保坂俊司2006『宗教の経済思想』光文社
2010年ころから「宗教組織の経営」という研究会に参加している。最初は、藏本龍介さん、中尾世治さんと3人で南山大学や名古屋大学の一角で細々とやっていたのだが、昨年からメンバーを増やして、さらに少しおカネのめどが立ったので、「研究会」として堂々としたものになった。この間、藏本さんはミャンマーの僧院の経営をテーマとした博論を書き、『世俗を生きる出家者たち 上座仏教とミャンマー社会における出家生活の民族誌』という著作を出された。研究会は今年も続ける予定で、僕自身も少しずつ勉強している。
そんなわけで、「宗教」、「経済」といったキーワードを持つ本はなるべく目を通すようにしていて、この本はそんな中の一冊。構成上、とても興味深かったのは、所謂三大宗教それぞれの経済思想を比較(羅列)しようとしているところだ。ただ、これはこのような小さな本ではなかなか難しかったことが想像される。
特にイスラームの箇所は、労働や勤労には多少言及されているものの、経済思想と銘打つほどの記述はない。タウヒード(聖俗一元)というキーワードが出てくるのだが、タウヒードがどんなものかはあまり説明されていない。そもそもタウヒードは「聖俗一元」という訳出しでいいのだろうか…「神の唯一性」とか、訳すのだと思うのだけど。
タウヒードからイスラームの労働観に話が移るのだけど、「イスラームにおいては、同じセム系の伝統を持ったキリスト教の中から生まれた、近代ヨーロッパ(キリスト教)文明におけるような一種の宗教的な救済行に労働が代替されるというようなことはない。つまり、ルターやカルヴァンの労働(職業)観のように、世俗的な労働を宗教的に価値づけるという積極的な意味づけは行っていない」(64)とする。これも少々怪しい。イスラームが労働を伴わない蓄財を禁じていることは有名で、イスラーム銀行が利子をとらないこともよく知られている。確かに、経済が宗教に優先することはない(他の宗教でもあるか?)が、つまり、勤労意識はある程度宗教的に規定されているのだと思うのだが。
自らの浅学をさらしているようで怖いのだが、イスラームのところが本当によくわからん。筆者がイスラーム関係の著作も多い保坂先生なのに…
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【目次】
はじめに
第1章 キリスト教の経済思想
第1節 ゲイツとバフェットの選択
第2節 資本主義の胎動
第3節 資本主義を支えるキリスト教的論理
第4節 アメリカ型資本主義と宗教
第5節 二一世紀の経済倫理の可能性
第2章 イスラームの経済思想
第1節 「味の素事件」とイスラーム
第2節 タウヒード(聖俗一元)の経済思想
第3節 イスラーム金融の考え方
第4節 イスラームにおける労働と蓄財
第3章 仏教の経済思想
第1節 仏教と経済の関わり
第2節 原始仏教と商人階級
第3節 大乗仏教の経済倫理
第4節 日本の「仏業即世俗業」
第5節 日本型資本主義思想と鈴木正三
第4章 日本教の経済思想
第1節 日本的勤労観の核
第2節 滅私奉公的勤労観の形成
第3節 日本独自の実践倫理
おわりに
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