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【出版】清水貴夫・中尾世治(編著)2025『ブルキナファソを知るための64章』明石書店

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ようやく出版にこぎつけました。『ブルキナファソを知る64章』。2023年に作業をはじめ、はや2年が経ってしまいました。この遅れは一重に私の怠惰によるもの。誰も見ていないと思いますが、この場を借りてお詫びを申し上げたいと思います。 出版の経緯は、中尾くんが書いた「あとがき」をご参照いただくとして、ひょんなことからこの本を作ることを決めました。書き始めのころ、出版社で打ち合わせの後に上野の焼き鳥屋で中尾くんと一杯やりながら「こうやって先のことを妄想するのが一番楽しいんだよね」なんて話していたのをよく覚えている。そして、それは、そのまま自分に返ってきてしまう。 妄想段階では、74章にしようとか、500ページくらい書いたら初の分冊になるのでは…などと威勢のいいことを言っていたものの、実際に目次を組み、中尾くんと僕の前にはそれぞれ15章近い執筆項目が…それでも、研究者で抱えない、というポリシーは曲げずに、これまでブルキナファソに関わった多くの方に、中には何本も執筆を引き受けていただき、ほぼすべての方が期限前にご提出いただいた。この先は言い訳になるから、これ以上言わないが、どうしても時間が取れないこともあり、時間が取れても筆が進まないこともあり、結局、中尾君にばかり負担が行ってしまった。本来、中尾君が筆頭編者となるべきかな…と思いながら、たぶん次の改訂版では中尾君が中心になってやるだろうと思い、今回は甘えさせてもらった。 しかし、ここのところずっと心配事のタネだった一つが仕上がり、少し気分が軽くなった。最後に何度も確認をしたが、入門書としてはなかなかの充実ぶりだし、もう少し平和になったらぜひこの本をもってブルキナに出かける人が出ることを期待したい。 それにしても、今年は明石書店から3冊(もう少しすると3冊目の『ガーナを知る…』が出ます)とは…

【子ども学と子育て】Vol.30 バックパッカーとフィールドワーク(夏休み企画)-2 福山→広島 

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福山城の前でイェイ! 出発した8月7日は姫路城を見学し、その後福山まで足を延ばす。車窓はすっかり田園風景。実はこの前に終わらせておかねばならなかった原稿の一つが大幅に遅れ、パソコンを開きながらの旅となってしまい、「のんびり」は車窓だけなのですが… 姫路から約2時間かけ、福山に到着。福山城が面白いのは、新幹線ホームの中にお城がある、というか、お城の中に新幹線ホームがあることで、ホームから天守閣がよく見える。今回は鈍行の旅なので、見ることはありませんでしたが。 緑は目に優しいが、目に悪いパソコンを打ちながら写真だけでも旅気分 この日は福山への移動まで。きいも僕もやること満載なので、ホテルにチェックイン→ごはんとさっと済ませ、きいは夏休みの宿題、僕は原稿執筆に精を出す。なんか、家族旅行といった雰囲気はあまりなく、フィールドワーク中な雰囲気を漂わせながら初日は終了。 夏休みの宿題 翌日はコンビニで買った朝食を食べてすぐに福山城へ。 福山城は1622年に徳川家康の従弟の水野勝成によって築城されました。戦国時代ではなく、江戸時代になってからの築城ですね。堀をめぐらした城が建てられた、ということは、まだ戦国時代の雰囲気が払しょくされていなかったということでもあるのでしょう。この城の歴史はともかくですが、この水野勝成、という人の一生が大変面白い。若くして小牧・長久手の戦いで功績をあげるも、父とケンカをして勘当され、豊臣秀吉、小西行長、佐々成政、加藤清正、黒田長政と主を変えながらさらに功績を上げ続ける。腕一本でのし上がっていったわけです。そして、74歳で島原の乱に出陣し、87歳でまだ火縄銃を打っていたという、年老いても壮健な人だったのが分かります。 実物大の槍 火縄銃まで(以外に小さい) 前日の姫路城に比べると、その規模は小さいですが、城内の展示なども楽しく、きいもずいぶん楽しんでいました。 11時には福山を後に広島に向かいました。

【子ども学と子育て】Vol.29 バックパッカーとフィールドワーク(夏休み企画)-1 旅の始まり~姫路城

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国宝 姫路城の威容 今年の夏休みは、本当はアフリカに飛び、調査を進めるつもりではありました。しかし、一気に成長し、だんだんべったりすることが少なくなった貴一朗を見ていると、家族旅行など後何回できるだろう…となんだか焦りに似た気持ちをもつようになり、少し前から貴一朗と旅行することを考えていました。何度かブログでも書いてきたように、貴一朗はここのところ「信長の野望」ブーム。GWにも東海地方のお城を巡ったりもしたので、今度は西に行ってみよう、ということで、福岡への帰省に合わせて旅に出ることにしました。もちろん、ただ行くのはもったいないので、これを自由研究にしようということで。 予定はこんな感じです。 8月7日 出発→姫路城→福山 8月8日 福山城→広島→広島城→徳山 8月9日 徳山→下関→門司→小倉→小倉城→福岡の実家 今回の旅、上に書いたこと以外にも2つ考えていました。一つは、僕の仕事のことを理解してほしい、ということ、そして、もう一つ、旅の仕方を経験してほしい、ということ。前者はフィールドワークの面白さやしんどさについて、後者は貧乏旅行をどうやってやるか、ということ。 残念ながら、この旅が終わって思うのは、たぶんまだ何回か一緒に旅をしたりしなければ両方とも理解できないだろうな…という感じ。今回は「青春18きっぷ」を使ったのですが、下の写真の表情を見てもわかる通り、電車に乗り始めて1時間程度でこんな感じになりました。   1時間ほどで飽きる… 京都駅から最初の目的地の姫路まで新快速で約1時間半。姫路駅から一本道で続く大手前は、天下の名城の名にふさわしい道幅の広い立派な通り。とはいえ、これからの長旅を考えると、おそらく1-2㎞はある通りをブラブラなどは、フィールドワーカーとしては歩きたくなる距離ではあるのですが、同行の貴一朗と連れ合いのことを考えればバス一択…巡回バスも出ており、さすがに国宝廻りだけあり、しっかりインフラが整っているイメージでした。 「白鷺城」という別名をもつ白肌の城壁はとても美しいのですが、城門からかなりの距離。雨上がりの姫路は京都の38度、39度に比べるとずいぶん楽でしたが、長い道のりはなかなかに堪える(きいも連れ合いもまだ余裕)。 城内はかなりの人手。しかもかなりの部分がインバウンド系でした。中に入れる国宝のお城で、新幹線でアクセスがしやすく...

【子ども学と子育て】Vol.28 歴史と地理を学ぶ 勝龍寺城

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写真1.正門から 「信長の野望」熱冷めやらぬうちに、実際に色々なところに行こう企画の第2弾。 毎週日曜日の水泳がお休みで、突然やることのない日曜日に(私ゃあやること山ほどあるんで、水泳を待つ間の喫茶店ワークを楽しみにしてたんですが…)。   ともあれ、少しのんびり目に10時ころに自宅をスタート、1時間弱くらいで勝龍寺城に到着。住宅地の中にポツンとあるお城ですが、なかなか品格のある「城址」でした。それもそのはず、戦国時代の文化人、細川藤孝による本格的な築城、明智光秀が山崎の戦の後に最後に籠った城、ということで、戦国時代の臭いの濃いところでした(写真1)。 現在、ある「城」は近年立て直されたものですが、門や石垣は当時のものを発掘して再現されています。この「城」の中は資料館になっており、この城に所縁のある細川藤孝・忠興親子、忠興の妻ガラシャ、そしてガラシャの父の明智光秀に関する展示が置かれています。 正面の門 正面の門を入ると、城内はきれいな公園として整備され、城壁沿いに桜が植えられている。シーズンになれば、とても気持ちの良い散歩道になることでしょう。「城」の内部は撮影不可なので写真はありませんが、ジブリの「かぐや姫」を思わせるタッチのキャラクターで描かれた勝龍寺城をめぐる歴史は大変親しみやすいものでした。 城内は公園として整備されている 一通り展示を見終わると、ボランティアの方に声をかけられる。「案内しましょう」とおっしゃっていたものの、「案内させろや!」くらいの圧がかかり、せっかくだし、お願いすることに。 城の歴史、再建の過程や発掘、城の構造まで、ボランティアの方は大変よく勉強されており、とても興味深い…年配のボランティアの方(女性)は、きいが飽きないように、よく話かけてくれるのですが、ボランティアの方も好きが講じた趣味らしく、話がとまらない。僕はと言えば、合いの手を入れて見たりして盛り上げてしまったこともあり、だんだん疲れてきてしまう… 再現された石垣 梅雨の明けた、暑い夏の日。そこで聞く歴史の話…アフリカでの僕の仕事の環境なわけで、僕はと言えば、好奇心爆発、ボランティアさんからいろんな話が聞けるのが楽しかったのですが、きいはだんだんため息をつくようになり、連れはもっと前からつまらなそうな感じ… この辺までかな、と思い、切り上げることにしました。 正面の橋 ...

函館出張行ってきました。

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ゼミ生の教育実習のアテンドのため5月23日、24日と函館へ。函館に来るのは、大学1年生か2年生の夏休み以来。叔父が退職祝いで親戚一同を連れて北海道を訪れた際に訪問しただけで、30年ぶりくらい。とにかく寿司を食べたことくらいしか覚えておらず、実質的には初めて街並みを見たようなものである。 初日に一通りの用事を済ませ、午後の飛行機まで少し街を歩く。朝から「湯の川」から函館駅近辺まで移動し、いくつかリストアップしていたところを訪問することに。まずは「北方民族資料館」へ市電で向かう。 車両の作りの問題から、晴れた週末のみ運行しているという「ハイカラ號」に乗ることができ、俄然楽しくなってくる。 毎週晴れた週末のみ走る「ハイカラ號」 函館駅から10分ほど。「北方民族資料館」に到着。このあたりは、明治時代のレトロな港町の雰囲気の素敵な街並みを残しています。さわやかな晴れの日にブラブラ歩くのもよさそうです。 早速「北方民族資料館」へ。チケットを購入しようとすると、「 共通券 」の案内が。函館市内4つの施設( 函館市旧イギリス領事館・函館市北方民族資料館・函館市文学館・旧函館区公会堂 )の入館料が安くなる、というもの。しかし、今回は時間の都合で、北方民族資料館最寄りの旧イギリス領事館を訪問することとし、いつになるやら分からないが、他の施設も見学してみたいものです。 函館市北方民族資料館 アイヌと言えば、 遺骨の返還問題 が記憶に新しい。私が所属する 日本文化人類学会も今年度改めてアイヌに対する謝罪 をした。学問の位置づけが厳しく問われた出来事である。まだ、完全な解決に至っているとは言えず、この後もアイヌの人々に寄り添った議論が展開されなければならない。 一方で、函館市北方民族資料館には、アイヌが使用した民具をはじめとする文化的な展示が充実している。人権の問題も学ばねばならないトピックだが、こうした人びとの暮らしを学ぶことは、アイヌのリアリティを学ぶとてもよい機会になるのではないだろうか。 アイヌの民具 1時間ほど北方民族資料館を見て、もう一つの訪問先、旧イギリス領事館へ。北方民族資料館から函館山に向かって200mほど坂を上ったところにある旧イギリス領事官は、1859年に開館、以来75年間にわたり領事館として機能した。時代を考えれば、いよいよ第2次世界大戦へと突入する前の、中国や満州へ...

ウトロ平和祈念館再訪(2024年4月20日)メモ

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写真.フィールドワーク?! 3月の ウトロ平和祈念館 訪問を踏まえ、4人の学生と同祈念館を再訪した。今回は、はじめに副館長の金秀煥(キムスファン)さんからウトロの歴史を中心に話を伺い、その後、展示の解説をしていただいた。その後、ウトロを一緒に歩いていただいた。ちょうど祈念館前を移動販売が通りかかり、市民住宅前でキムチ類を買い物(笑)(写真)。この時に、ウトロの人たちと少しお話しができたのはよかった。 前回、ゆっくり展示を見せていただきましたが、金さんのお話を伺い、新たな発見や疑問があった。いくつかを。 朝鮮半島に出自を持つ人をどのように呼ぶか?ずっと自分の中で統一できていなかったのですが、金さんに倣い、「在日コリアン」にすることにした。これが南北朝鮮全体を指すし、ニュートラルなニュアンスがあるような気がする。 ウトロ平和祈念館周辺の地図を紹介していただいた際、「南山城同報生活綜合センター」という文字が目に入った。ワーディング的には、朝鮮総連(北朝鮮)系?と思い金さんにどのようなセンターなのかを尋ねてみる。やはり、朝鮮総連系の施設とのことで、金さんから朝鮮総連と民団について解説してもらう。学生たちは双方の団体を知らなかったけれど、「コリアン」という括りで考えた時に、なにがしかの交渉があったはず。このあたりがどれほど重要なものなのか分からないが、少し勉強してみたいと思う。 こうした施設は、日本の歴史だけでなく、人間のアイデンティティをめぐる問題、差別の問題、そして、苦難の中を生きた人びとの力強さを理解する機会を与えてくれる大変意義深ものだ。この後、知ったが、神戸にも「生活資料館」というのもできるらしい。関西はこうした施設が多く、この後も、一つ一つ足を運んでみたい。 【参考】 ■在日コリアンの組織 朝鮮総連( 在日本朝鮮人総聯合会): 朝鮮総連ウェブサイト 、 Wikipedia 民団(在日本大韓民国民団): 民団ウェブサイト 、 Wikipedia ■金さん関連記事 朝日新聞(2022年12月11日)「 宇治・ウトロの歴史や人権語る 祈念館の金さん 」 滋賀県ウェブサイト( 「じんけん通信」令和5年(2023年)3月号 ) 奈良県ウェブサイト、 「ウトロの歴史を通じて人権を考える」 (「かがやき・なら」(No.257)) 【神戸の「生活資料館」】 朝日新聞デジタル(長田...

『福田村事件』森達也監督(ピカンテサーカス/137分)/ちょいネタバレ

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昨年来、少しずつ在日韓国人のことを勉強し始めているのは、何度かこのブログでも書いてきました。最近も ウトロ平和祈念館 に行ってきて、その前にも 東京の高麗博物館、ニュースパーク に行ってきたのですが、そこでしばしば見たのが、『福田村事件』のチラシ。タイミングとしても、これは見ておかねば、と思っていたのですが、残念ながら公開中には間に合わず、DVDを購入することにしました。 「福田村事件」は、関東大震災が発災した数日後に、薬売りの行商人たちが朝鮮人と間違われて自警団により虐殺された、という事件。「朝鮮人が井戸に毒を盛る」など、あらぬ噂を流されて暴力を加えられた多くの事件、「デマ」や「フェイクニュース」の問題など、様々な問題群をはらんでいる。ちなみに、ニュースパークの展示でも新聞が流言を報じた報道やそれを打ち消す記事などが展示されており、メディアの問題としても考えることができる。 一昨日DVDが届き、早速視聴した。 森達也 さんが監督、井浦新、田中麗奈、東出昌大、柄本明やら、出演陣も豪華でなかなか期待させる配役だ。戦前の軍国主義と張りぼてのような「大正デモクラシー」の相克の中、日本の「村社会」の閉鎖性がよく描かれ、ほんの少しずつ当時の女性蔑視的な雰囲気が引き金として、群集心理に働きかけ、さらに、災害の中で自衛への心情が絡みついていく。しかし、この辺の描写は後半70分程度で描いたものだけで十分。最初の45分程度は、どこかロマンポルノを思わせるようなちょいと艶っぽいシーンが続く。この描写がどこで回収されるのだろう…とみていると、襲撃された村のドロドロした雰囲気を描いたこと、また、不倫により信用を失った人たちが実は一番冷静だった、という、アンビバレントな人間心理を描く、というこの「福田村事件」という、在日韓国人への風評の二次被害という側面を若干弱めている。私個人としては、『A』などを描いた硬派なドキュメンタリー作家のイメージで見ていたので、若干残念な作品だと感じた。  

【ブルキナファソ調査】国旗の意味するもの

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  【3月27日一部修正・追加】 2024年2月27日~3月4日までブルキナファソに滞在しました。前の投稿でビザのことを書きましたが、観光ビザの発給停止がどのようなことを意味しているのか、もしかすると、政治的な意味も含まれているのではないかと勘繰っています。 ワガドゥグの一部の店舗には国旗が据えられていることがあります。多くがブルキナファソの国旗なのですが、アメリカファッションの洋服屋には星条旗、フランスのトリコロールがかかっているところもしばしばみることがありました。 こうした国旗事情、2023年9月の前回滞在の時に大きな変化に気が付きました。星条旗やトリコロールが掲げられていた店の国旗の多くが、ロシア国旗に代わっていました。昨年時点では、「トリコロールを90度回転させたらロシア国旗になるだろ?」という冗談が通じたのですが、今回、一切のトリコロールが姿を消しました。NHKの報道でも、このことは言われています(関連記事にURLあります)。そして、ほとんどの交差点(ラウンドバウト)の中心には、マリ、ニジェール、ロシア、時に北朝鮮の国旗がはためいていました。 友人によれば、こうした交差点では、夕方になると若者たちがお茶を飲んでいるとか。確かに、炭の後やらお茶の箱やらがちらほらと見える。こんなところで何をしているのだろう…もしかしたら、新たな友好国の国旗に囲まれながら熱く政治を語っているのでしょうか。 街中からなくなったフランス、新たに増えるロシア、この流れは政治的なものだけでなく、私が調査をする人たちからもよく聞こえてきたものを象徴しているように思います。歴史的なフランスの所業、独立後も続いた支配への恨みや怒りは、普段穏やかな民衆の生活の中でもしばしば見え隠れするものでした。 現地滞在中に調査協力者はこんな話をしていました。昨年、クーデタ直後より、エールフランスの就航が取りやめとなりました。この解釈について、調査協力者は、事態が落ち着き、エールフランスから再開の「通達」があると、ブルキナファソ側からフランスの非礼を理由にそれを拒否(勝手に出ていって自分の都合で戻って来る。フランスのそういう態度が我われをいらだたせる、ということらしい)。よって現政権の方針を指示すると。 ただ、ここで注意しておかねばならないのが、交差点に掲げられている国旗に交じり、現トラオレ大統領...

15年ぶりに訪れたゴレ島の砲台

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2007年3月@ゴレ島にて 2023年9月ゴレ島にて 書きかけの記事が昨年11月のもので、こちらの記事が昨年9月のものです。時間が前後してしまいますが、気にせずに書きたいところから進めます。 毎年恒例のセネガルプログラム。毎年、10日前後のプログラムを考えてスケジューリングをします。中に絶対に外せない訪問地があるわけですが、ゴレ島はアフリカの植民地の歴史を考える上でその筆頭格と言えるでしょう。 僕がゴレ島を訪れたのは、2007年3月(2月だったかも…)のこと。1泊でゴレ島を訪れたのですが、世界的な観光地ということもあり、瀟洒なホテルやオーベルジュはなかなかの値段がしていたので、とにかく安いところを探し、たどり着いたのが島の一番奥、小高い丘の海側の裾野にあるオーベルジュでした。丘の上にはオランダが作った砲台が残っており、オーベルジュは塹壕の跡地を利用したものだった。確か12,000Fcfa。格安でした。 実は、このオーベルジュ、当時私が研究していた「ラスタマン」の親分Ras Mahaが経営していると聞きつけたこともあり、値段だけでなく、大変ラッキーな宿泊となりました。この話はどこかで書いたので、この辺にて。 それから15年経った昨年9月。学生を連れて何度目になるかわからないゴレ島訪問となりました。ガイドに雇った青年が連れて行ってくれたのが、この場所でした。ガイドにここに来るのが10数年ぶりで、オーナーのRas Mahaはその時に会っている。彼は元気か?と尋ねると、相変わらずオーベルジュをやっているというので、ぜひ会いたいという旨を伝えると、少し年を取ったが、元気そうな姿をみせてくれました。ラスタ思想に傾倒していたこともあり、元々ナチュラリストでしたが、15年ぶりのRas Mahaは健康的なナチュラリストに変貌していました。オーベルジュも大きく、きれいになっていて、来年度のプログラムでは、こちらでお世話になることにし、短い再開を果たしました。 僕も等しく15年の歳月が流れたわけで、昔、当時ご一緒したバックパッカーに撮ってもらった写真があるのを思い出し、同じアングルで写真を撮ってもらいました。15年前に僕は精悍で、大胸筋あたりの盛り上がりがわかりますが、今の僕は、といったら、大胸筋どころか腹が出てる…撮らなければよかった、などと一瞬思いましたが、これも15年の歳月の結果。...