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【GW企画③】東山トレイル:蹴上~大文字山

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大文字から京都の街を望む GW企画第3弾。 昨年6月に大学の同僚に誘われて行ったコース を家族でチャレンジ。当初、比叡山に登る予定だったが、登山経験のある連れ合いによると、雲母坂からのコース、延々とのぼりが続き、相当しんどいとのことで、こちらに変更した。ただ、いつも上っている銀閣寺からの道ではなく、蹴上から東山の尾根伝いに登る、というもの。初めてこのコースを歩いた際、最初のしばらくは岩場があったり、若干しんどいものの、その後は強烈な登りはなく、それほどしんどくなかったように記憶していた(特に落ちはなく、それほどしんどくなかった)。 新緑の山道 休憩ポイントでピース 蹴上駅まで電車で行き、琵琶湖疎水を抜け、日向大神社の参道を登っていくと、いつしかうっそうと木々が茂る山道に入る。うっすらと記憶していたのが、最初の30分ほどが岩場をよじ登るようにして歩く、いきなりの大きな山場。まだ全然疲れていない貴一朗は面白がっているが、連れ合いから早くも不満の声が… しかし、しばらく登ると尾根道に出て、穏やかな森の道を歩くことになる。これだけよい季節なこともあり、多くのハイカーたちとすれ違う。貴一朗も一緒に「こんにちは」と声を掛け合い、「挨拶するのは気持ちがいい」と。もちろん多少のアップダウンはあり、下る度に「せっかく登ったのに!」というのも貴一朗の声。約2時間半歩き、「もう少し」と励ましながら、山頂に到着。大文字からよりもう少し高いところから京都を一望するのはなかなかに気持ちがよい。 山頂でピース 山頂の丸太の上に腰かけ、お昼タイム。弁当も3人同じものを作り、みんなでいただく。 山頂ではらごしらえ 山頂の標識でピース 実はここから大文字までさらに20分。最後の坂が意外にきつかったりする。大文字まで行けあ、後は慣れた道。下り坂は膝にくるので、そろそろと下る。銀閣寺に到着すると、ご褒美の抹茶アイスをいただき、東山の散策を終えたのでした。 前回が6月でかなり汗をかいたのを記憶しているのだけど、今回は本当にベストシーズン。山道は本当に気持ちよく、2度目ということもあり、体力の配分もうまく行った。筋肉痛はまったくなく、素晴らしい休日となった。

親子サッカー

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昨年からキイチロウは放課後に週1回サッカーをするようになった。なかなか外で遊ぶことが難しくなった昨今、体を動かすのは親としても嬉しい。仲の良い友達たちと一緒にひとしきりサッカーに勤しみ、うちを行き来するようにもなり、「小学生」を謳歌している。 数週間前、連れ合いから「親子サッカー」なるものがあるとのことで、あまり何も考えずに諾の返事をしておいた。本当にあまりちゃんと考えることもなく、ぼんやりとキイチロウのサッカーを「見に行く」程度だと、思い込んでいた。 そして、当日…前の日にイベントで遅くはなったが、論文で詰まっていることもあり、午前中に泳ぎに行こうかと思うと連れ合いにいうと、怪訝そうな顔をする。まあ、気にしても仕方ないので、すっかりそのつもりでいると、「親子サッカー」の予定を色々とインプットしてくれる。「えっ?なんで着替えないといけないの??」「だって、「親子サッカー」だよ」「えっ?!もしかして俺もやるの?」…チーン。 行く前から筋肉痛確定。それ以前にケガをさせない、ケガをしない、熱くなり過ぎない、と言い聞かせ、いざ… 約20年間ラグビーをやってきて、体を動かすことにはそれほど苦手意識はなく、むしろスポーツは好きな方。ずっとジムには通っているものの、水泳でゆったりと体を動かす程度で、瞬発的な動きなど何年もやっていない。ゲームが始まると、小学生の機敏な動きに翻弄され、おそらく10歳以上若いほかのお父さんたちにも到底ついていけるわけではない。足はもつれ、横の動きについていけずに変な転び方をし、酸素不足で視界が白くなっていく…長年のラグビーの貯金と体が動いていたころの記憶がまだ少し残っているのか、こうした体の様々な変化を(ここだけは冷静に)感じながらプレーしていた… 結果。10分×2×2+7分×2×2の4ゲームにフル出場した。今、書いてみて、1時間以上サッカーできたので、まだまだいける、と思ってしまっているが、まあ体はボロボロ。軸足の右足に体重をかけすぎ、炎症を起こし、その翌日には痛風の発作を誘発して足を引きずる羽目に。しかし、筋肉痛は比較的軽微で、右足をさすりながらも、また「まだまだいける」と…幻想か… その夜、へとへとになった父ちゃんにマッサージを申し出てきたキイチロウ。喜んで受け入れると、なかなかに効き、マッサージをしてもらいながらウトウト…いつしか心地よい疲れと...

【日本のアフリカレストラン】番外編② Siddique/八潮スタン

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インスタ でも書きましたが「 もはや東京にホテルをとることを諦め、初手から埼玉ねらい。」というわけで、1日-2日と「埼玉出張」。今回のお宿は八潮(埼玉も宿が取りにくくなりました…)。日中は東松山のスリーデーマーチを視察して、宿に戻り(埼玉も横移動が難しい)、「 在日セネガル人向け日本語教室 」が終わるとすでに20時。時間も時間でそんなに遠くにはいきたくないな…と思いつつ、スパイシーなもん→アフリカン以外→ビリヤニ、と思考がおよび、知恵袋に尋ねてみる。3軒ほど紹介してもらうが、いずれも徒歩30分ほど…食べログを見ると、どこもおいしそうで、口の中は益々ビリヤニ… さらに検索していると、あるではないですか!Siddique!おっ、しかもあの「八潮スタン」ここやったか!さらに、ホテルから徒歩5分と至近。というわけで、レッツゴー。 Google先生のおっしゃる通り、5分ほどで到着。高速道路と工業団地の暗がりの道の中、住宅地に入るころに見えてくる煌煌とした明かり。「ハラール屋台村 八潮スタン」。怪しい(笑)。 中をのぞくと、中東系のグループがにぎやかに食事をしている。オープンキッチンでは、何かカレーのようなものを調理中。突然異国感満載。 食券を購入して着席。店内を見てみると、ハラール中華、ハラール日本食、マレーシアレストラン、チャレンジキッチン(ハラールのハンバーガーなど)と、本当にムスリム向けの屋台村になっている。この時間は営業していないようだったが、数人のスタッフが忙しそうに動き回っている。 そして、やってきました。マトンビリヤニ。ビリヤニ、とても好きなのだけど、未だ経験値不足で、どの辺が最高地点なのかがわからない。今のところの認識では、食感はふんわり+パラパラで、スパイスはむしろ味のムラがあって、自分で調整しながらができる仕上がりで、というくらい。スパイスの加減はよくわからない。 という、薄い知識をもとに口に運ぶ。若干乾いている感じがするが、自分の好みでは、これくらいでよい。少しおこげ気味の部分は、セネガル料理ともどこかで通じ、これも悪くない(バスマティのおこげ、初めて口にしましたが、軽くてパリッとして、アクセントとしてよいのではないかと思いました)。おそらく、日本人向けにマイルドには作られていないことが分かるのが、時々くるピリッとした辛み。香りも今まで食べたビリヤニより...

真夏の法要

先週末に 叔母が亡くなり、一昨日と昨日は法事のため忌引き。ちょっと遠いが関西在住だったこともあり、2日間ともに京都から通う。 普段着ることのないスーツを引っ張り出したものの、黒いネクタイが見当たらない。そして、ずいぶん前に作ったスーツで体になじまなない(太ったというより、体形が変わったようで、妙にスカスカなところとパンパンのところがある)うえ、 京都は37度、大阪も35度と、オールシーズンの礼服は、もはや「オールシーズン」用ではない。とにかく暑い。 5人兄弟の母だが、 親戚の中では、叔母と母が5人の中の二人姉妹だったこともあり、比較的よく行き来して話もたくさんしていた叔母。最初に母の実家を継いだ叔父がずいぶん前に亡くなり、その後、ここ数年の間に叔母と母以外の男兄弟が相次いで亡くなり、最後に残った二人だったこともあり、母の喪失感はいかばかりだろう。ここ1,2年、母から叔母のことを聞く限り、認知症が進み、母のことも思い出せなくなっていたというし、ある程度はこの日を想像できていたはずなので、ソフトランディングしてくれていることを望んでいるが。 市営の式場は十分にエアコンが聞いており、焼き場も併設されていて、通夜、告別式の間中は式場の中を行き来する程度。住職も来てくれて、とにかく遺族の負担は昔参列した葬儀に比べればとにかくシステマティック。もちろん、子どもの頃に叔母と叔父に世話になったこと、また、いとこがとてもかわいがってくれたことなどもあり、とにかく大阪の親戚に会いに行くことが楽しみだったこと。早くに亡くなった叔父はクラシック好きで、N響の定期チケットを持っていたのだけど、余るからなのか、どうかはわからないけど、東京の学校に通う僕のところによく送ってくれていて、高校生のころには何度もN響の生演奏を聞きに行った、などと、叔父や叔母の家族との思いでを回想していた。そして、よく考えれば、戦中生まれの叔母。そういえば、ほとんど戦争の話などは聞かなかった。 叔母は母より3歳年上の昭和13年生まれであることを聞くと、戦争をリアルに記憶されていたはずの世代。 母から聞いた戦争の話、もっと聞いておきたかったな…などと、式の間中思い出していた。 悲しい、悲しくない、という二択であれば間違いなく悲しいのだけど、87歳という長寿の部類だったこともあり、 諦念もあるし、 どちらかというと「お疲れ...

大文字山登山

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  職場の同僚に誘われ、朝からトレッキング。家族の朝食を用意し、洗い物をし、大急ぎで準備していざ。 今回は蹴上から大文字山を抜け、銀閣寺に降りてくる、というルート。大文字山は家族と銀閣寺ルートから登ったことがありますが、蹴上からは初めて。 運動不足のおっさんには不安でしかありませんでしたが、何とか踏破。朝7時に待ち合わせ、たっぷり3時間半をかけて歩き、帰りに出町柳でいろいろ用事を済ませ、お昼を食べて帰宅。家でシャワーを浴びお仕事で、現在に至ります。ひと汗かいてまだ午前中という、なんとも充実した一日でした。 今のところ心地よい筋肉痛ですが、明後日あたり、カチコチになるんだろうな…

禁煙1年

 2024年5月23日… 第1クオーターも終盤、色々と忙しくしている中、猛烈な咳に悩まされていました。かかりつけの病院に診てもらうも改善の兆しは見えず、コロナでもなく、という先行きの見えない闘病生活はなかなかにつらいのですが、タバコを吸った後に訪れるほんの一瞬の咳のない世界、それだけを求めて喫煙所に通い詰めていました(なぜかタバコを吸うと咳が止まる一瞬がありました)。 そして、知り合いのドクターに診てもらい漢方を使うようになり、若干の効果は認められたものの、劇的な変化が見られなかったため、呼吸器科の専門医を予約したその日、激しく咳込み、持っていたタバコを最後のタバコにすると宣言して、始まった禁煙。 そもそも、ラグビーをしながらも練習後の一服が楽しみだったり、夜に紫煙をくゆらせながらウィスキーを傾けたり、喫煙所コミュニティを起点にいろんなことが始まった、というタバコから恩恵しか感じていなかった僕が禁煙など、今でも全く信じられないし、相変わらずタバコの香りは今でも好き(わざわざ吸おうと思わなくなったのだけど)。「一大決心をして…」というわけでもなかったこともあり、自分の中ではかなりカジュアルな禁煙のつもり。なので、意志が強いとか弱いとか、余り気にならないので、勧められたらたまに吸う。そんなの禁煙ではない、と言われたらその通りなのだけど、この1年でたぶん4本吸った。 まあ、これくらいでよいかな、と思いながら、次の1年もうまく続きますように。

【子ども学と子育て】Vol.26 子どものころの記憶を伝える

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初めて取ったタケノコを手に 僕がタケノコ堀りに行ったのはいつ頃だったか…最初に行ったのは、おそらくは小学生の低学年の頃だったのではないかと思うけど、その後、毎年ではないけど何度かは竹林に分け入ったのを記憶しています。それ以外にも何度か、タケノコ掘りをしたようなきがしていて、熟練しているわけではないけど、体が勝手に動くようでした。どれくらいタケノコ掘りをしたかなどの記憶はぼんやりしているのですが、、最初期に食べた「タケノコの刺身」がとてもおいしかったことや、父母と一緒にタケノコを掘った記憶はあります。 とてもよく整備された竹林 今回訪れたのは、木津川市の山林。「加茂女(かもめ)」というNPOが管理する竹林です。大変よく管理されていて、竹林の下草はきれいに刈られ、傾斜には階段が作られ、敷地内には、竹で作ったトイレ、竹炭を作り、窯(ピザ用)には竹がくべられていました。竹をうまく利用しようという姿勢を感じました。 タケノコって意外に重い 簡単に説明を受け、早速タケノコを探しにいくのですが、「パパ、タケノコどこにあるの?」。あっ、そっか。そういうのもわからんのね。その辺を見まわして、タケノコの頭を指す。一本目はタケノコの周りの土を掘り、根元のところまで掘り進める。竹の根を切り、タケノコを取り出すと、「見せて~」。じっさいに持ってみるとずっしりとして、「重い~」。 自分で見つけたタケノコを掘ってみる 今度は自分でやってみて。ということで、自分で掘ってみる。家の花壇の土位しか触ったことがない貴一朗にとって、本格的に土を掘るのは初体験。小さなツルハシで回りを削るように掘っていかねばならないのだけど、こんな姿勢でやるもんだから、すぐに「代わって~」。ツルハシの大きさからすると、まだ片手で操るのは難しいか… ピザもついていた 2時間ほどタケノコを掘り、土嚢袋2袋分。おそらく20㎏ほど取れて、もうお腹いっぱい。お昼には、タケノコご飯、焼き芋、ピザを出していただきました。これで大人4000円は安いですね。 帰宅してから作ったタケノコご飯 帰宅して余勢を駆ってタケノコの下ごしらえをし、まだ熱を持った状態でタケノコをいくつか取り出してタケノコご飯を作る。柔らかなタケノコ、美味しくいただきました。タケノコ生活3日目ですが、土佐煮、筑前煮、若竹煮と知りうるタケノコ料理を作り、あと少し。貴一朗が「ペ...

【子ども学と子育て】Vol.25 お弁当づくり

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  今シーズン最後の弁当。野菜少な目。 貴一朗は小学校の3学期が終わり、それ以来2週間は給食がないので、お弁当生活でした。私自身も本学の学食はすでに食べ飽き、職場の変わった自分の分と連れ合いの分も含め、この間、 作り続けました。 まさかキャラ弁など作れるわけもありませんし、全て手作りということもできないので、冷凍食品なども適当に使い、オカズが前の日と被ったりしながらでしたが、何とか最終日を迎えました。最終日の今日は貴一朗のリクエスト弁当。チャーハン、メンチカツ、卵焼き、ちくわキュウリ、ミニトマト(なかなかのハイカロリー…)とちょっとお野菜(写真)です。 そもそも料理を作るのは好きなので、それほど苦痛ではないだろうと高を括っていたのですが、普通の料理と弁当の料理がこうもちがうものか、というのを痛感しました。汁が出ないようにする、隙間を埋められるオカズをいくつか用意しておく、少しは彩りを考える(放っておくと茶色くなる…)、などなど大変でしたが、いろいろ勉強になりました。 夜布団に入ってから翌日のお弁当のことを相談して、眠りにつく。料理に関心を持った貴一朗に包丁を持たせる、味見をしてもらって一緒に調整する、などなど、大変な中で、こうした時間はとても楽しいものでした。僕が感想を聞きたがるからか、夕飯を食べながら反省会。「今日はちょっと塩辛かった」とか、「あのおかず、ちょっと苦手な味付けだった」とか、正直に言ってもらえるので、「パパ、あれまた作って」の感激は大きい。 先週、新学期が始まり、貴一朗は4年生になりました。だんだん少年になる彼がいつまで弁当を楽しんでくれるんでしょうね…とにかく、空腹で生活に障害がでないように、そして、仮にも「食」で何本も論文を書いている身。食から社会に関心を持ってくれたら、望外に喜ばしいです。

禁煙…成功なのか?!

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  5月のまだ寒い夜、少し体調を崩していた貴一朗が夜中に盛大に咳き込む。背中をさすったり水を持ってきたりしているうちに、僕に絡みついてきて、顔の前で「ゲホゲホ…」。こんなことが何日か続き、とうとう、その咳は僕にも… もちろん仕事のある私は、とりあえず…と思い葛根湯あたりの感冒薬から始め、市販の咳止めを飲み、それでも止まらないので、咳が出始めて1週間ほどでかかりつけに。かかりつけでもらった薬は全く効かず、薬を変えてもらったにもかかわらず、それもそれほど劇的に変わるわけでもなく、3週間ほどが経過。今度は呼吸器科の専門医を訪れ、強い薬を処方してもらい、友人の医師には漢方を出してもらい、他の友人の医師にもいろいろアドバイスをいただくなど、この1か月半ほど、かなり体調を崩していました。2020年に診断されて以来の「喘息」。貴一朗の咳がトリガーになったのかどうかは定かではないですが、とにかく、この間相当辛い時期を過ごしました。 で、5月23日、ちょうど呼吸器科の先生とのアポイントが取れた日、僕は咳き込みながら最後のタバコを吸った。僕の性格なのか、宣言をして構えてしまうと、大体失敗する。その日、ゼーゼーいいながら大学の喫煙所に行くと、澤崎さんが授業終わりの一服をついていた。そこには、いつもの同僚たちもいて、咳込みながら煙草を吸う姿をみて、心配してくれるのだけど、箱に残った最後の一本を加えた。実は、「チェッ、買ってくるのを忘れた」と思っていたのだけど、ちょっと口を滑らせて「これでタバコを止めます」と言ってしまった。 咳をしていても、タバコを吸うと一瞬肺が楽に感じられる瞬間がある。これは喫煙者でないとわからないと思うけど、だからタバコはやめられない。でも、物理的にそこにタバコがない状態を続けば、物理的に吸うことはないわけで、何となく数日間続き、呼吸器科の先生の問診を受けたときに、タバコのことを聞かれて、「禁煙してます」と…「いつ頃からですか?」「3日前からです」…苦笑い、失笑、どちらか、両方か分からないけど、一瞬ニヤリとされた気もしましたが、お医者さんはえらいですね。バカにもせずに「じゃあ頑張りましょう」ということで、そのまま禁煙を続けることにしたわけです。 長引く喘息から何とか早く解放されたい…という気持ちが強かったが、その一方で「おっ、今日も吸わずに済んだ」という一日を続...