1001夜目を迎えるにあたり

2010年7月に始めたこのブログが1000エントリーに到達しました。実に現在2025年11月なので、15年4カ月(304か月、36歳~51歳)の達成です。そんなに長いことやってるんですね。改めて計算してみて驚きました。年間、60エントリー強、月に直すと5本ほど、大体週1ペースということになります。細く長く、という感じでしょうか。途中1年以上更新しなかったり、一日に複数本エントリーしているので、かなりムラもありました。

元々は書き癖をつけるために、できるだけ毎日キーボードを打つため、ということを考えて始めたこのブログ(今でも自信はないですが、当時の日本語は悲劇的でした…)。とにかく何でもかんでも書いていましたが、文章を早く正確に書く、ということを考え始めてから次第に読まれていることを意識するようにし(グダグダにならないように)、いくつかのテーマについて継続的に書く、文体のパターンを作る、といういくつかのルールを課しているうちに、何か定型化されて来ているようにも思います。内容として読みやすくなってきているのか、定型化されてつまらなくなっているのか…このあたりは?ですが、論文や本を書いていないときでも、何かしらメモをする場としては、やっていてよかったと思います。

さて、この下は完全な自己陶酔の記録ですので、万一このブログに迷い込んでこられた方はこの辺で。

このブログを書き続けたこの15年、どんなことがあったのでしょうか。

1. キイチロウが生まれ、もう10歳になる

別の媒体に写真を写してしまったので、なんだか中途半端なところから始まっていますが、一番上が京都に引っ越してきたころ(2019年-2020年)のキイチロウ。一番下が最新(2025年10月)。多分この頃の倍くらいの体重になっています。昨日、久しぶりに抱っこしてみたら、いろんなものが溢れていました。今度の2月で10歳。ハーフ成人を迎えます。基本的にひょうきんでニコニコ。最近ちょっとわがままになった気がするけど、大人の感情の襞を敏感に感じる繊細な感性も持っていたり。【アフリカ子ども学と子育て】というシリーズでキイチロウの成長をメモしていますが、改めて見直してみると、赤ん坊から子どもへ、そして、少年へとすくすくと育っているのがよくわかります。

2020年春

2022年ころ

2023年ころ まだパッツン前髪

2024年赤の宮神社の書道奉納

2025年10月

2. 大学院を「離れ」、無免許(博論未提出)のまま就職してしまう

書き始めたころは私もフレッシュな(?)大学院生でした。30歳で大学院生になり、かなり人生を大急ぎで取り戻そうと、かなり懸命に生きてきた15年だった気がします。大学院に入ってから出るまではゆっくり(ダラダラ)だったのですが、その後は大急ぎで駆け抜けてきたように思います。

~2012年 名古屋大学(名古屋)

2012年~2016年 地球研(京都)

2017年~2018年 広島大学(東広島)

2018年 地球研(外来研究員・実質無職)(千葉) 

2019年~2020年 地球研・京都精華大学

2021年~ 京都精華大学

ブログを続けていた間、所属はこのように変わっていきました。時どき言い訳のように書いている博論はまだ書けていません。専任の職にあり、すでに商業出版があり、正に無免許運転のような状態が続きますが、昨年から母校に科目等履修生として登録し、少しでも早く提出できるよう、環境を整えています。というか早く書け。

ともあれ、現職はそろそろ一つの職場にいた時間の最長記録になります。卒業生も出て、教育の面白さも実感していますし、いろいろ忙しい中、何とか研究も続け、安定した生活基盤も落ち着き、充実の50台前半を過ごしています。

3. ブログが本になる!

とにかく手を動かす、という中で始めたブログ、なにを書いてよいのやら、と思いながら、プライベートを曝してみたりしながら、フィールドのこと、もう少しメモでもしてみるかと思い立ち、はじめたのがアフリカの食べ物の「食レポ」でした。当時は「どうせ研究対象じゃないし…」という思いもあり、ぼちぼちという感じでしたが、やり続けていると数はたまっていき、それが同じ職場の寺田さんの知るところになり、「本を書いてみないか?」というお誘いをいただいた。それから約半年をかけ、なんだかよくわからない単著を出版、さらに初版を売り切り、重版までしてしまうことに。

一応、この本の前に『子どもたちの生きるアフリカ』という本を亀井伸孝さんと共編するなど、何冊かの商業出版には関わらせてもらっていましたが、この本の出版は青天霹靂であると共に、本を書くことを「楽しい」と感じさせました。寺田さんを始め、編集、デザイン、出版社と皆さんの温かさを感じながら執筆に励むことができた、とても良い時間でした。ちなみに、ちょうどキイチロウが生まれ、広島大学を去ることになり、しばらくの浪人期間、ということもありました。

その後、この仕事のおかげ(のせい)で、勤務校に就職が決まってからも、舞い込んでくるのはこうした食文化系のお仕事が増え、「食文化」がメインフィールドになりつつあります。
2025年度は、明石書店の名物シリーズ、「エリア・スタディーズ」シリーズ3冊に(たぶん)20本くらいの論考が掲載されました。明石書店の専属ライターくらいの勢いです。なかでも遅れていた『ブルキナファソを知るための64章』は畏友中尾世治さんとの共編でとてもうれしい仕事でした。


4.新たなフィールドの開拓
と、まあブルキナファソを中心にいろいろなことをやってきましたが、コロナ中から少しずつ新たなフィールドの開拓を進めてきました。在日セネガル人を対象とした研究です。なぜセネガルだったかというと、在日セネガル人の動きが大変面白かった(2023年5月に施設が開設され、コミュニティが凝集していく瞬間に立ち会えた)ということ、そして、勤務校のプログラムとして、セネガル渡航が頻繁にあることが分かっており、その人脈作りをすること、そして、師匠の和崎先生の在日アフリカ人研究の仕事を再開するために研究の幅を広げていくことなど、いろんなことを考えながら、この研究を始めました。

成果は少しずつ研究ノートや学会発表で行っていますし、実践として、セネガル人コミュニティを対象とした日本語教室を行い、施設がある埼玉県北部の自治体との橋渡しなどにも微力を尽くしています。この先もこの仕事はボチボチとやっていきたいと思っています。



そんなわけで、15年、少し振り返ってみました。ある飲み会で、中尾君が「40台で成長できているのはすごいこと」とほめてくれたことがあります。何を見てそう思ったのかわからないですが、どちらかと言えば、ここ2,3年、特に卒論をがっちり組み合っているときは、人生の中で一番勉強になっているのではないかと思っています。また、少しずつ文章が書けるようになってきた(書いていて楽しくなってきた)と感じるのも最近のことで、きっと50台の方が成長をしている実感を持っています。あと何年、こんなことをやっていられるのかわかりませんが、貪欲にいろいろなことに挑戦していきたいと思っています。そして、次は2000エントリー目指して(このペースで行くと65歳あたりか…)行きたいと思います。


コメント

このブログの人気の投稿

【日本のアフリカン・レストラン】④「Amaging Grace」@草加(ガーナ料理)

食文化シリーズ「スンバラ飯Riz au Soumbara」

素晴らしい祝辞②[立教大学2015、立教新座中高等学校2011]