【フィールドワーク】保見団地訪問(2025年5月9日)
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保見団地の入り口 |
今年度は大学のカリキュラムが少し変わり、GWに続き3日間の補講期間があります。同僚の何人かはこの時期に海外に行ったりしていますし、私も研究中心の生活でした。補講期間は名古屋で研究会(というかゼミ)に参加し、昨日は、かねてから計画を立てていた保見団地の調査に行くことにしました。
と言っても、一人でブラブラするわけにもいかなさそうなところ。保見団地のNGO活動にも長くかかわられてる大谷かがりさん(中京大学)に、長年保見団地で活動を展開するトルシーダの伊東さんをご紹介いただき、いろいろとご教示を乞うことにしました。
「保見団地」と言っても、一つのまとまった「公団」ではなく、いわゆるURと県営住宅の2つの地域に分かれており、さらに「団地」の周囲に一軒家の「団地」があります。公団と県営住宅を隔てる南北の境界を隔て、別世界(公団の方は清掃員がおり、県営の方はいない)、また、外周道路を隔て外側の一軒家団地には、比較的敷地の広い瀟洒な建物が多く、そこにも一種境界のようなものを感じさせます。
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保見団地周辺地図 |
朝9時半、今年愛知に進学した卒業生を伴い、保見団地に入る。久しぶりに入る巨大な団地群と人気のない異様な空間に少々違和感を感じました。僕自身、小学校2年生から5年生にかけてこうした「公団」に住んでいたことがありますが、今考えれば、当時は小規模だった2クラス、80名ほどの同級生がおり、若い家族が多くてとても明るい雰囲気だった空間が、晴れていればとても気持ちの良いのでしょうが、どんよりとした天気がさらにこの空間に影を落としているようにも見えたからかもしれません。
保見団地内唯一のショッピングモールのFoxtown。見た目はすっかりくたびれていますが、中はなかなかに面白い。1Fの食品売り場は、ブラジル由来の食品(特に肉やジュース)が満載で、ブラジル人の肉好きっぷりがよくわかります。その他、ガラナの2ℓ(2.5?)が冷蔵庫の大半を占めていたり、大きなスナックの袋がたくさん並んでいたり…日本食のお惣菜も幾ばくかありますが、存在感は薄い…
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遠景 |
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異様なほどに巨大なコンクリートの壁 |
伊東さんに保見団地のことをいろいろと伺う。1990年の入管法の改正は、バブル期の製造業の好況による人手不足を補うため、ブラジル人の「帰国」を促すことに。ブラジルには、1908年以来26万人の日本人がブラジルに渡り、現在では、6世がおり、「日本にオリジンを持つ人」は100万人を超えると言われています。このように、ブラジル社会には日系人が数多い ことにより、1990年の入管法の改正、さらに当時のブラジルのインフレが多くの日系ブラジル人が日本に向かうことを後押しします。そして、多くの日系ブラジル人が人手不足にあえいでいた日本の製造業の現場に入り込んでいくようになります。
人が動けば、カネもモノも動くものです。その中には、生きていくための住居の問題があるのは誰でもわかるわけですが、特にその準備には多大な資本と労力、そして時間が必要です。しかし、いくら景気のよいバブル期後半の企業といえども「労働者」のための住宅を用意するわけもなく、多くの入居者が立ち去りその立地の不便さから入居を敬遠され始めていた集合住宅は、とりあえずの住居としてはうってつけだったのかもしれません。みるみるうちに日系ブラジル人たちが増えていったようです。
10年ほど前にアップされているViceの「The People & Food of the Homi Projects ー名越啓介が出会った保見団地の日々ー」には、明るくも暗い、しかし、人びとが蠢くこの団地のことが描かれています。また、昨年学生と視聴した「ファミリア」も、保見団地を舞台とした、ノンフィクションのようなフィクションには、若干ベタに感じるギャング映画のような世界が描かれていましたが、過去にはそのような空間ではあったようです。
しかし、現在気軽にみられる映像に描かれている保見団地は、もはやここにはありません。空虚に感じるほどの人気のなさからは、「悪」の香りは全く漂っていません。人びとは年老い、ブラジルに帰る人も少なくなく、引っ越してしまう家族も多いと聞きます。上の映像にあるような少年少女たちのトッぽい(この表現はわかるか?!)雰囲気は本当に感じられません。
2Fに行くと、ブラジル料理店、洋服屋はセクシーなコスチュームが並び、なぜかギラギラしたトレーニングジム。さらにブラジリアン柔術の道場など、これでもかというほどにブラジルな空間が広がっていました。
伊東さんに紹介していただいたブラジル料理屋で弁当を購入しましたが、双方2,000円強…そのボリュームもビビりましたが、値段も可愛くない…さらに、この食事をしている人が何人もおり、ここのあたりの経済感覚がよくわかりませんでした。
一通り拝見し、長くここでは異文化共生のための活動も数多く試みられてきたことも教えていただいた。下の写真のようなアートプロジェクトもいくつもあり、古びた団地の暗い雰囲気に抵抗しているのも印象的だった。とても大きな蠢きの前に、「焼け石に…」という想像もしてしまったが、きっとその一滴が大切なはず。伊東さんがおっしゃっていた、保見の中で完結してしまうことや、将来のことを考えない若者たち(ブラジル的?)、とか、どこか、茫漠とした文化的なものが、そんな風に思わせるのかもしれないですが…
そう簡単に「調査」というつもりは毛頭ありません。今回の訪問の目的は、日本の移民世界を学ぶ上での一歩で、少しアンテナを高くしたことで、「在日(日系)ブラジル人の”35周年” 群馬県大泉町のブラジルタウンから生まれたストーリーズ(物語)」にも出会え、次に訪問したい街もはっきりしました。在日アフリカ人とは全く違う条件で日本に住まう日系ブラジル人、それなりの苦悩もあり、難しさもあることはよくわかりました。さらに理解を深めるため、少しずつ学んでいきたいと思っています。
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