親と健康は失ってありがたみがわかる

毎年この時期の嫌なこと。健康診断。

今年も多いに脅され、医者からは「来年進展がなければ、薬で数値をコントロールしてもらいます」という、最後通牒をいただく。失う寸前、ということか…

さすがに体重を見れば、あまりちゃんとした健康体でないことは分かるし、体脂肪率が首位打者を争えるくらいになった。つまり、1歩歩くにしても、機能するからだに数十キロの「錘」を持って歩いていることになる。健康云々の前に、「不合理だ…」という感想を持ち、一念発起(までいくかな…)で保健士さんに相談してみる。

医者は厳しく、保健士さんは優しい。見事なツンデレ。いいおっさんを幼児扱いしてくれる。「萌え」ろと言うのだろうか?

質問に答え、できることを探る。結局コメの喰いすぎ、という結論。その日から、炭水化物半減を開始。オカズなど、飯を食う種だと勘違いしていたことがよく分かる。モノカルチャーな食生活をしていたのを実感する。

親の有難みは重々分かっているつもりだが、日常的な空腹感が健康を失ったときの痛みを知らしめてくれる。

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