ブルキナファソのイスラーム過激派による不安定化-① はじめに:現状

 

「令和4年防衛白書」(https://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2022/html/n131010000.html)

去る2月20日に所属するアフリカ・アジア現代文化研究センターで西アフリカ諸国で何が起こっているのかーセネガル、マリ、ギニア、ブルキナファソとニジェールの政治危機を考える」という緊急シンポを行いました。もちろん、何年も続くこの地域の混乱は基礎知識として知っていますし、肌感覚として理解しているつもりです。ただ、若干もやもやと分からないことがあったり、そもそもどんな問題だったのか、ということが分からなくなる瞬間があります。

私の個人的な肌感覚からいうと、2018年ころから顕著に雰囲気が悪くなり、2019年1月に本格的に身の危険を感じることがあり、ちょっとまずいかな、と思ったことがありました。当時までの様子、一度このブログでもまとめていますが、なぜこの時期かというと、協力隊が退避となり、クーデタが散発し、フランスが追い出されと、いくつものイベントが重なり、現在の状況になったのが大体それくらいだからです。その一方、この5年、ワガドゥグの街には、なぜか高級ホテルが林立し、ビザはE-VISAとなり、入国を歓迎している様子もうかがえます。なぜかホテルには意外に人が入っていて、なんだかな…という感じです。VISAに関しては、簡便化に反して「観光ビザ」がなくなり、入国者を選別しているような様子もうかがえます。

ここのところで言えば、2023年9月、2024年3月と何とかブルキナファソに調査に行くことができましたが、一方でいつものワガドゥグはそこにあったものの、外国人を見ることはほとんどありませんでした。マリやニジェールは一気に状況が悪化したように思いますが、ブルキナファソはジワジワとこうした状況になっていったような印象を受けています。

いったい、この混乱がどのように始まり、現在、どのような状況にあるのか、一度まとめておこうと思いました。西アフリカ情勢、かなり複雑ですし、おそらく時々新聞に載る記事からだけでは何のことやら分からないのではないと思うので、その一助になればよいと思っています。もちろん、私自身の西アフリカ情勢理解のため、ということも大きな目的です。

資料について少し述べておきます。政治イベントがあると、その時々に、武内進一さん(東外大)が「今日のアフリカ」で発信されていますし、佐藤章さん(アジ研)が政治学的な視点を中心にいくつもの論文(たとえば、https://cir.nii.ac.jp/crid/1523106605781974528)で状況を分析発表されています。このお二方の資料は日本語で読めるもので大変貴重です。この他にも、SNSで積極的に現地情報を発信されているJICA等のミッションで駐在されている方の情報もリアルタイムで読める資料として大変貴重ですし、現地紙なども資料として収集しています。また、坂井信三さんのいくつかの論考は、現代史的な視点からこの地域の民族的なコンテクストを理解することを助けてくれるように思います。

少し資料を読んでみると、西アフリカの混乱は、やはり2012年ころ、もう少し言えば、前年2011年10月20日に暗殺されたリビアのカッザーフィー(カダフィ)大統領の暗殺に端を発すると仮定してみるとよいように思っています。なので、次の投稿では、カッザーフィーと西アフリカの関わり、その暗殺についてまとめてみようと思います。

テレビの広告のようなその場持たせのような投稿になりますが、少しずつ資料を集め、整理し始めました。このトピックは私にとっても大変重要なので、少し時間をかけて少しずつまとめてみたいと思います。

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