速水健朗2011『ラーメンと愛国』講談社
ずいぶん前に知人から勧められていた本書。タイトルは「ラーメンと愛国?どうつなげるんだろう」と関心をひくものです。
速水健朗さんの本は『1995』に続き2冊目。速水さんは僕と同世代で、『1995』などもそうですが、彼が書くことにはとてもリアリティを持って読むことができる。かなり筆の早い人で(僕との比較なので、羨みやらたくさん感情がこもっています。為念)、40歳前後で新書を相当数だしています。●●学者ではないですが、僕らの世代の大切な語り部だと思っています。
ちなみに、特にこの本を批判される方が多いのですが、ここではそこは置いておきます。
それでは、簡単に本書の内容を。
乱暴に本書の流れを纏めてみよう。中国料理のはずだった「ラーメン」がいかに日本に受け入れられ、国民食にまで昇華されたのかというプロセスを追いながら、このプロセスは戦後のアメリカのライフスタイル志向から、「日本的なるもの」への志向への回帰とも密接に結びつきながら展開していったことを示していく。「日本的なる物」は、必ずしも日本古来の真なる伝統は必要ない。つまり、真なる伝統を突き詰めてきたと考えられるナショナリズムではなく、趣味的共同体としてのナショナリズムこそが僕ら(90年代頃に社会に参加し始めた年代)のナショナルなアイデンティティなのだ。
ちなみに、個人的にラーメンは好きだが、体調のことを考え、週1回以下にしているし、以前に比べたら、かなり頻度は減った。しかし、5章あたりで紹介されているラーメン屋は大概暖簾をくぐったことはあるので、なりにすきなのでしょう。
この人の本はデータが豊富で、面白い話題がふんだんに盛り込まれているので、そんなのも含めて章毎のまとめをしながらメモを残しておきたい。長文というか、一応、文脈を意識しながらメモしたが、断片的ではあるので、
第1章
・第二次大戦後、日本は食糧難に陥るが、アメリカからの「ララ物資」により最悪の時代を乗り切る。しかし、この「ララ物資」は純粋に日本を救済するためのものではなく、大戦期に生産力をつけすぎたアメリカ国内の小麦農家の生産物の逃げ場所として利用された側面がある。
・こうした小麦は、「粉食奨励費」や学校給食を通じて、日本に浸透していく。
・従来、米食に固執してきた日本の国民が、なぜこうした小麦食に傾倒していくのか。敗戦によるアイデンティティ・クライシス、また、日本人が粉食を主とする欧米人に体格的に劣っていることへ反省など。
・のちにチキンラーメンを作る安藤百福は、戦後直後に「支那ソバ」に行列を作る人々を目の辺りにし、「工業生産によるラーメン」を作ることを誓う。同じ小麦食でも、東洋に根付く麺に着目する。ちなみに、安藤は日帝時代の台湾の出身であったため、日本の伝統的に食されたうどんではなく、東洋にまで視野を広げた支那ソバが選択された。
第2章
・戦後復興→大量生産/経済発展/大量生産(アメリカ式製造方式/フォーディズム)
・第二次世界大戦→戦後の日本において、デミングの統計学や品質管理の手法を学ぶことで、日本の生産力の成長が促された。
チキンラーメンの安藤百福:オートメーション化
・大量消費される場としてのスーパーマーケット(50年代の「紀伊国屋」(高級志向)、「主婦の店ダイエー」(庶民向け))など流通インフラの整備が整ったことにある。
→チキンラーメンがヒットした理由は流通インフラ
・チキンラーメンが日本の食生活を大きく変えたように、アメリカ人の食生活を変えたインスタント食品にコーンフレークがある。コーンフレークは、終末論的な新興宗教(セブンスデー・アドベンティスト派)の健康改善療養所の所長を務めていたケロッグ博士が考案。禁欲を旨とするこの宗派の宗教的理想を達成すべく、性欲を抑制に効果があると考えられていた全粒食品を、博士が開発したフレーク加工技術を使って実現した。しかし、事務長を務めていた、ケロッグ博士の弟が商品化、その際に砂糖をまぶすことを発案したが、性欲を促進すると考えられていた砂糖を使うことに激怒。兄の怒りを買いながらも弟は商品化を決行、大ヒット商品となった。
・百福はテレビによる宣伝にこだわる。1953年に放送が始まったばかりのテレビ58年のチキンラーメン発売当初から広告を打つ。また、子供向け番組を提供し、子どもへのアピールに力を入れた。この結果、「支那そば」「中華そば」と呼ばれていたものが、「ラーメン」に置き換わった。
第3章
・その後、さまざまなメディアに登場するラーメン。ホームドラマ、『渡る世間は鬼ばかり』の舞台は、幸楽という「ラーメン屋」。小島家(幸楽)は「昭和的」家族の象徴。
・「ドラマや漫画におけるラーメン屋は、庶民的であることや貧困な生活の象徴として用いられる」(106)
・戦後、日本が豊かになるなかで、闇市の屋台ラーメン屋が固定店舗のラーメン屋になっていくことが時代とオーバーラップしている。
・『ALWAYS 三丁目の夕日』+「ラーメン博物館が再現しようとした年」は昭和33年。この年はインスタントラーメンの誕生や東京タワーの建設など、戦後の混乱期から高度経済発展期に移行する時期のエポックメイキングな年。「“あの頃”の遠い記憶」(114)がラーメンと結びつくようななる。
・独身男性を中心とした日本人の生活に浸透するインスタントラーメン。あさま山荘で対峙する反体制側の学生も、警察も、厳しい寒さの中でインスタントラーメンを食べ、これが当時まだ珍しかった生放送で国民に伝えられる。
第4章
・ラーメン博物館館長の岩岡洋志氏の語り「郷土料理も強度ラーメンも、その地域で長く生活している人々によって、時間の経過とともに練り上げられてきたもの…郷土の気候、風土、知恵が混じり合い、その地域に根ざした味が生まれました」への疑問。日本全国にご当地ラーメンが発生していった経緯を戦後の国土開発の流れに重ね合わせる試み。
・田中角栄を軸に考える
◆前期:角栄が政治家として道路行政に関わった52年から首相になる72年
(戦後復興→経済復興→娯楽の分野の受容の伸び)
・『暮らしの手帖』による「札幌ラーメン」の紹介:札幌の観光ブーム
・当時の札幌ラーメンは、トンコツしょうゆ。ミソラーメンは60年代に入ってから登場。
・サンヨー食品の「サッポロ一番みそラーメン」の登場(68年)
・博多ラーメンもストレート細麺+白濁とんこつになったのは戦後。白濁スープは「明治期に長崎の外国人居留区の華僑が始めた福建風五目そば→長崎ちゃんぽん→博多ラーメン」
・「ラーメン」という言葉が「味覚の共同体」を作り出す。「我々は、ラーメンという共通の食文化を持つ民族である」(155)という共通の記号をもち、その中の地域を「固有の文化」として捉える。
◆中期:首相になった72年から「均衡ある国土の発展」が進み、バブル経済の80年代
・角栄が首相になるころ、万博の企画を担っていた堺屋太一は「産業のソフト化」と「脱工業化社会」の構想をもっていた。→ファストフード、ファミレスの隆盛、フランチャイズ制が盛んになる
・ラーメン業界にもフランチャイズ制が取り入れられる。フランチャイズ制は、「出店時の内外装、材料、調理、経営まで、開店のノウハウをすべて本部がマニュアル化しているため、資金さえ調達できれば経験のない人間でも飲食店経営を始められる」(162)
→「天下一品」、「札幌ラーメン どさん子」、「うまいラーメンショップ」など。
・「札幌ラーメン どさん子」は駅前商店街や街中への出店が中心。「8番らーめん」や「くるまやラーメン」は郊外のロードサイドに特化して拡大。
・この動きは、車社会が本格的に始まったこと、それに伴い、商業施設の郊外化
・各市町村に大都市にある公共施設や大規模商業施設を「ワンセット揃える」⇒「ファスト風土化」(三浦展)
・「ご当地ラーメンは「地元に根ざした」食文化の決勝である本来の郷土料理に成り代わって、観光化のニーズに応える形で全国的に増殖した。…日本古来の食文化という観点で見れば、ご当地ラーメンは、多様性尾が失われ画一化した、戦後日本の食文化の象徴でもある」(167-168)
・喜多方ラーメン:観光キャンペーンによって有名になった。これがご当地ラーメンのモデルとなる。
・50年代半ばから80年代中ごろにかけてのラーメンブームにおけるメディアの役割:「九州(博多)、喜多方、佐野、久留米、旭川といった新しい地方ラーメンの情報が求められ、“のりのち郷土ラーメンに注目が当たる基礎”がつくられていった」
◆後期:バブル経済が崩壊した1990年代から現在まで
・ラーメン博物館が生成するご当地ラーメンの言説と角栄パラダイム後に現れる観光の時代とのリンク
第5章
1990年代以降のラーメンが、「作務衣化」と名付けた「国粋主義的」な装いに変わり、ある種の熱狂を生み出すという文化的側面が取り上げられる。
「ご当地ラーメン」→「ご当人ラーメン」:独立系ラーメン(麺屋武蔵)
「90年代のラーメン屋は匿名的ではなく、ラーメン職人の存在が前面に出た属人的なものとなっていく」(218)
「「ご当地ラーメン」は地元の伝統料理ではない。むしろ、それらに代わって登場した、地元に根ざさないファストフードの側に立っている。とはいえ、ファストフードとして定着してきたラーメンは、ある時期より地元の食材を使ったメニューを推奨するようになり、地域ならではの湖西を生み出そうという地域主義と結びつくようになる。「ご当地ラーメン」「郷土ラーメン」という呼び名がまさにそれを表す。これは、ファストフードでもない、両者を折衷した“第三の道”とでも言うべき、日本らしい食文化の在り方かもしれない」(222)
(オウムの議論を踏まえ)「1990年代以降のラーメンは、単なる食べものの域を超えた熱狂、信仰といっても過言ではない宗教的な要素をはらんでいる」(228)
・「ラーメン二郎」:「ジロリアン」と呼ばれるファン。「美味くないのに通わずにはいられない」、「「ラーメン二郎」という一風代わったラーメンチェーンの中に見え隠れする理念の体系のようなものを自分たちで見いだし、その中から勝手にルールを作り出して、それに則ったゲームを行っている」(236)
・「九州じゃんがら」:<ラーメンポエム>
店長下川が開いた「ブルカン塾」(家計が苦しい子からは授業料を取らない)の経営を安定させるためにはじめたラーメン屋。→ラーメン屋の文化に自己啓発メッセージを持ち込んだ第一人者。
・世の中はデフレモード(すかいらーく→ガストへ/客単価半分くらいにする)
・その中でラーメン屋は単価をあげ続けた。
・職人、地域、地方という特色を強く打ち出すラーメン屋…
食の画一化、グローバルチェーン(スローフードやラーメンチェーン)への抵抗という側面がある一方で、排他的ナショナリズムの影を帯びるのもまた必然。(250)
90年代末(「バガボンド」がヒットしたころ)の右傾化する日本社会と一致する。
国粋主義的なコピーやいでたち(作務衣化)がもてはやされる。
→「<趣味的>ナショナリズム」
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[目次]
まえがき
第1章 ラーメンとアメリカの小麦戦略
第2章 T型フォードとチキンラーメン
第3章 ラーメンと日本人のノスタルジー
第4章 国土開発とご当地ラーメン
第5章 ラーメンとナショナリズム
あとがきにかえて
ラーメン史年表
主要参考文献
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