【子ども学と子育て】Vol.27 キイチロウとフィールドワークする(GW家族企画)

岐阜城

 「信長の野望」、僕が中学生の頃にはまったゲームは、30年以上たった今も多くの人たちの間で楽しまれています。ゲームをしなくなってずいぶん経ちますが、昨年のクリスマスに「サンタさん」がキイチロウにこのゲームを持ってきました。「サンタさん」の気持ちを察するに、社会がメチャクチャ得意だったお父さんに似ずに、未だに都道府県名がほとんどわからないこと、位置関係も名前も県庁所在地も、そこにどんな産業があるかも…お父さんは、5年生の頃には市町村単位で人口やら産業やらを知っていたのに…

子どもに自己投影してしまう、パワハラ、アカハラ気質を吐露しましたが、「信長の野望」作戦は結構成功している気がします。とてもゲームが難しくなっているおかげで、小学4年生のキイチロウには一人でやるのは難しく、僕のサポートが必要なこと、物語に少しずつ興味が出てきたこと、昔の地名だったりしますが、漢字を読もうとすることなどなど、苦しまずに背伸びをしているのは、とてもよいこと。

キイチロウの芽生えた好奇心をさらに強くしたい、という狙いもあり、今年のGWはお城廻りをすることにしました。「信長の野望」、現在、織田信長でご機嫌に快進撃を続けていることもあり、織田信長のルーツを訪ねる旅、ということで、岐阜→清州→名古屋と、回ることとしました。

GW終盤ということで、渋滞回避のため5時過ぎに自宅を出発し、岐阜公園に着いたのは8時前。さすがにまだ誰もいないだろうと高をくくっていたら、すでに金華山行のロープウェイには長蛇の列。1時間近く待ち、頂上に上がり、岐阜城の天守閣に登る。途中、疲れた…などと言いながらも、城内に入り、展示を一つ一つ一緒に見ていると、疲れも見せずに嬉々としていろいろと質問してくる。あふれ出る好奇心に思わず目を細めながら、一緒に展示を見て回り、天守最上階から下界を眺める。決してゲームでは経験できない信長も眺めたであろう、絶景を見て、少しは感動してくれたでしょうか。

岐阜城内の織田信長の甲冑と。

岐阜城の後は、近くの歴史博物館へ。10年ほど前に一度地球研の企画で訪れて、展示の充実ぶりは知っていたので、ここはセットで連れてきたかったところです。ここの常設展は、戦国武将としての織田信長の功績はもとより、「楽市楽座」の展示が充実しているのがよいです。ゲームでもお金を持っていればいろいろできるのですが、ここでキイチロウに問いかけたのは、「なんで織田信長はお金をたくさんもっていたのか?」ということ。ほかの所では、税金を持っていかれたのが、織田信長の「楽市楽座」ではとても税金が安かったから、みんなここに集まってくるよね?という説明はしっくりいったよう(だとよいのですが)。

岐阜の歴史博物館の展示
そんなわけで、お昼近くなったので、宿泊地の名古屋に向かうべく岐阜を離れ、途中で、「田毎」にて絶品味噌煮込みうどんをいただき、次の目的地の清須城に向かう。新幹線から見える清須城は、それほど期待していなかったのですが、尾張名古屋の信長さま。しっかり作り込まれたお城でした。信長のメルクマールとなった戦すべてについてしっかりとした映像資料があり、キイチロウはそれぞれに見入り、「すごくよくわかった」と言っていました。

清州城(by Ki'ichiro)
たっぷり歴史を学んだあとは、宿泊先のホテルに入り、「とんちゃん」を食べに出かける。ご飯もたっぷり楽しんで就寝。

そして、目覚めるとあいにくの雨模様。6日は名古屋城に行き、小牧山城にワンタッチして京都に戻る予定でしたが、大雨のため、小牧山城はスキップ。そして、名古屋城の天守は耐震工事のために入館できず、これも残念でしたが、展示が行われていた本丸御殿を見学。これはこれとてで、城の中の生活の一部がよくわかり、美しい屏風や欄干に見入りました。

名古屋城とKi'ichiro

実際のお城3か所を訪問、博物館を1か所、企画展1か所と、非常に密度高く2日間の「フィールドワーク」体験が終わりました。何度か、「パパはこれがお仕事」とつぶやいてみましたが、まあ、まだ理解できないでしょうね。でも、この先、信長の野望がとても楽しくなることは必定ですし、来週あるという学校の作文は楽しく書けるでしょう。GWの楽しい思い出ができたと思うので、それもよかったです。


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