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2025年度の振り返り

年末と学期末の2回も一年を振り返る必要もないのではないかと思い、こちらにまとめました。「あけまして…」感は4月の方が強い気がしますし。 改めて振り返ってみると、2025年度もバタバタと過ぎ去っていきました。普段生活していると、このバタバタの中で、近視眼的になってしまいがちで、今していることがどんな意味があったのかを考えることもないので、ちょっと丁寧に振り返っておきたいと思います。 【研究面】 原著論文がないのがよくないですが、3冊の商業出版(いずれも明石書店)に関わり、一つは、数年前からの懸案事項であった『ブルキナファソを知るための64章』。中尾世治さんと共編著として(大変ご迷惑を…)初出版。中尾さんとは、この後も何度か一緒に仕事させてもらえると思うので、その端緒としての意味合いもあったかと思います。その他、雑誌記事など数本を書きました。 この他、ここには出てきませんが、2026年度、2027年度出版予定の原稿を書きました。来年は編著1冊、分担執筆2冊の予定。 一方、調査の方も少しずつ進展していきました。まず、ブルキナファソでは、伊達科研、日下部科研の分担者として、ブルキナファソの宗教NGO、特にイスラーム系の弱者救済について現地調査を行いました。実は1年数か月振りの滞在となり、いずれも10日強と近々では、比較的長く滞在できたこともあり、まずまず実りのある調査だったと思います。もう一つ、時々ブログでも紹介している在日セネガル人の調査に関しても進展がありました。30回に渡り開催した日本語教室や毎月のダイラに参加することで、ずいぶんセネガル人とも交流が持てるようになってきました。 【教育面】 清水ゼミ3期目の7人が卒論を書き上げ、無事に卒業していきました。2024年度卒業の学生たちがべったりだったのですが、2025年度に卒業した学生たちは、ほとんど研究室に来ることなく、少し不安を感じていましたが、立派な卒論が提出されて安心して送り出せました。清水ゼミ4期目は相変わらずやんちゃな感じですが、これはまた今年度鍛え直す、ということにして、新たに迎えた5期目は7名。現在、5期目の学生はフィールドワーク中。どれくらい成長して帰ってくるか、楽しみです。 スポットの授業としては、九州大学に招待された、食のワークショップは、とても思い出深いです。旧知の横谷奈歩さんからの依頼で、色々と頭...

【フィールドワーク2026⑤】ガーナ料理店開拓

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発見したガーナ料理店 今回は期せずして食べ物の記事ばかりになってしまった… 随分前(2014年3月4日)に ムギラの記事 をアップしました。 モレでムイMoui(米)+グィラGoura(丸)でムギラ。「丸めた米」という意味の料理。おそらくガーナが発祥だと思われますが、ブルキナでもそれほどメジャーではないにせよ、よく食べられています。 調査の合間にKEOOGOの事務所から移動する際に、ちょっとした時間があったので、先にご飯を食べよう、ということになり、たまにいくセネガル料理屋を目指す。混雑するバサワラガ通りを避け、ソムダは未舗装道路を迂回しようとする。そこで目に入ったのが、この看板。 ん?ガーナ料理?? 2人に「あそこ行かん?」ということで、レストランに入ってみることに。 ムギラ(若干小ぶり?) 店内は、大きな駐車場に屋根を付けた、半屋外形式。正面に大きな鍋、その後ろに、ソースが入っていると思われる少し小ぶりな鍋が二つ、飲料が入った冷蔵庫が2台と、まあまあの繁盛店でありそう。結構な街中にあるのに、二人とも、「こんなところがあったのか」と初めての様子。 ともあれ、賞味してみようということで、大きな鍋を除く。おぉ!ムギラじゃないか。懐かしい…なかなか外食で食べられることがないので、これは嬉しい。ソースもグレン(パーム油)とアラシッド(ピーナッツ)の2種類。多分、他にもいろいろあったと思うが、ムギラ好きとしては、ムギラ一択。ソース・グレンは前日食べていたので、今回はアラシッド。 せっかくだから、ヤギ肉を…と思ったら、肉は羊と牛で、ヤギはないという(もしやガーナ人じゃない?)。 ムギラ拡大。 ともあれ、ソースに浸しながらパクリ。米のいい香り、ソースはそれほどくどくなく、味付けも優しめ。若干小さめのボール。オフィスワークが増え、体を使わなくなった都市民の生活に則し、健康志向が浸透してきたワガドゥグならではのムギラなのかも…と考えながらいただきました。 ちなみに、このお店はダガリの女性たちが営んでいることがわかりました。しかも、同じくダガリのソムダの親戚筋とか。一時期ガーナに出稼ぎに行っており、料理はそこで覚えてきたのだそう。西アフリカでも有数の移民送り出し国のブルキナファソ。ワガドゥグが多国籍な料理が比較的そこの原型を留めながら存在するのは、こうした背景もあるのかも、と思った次...

【フィールドワーク2026④】何年振りかのあれ…をいただく

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ニンジンは今が旬。ニンジンを生でかじりながらチャパロをやる 到着直後からの調整が一段落。久しぶりに調査を手伝ってもらっているルードビックのお母さんを訪ねることにした。もう何年前になるか…ルードビックに仕事を手伝ってもらい始めたころ、彼のバイクにニケツして、彼の実家のお母さんに会いに行った。ルードビックのお母さんは、チャパロ(ソルガム・ビール)を醸して売っていて、食文化研究を本格的に始める前だったが、一度作っているところを見てみたい、と思い、訪ねたのが最初の出会いだった。 とても気のいいお母さんで、「また来るね~」と言ったまま、ずいぶん時間が経ってしまった。ルードビックと会うたびに、「今度はお母さんのところに挨拶に行こう!」と言うものの、なかなか時間が取れずにいた。今回は、何としてでも、と思い、日本から「この日曜日はお母さんのところに行く!」と宣言しておいた。 お母さんは、Saabaと言う、ワガドゥグの南東の端っこに住んでいる。比較的最近まで「村」だったが、現在では拡大するワガドゥグ市の一部となっている。以前訪ねたときには、まだ家がまばらで、家の前に植えた何本かのマンゴーの苗木がずいぶんひ弱に見えたことを記憶している。 今回のドライバーのソムダが運転する車が滑り込むと、5-6本の立派なマンゴーの木の下に、長椅子に座った何組かがチャパロを酌み交わしている。とても寂しい景色だった、お母さんの家の周りには多くの家が建ち、マンゴーは大きくなって真っ黒な木陰を作り、その下に人びとが歓談している。ずいぶん景色も変わったな…などと思いながらお母さんにご挨拶。私のこともよく覚えていてくれて、大変喜んでくれる。 日曜の昼下がり 日曜日の昼下がり、皆、それぞれの気の合う仲間たちとマンゴーの下で談笑している。もちろん、目的はチャパロなのだけど、フランスであればカフェのような交流の場であることも間違いない。こうした中でここの人たちの社会性が形成されている。そうそう、これもどこかで書いたが、こうした空間を「カバレ」と呼ぶ。村でも、街中でも、薄暗い小さな小屋のことが多いが、こんなオープンなところも珍しくはない。 ルードビックのお母さんから、ウェルカムドリンク的に1本いただき、3人で賞味。午後ということもあり、若干アルコール度数高めだが、久しぶりのチャパロは旨い。 チャパロ ルードビックのお母さん...

【業績】月刊「地理」2026年3月号 「西アフリカ半乾燥地の都市と農村の食─伝統と近代が混交する食卓」(特集 アフリカの食文化 変わる都市と農村の食)

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  おそらく今年度最後の業績です。またまた食文化に関する短報ですが、中高の社会科の先生方がよく読まれる、という月刊「地理」への寄稿となり、まだまだマイナーなアフリカの食文化研究を広く読んでいただける、というのは大変意義深いことです。 このお話をいただいた時、実はかなり途方に暮れていました。今年度だけで、6本(現在7本目の原稿を書いています)の食文化ネタ。さすがにネタが尽きているように思いました。ただ、「都市と農村」という補助線が入ったことで、書き進めるうちに次第にイメージができていき、自分自身としては、かなりお気に入りの原稿になりました。 今回書いたのは、またまた「スンバラメシ」のことなのですが、スンバラメシの要素を大まかに分解すると、比較的新しい食材であるコメと、伝統的な食材であるスンバラで構成されるわけですが、この出会い(マリアージュ、で合ってるのか?)がブルキナファソの食文化に大きな影響を与えている。編者の藤岡さん、藤本さんには、「都市と農村で差異を伴いながら交流し、多様な食材が行き交うなかで、新たな食文化が育まれている。グローバル化という枠組みだけではとらえることができない、よりダイナミックな展開が生じている」(18‐19)と解説していただいています。この原稿を書く上で、特に勉強したのは、ブルキナファソの米の供給と消費のことでした。統計資料を見ていると、やはり、ある時期から供給も消費も大きく伸びていることが分かり、現在ではかなり手に入りやすくなっているのがわかり、この地域の食文化における米の位置づけが確認できたのは、今後の研究にも寄与しそうです。 ご関心のある方はぜひともお目通しください。 ※詳細は以下の古今書院さんのWebから! https://www.kokon.co.jp/book/b673699.html

カレンダー

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  2026年のカレンダー 出張の用務の合間に「緑のサヘル」の事務所に寄った。事務局長の菅川さんとはずいぶん長い付き合いで、私が来るなら、と週末にも関わらず事務所を開けてくれるという。少々恐縮しながらも久しぶりの再会に向け、手土産を持ち、少し早めに到着する。 事務所に到着し、先日のブルキナ出張のことやらをお伝えする。その政治的な体制はともあれ、少しずつ新たな日常を取り戻すブルキナファソのことをお伝えし、菅川さんからは活動のこと、カウンターパートのことなどを伺う。関西在住ということもあり、なかなかお目にかかる機会も少なく、積もる話もたくさんある。 さて、1991年に活動を開始した「 緑のサヘル 」。もう35年の歴史を持つ、アフリカをフィールドとするNGOとしては老舗中の老舗だ。コロナ禍の煽りを受け、あまり元気はないが、砂漠化対処、アフリカの人びとの生活支援、近年では国内避難民への支援など、その活動意義は全く薄れることはない。こうした活動は、菅川さんの献身的な活動、会員の会費や助成金により支えられている。すでに手あかがついてしまった感は否めないが、「ファンドレイジング」という言葉がNGO界隈でも流行したが、これは、裏返してみれば、日本という土壌に「寄付文化」が根付いていないことを示しているわけだが、そうは言え、団体の維持のためにはお金は必要。緑のサヘルの場合は、大きな柱として、毎年カレンダーを出している。 カレンダーは2001年以来、写真家の 小松義男さん による写真提供により毎年発行している。今年で26年目。私も10年ほど前から毎年購入しているが、小松さんの写真はとにかく人の表情がよい。ここまで人の笑顔が撮れる人はいないだろうし、直線的な絵を好まない、つまり、人間(や人間が作り出す)の曲線の美しさ、言い換えれば、「人間」と「人間の仕事」を撮ろうとしてきた哲学が込められていると勝手に思っている。毎年当たり前のように「今年はどうしますか?」と連絡があり、新年に新たなカレンダーにかけ替える、という日常的なイベントだったが、今年でそれも終わりなのだという。小松さんももう80歳。体の自由が利かなくなり、編集をしてくれている方を含め、「潮時」なのだという。 とても残念なのだけど、これも時間の流れ。致し方ない。受け入れるしかない。 最後のカレンダー、まだあまりがあるようです...

【業績】「「地域研究」としての西アフリカ研究: 食文化研究を中心に」@『アフリカ』アフリカ協会

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  明石書店のエリアスタディーズ・シリーズの一連の出版が済み、さて、これから自分の原稿にかかろうか、と思うと、新しい原稿執筆依頼がやってくる。そういうときは、大体一時に複数いただくもので、今回もそのうち紹介できると思う原稿依頼2本と共に数日の差でやってきた。(そしてもう一本やってきたフランス語→日本語の翻訳(しかも締め切りまで2週間!)はさすがにごめんなさいしました…) (一社)アフリカ協会が発行する 『アフリカ』2025年冬号 に「「地域研究」としての西アフリカ研究:食文化研究を中心に」という論考を寄稿しました。この雑誌、アフリカに関わる外交官が中心となっているもので、学部生の時代は特に貴重な国際政治や国際経済の情報源として読んでいました。しかし、しばらく手を取る機会もなく、どこからかお誘いいただきました。 研究動向が今回のお題ですが、それほど学界動向を意識して研究したことはなかったのですが、ずっとモヤモヤしていた「地域研究」なるものを考えてみたくて、最近、もはや「専門」と言っても過言ではなくなってきた食文化研究から地域研究を紐解く、ということを目指して「食文化研究」と「地域研究」がいかに相性がよいか、ということを書きました。個人的に高谷好一さんの『 世界単位論 』に感銘を受け、かなり意識的に研究に取り入れているのですが、このことが書けたのはよかったかと思っています。

【フィールドワーク2025ー2026】ブルキナファソ渡航を前に

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  今回の旅のお供 キイチロウが用意してくれた「サンタさんのおやつ」 卒論の審査が終わり、年内にやらねばならないことはとりあえず一段落(しているはず)。クリスマスの明け方、キイチロウのプレゼントを仕掛け、キイチロウが用意してくれた「サンタさんのおやつ」をやっつけて荷造りをしています。読みかけの本といただいたのに読めていない本、後は読まねばならない本6冊を選び、とりあえずひと段落。 今回は、分担者となっている 科研費(25H00456、代表者:伊達聖伸) 関連の調査です。行先はブルキナファソ。調査の準備はあまりよくできておらず、何をどこまでできるかは、到着までに詰めてやっていきたいところ。兎にも角にも、今回のミッションは、来年招聘予定のジョセフ・キ-ゼルボ大学のシリル・コネ先生と打ち合わせをすること、そして、自分の本来研究でお世話になっているアブドゥライ・ウェドラオゴ先生に会い、意見交換をすることは決めました。その他、インフォーマント何人かにアポイントを取っているものの、1年半ぶりということもあり、安否確認や近況報告でかなり時間がとられてしますことでしょう。さてさて、今回はどんな収穫があるでしょうか。 2019年ころからテロが激化し、ブルキナファソもずいぶん遠い国になってしまいました。ツーリストのビザがなくなったのもあり、気軽に旅行…などということもできず、研究者では、とうとう私一人になってしまいました。とにかく、ブルキナファソの研究を切らさないように、研究者との関係を続けていくように、という最低限のミッションのために行っているような気がします。 また少しずつですが、現地の様子などもアップしていきたいと思います。

1001夜目を迎えるにあたり

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2010年7月に始めたこのブログが1000エントリーに到達しました。実に現在2025年11月なので、15年4カ月(304か月、36歳~51歳)の達成です。そんなに長いことやってるんですね。改めて計算してみて驚きました。年間、60エントリー強、月に直すと5本ほど、大体週1ペースということになります。細く長く、という感じでしょうか。途中1年以上更新しなかったり、一日に複数本エントリーしているので、かなりムラもありました。 元々は書き癖をつけるために、できるだけ毎日キーボードを打つため、ということを考えて始めたこのブログ(今でも自信はないですが、当時の日本語は悲劇的でした…)。とにかく何でもかんでも書いていましたが、文章を早く正確に書く、ということを考え始めてから次第に読まれていることを意識するようにし(グダグダにならないように)、いくつかのテーマについて継続的に書く、文体のパターンを作る、といういくつかのルールを課しているうちに、何か定型化されて来ているようにも思います。内容として読みやすくなってきているのか、定型化されてつまらなくなっているのか…このあたりは?ですが、論文や本を書いていないときでも、何かしらメモをする場としては、やっていてよかったと思います。 さて、この下は完全な自己陶酔の記録ですので、万一このブログに迷い込んでこられた方はこの辺で。 このブログを書き続けたこの15年、どんなことがあったのでしょうか。 1. キイチロウが生まれ、もう10歳になる 別の媒体に写真を写してしまったので、なんだか中途半端なところから始まっていますが、一番上が京都に引っ越してきたころ(2019年-2020年)のキイチロウ。一番下が最新(2025年10月)。多分この頃の倍くらいの体重になっています。昨日、久しぶりに抱っこしてみたら、いろんなものが溢れていました。今度の2月で10歳。ハーフ成人を迎えます。基本的にひょうきんでニコニコ。最近ちょっとわがままになった気がするけど、大人の感情の襞を敏感に感じる繊細な感性も持っていたり。【アフリカ子ども学と子育て】というシリーズでキイチロウの成長をメモしていますが、改めて見直してみると、赤ん坊から子どもへ、そして、少年へとすくすくと育っているのがよくわかります。 2020年春 2022年ころ 2023年ころ まだパッツン前髪 2024年赤の...

【出版】山田肖子・溝辺泰雄(編)2025『【第2版】ガーナを知るための57章』明石書店

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  2024年後半のある日。長らくお世話になっている山田先生からメールが来ました。メールの内容は、ガーナの食文化についての執筆依頼。もちろん、山田先生は私がガーナのお隣を専門としていることはよくご存知で、私はもちろん「ガーナには何度か行ったことはありますが、私よりはるかによくご存知の方がいらっしゃるはず…」とお返ししたのですが、「清水さんの文体がいいからぜひとも」とお返事をいただき、そこまで言っていただけるなら!ということで、お受けすることに。 ところが、これからガーナに行くにも、海外調査に行くような研究費は使い切る目途が立っていたため、日本国内で調査をすることにした。その日から、ガーナレストランを探し始めた…というストーリーではなく、その少し前に知己を得た、 比呂啓さん のことや、比呂さんが自費で出された本のことが頭にあって、何となくガーナ料理を実地で勉強する目途は立っていた、というのもお受けしようと思った背景にありました。 ただ、ガーナに行ったのは2014年が最後。しかも国際学会で食べ歩きができたわけでもないし、家庭料理など(今でも)全くわからない。しかし、お引き受けした以上はガーナ料理を勉強せねば、ということで突貫工事を始めたわけです。何軒かのレストランを訪れた中で、 Amaging Grace に照準を定め、集中的に5回ほど伺いました。お店の方は話しかければ、話せるが、向こうから話かけてくれるわけではないので、少しずつ馴らしていくように、3回目にこちらの顔を見て、お店の人がにっこりしたタイミングでちょっと話をしてみる。4回目に30分くらいおしゃべりをして、ようやく聞き取りができるようになる。ある程度原稿が出来上がり、5回目の訪問で足りない情報を聞き取り、おなかも頭もいっぱいで書き上げる…現地で少し食べ歩きたかったし、もう少し聞き取りもしたかった… 書いた後でなんですが、この後、ガーナに行く機会、何度あるかしら。行ったらぜひに食べ歩きをしたいものです。 目次、執筆者等の情報は以下の明石書店さんのウェブサイトからどうぞ。 https://www.akashi.co.jp/book/b670136.html

セネガル・プログラム2025 ⑤ とりあえずの区切りとして

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大西洋に日が沈む 2022年、コロナ禍が収束に向かったころから始まったこのプログラム。今年で4回目となった。4年間合わせてもせいぜい20名程度ですが、アフリカに行ったことがないばかりか、初めて海外に行くという学生を連れてユーさんとセネガルを歩いてきた。 セネガルの人びとの溢れんばかりのホスピタリティ、乾燥地特有の軽い空気感、初めて出会う人たちと囲む料理、熱気にあふれるマルシェ、人々のカラフルな着衣…様々な風景を見せることができたのではないかと自負している。セネガル渡航を通して変わった学生も、変わらなかった学生もいて、20人程度とは言え、様々な反応があり、その一つ一つが私の胸には色あせることなく残っている。 実は、所属先のアフリカのプログラムは次々となくなってきている。私が赴任した際の、アフリカの熱はすっかり冷めてしまったようだ。学部の再編に伴い、3か月の留学(海外長期フィールドワーク)も今年度で終わり、何やらこのプログラムも縮小、ないし廃止のような話もでている。それなりの熱量をもって、毎年2-3か月の準備を重ねてプログラムを練り、安全面でも相当の配慮をして、学生がプログラムに集中しつつ、リラックスした状態でアフリカに接することができる機会を作る努力を重ねてきた。こんな使い方でよいのかわからないが、こんな話が出てくること自体が、「遺憾」である。ただ、どこかでこの経験やらが続いていけばよくて、私の所属先のことは、まあ大したことではない。一つの大学のアフリカ・プログラムがなくなる、というだけの問題である。 しかし、改めて、学生をアフリカに連れていく、ということの意味を考えさせられる。はっきり言って、相変わらず、体調を壊したり事故に遭うリスクは圧倒的に高い(犯罪リスクは小さいと思っているが)し、安全性に気を配るほど金もかかる。それでも、今だからこそアフリカに行っておくべきだ、ということは強く感じている。 僕らが大学生のころ、アフリカは「貧困」とイコールで結ばれていた。今や、我われはそんな一次方程式では理解しなくなったし、アフリカが世界に与える影響力は、実質的なできなくなった。僕らが「バックパッカー」という、冒険家まがいのことは、もしかすると、以前以上に「金持ちの道楽」になっていくかもしれない。そして、サハラ砂漠でも電波がある昨今、ラクダにまたがって砂漠を遊動する、という旅は...

セネガル・プログラム2025 ③ Thomas Grandさんとンブールから南下する

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  Thomas Grandさん Thomasと出会ってもう5年以上。Thomasの作品『 Poison d'or, Poison d'Afrique 』 が第6回 グリーンイメージ国際環境映画祭 に入選、彼自身が来日した際にThomasのアテンドとして、声がかかり、3日間延々と一緒に過ごしたことがきっかけでした。僕らは3日間会場と飲み屋、そして、ホテルを往復し、なんか明け方の新橋と飲みすぎてヘロヘロだった記憶がある。とにかく濃厚な何日間を過ごし、すっかり意気投合し、その後僕がセネガルに行くと、片道何時間もかけて1時間の時間を過ごしてくれるなど、機会自体は少なかったが、少しずつ仲を温めてきた。 2021年にこのプログラムの視察のため、共担の ユースギョン さんらとセネガルを訪問した時のことである。出発前に行程、レンタカーの手配、ホテルの手配、面会する人とのアポイント、すべて完璧に準備した…つもりだった、いや、していた。しかし、長いフライトを終え、セネガルの空港に到着、ドライバーと落合い、空港近くのホテルへ…ホテルが…ない?!ホテルは探せど見つからず、深夜23時に行き場のなくなった我々は、Mbourに住むThomasの存在を頼ってみることに。久しぶりに電話をすると、突然の来訪を嫌がるどころか、深夜に山盛りのパスタとおかず、そしてビールで迎えてくれた。 学生はこの話をすると、面白がってくれるが、ユーさんも同行した職員も初めてのセネガル。私もガハガハ笑いながらThomasと話していたが、お二人はさぞかし不安だったことでしょう… そんなわけで、ずいぶん長い時間をかけて仲を温めたThomasに、今回は正式にアテンドをお願いした。彼にお願いしたのは、映画で撮ったセネガルで最もよく食べられる魚であるヤボイ漁と水産加工場への案内である。 Thomas宅での朝食(2回目…) 今回の旅程では、ゴレ島から直接Thomasの家で彼をピックアップして南下しながら漁港を訪問する、ということにした。のだけど、Thomasのホスピタリティが炸裂。事前に、「朝飯は打ちで食え!」とのことで、なるべく早く到着するようにすると、期待を裏切らずモリモリの朝ごはん。ゴレ島で少し食べてきたものの、学生たちはすでに食傷気味か… 少し休ませていただいた後、ンブールMbourの漁港→ワランWarang...

【出版】清水貴夫・中尾世治(編著)2025『ブルキナファソを知るための64章』明石書店

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ようやく出版にこぎつけました。『ブルキナファソを知る64章』。2023年に作業をはじめ、はや2年が経ってしまいました。この遅れは一重に私の怠惰によるもの。誰も見ていないと思いますが、この場を借りてお詫びを申し上げたいと思います。 出版の経緯は、中尾くんが書いた「あとがき」をご参照いただくとして、ひょんなことからこの本を作ることを決めました。書き始めのころ、出版社で打ち合わせの後に上野の焼き鳥屋で中尾くんと一杯やりながら「こうやって先のことを妄想するのが一番楽しいんだよね」なんて話していたのをよく覚えている。そして、それは、そのまま自分に返ってきてしまう。 妄想段階では、74章にしようとか、500ページくらい書いたら初の分冊になるのでは…などと威勢のいいことを言っていたものの、実際に目次を組み、中尾くんと僕の前にはそれぞれ15章近い執筆項目が…それでも、研究者で抱えない、というポリシーは曲げずに、これまでブルキナファソに関わった多くの方に、中には何本も執筆を引き受けていただき、ほぼすべての方が期限前にご提出いただいた。この先は言い訳になるから、これ以上言わないが、どうしても時間が取れないこともあり、時間が取れても筆が進まないこともあり、結局、中尾君にばかり負担が行ってしまった。本来、中尾君が筆頭編者となるべきかな…と思いながら、たぶん次の改訂版では中尾君が中心になってやるだろうと思い、今回は甘えさせてもらった。 しかし、ここのところずっと心配事のタネだった一つが仕上がり、少し気分が軽くなった。最後に何度も確認をしたが、入門書としてはなかなかの充実ぶりだし、もう少し平和になったらぜひこの本をもってブルキナに出かける人が出ることを期待したい。 それにしても、今年は明石書店から3冊(もう少しすると3冊目の『ガーナを知る…』が出ます)とは…

セネガルプログラム2025 ② ゴレ島再び

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到着早々、熱く歴史を語るラス・マハ ダカールで滞在の準備を終え、いよいよプログラム本番に突入。今年はダカールからの移動距離の短いところから…ということで、ゴレ島から開始しました。 ゴレ島訪問はセネガル・プログラムで外してはいけないと思っています。「セネガルの歴史」という枠組みだけでなく、世界史を体感できる貴重な機会になるからです。その上、ゴレ島に住む旧知のラス・マハは、プロのガイドではないですが、高い学識とラスタファリアンという立場から、アフリカの側から世界史を俯瞰していただける大変貴重な語り部。そして、毎年彼が調整してくれる宿はとても素敵で、居心地がいい(下の写真)。 ラス・マハが調整してくれた宿泊先 ゴレ島に到着して宿に荷物を置き、早速「 奴隷の家 」へ。「奴隷の家」は毎年行っている。年によって学生の反応は区々で、「ふ~ん」というのから目に涙をためて話を聞く、というのまである。奴隷の経験を自分に引き寄せて考える力、それを感じるためには、少しの英語力(ラス・マハは非常に英語が堪能)と少しの歴史の知識、あとは個人に備わった共感する力。毎年、もう少し歴史についての勉強を…と思うが、資料作成がなかなかに間に合わない。しかし、トイレもない狭い部屋に何十人もが閉じ込められる薄暗い奴隷の部屋の上には、天井の高い海原を見渡すリゾートのような「マスター」たちの執務室、という人種差別が実際の形として現れるグロテスクな建物であることは、多くの学生たちが気が付くポイントです。 奴隷たちはここを通って「積み出された」と言われる いつものようにラス・マハに案内してもらっていましたが、「奴隷の家」には大きな変化が。10時の開場後、ラス・マハが説明を始めると、スタッフから制止され、全体の説明を聞くように促される。しばらくして始まるのだが、すべてフランス語、しかも拡声器を使うので、非フランス語話者は何をいっているのかが全く分からない、という状況に陥る。モグリのガイドによる誤った解説を避けるため、という説明があったが、これは若干興ざめ。 マスターの部屋 そんなわけで、「奴隷の家」に長居できなかったため、今回はもう一つの歴史博物館に向かう。この島は周囲1㎞ほどの小さな島なので、移動は散策しながら。写真の順序が違いますが、何枚か貼っておきます。 以前に比べればずいぶん整備された小道 島の北側の砲台から...

セネガル・プログラム2025 ① 今年も行ってきました

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送り火を眺め、地蔵盆が終わり、原稿は終わっていないが、時間は確実に過ぎ去っていく。夏のもう一つの大仕事セネガル・プログラムを実施しました。今年で4回目となるセネガル・プログラム、今回は3名の参加者と、いつもより少な目だが、毎年続けることが大切。これまで借り物が多かった人脈は濃くなって、自前の人脈ができてきたし、移動のタイミングやプログラムの作り方も少しずつ練れてきた感じがする。 そんなわけで地蔵盆の翌日の8月24日、日本を出発する。できればトランジットが長く、真ん中でたっぷり休めるトルコ回りにしたかったが、価格差を考えると今回もどうしてもエチオピア周り。 円安がしんどすぎる… と言っても、せっかくのプログラム。アフリカなど、人生で何度足を踏み入れるかわからない学生たちにはアフリカをたっぷり味わっていただきたい。 さて、24日夜に成田を飛び立ったエチオピア・エアライン(ET673)は、韓国の仁川を経由して一路アジスアベバへ。長距離フライトに学生たちも若干お疲れか?しかし、せっかくのアジスアベバ。恒例のあれこれを経験します。 まずはコーヒーセレモニー。エチオピア独特ですね。深入りのコーヒーの香ばしい香りに、(私は)疲れも吹き飛ぶようでした。 これはおまけで、アジスでも辛ラーメンが!買う人、いるんでしょうね。しかし、その値段たるや12ドル(約2,000円)…アフリカの空港での韓国、中国の食い込みがすごい! そして、こちらも恒例のインジェラ。お店の方曰く、ここらへんで一番旨い!とのことで、乗っかってみることに。いつもはファラ・フェル(インジェラのトマト炒めのインジェラ詰め)しかないのですが、今回はメニューのものは何でもあるとか。そして、一時期はまってよく食べていたドロワットを選択。あまり辛味は強くなく、学生たちもおいしそうに食べていました。 軽く腹ごしらえをして、いよいよダカールに向けて出発。 さてさて、今回はどんなツアーになるのやら。

【フィールドワーク】Grand Magal de Touba 2025(マガル・トゥーバ)① 祭りの前に

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今年の夏は予定モリモリ、仕事モリモリです。しかも、結構いろんな予定がうまくスケジュールにはまり込んでいく。原稿が山ほどあったので、一人の時間が確保しやすいホテル暮らしは望むところで、スケジュールの合うものは積極的に入れていく。原稿は思っていた予定通りにはいかなかった(ブログもまったく追い付いていないけど、さすがにプライオリティが下の方なので…)けど、まあ、比較的心安らかに新学期を迎えようとしています。 前記事のナイジェリアのヤムイモ祭りが終わり、何とか1日だけ帰省して8月12日、13日と東松山のKeur Serigne Toubaへ向かう。今年は8月13日がセネガル最大の祭りのマガル・トゥーバの当日となったので、前日の準備から参加しました。2019年以来のことです。SNSでは、すでに数日前から施設の養生を行う様子が発信されており、祭りの前の高揚感が伝わってくるようでした。 会場の養生をする 会場に到着すると、数十名のメンバーが各々手を動かしている。日陰を作るため、玄関先に東屋を作る者、照明を作る者、建物の中でも何等か相談としていたり…と、のんびりムードの人もいつつ、それぞれの持ち場で汗を流していました。 人生で2度目に見る大量のタマネギ 私も早速お手伝い。どこか入れるところはないかと、あたりを見回していると、やはりありました。タマネギ。今年も大量です。25㎏の袋がゴロゴロ。セネガル料理、本当にたくさんのタマネギを使うことが分かります。旨いですもんね。お手伝いはタマネギのカット。小さな包丁でちょいとやりにくいですが、そこは食文化研究者、サクサクとこなします…と言いたいのですが、タマネギ係長から、「ちょっと粗い」とか、「こうやってほしい」などと注文続出。なかなか難しい… タマネギを同じく、日本で見たことがないほど大量にあるのがマトン。カットしてあるもの、一頭丸々のものなどがゴロゴロと…2019年は20頭ほどのマトンを切り分けましたが、一頭ものはそれだけ需要あるということでしょうか、ブロックが多いのが印象的でした。 マトン、マトン、マトン… マトンを下処理し… マトンを処理する マリネ液を塗りたくって、5㎏ほどごとに袋詰め。冷蔵庫に入れて明日の当日に備えます。 マリネする    この日はチェブ・ギナール 作業が一段落した時点でこの日の作業は終わり。かなり多くの方が東松山に...