チルメンガを思う

「緑のサヘル」から送っていただいた近影

 3月のある日、長年かかわっている「緑のサヘル」から会報を受け取った。緑のサヘルの会報のトップページには、コラムが載っているのだが、そこには見慣れた名前が。

「ジュリアン・サワドゴ」。僕は彼を本名で呼んだことはない。懇意にしていた故Roch Nazaire SAWADOGOさん(ローカルNGO、AJPEE代表) に、この地域の農業に精通している方として、紹介を受けた。二人は小学校の同級生で、R.Sawadogoさんは、ニヤニヤしながらジュリアン・サワドゴさんを「チルメンガ(薬草師)」と呼び、あいつに聞け、と言い、会いに行く前に僕が尋ねていくことを話してくれていた。

彼の元を訪れると、10年の知己のようなに親しみを持って迎えられ、農業のことを話し出すと、畑を見せてくれて、あれこれと説明してくれる。苦手なフランス語も僕のために覚えてくれて、僕のモレよりもずいぶん早く上達した。生来の酒好きで、チルメンガのところを訪れるようになると、初日は予定を控えめにして、朝からチャパロの歓待を受けた

ブルキナファソ中北部

彼等はこのブログでも何度か書いた「バム県」に住んでいる。残念ながら、R.サワドゴ氏は数年前に若くして亡くなられてしまったが、コングシでの調査の際には、二人のサワドゴさんを中心に動いていたように思う。拙著(2019)にも、このことは若干の紙幅を割いて記述している。毎回、ほんの少しでもコングシを訪れ、彼らの顔を見て一時を過ごすのがブルキナファソで最も好きな時間だった。しかし、北部のテロが益々激化した2021年を最後に、この地域には足を踏み入れられていない。最後の訪問はR.サワドゴさんの弔問で、チルメンガには一目会った程度。時折、思い出しては「元気かな…」と思いをはせていたが、緑のサヘルの記事に彼の名前を見つけ、彼の健在を喜ぶとともに、難民キャンプで暮らしていることに大きなショックを受けている。

何度か書いているように、この地域の情勢は情報が少なく、どのような状況なのか、どんな見通しが立っているのかを把握することが極めて難しい。特に、バム県やその北のジボDjoboのあたりはテロの多いところで、政府による統治が出来ていないと言われていた地域。「便りがないのは無事の証拠」であればよいのだが、そんなに楽観的な状況でもない。チルメンガの村も襲われ、食糧の略奪を受けたというのだ。きっとチルメンガが大切に育てた牛や羊、鶏は根こそぎ持って行かれているだろう。命あっての物種だが、彼のこれまで培ってきたものがなくなってしまっているのを考えるとあまりに切ない。

しかし、ほんの少し光明が見えたのが、そろそろ始まる今年度の農繁期に向け、難民キャンプから村に通い、播種の準備をしている、という情報が聞けたことだ。治安が回復して、こうしたことが行われているならよいのだが、必ずしもそうではない気がする。彼がどんな気分で土と向き合っているのか…

最後になりますが、今、緑のサヘルはこうしたバム県の難民支援をしている。もし、少し協力してもよい、という方がいらしたら、どうか寄付にご協力いただきたい。

http://sahelgreen.org/

【参考文献】

田中樹(編)2017『フィールドで出会う 風と人と土』総合地球環境学研究所

澤崎賢一20180816「暮らしのモンタージュ 第5回ブルキナファソ、チャパロと優雅な時間」『Cinefil』株式会社miramiru

清水貴夫2019『ブルキナファソを喰う アフリカ人類学者の西アフリカ「食」のガイドブック』あいり出版






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