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科研費応募の季節

「研究」っていったいなんなんだろう?「研究者」って、いったい…? という妙な自問自答を繰り返す時期です。 多くの日本の「研究者」は日本学術振興会が出す「科学研究費」によって、研究費を得て、それぞれの研究にまい進する。今週当たりがその応募締め切りにあたり、たぶん、日本中の「研究者」の睡眠時間が最も少なくなるころではなかろうか? 実験をしたり、調査をしたり、論文を書いたり、学会発表をしたり、というのが一般的な「研究者」の仕事なのだけど、たぶん、平均したら、これらと同じか、もしかするとより比重の高いのが研究資金獲得活動ではなかろうか。「政治家」が、選挙に血道をあげるように、研究者と呼ばれる人たちも、この活動に血道をあげる。政治家が選挙で受からなければ、もしくは政権が取れなければ、ただの人であるように、研究資金がない(人に認めてもらえない)ことは、研究者の存在価値にかかわるもの。 かといって、研究者が研究者であるのは、真理や科学の探求にこそ本質があるのであって、カネはその道具、手段であるはず。科研費だけなら良いけど、ほかにもいくつもこういう助成金申請をする。「その一方で」調査、執筆をする、というのが実際のところではないだろうか。 やっぱり、一体なんなんだ?「研究」って??

グッと堪えて

この前のエントリーの続き。やはり愚痴です。 例の仕事、結局おカネを出しているのは先方だけど、こちらが動かねばなんのリソースもない。結局上下関係なんてないはずなのに、かなり上からの物言いが多い。もちろん、こういう事態が起こる背景には、様々な要因があるのだけど、ここ数日間のそういうことの背景には、先方の組織内での発言の不整合が明らかにあって、おかげでこちらも何時間も費やすことになる。 切れてしまえば楽そうなのだけど、まあ、そんなことはできるわけもなく、でもメールの返信には、「そちらさんでっせ」という要素をたっぷり入れてやる。いつか味わった嫌な感覚…今やそんな風に戦える立場でもないから、ファイティングポーズもこのあたりが限界。 まあ、もうちょい。1か月がまんがまん…

ふ~

10月、11月は今の仕事について時から言われている最繁忙期。某独立行政法人からの受託事業の担当となり、全くペース配分がわからない中でボチボチと準備をしてきたのが、いよいよ本番を迎える。 地球研在籍時には、3つくらいの研究会を回していたし、上司のリクエストも意図をくみ取ってそこそこのモノを組み立てるようなことも、なりにこなしていたように思う。研究そのものについてはそれほど自信はないけど、こういう立ち回りは割と得意だと思っていた。 ところが。自分でも不慣れなところがあるから、そういう意味で差し引いて考えられるくらい余裕はあるのだけど、まあ、某独立行政法人というのが細かい。僕が雑なだけ…なのだろうけど。 それともう一つ。大学卒業後、4年間の会社生活があったとはいえ、すでにそれから10年。もちろん染み付いたやり口みたいなものが、今でもあるのには自覚的なのだけど、研究の世界は経済的な利害関係が会社に比べると少ないので、まあ、ケツの穴がよほど小さい人間でない限り、気に入らない相手に攻撃的なことはしない。基本的に放置だ。研究が苦手とはいえ、10年以上どっぷりこの世界につかれば、だいたいのやり方はわかっている。本当に久しぶりのこの感じ。罰ゲームみたいなやり取り。 まあ、前職が自由で、自由というのは仕事に使えるおカネが潤沢で、こういうタスクが少なくて、上司が放牧主義ということ(つまり、ぬるま湯)を指すのだけど。まあ、この仕事、社会復帰のいい刺激と思って頑張るしかないですね。 しかも、原稿は進まないし、科研費の申請はあるし…どこまでできることやら…

高野秀行氏との出会い

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世の中に辺境を目指す人というのはそれほど多くないもので、とうとう出会ってしまった。高野秀行氏。この人の名前は、僕の人生の中で時折顔を見せる。大方、この三冊がその象徴的な本だ。僕なりには、あるシチュエーションでは、結構なとっておきの話なので、どこかで僕がしゃべりだしても、先取りしたりしていじめないでほしい。 下からいく。 『幻獣ムベンベを追え』という、旅行記でももっともバカバカしい部類の本だけど、これは打算的になってしまった学生諸子にはぜひ読んでいただきたい本だ。今後僕がどこかで講義をして、首にならないようであれば、参考図書にしようと思っている本だ。 1999年、僕が都内の某船会社に入社して、僕の教育係になったのは、故佐藤英一さんだ。残念ながら、僕が退職して数年後に亡くなってしまった。佐藤さんは、いつも下を向いて、ことあるごとに、頭を抱えて固まっている。その集中力たるや、すさまじく、頭を抱えてしまったらほぼ人の話は聞こえない。なので、最初のころは全くコミュニケーションが取れなかった。僕は割と開放系の性格をしているから、実は10年先輩の佐藤さんよりも営業の仕事はうまかった。2年目の終わりころで、外回りもさせられ、佐藤さんはひたすら内勤。しかし、いわばコントロールタワーで、船のスケジュールはほぼ佐藤さんの手によるものだ。飲み会に参加することもなく、必要以上に話をすることもなかった。だけど、ほかの上司などから聞く、佐藤さんの話は実に魅力的で、それが、早稲田の探検部時代の話だった。たとえば、メコン川の中州の島に無装備で2か月生活して、その時には、「動くものはなんでも食った」という話だったり(これはのちに僕の思い違いかなんかということが分かった)、アマゾン川を川下りして遭難した後輩たちを助けに行ったとか…ご本人からは、一切そんな話を聞くことはなかったのだけど。 2003年。僕はこの船会社を辞めるのだけど、決意して辞表を持って、課長にそれを渡して、という一通りの儀礼が済み、いよいよ職場を離れる日が迫っていた。僕は、「課長、アフリカで生きていきたいので、会社を辞めます」とまるでマンガのような辞め方をした。そして、確か、送別会の時だったか、最終日だったか、佐藤さんが一冊の本をくれた。それが、高野氏の『幻獣ムベンベを追え』だった。そして、「君はこういう