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カメルーン調査(2月8日~2月17日)① 

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ドアラ上空 2度目のカメルーン調査は、ブルキナファソから帰国した3週間後に敢行された。この年度は研究費の都合で、年またぎのブルキナファソ渡航に始まり、3か月で3回渡航という、鬼のスケジュール。しかし、3週間あれば日本での生活も普通に戻り、余韻がなくなったころに再び出国というサイクルで過ごす。伊丹で同僚の林耕次さんと合流し、経由地のブリュッセルへ。ブリュッセルでホテルでPLの山内太郎先生と合流。翌日の便でヤウンデに向かった。 今回はとにかくやることが多い。コロナ以前の話なので、どこかリアリティのない話だし、もうずいぶん前のことのようにも思うが ①前回の調査で協議した2つのNGOとのMOUの締結 ②ヤウンデでの研究会 ③ヤウンデでの初期調査の実施 ④ベルトア周辺での調査の設定 これに加えて、持ち込み仕事としては、アフリカ学会賞の選考に『現代アフリカ文化の今』の原稿、そして、4月から始まる講義の準備もあった。 ノートの清書もままならない、超過密な調査週間が始まる。ともあれ、ヤウンデに到着した3人はいつものマネックで夕食。今回初めてのンドレ・ポワソン・フュメに舌鼓を打ち、一時のここから怒涛の1週間が始まる。 にほんブログ村 アフリカ(海外生活・情報)ランキング

ブルキナファソ調査【20191227-20200117】④「手榴弾」爆破事件

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Sidwaya Paalga誌(20200109より) 少し間が空いてしまいました。年始のブルキナファソ調査の最後です。 2020年1月8日。新年があけてもワガドゥグは大きな変化はなく、街はいつも通りだった。僕も朝から調査を手伝ってもらっているザカリアといつもの場所で待ち合せる。乗り合いタクシーに乗り込むときに電話をし、時間と場所を確認する。普段の調査と変わらない調査の朝を迎えていた。 9:00数分前に待ち合わせ場所に到着。いつも少し遅れてくるザカリアのことなので、到着を電話で知らせ、僕はキオスクでコーヒーを飲んでザカリアを待つが、彼が来る気配はない。30分ほどして、イマームを連れてキオスクに来るが、着くなり、小さな声で僕に語り掛ける。 「我々のエリアがおかしい。テロが起こったと言って街区全体が大混乱になっている」 イマームは、僕を安心させようと思ったのか、「まあ、すぐに終わる。問題ない。」を繰り返すが、僕はよくないことがあったことは間違いないと思い、ザカリアが勧めるようにすぐにホテルに引き返すことにした。しかし、都心に向かうタクシーは軒並み乗車拒否。どこか騒然とした雰囲気の中、結局ザカリアのバイクに乗せてもらってホテルまで戻ってきた。 ホテルに帰り、FB、Twitter、その他現地新聞社のWebサイトで情報収集をする。こうした突発的な事件の場合、速報性の高いのは、間違いなくSNS。すでにいくつかの現地通信社がニュースを上げているが、そこに踊るのは、「手榴弾」や「クルアーン学校」の文字。少し前まで目の当たりにしていた調査地の周囲の混乱ぶりと相まって、確実に何かがあったことはわかるが、一つ一つが結びついていかない。大使館にも電話をしてみて、状況を確認するが、その時にには僕が集めたニュース以上の情報は手に入らなかったが、そのあとのやり取りのかなり早い段階で「テロとは無関係」という情報だけは聞き、少し安心する。しかし、一応、僕も勤め人。情報確認後に職場に連絡すると、翌朝には「非常事態対策本部」が立ち上がるとのことで、職場の指示を待つことにする。 情報は錯そうし、今でも真相とされていることは、少し眉に唾をつけてみておかねばならないと思っている。顛末はこうだ。 1月8日の朝、市内北部の未認可のフランコ・アラブ校に通う生徒の一人が、登校途中