦後、日本は食糧難に陥るが、アメリカからの「ララ物資」により最悪の時代を乗り切る。しかし、この「ララ物資」は純粋に日本を救済するためのものではなく、大戦期に生産力をつけすぎたアメリカ国内の小麦農家の生産物の逃げ場所として利用された側面がある。 ・こうした小麦は、「粉食奨励費」や学校給食を通じて、日本に浸透していく。 ・従来、米食に固執してきた日本の国民が、なぜこうした小麦食に傾倒していくのか。敗...

京都の本屋の新たな展開

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20150915閲覧、http://lmaga.jp/blog/news/2015/09/seikosha_horibesan.html 今朝、こんな記事を見つけた。我が家から徒歩なら10分強、チャリなら5分、そして僕の通っているスポーツジムの向かい側。恵文社という本屋の店長さんが独立するという。 職業柄、本屋は嫌でも時々は足を踏み入れる。確かに、アマゾンなどなどのせいで以前に比べれば回数は減ったが、それでも、日本にいれば、毎月数回は古本屋なり、大き目の本屋なりは仕事の一貫としていかねばならない。 4年前に京都に引っ越してきたときに、知人に「一乗寺あたり」というと、美味しいたこ焼き屋があることとラーメン街であることと、この本屋があることを教えてもらった。確かすぐには行かなかったが、しばらくしていってみると、実にお洒落な内外観に、草食系というか、山ガール的な、人畜無害そうだけど、それなりにクセのありそうな(失礼。ほめ言葉なのですが…)店員さんたち、そして何より、これでもかというほどのマニアックなラインナップ。東京なら、下北の端っこでやってそうな感じ、そんなイメージを持っていた。 ただ、レヴィ=ストロースなんかも、「構造主義」という枠組みで扱っているようで、多少なり専門領域に引っかかる本があるものの、僕としては、あまり使い勝手のよい本屋ではない。でも、考えの幅を少し広げたいな、と思ったときには実に面白い。 ともあれ、これまで15年間、この店をリードしてきた店長さんが独立されるとのこと。恵文社の方は十分に軌道に乗っているとは思うので、これはこれで維持してもらい、新たな本屋の方に期待したい。これだけ本屋がやっていけない時期に、新たな本屋を始めるというのは、とても大変なことだと思うし、逆に店長さんの自信の表れでもあろうかと思う。 11月に開店とのこと。 20150915閲覧、http://lmaga.jp/blog/news/2015/04/gakesyoboutohohoho.html うちの近くには、もう一軒有名な本屋がある(った)。ガケ書房という、北白川にある本屋なのだけど、車が突き出た、妙な外観の本屋で、初めて見たときは「何屋??」と思った。これは過去形で、今年の4月に北白川から浄土寺の方に店舗を移転。社名も「ホホホ座」と変...

小松義夫(でいいのかな?) 2006 INAXライブノート001『土と水のドナウ紀行 小松義夫&衛子 記憶のへの旅・ルーマニア』

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写真家の小松義夫さんからご恵贈いただきました。ありがとうございます。 昨年11月に行った座談会でたっぷり2時間ほどご自身の写真家になった経緯、写真観というか、人生観を伺いました。上がってきたテープ起こしの原稿を読みながら、何度も小松さんの語り口が思い出され、とても楽しい作業になりました。 とりあえず初稿をあげ、座談会に参加された皆さんにそのご報告をしたところ、「補足」に、ということでお送りいただきました。 まず見た目、ライブ「ノート」なんですね。本当にノート、スクラップブックみたいな装丁なのが目を引く。そして、中身ですが、最初に小松夫妻が1960年代にルーマニアを回ったときの回顧録、現在のルーマニア周遊の際の写真、そして、同行したライターによる小松さんご夫婦との旅行記、という珍しいつくりです。写真家が一人称で語られたり、観察され撮影され、また、写真家も撮影する、というように、構成的に見ても面白いです。 朝からドナウの写真でほっこり。仕事を忘れそうです。 にほんブログ村 にほんブログ村

原武史2012『レッドアローとスターハウス もうひとつの戦後思想史』新潮社

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原武史さんは僕の母校で教鞭をとっている。確か、僕が卒業するのと着任されたのがそれほど違わないので、実際にお目にかかったことはないが、その後の後輩からの情報では「右翼」という声が聞こえてきた。校風として逆側の人ならよくわかるが、なんでまた…ということを思ったことを覚えている。しかし、それから10年ほど経って、『滝山コミューン』を読んだ。これは大学院の後輩がフィールドに滝山団地を選んだからで、なんとなくよくわからないけど、なんで多摩にそんなもんがあるんだ、と不思議に思って手に取った本だった。まあ、もちろん、原武史さんが右翼でもなんでもないことはその本を読んでよくわかったのだが(きっと天皇制のことを嫌悪せずに正面から取り組んでいたので、そういわれたのかもしれない)。 ともあれ。この本を読んで、この人のデータ・マニアぶりは改めて驚いた。本当によく調べているし、そもそも、空間と政治思想史をくっつけようとしたその着想、これは読み進めていくうちに、「なるほど」と思わせる節がいたるところに出てくるのだが、とにかく地道なデータ収集の中からその地域の住民の思想的傾向をあぶりだしていく。そして、ロシア(旧ソビエトとして)、アメリカの空間構成と西武線沿線と中央線沿線を対比させて思想的傾向をあぶりだしていく手法は実に興味深かった。着想を温めてデータで固め、空間を眺めるという作業をどれくらい繰り返したのだろう。 ただ、少し気になったのが、住空間の構成とそこで醸成される思想というのが、どれほど因果関係があるのか。社会運動が起こりやすい空間というのがあるのだろうか。そんな疑問は残った。これはまた違う分野の仕事、なのかな? しかし、また手に取ってみたいと思わせる作家さんでした。 にほんブログ村

藤原章生2005『絵葉書にされた少年』集英社

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昨年の秋に行った座談会で紹介された本。何度か筆者の藤原さんという記者とは顔を合わせたことがあって、座談会のときのお一人は彼の元部下でした。 ともあれ、この本を新聞記者が書いた、ということがとても意義深い。新聞記事を読んでいると、記者の顔が見えてくることはなかなかないが、この本には、情報を伝える側の藤原さんの自分のレゾン・デートル(存在意義)への疑問や苦悩がひしひしと伝わってくる。それだけではなくて、おそらく、ふとした喜びも。 メモ程度にいくつか気になった箇所を抜き出してみた。まず、後半の「お前は自分のことしか考えていない」から。 「九〇年代の初め、アフリカの取材から戻った同僚の女性が、新聞に使う写真を選んでくれと私にたずねた。  一枚は乳児を腰に抱え水瓶を頭にのせた女性がカメラの方をチラッと振り返っている全身写真で、女性の民族衣装のピンクとバックの薄ぼんやりとしたサバンナの緑、赤土がきれいだった。  もう一枚は、丸顔の乳児が目に涙をため泣き叫んでいる写真で、少しピントがずれていた。その子は母親に抱かれているようだが、アップ写真なので背景はよくわからない。  「こっちに決まってますよ」と迷わず前者を選んだが、結局、後者が選ばれた。そして新聞を見ると、「貧困、最大の犠牲者は子供たち」という確かそんな内容の記事のわきに、その赤ん坊の写真が使われていた。難民救済のためのチャリティ企画だったため、こうした記事が必要だったのだろう。しかし、添えられた絵はあくまでも普通の子供の写真である。むずかって鼻をたらして泣いている。日本のどこにでもいるような赤ん坊の写真をそこに貼り付けても何ら変わることはない。ただ、一点違うとすれば、その子の肌の色がかなり茶色いことだ。」(212-213) この一節は、僕が人類学を始めるきっかけになった、とあるジャーナリストとのやり取りと通底する。具体的なエピソードは省くが、あるコンテクストに沿って左右される周辺の情報。ジャーナリズム、しいてはアカデミックな言説までこうした構造の中で創られる。別の個所でも、こんな風なことが述べられている。 「やっかいなのは、はっきりと言い切れないことに、意味づけを求める人が結構いることだ。自分で納得できないことは胸の奥につかえる。なら、いっそのこと「これはこ...

西川芳昭・木全洋一郎・辰巳佳寿子(編)2012『国境をこえた地域づくり グローカルな絆が生まれた瞬間』新評論

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連投です。こちらも西川先生よりご恵贈いただきました。 妄想ですが、少し国内の仕事のことをお話していたら、国際開発と日本の地域問題の関連性を書かれた本をお持ちとのことで、いただきました。地球研の若手企画にいい本なように思います。こちらも近々に勉強させていただきたいと思います。 この本の出版元の新評論の社長さんは龍谷大学ご出身とのことで、この本は社長さん自らが陣頭指揮をとられたとか。大変力の入った編集だったとのことで、編者が呼び出されて「読者のことを考えなさい」と叱られたという逸話を伺いました。出版社、編者の力作であることは、この逸話からも明らか。益々読ませていただくのが楽しみになるお話でした。 にほんブログ村