15年ぶりに訪れたゴレ島の砲台

2007年3月@ゴレ島にて

2023年9月ゴレ島にて

書きかけの記事が昨年11月のもので、こちらの記事が昨年9月のものです。時間が前後してしまいますが、気にせずに書きたいところから進めます。

毎年恒例のセネガルプログラム。毎年、10日前後のプログラムを考えてスケジューリングをします。中に絶対に外せない訪問地があるわけですが、ゴレ島はアフリカの植民地の歴史を考える上でその筆頭格と言えるでしょう。

僕がゴレ島を訪れたのは、2007年3月(2月だったかも…)のこと。1泊でゴレ島を訪れたのですが、世界的な観光地ということもあり、瀟洒なホテルやオーベルジュはなかなかの値段がしていたので、とにかく安いところを探し、たどり着いたのが島の一番奥、小高い丘の海側の裾野にあるオーベルジュでした。丘の上にはオランダが作った砲台が残っており、オーベルジュは塹壕の跡地を利用したものだった。確か12,000Fcfa。格安でした。

実は、このオーベルジュ、当時私が研究していた「ラスタマン」の親分Ras Mahaが経営していると聞きつけたこともあり、値段だけでなく、大変ラッキーな宿泊となりました。この話はどこかで書いたので、この辺にて。

それから15年経った昨年9月。学生を連れて何度目になるかわからないゴレ島訪問となりました。ガイドに雇った青年が連れて行ってくれたのが、この場所でした。ガイドにここに来るのが10数年ぶりで、オーナーのRas Mahaはその時に会っている。彼は元気か?と尋ねると、相変わらずオーベルジュをやっているというので、ぜひ会いたいという旨を伝えると、少し年を取ったが、元気そうな姿をみせてくれました。ラスタ思想に傾倒していたこともあり、元々ナチュラリストでしたが、15年ぶりのRas Mahaは健康的なナチュラリストに変貌していました。オーベルジュも大きく、きれいになっていて、来年度のプログラムでは、こちらでお世話になることにし、短い再開を果たしました。

僕も等しく15年の歳月が流れたわけで、昔、当時ご一緒したバックパッカーに撮ってもらった写真があるのを思い出し、同じアングルで写真を撮ってもらいました。15年前に僕は精悍で、大胸筋あたりの盛り上がりがわかりますが、今の僕は、といったら、大胸筋どころか腹が出てる…撮らなければよかった、などと一瞬思いましたが、これも15年の歳月の結果。潔く受け入れて、ダイエットすることにしましょう。
 

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