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リトルワールドカレッジ【2015年3月21日】

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昨日調査から無事に帰還しました。いつものごとく時差ぼけが激しいですが、なんとか昼寝で乗り切りました。 来る3月15日に犬山にあるリトルワールドでカセーナの家屋のことについて話します。 2012年にも一度 この講座 でお話させていただいたことがありますが、そのときはほとんど資料もなく、モシの話をしたのですが、今回は正々堂々とカセーナの話一本で行きます。残念ながら一般公開でなく、年間パスを持っている方のみの限定です。前8回、それぞれの地域の専門家によるなかなか贅沢なセミナーです。 イエがどのように作られるか、また、何が変化したのか、ということをお話したいと思っています。 にほんブログ村

出国を前に。

今回の調査というか「アフリカ滞在」、セネガルで調整、カセーナで共同調査、その他業務調整をしてきたのだけど、実際に「調査」をしていたのは、実は滞在期間の半分もない。まあ、仕方ない面もあるのだけど、こういう滞在が増えてくると、帰り際、なんか充実感がない。別に何ページノートを取ったなどというのは、大した指数にならないのだけど、書いた実感がないというのは、こういう調査をしている人間にとって、多いに心残りなのだ。 そして、ブルキナに入る直前から、とても嫌な話に巻き込まれて、今まで我が町だと思っていたワガドゥグの街を急に狭くしてしまう事態も起こった。参与観察をする者として、周囲とのラポールが大切だということは、教科書で一番初めに習うこと。きっと、僕はそれが得意な方だと思っていたから、その一部を自分自身が招き入れてしまったことで、ずいぶん神経をすり減らした。もしかすると暴力をひき起こしかねなかったこの事態、同行した4人の方に何もなくてよかったし、僕自身も、こちらの友人たちの完璧なガードのおかげで、何もなく出国できそうだ。少し楽観的に考えたら、ここまで関係性が拗れたのに、最低限の仕事ができる環境は用意できていた、ということでもあるので、もうあまり消耗しないようにそう考えておこう。 とネガティブな話ばかりでもなくて、滞在の半分程度の調査で、とりあえずの親族調査ができたことや、今日も2016年に企んでいるイベントの打ち合わせが上首尾にできたこと、セネガルの仕事もいい種蒔きができた。 読み直したら、やっぱり凹んでる自分が見えた。こんな気持ちだったこと、残しておくことにする。

ゾウさん@ナホリ、ナゼンガの北側

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ニジェールでは野生のキリンをしばしば見たけど、ブルキナファソでは、一度ボボ・ディウラッソに行く道沿いで見ただけのゾウ。調査地に向かう道沿いに、親子4頭(?)のゾウの群れに遭遇した。子連れだったこともあり、母ゾウがかなり興奮して、大きな耳をワサワサと…ドライバーのアブドゥルいわく、怒ったゾウは、時速60㎞ほどのスピードで走ってくるとか。とにかく写真をパシャパシャ撮って、とっとと退散でした。

On va danser!

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諸事情あり、しばらく気配を消してました。なんとか元気にやっています。そして、その諸事情も少し問題含みなものの、日一日改善されていて、少し心安らかに過ごせるようになりました。 今回はカセーナのイエの調査がブルキナファソでの主な仕事です。今回がようやく4回目の訪問。少し時間も長くて、計10日ほどの調査になります。毎度毎度の儀礼的なものですが、まず、僕らが開発プロジェクトではないこと、なんで、井戸とか病院とかは勘弁してね、ということを確認し、ほぼ協力費先払いのつもりのお土産を渡す。前回、この村のシェフから、「最近寒いから、上着がほしい」と言われていたので、それを買って持っていく。この時の写真はそのときのもの。普段はいつも寝そべっているシェフが、急に踊り出す…恐縮です。 その後、同行していただいている伊東さんは女性と、中尾君はモノやら村の範囲を知りたい、というのでそちらを、小林先生は家屋を作るときの身体尺やら、そして僕もこのイエの家系図の作成に取り掛かっている。たぶん、それなりに順調には来ている。 こちらでの滞在も残り1週間。ノリノリで行きたいと思います。

百田尚樹『海賊とよばれた男』講談社

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研究者としてこういう本をブログに挙げる、というのはなかなか勇気がいる。しかし、まあ、僕ごときが挙げたから思想的に云々ということにはならないと思うし、もしそうであっても、この人の小説を読んで感想を書くことでときにどんなことになるのか、ということをわかっていて書くので、そうご理解いただきたいです。 こういう前置きをすること自体がめんどくさいし、自分のけつの穴の小ささだと思うのですが。ともあれ。 この本、連れ合いに持たされて、半分しぶしぶ持ってきました。しかし、一部の百田氏の書きぶりはともあれ、ベストセラーになるだけはあるな、と思わせました。この小説が出光佐三氏の物語であることは、解説でようやく明かされるのですが、それまでは国岡鐵造という人物が主人公となります。まずは、弱小石油卸商がいくつかの苦難を乗り越えて、日本を代表する企業へと成長していく判官びいきにはしびれる作品であること。豊富な時代の資料に基づいた資料的にも面白いものであること。最近では珍しい明治から戦中戦後にかけてのイケイケな立身出世物語。そして、強烈な父性を持つ主人公、それを裏付ける、終身雇用制どころか、社員(店員)はすべて家族で、家族に馘首がないように店員にも馘首はない、そして定年退職もなしというワーキングプアが当たり前の昨今では想像もできない会社の設定。さらに、それを「日本的」企業や「日本的」社会の原(幻)型として位置づけてみていること。 最後の皮肉はともあれ、上司としての鐵造はそれはそれは魅力的。百田氏がこの小説を通じてどれだけのメッセージを発信しようとしているのかわからないけど、一つの会社という社会を取り上げているのも間違いはないでしょう。上司-部下の関係は、会社を考える上で、とても重要であることは疑いないでしょう。ブラック企業という言葉も定着した感がありますが、はっきり言ってかなりスパルタンな鐵造は決して暴力的な人物として描かれることはありません。ある意味、完全な社長で、それは、一つは鐵蔵のカリスマ性、そしてそのカリスマ性の裏付けとなるような高邁な理想(「個人のことよりも国家のこと」)にこの完全性が回収されていくように読めます。確かに、鐵造の人心掌握スタイルは、部下の能力を能動的に伸ばそうとしていて、どこか、サントリーの佐治信治郎氏の「やってみなはれ」精神的にダブルところがあ

セネガルに本当は何をしに行っているか、ということについて

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セネガル出張も残すところあと2日。いつも「飯がウマい!」と言っていると、こいつはいったい何をしに行っているのだ、と言われそうなので、少し調査の話を。 一昨年から、すでにセネガル出張は5度目。うち3回が上司と一緒に広域調査として、セネガルの北、内陸部を中心に走破しています。雨季はそこそこ緑が増えますが、この時期(乾季)は上の写真のような景色が延々と続きます。時に赤いラテライトが表層に出たりしていますが、多くが砂質のいわゆる「砂漠」に近い景色が広がっています。何が「砂漠」かは、ややこしいのでおいておきますが、下のウマの見える写真が、古砂丘で、上司いわく、過去にできた砂丘がこのように固定化されていくのだそうな。 時に四駆を駆って道なき道を行く、ということもやるのですが、今のところは幹線道路をひた走り、景色の変化を確認しながら、なるべく距離を稼ぎます。すると、下の写真のようなクレーターのような大きな穴ぼこに遭遇します。多くが道路をつくるときに土や砂、石を採取したところがのこってこのようになっています。ただ、道路作りに限らず、日干し煉瓦用の土やその他の場合もままあるのですが。 ボスは土壌学者で、こんな景色を見るとちょっと降りてみようと言って、どんどん降りていきます。もちろん、あとをくっついていくのですが、見るのは、こんなところ。地層の見える部分や木の根が見える部分。 もう少し近くによると、こんな風に見えます。地層に線が入っていますが、これが洪水や地殻変動など急激な気候の変動の跡なのだそうです。そして、その上の方をみると、砂の堆積量などが見えて、この近辺の砂の層の厚さがわかるわけです。砂の層が厚ければ、リッチな証拠。このあたりの見方が面白くて、砂の層はもちろん有機物が少ないので、栄養素的には貧しいのですが、植物が根を張りやすく、保水性も高まるので、成育に関しては砂が厚いほどよい。栄養素はなくても、光と水と二酸化炭素さえあれば植物は光合成ができるので間違いなく育つわけです。なので、有機物は二の次、まずはこのあたりを見るわけです。 僕はこうしたことがわかっても、その次に何を考えればよいのやら、まだまだ分からないのですが、「門前の小僧」のなんとやらで、少しずつこういう景色の見方を学ばせていただいているわ