パオロ・マッツァリーノ2007『つっこみ力』ちくま書房
「つっこみ力」?漫才の話しか?と思いきや、メディア・リタレシーの話でした(やはり漫才の話もでてくるのだけど)。
パオロ・マッツァリーノというペンネームの方が書かれていますが、本当のイタリア人ではなく社会学者の内藤朝雄さんという説が多いみたい。でも売れっ子はつらいですね。とあるブログに、社会学用語を使えないパオロ・マッツァリーノは社会学ではない、みたいなことを書かれていたり(こんな用語使ってみろ!、という、なんとも嫌な感じのブログ)。もちろん、中の人はちゃんとした社会学者だし、読んでみると分かるんだけど、わざわざジャーゴンを避けて、平易な言葉回しに細心の注意を払われている。まあ、やっかみだかなんだか分からないけど、上記の批判をするのは、修士課程に入りたての、「俺知ってるよ」を振り回したい人たちなのでしょう。
この手の本は、手元に谷岡一朗『「社会調査」のウソ リサーチ・リタレシーのすすめ』やら、結構何冊も持っています。なんでたくさん持っているか、というと、偉そうに書かれた国際機関や学者の本やデータへの疑いが今の僕の関心領域に進ませた理由だからです。僕が大学生のころに実際に目の当たりにしたアフリカとこうした本に書かれていたアフリカの姿がどうしても同じものには見られなかった、また、そのあとも、「貧しい」ところで活動をしているはずのNGOやJICAが実際には、かなり守られたところで活動していて、そして、現地(多くの場合、「開発途上国」)の状況を伝える人たちが、それなりのバイアス(貧しいとか、かわいそうとか)を大いに加えて書き、語ることに疑問、というか、こう書く人たちに人格的な疑念をもった、こんな経験が根っこのところにあります。
パオロ・マッツァリーノさんは、つっこみには「愛と勇気とお笑い」が必要だという。
「つっこみは、批判や否定とは根本的に異なるんだってことをわかっていただくことが、大事です。ボケのいうことを完膚無きまでに否定してしまったら、台無しですよね。つっこみは、ボケの論理の歪みを指摘しつつも、それを否定・批判するのでなく、逆に盛り上げなきゃいけないんです。ボケのおもしろさを世間にアピールしなければなりません。
メディアリタレシーや論理力がなかなか受け入れられないのは、それを使う人たちの態度が間違っているからなんです。そこにあるのは容赦のない否定ばかりで、愛がありません。権威にはむかう勇気がありません。そしてなにより、笑いがなく、つまらない。」(103)
本当にごもっともです。
職業を巡る議論や、自殺の議論、仕事を作るには不動産を安くしろ、という議論は、一見「とんでも」な議論なのだけど、データ屋がやる方法を逆手にとって、「つっこむ」手法は、変なミステリー小説よりも面白い。たぶん実際に会ったらあんまり好きな人じゃない気がするけど、この本に書かれているような軽妙なタッチで(しかし、多くがしっかりしたバックボーンに支えられている)、斜に構えた感じは、世の中にある程度存在して欲しい。
こういう本、できたら、高校生くらいの間に何冊か読んでおくといいですね。読みやすいけど、時事ネタを余り知らないと笑えない(「つっこみ」が理解できない)ような気がするけど。
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