夫婦別姓論争に思うジェンダーと選択の自由

12月17日に最高裁が「夫婦別姓」に「合憲」判決を下した。結婚時にどちらか片方の姓に変更が義務付けられることが、婚姻の自由を定めた憲法24条に反する、という異議申し立てに、以下のような理由で「違憲とはいえない」とした。

「婚姻時に夫婦のどちらかが姓を変えなければいけないという不利益が、婚姻前の姓の「通称」使用が広まることで一定程度、緩和され得るという点を、合憲の理由の一つにあげている」
(Yahoo news, http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151217-00004071-bengocom-soci)

僕も結婚するときに、連れ合いにずいぶん抵抗を受け、僕が姓を変える(養子に入る)という選択肢を話し合ったものの、結局、「通例どおり」連れ合いに姓を変えてもらった。その後、もちろん、例に洩れず、名義変更やら、いろんな面倒をかけたのはもちろんで、多少なり悪いな、とは思っている。

老いた僕の母親(多分、僕が姓を変えるとショックを受けるだろう、と思って)を慮って連れ合いに折れてもらった、というのが、実のところ。「夫婦別姓」に関しては、微妙な感情を持っていたし、今回の判決やいろんな意見を読んでも、それほど変わっていない。なぜ変わらないか、というと、象徴的にこんなエピソードがある。

僕らの世代が「大学生」だったころ、いわゆるジェンダーという言葉は既に大学では当たり前のように流通した言葉になっていた。僕のいた大学は、少し偏差値が低いにも関わらず、いわゆる「意識高い」系の学生が多かった。なので、よりよい会社に就職をするために、いろいろなことに積極的に関わる学生が多かったし、先進的な権利意識にはかなり敏感だったように思う。そんな環境で4年間漬かって、僕はトラディショナルな保守的な民間企業に入った。1999年、まだオフィスでタバコが吸えたし、絵に書いたような上司との飲み会、入社式や正月には、神棚の前で全社員が集まって拍手を打つ。そんな会社だ。

そんな会社に同期入社した、女性がいる。見た目はいわゆるギャル。茶髪で、パーマ(なんというのか知らないけど)をかけ、タイトなひざ上15cmのスカートをはいて出勤していた。短大を出たての21歳。そして、とても美人だ。会社からしたら、いわゆるお嫁さん候補。そんな彼女が僕の隣に座ることになった。僕は少しビビッた。何にビビッたかというと、見た目がギャルなのに、英語は僕よりはるかに上手く、仕事(一般職なので、書類の整理やら経理やら)を覚えるのもとても早くて、すぐに2年目、3年目の社員より出来るようになったのだ。仕事が立て込んだり、上司が苛立っても常にクールにできること、できないことをはっきりいう。でも決して冷たい人ではなかったし、僕が今まで会った人の中でも、最も気の効く人の部類だ。僕がてんぱっていると、そっと足りない書類を作って置いておいてくれたり、そんな人だった。

ある年の忘年会か新年会、僕は、彼女と話をする中で「総合職に変えてもらったら?」というおせっかいな提案をした。すると、彼女は冷たく、「放って置いてください。私は、早くおカネを貯めて、今付き合っている彼氏と結婚したいんです」と言い放った。そして、それからしばらくして、彼女は本当に寿退社した。もちろん姓をダンナのものに変え、とてもうれしそうに、僕らに新しい姓を教えてくれた。

女性というのがジェンダーを叫び続けることが当たり前だった、大学時代の固定観念はこんな彼女につき崩された。そういうことを選択する人もいるのだ、という。こういうのも一つの生き方で、闘争することを当たり前にしてしまっていた僕のいた大学は、彼女のような人にとってはとても窮屈なのだろう、と思うに至った。もちろん、改姓することで、いろんな不便があるのも確か、しかし、良かれと思ってラディカルに闘って、彼女のような人にそっぽを向かれたら、この運動は益々セクト化してしまう。もう少し柔軟な運動を展開するべきなのだろう、と思う。

どこかのアホな議員が、「夫婦別姓によって日本社会が家庭から崩壊する」という旨の発言をしていたが、まあ、まさかそんなことはないだろう。しかし、ジェンダーの問題を正面から捉えようと考えたとき、こうした「夫婦別姓」というセンセーショナルな議論にしてしまわずに、選択の自由を求め続けるべきなのだろうと思う。

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