投稿

ラベル(在日外国人)が付いた投稿を表示しています

社会実践力育成プログラム・国内ショート(アジア学院)2025年度

イメージ
でかいニンジン。今回のアジア学院の滞在では、1か月分くらいニンジンを食べたのではないかと思います。たっぷり有機の栄養分を含んだ土で育ったニンジン、特に生のものは本当に甘くてフルーツのようでした。 さて、今年度もアジア学院のプログラムを実施しました。今年度は3名の履修者がいたものの、最終的にプログラムに参加したのは1名のみ。例年のインタラクションの多いワークショップ形式のプログラムは難しく、ひたすら農作業に勤しむこととなりました。学生のいないアジア学院、冬の凛とした空気の中の静寂の中、たっぷりと土と向き合いました。 薪を割り、鶏に餌をやり、ヤギを追い、ニンジンを収穫し、畑の草を抜き、いつものように、大豆の選別をしました。アジア学院の理念を学ぶ、という、民主的な社会を築くための理念を言葉を紡ぎながら学ぶ例年のキャンプとは異なり、非言語的な光景からたくさんのことを学んだ気がします。 20数年前にアジア学院に来るとこんな感じだったな、というノスタルジックな気持ちを持ちつつ、うまくゼミと結びつけられないか、ということを考えていました。 その昔、恩師の森本先生は、ゼミ合宿をアジア学院でやっていて、朝晩の食事の前だけ農作業をし、そのほかを卒論やゼミ論のディスカッションとしていた。現在は、こうした枠組みのキャンプはなくなってしまったのだけど、土に触れるという行為は、都会で暮らす我われにとっては非日常。今回もそうだったが、土に触れることで普段の食がどこから来ているのか、ということを再認識させる。これだけでも、アジア学院での数日間は大きな意義を持っている。窓口になってくれている山下さんには迷惑な話であることは間違いないのだけど、少しカスタマイズさせていただけたら…などとと思っている次第。 ここまで冬を中心にプログラムを行ってきましたが、2026年度は夏の開催をもくろんでいます。たくさんの学生に参加してもらえたら、と思っています。

【日本のアフリカレストラン】番外編② Siddique/八潮スタン

イメージ
インスタ でも書きましたが「 もはや東京にホテルをとることを諦め、初手から埼玉ねらい。」というわけで、1日-2日と「埼玉出張」。今回のお宿は八潮(埼玉も宿が取りにくくなりました…)。日中は東松山のスリーデーマーチを視察して、宿に戻り(埼玉も横移動が難しい)、「 在日セネガル人向け日本語教室 」が終わるとすでに20時。時間も時間でそんなに遠くにはいきたくないな…と思いつつ、スパイシーなもん→アフリカン以外→ビリヤニ、と思考がおよび、知恵袋に尋ねてみる。3軒ほど紹介してもらうが、いずれも徒歩30分ほど…食べログを見ると、どこもおいしそうで、口の中は益々ビリヤニ… さらに検索していると、あるではないですか!Siddique!おっ、しかもあの「八潮スタン」ここやったか!さらに、ホテルから徒歩5分と至近。というわけで、レッツゴー。 Google先生のおっしゃる通り、5分ほどで到着。高速道路と工業団地の暗がりの道の中、住宅地に入るころに見えてくる煌煌とした明かり。「ハラール屋台村 八潮スタン」。怪しい(笑)。 中をのぞくと、中東系のグループがにぎやかに食事をしている。オープンキッチンでは、何かカレーのようなものを調理中。突然異国感満載。 食券を購入して着席。店内を見てみると、ハラール中華、ハラール日本食、マレーシアレストラン、チャレンジキッチン(ハラールのハンバーガーなど)と、本当にムスリム向けの屋台村になっている。この時間は営業していないようだったが、数人のスタッフが忙しそうに動き回っている。 そして、やってきました。マトンビリヤニ。ビリヤニ、とても好きなのだけど、未だ経験値不足で、どの辺が最高地点なのかがわからない。今のところの認識では、食感はふんわり+パラパラで、スパイスはむしろ味のムラがあって、自分で調整しながらができる仕上がりで、というくらい。スパイスの加減はよくわからない。 という、薄い知識をもとに口に運ぶ。若干乾いている感じがするが、自分の好みでは、これくらいでよい。少しおこげ気味の部分は、セネガル料理ともどこかで通じ、これも悪くない(バスマティのおこげ、初めて口にしましたが、軽くてパリッとして、アクセントとしてよいのではないかと思いました)。おそらく、日本人向けにマイルドには作られていないことが分かるのが、時々くるピリッとした辛み。香りも今まで食べたビリヤニより...

【フィールドワーク】Grand Magal de Touba 2025(マガル・トゥーバ)② 祭り当日

イメージ
迎えた8月13日。10時半ころに会場に到着。 会場には、美しく着飾った多くの人が集い、そこここで旧交を温めている。久しぶりの同窓会とか正月の親戚の集まりがいっぺんに来たような、高揚感を伴っている。 到着すると、早々に「朝食」を摂るように促される。 朝食セット ずらりと並んだ料理の列。サンドイッチやらファタヤやらスープやら、ホットドッグやら、その数10種類ほど。食事はどうせ遅いだろう、と思い、ホテルについていた朝食をいただいてきたしまったことを早くも後悔する。ちょっと遠慮がちにとっても、顔見知りから、「もっと食べろ」攻撃。なかなかヘビーだ… 朝から多くの人が訪れる 2008年に初めてセネガルを訪れた際、ちょうどマガルの時期で、僕は世話になっている友人たちとトゥーバに向かった。トゥーバでは、友人の知人のお宅の庭で雑魚寝し、あまりの乾燥と暑さのために朦朧としていると、食事が出てきて、気が付くとウトウトしていて、また食事が出てきて…という繰り返し。夜、涼しくなるとトゥーバの大モスクに続く参道に繰り出す。このようにあまりに大きな流れの中の小さなピースと化した私にとっては、マガル・トゥーバ、そこにいた、というだけで「祭礼」という思い出ではない。 日本でのマガル・トゥーバは、スケジュールが組まれ、粛々とプログラムがこなされていく。昼食をはさみつつ、バイファルたちによるズィクル、宗教談話、礼拝、来賓の紹介、礼拝と続いていく。 バイファルたちによるズィクル 礼拝が行われる 昼食 残念ながら、帰京の予定もあり、この日も17時ころ、皆さんより少し早く中座せざるを得ませんでしたが、初めてのフル参加。やはり参加してみないとわからないことはたくさんありましたし、書きませんでしたが、実は2人の研究者にご同行いただき、ほかのコミュニティを見られている方からの感想も大変参考になりました。 フィールドワークというと、なんだか対象を客観視しようとしているように聞こえますが、私はそういうものではないように思っています。そのコミュニティが進む方向に何らかの関与をしていく、ということにも調査者としての重要な役割がある気がしています。今回のマガル・トゥーバに参加することは、このコミュニティのメンバーと同じ時間を共有し、寿ぐことで経験を共有する、という意味で大変重要な参与であったと思っています。

【フィールドワーク】A New Yam Festival @ 横浜

イメージ
第6回「ヤム芋祭り」次第 家族とのお城廻の旅を終え、私は早々に福岡を離れ、向かった先は横浜。8月10日に横浜で開催される「ヤム芋祭り」に参加のためでした。今回は、在日アフリカ人研究の先輩の 松本尚之さん にお誘いいただきました。 日本で行われる大きな「ヤム芋祭り」は今年で6回目だそう。日本ではまだまだ馴染みはないですが、ナイジェリア(特にイボ)ではそこここで行われているようです。お祭りとしては「収穫祭」的なもので、日本では「米」の収穫を祝うことを考えると、「ヤム芋」がイボの人びとの「食」の象徴だということが分かります。実際にナイジェリアでどのように祭りが行われているのかは、これから勉強する課題として、参加したヤム芋祭りについてメモしておきたいと思います。  開催されたのは、「神奈川労働プラザ」の大ホール。小物政治家の何とかパーティでも使えるくらいの大きさのかなり大きなスペースを貸し切り、横断幕なども用意され、そこら辺のパーティどころではありません。かなり本気度の高い設定に少し気圧されつつ、いざ開始。パーティはMCの発声、自己紹介から始まるのですが、合間合間に仮面のダンスが入り込む。私が馴染んできたアフリカとは、大きく異なり、院生の頃に指導教官から聞かされただけの世界が展開してきます。 そして、どこの世界も大物は遅れてくるもので、宴が始まりしばらくすると少しずつ舞台前の貴賓席に人が埋まっていく(怪しい人ばっかりだ…)。 そして、宴もたけなわになるころ、「ヤム芋祭り」のメインイベント。ヤム芋のカットです。貴賓の皆さんの輪に松本さんの伝手ということでご一緒させていただき、最初のカットをさせていただきました。 メインイベントの「ヤム芋カット」 合間合間に出てくる仮面 次第に宴が深まっていきますが、食事も次から次へと運び込まれます。 まずは、前菜のピザ(!)。最初から空腹では帰さない気満々です。 「前菜」のピザ 前菜のピザの後はコラナッツとデーツが配られ、これがアフリカのイベントだということを思い出させます。 コラが配られる そしてメインの「ジョロフライス」!。お弁当形式ですが、コメの量は軽く一合はあります。肉もでかい… ナイジェリア料理店によるジョロフライスの弁当 内容はこんな感じ。 そして、弁当と前後してヤム芋のラグー(?)。ヤム芋祭りなんだから、こっちメインがよ...

【日本のアフリカレストラン】番外編① Happy Kebab (クルド/トルコ料理@蕨店)

イメージ
たまにはアフリカじゃないのも載せたいので、番外編を作ることにしました。 しかし、埼玉は熱い!ぶっ飛んできている気がする。県内では、アフリカ諸国民たちが勢力争いを繰り広げ、クルド人たちはヘイトと戦い、トルコ食材店にはアフリカの人がモノを買いに来るし、何ならキャッサバを作る農家もいる。ガチンコのセネガル料理やガーナ料理が食べられ、何ならアフリカの調味料などなんでも揃ってしまう。わざわざ京都から行くのは面倒なので、本当は埼玉に引っ越したいとすら思ってきています。 さて、訪れた Happy Keban 、いろんなところにありそうな一般的なケバブ屋さんと思いきや、何とクルドの人たちが営まれている。そして、ここのところ様々なところでニュースになっているクルド人ヘイトの起こっている場所でもある。このことは、いずれどこかで書いてみたいと思います。 さて、今回もガーナ料理店を案内してくれたヒロさんと、クルド人をサポートしているヌクイさんがご一緒。詳しい方がいらっしゃる時はすべてお任せ。 はじめに前菜の盛り合わせ。この辺りの前菜というか、惣菜の多くは、「酸味」がベースになっているではないだろうか。酸味と言っても、何かのビネガーやレモン、ヨーグルトのもの。それに素材の味が絡み合い、塩味は多くの場合それほど感じない。下の写真の盛り合わせ、色味は大変美しいですよね。材料、一つ一つ確認できませんでしたが、紫のものは紫キャベツ、緑はオリーブ、白はヨーグルトとおそらくひよこ豆、後はナスなども使われていました。 この辺の料理と言えば、マメのスープ。レンズ豆のスープでしたが、よく食べるものよりも酸味が薄く、とてもマイルドな飲み口でした。 ケバブのセットにピタパン。これがこの日のメイン。肉はマトンです。あまり気にして食べたことはなかったですが、 「ドネルケバブに使われるのは、牛肉、羊肉、鶏肉です。本場トルコでは、肉汁滴る“お肉=エトゥ(Et)”、脂少なめでさっぱり味付けされた“チキン=タヴック(Tavuk)”の2種類から選ぶのが一般的です。 お肉(エトゥ):牛肉75%+子羊20%+尾脂(羊の尾の脂)5%の割合が一般的で、牛肉はモモ肉が使われます。 チキン(タヴック):胸肉もしくはモモ肉が使われます。」 『 ターキッシュエア&トラベル 』(20250610) なんだそうです。へーへーへー。 「油滴る」もお...

【日本のアフリカレストラン】⑦ アール エム アシリ カフェ アンド ダイニング@中書島(タンザニア料理)

イメージ
  「串かつ」もそそるが… ティンガティンガの看板。なかなかかわゆい。 先日、学会の資料を作りながら日本に住むアフリカ出身者の都道府県別のデータをみていたのですが、なんと、京都府はアフリカ出身者が非常に少ない。近くにウスビ・サコさんやら、関係のアフリカ出身者が多かったし、それはとても意外な数字でした。何なら、京都在住のセネガル人はゼロ、とか。 これと関わるのか明確に説明はできませんが、アフリカ研究の中心でもある京都において、実はアフリカ料理店は今回訪れた アール エム アシリ カフェ アンド ダイニング 一軒のみという、寂しい状況。以前、ある知人とご一緒させていただいて訪問を試みましたが、「予約なし」のため、店は閉まっており、残念ながら見送りとなりました。今回は、アフリカ研究仲間二人から誘っていただき、ようやく現実のものとなりました。 店内は、元々居酒屋かなんかだった店を居抜きで使っていることがよくわかるつくりだけど、なかなかきれいにされています。きいと先にお店に入っていると、友人たちがそぞろに入店する。メニューは以下の通り。アフリカ料理屋としては、標準ないし若干安め。ウガリやチャパティ、サンブーサなどなど、わくわくする名前が並ぶ。 メニュー まずは軽食から、ということで、サンブーサとマンダジを先にいただくことにする。サンブーサはサモサと言ったほうが通りがよいでしょうか。マンダジもサンブーサもインド起源、想像するに苦力(クーリー)たちが東アフリカに持ち込んだものだと思うのですが、すっかり現地化し、私がケニヤやタンザニアを訪れた際には、自国料理と言い張る人もいたほど。 サンブーサ(サモサ) マンダジ とりあえず、スナックをいただいた(私は昼ビール)後、メインの2品。ピラウとウガリをそれぞれ2人前ずつ、みんなでつつくことに。ウガリは1996年の初アフリカ以降も何度か食べていて、何が美味しいか、ということは十分に理解しているものの、ピラウは…ピラフ?ビリヤニ?の類似品くらいの認識。同行したきいも問題なく食べていたけど、帰り際に「あれ、カレーピラフ?」と言ってはいけないことを…これはレストランの問題というよりも、ピラウという料理そのものの問題なので、ここのお店は全く問題ない。しかも、きいが気が付いたのは、コメが違うこと。たしかに長粒米を使っていて、この店のこだわりの...

【フィールドワーク】保見団地訪問(2025年5月9日)

イメージ
  保見団地の入り口 今年度は大学のカリキュラムが少し変わり、GWに続き3日間の補講期間があります。同僚の何人かはこの時期に海外に行ったりしていますし、私も研究中心の生活でした。補講期間は名古屋で研究会(というかゼミ)に参加し、昨日は、かねてから計画を立てていた保見団地の調査に行くことにしました。 と言っても、一人でブラブラするわけにもいかなさそうなところ。保見団地のNGO活動にも長くかかわられてる大谷かがりさん(中京大学)に、長年保見団地で活動を展開する トルシーダ の伊東さんをご紹介いただき、いろいろとご教示を乞うことにしました。 「保見団地」と言っても、一つのまとまった「公団」ではなく、いわゆるURと県営住宅の2つの地域に分かれており、さらに「団地」の周囲に一軒家の「団地」があります。公団と県営住宅を隔てる南北の境界を隔て、別世界(公団の方は清掃員がおり、県営の方はいない)、また、外周道路を隔て外側の一軒家団地には、比較的敷地の広い瀟洒な建物が多く、そこにも一種境界のようなものを感じさせます。 保見団地周辺地図 朝9時半、今年愛知に進学した卒業生を伴い、保見団地に入る。久しぶりに入る巨大な団地群と人気のない異様な空間に少々違和感を感じました。僕自身、小学校2年生から5年生にかけてこうした「公団」に住んでいたことがありますが、今考えれば、当時は小規模だった2クラス、80名ほどの同級生がおり、若い家族が多くてとても明るい雰囲気だった空間が、晴れていればとても気持ちの良いのでしょうが、どんよりとした天気がさらにこの空間に影を落としているようにも見えたからかもしれません。 遠景 異様なほどに巨大なコンクリートの壁 伊東さんに保見団地のことをいろいろと伺う。1990年の入管法の改正は、バブル期の製造業の好況による人手不足を補うため、ブラジル人の「帰国」を促すことに。ブラジルには、1908年以来26万人の日本人がブラジルに渡り、現在では、6世がおり、「日本にオリジンを持つ人」は100万人を超えると言われています。このように、ブラジル社会には日系人が数多い ことにより、1990年の入管法の改正、さらに当時のブラジルのインフレが多くの日系ブラジル人が日本に向かうことを後押しします。そして、多くの日系ブラジル人が人手不足にあえいでいた日本の製造業の現場に入り込んでいくよ...

【日本のアフリカン・レストラン】⑥「+221」と「Afributik」@坂戸(セネガル料理)

イメージ
「マフェ」 日本のアフリカ料理屋6軒目は、ようやく来られた「+221」。なんのこっちゃと思われるでしょうが、これはセネガルの国番号。このお店は、どちらかというと、隣にあるAfributikの方が有名で、セネガルの食材が大体手に入るお店としてよく知られています。いつのころからか、このお店のオーナー(おそらく)のセネガル人女性が出す料理がおいしい、という話が聞こえてきて、早く行ってみたかったお店でした。 東武東上線「若葉」駅から徒歩5分ほどで到着し、店の中に入ると、セネガル人男性7名ほどがたむろっている。ダイラで見たことのあるような顔がちらほら。やっぱりこの辺にもセネガルの人が住んでいるのが分かる。 席に着き、さて、何をいただこうかしら。お店の人を呼び、「今日はなにがあるの?」と聞くと、「全部あるわよ」…アフリカ的にはこれは信じてはいけない言葉。フランス語に切り替えて、ボロヘかチェブジェンを、というと「ない」と(笑)。それ以外は大概あるそうで、ある意味ビンゴ。あんまりいじめてもいけないので、「マフェをください」。 さすがですね。もうちょい肉を入れてほしかったが、値段もリーズナブルだし、味もよい。ボリュームもしっかりしていて、ほぼ満点でしょう。 隣り合っているアフリブティックと+221 +221の看板 食事後にオーナーとも挨拶。実は、ダカールで一度顔を合わせたことがあり、先方もご記憶でよかったです。連絡先を交換して、再開を期す。その後、Afributikにも寄る。噂にたがわぬ品揃え。僕が知らない調味料もそろっているし、美容系用品もたくさんあり、アフリカ系の女性がそれなりの数いることも推察させる。 ファタヤ メニュー  やっぱり、もっと早く来ておくべきだったし、この後、また行かねば、と、ファタヤを食べながら思ったのでした。 食べログ:https://tabelog.com/saitama/A1103/A110304/11062099/