ご恵贈いただきました La Memoire de El-hadji Beinke Souleymane Mangane リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 11月 01, 2019 説明を追加 ちょっと本を整理していてお礼を書き忘れていることに気が付きました。中尾世治さん編集の資料集がまた出ました。ずいぶん前に『ムスリム文化連合ヴォルタ支部資料集:ムスリム文化連合ヴォルタ支部の設立からムスリム協会までの50年について(ボボ・ジュラソ、1962-2012)』という資料集を出されていて、その続編です。 まだ全然目を通せていませんが、重要な蓄積の一つとなることは間違いありません。ちょっとブルキナファソに渡航することが難しくなってきましたが、さらなる資料が集まりますように。 アフリカ(海外生活・情報)ランキング にほんブログ村 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
【日本のアフリカン・レストラン】④「Amaging Grace」@草加(ガーナ料理) 11月 18, 2024 日本のアフリカン・レストラン3軒目。 Amaging Grace @草加市です。こちらも前回のセブンスターと同じく比呂さんのご紹介なのですが、今回は比呂さんとご友人方ともご一緒させていただきました。ちなみに、比呂さんは Ethnic Neighborhood というYoutubeチャンネルを作られています。 東武スカイツリーライン新田駅から徒歩5分ほどのところにあるAmaging Grace。店内には、テーブル席が4つほど。我われ3名が到着した時には、まだ誰もおらず来店1号。 メニューを眺める。いわゆるガーナの定番料理が並んでいるのですが(これがガーナ人が喰いたくなるやつという理解ができた)、とりあえず、食べたことのないものを少しずついただきましょう、ということで、トゥオザーフィ(TZ)とワチェ、ケンケを注文。 ケンケ ケンケは何度かのガーナ滞在の時にも食べましたが、改めて食べてみて、ドンクヌであることを再確認。ベナン、ブルキナと食べ方もほぼ一緒。ブルキナ民としては、魚が大きいのが違和感(うらやましい)ですが、やっぱり海魚が合うのですね。旨いです。ちなみに、ケンケは2階のガーナ食材店で買っていきました(500円!)。 ワチェ(スパゲティの下) 比呂さんの Ethnic Neighborhood でも紹介されています。比呂さんからは、赤飯みたい…と聞いていて、おそらく ベンガ のことだろうと思っていましたが、ビンゴでした。豆も2階のショップで売っていましたが、ササゲですね。ほかのウェブサイト(大体自分が行ったところの名物料理的な書き方ですが、一様に北部(タマレとかワとか)ということも書いてあった)にも、書かれているように北側でよく食べられる、ということは、ブルキナなどとの繋がりあり、と見て、同じものと思っています。 正直なところ、これは旨かった…シトと呼ばれるペーストがあるのですが、これがつくだけでかなりいろんなものが食べられるのですが、これとゆで卵がついて、豪華な感じのするベンガでした。これ、ブルキナに持って行ったら売れると思うのですが。 TZトゥオザーフィ そして、トゥオザーフィ。これも念願でした。これは「ト」ですね。トは何回もこのブログに書いていますので、以下の記事をご参照ください。 https://cacaochemise.blogspot.com/2014/... 続きを読む
【出版】藤本武・八塚春奈・桐越仁美(編)2025『食文化からアフリカを知るための65章』明石書店 5月 07, 2025 2025年6月2日に『食文化からアフリカを知るための65章』( アマゾン /明石書店)いよいよ出版されます。 2018年末に、その後、籍を置くことになる京都精華大学を会場として行った「 第2回 アフリカ発酵食品文化研究会 」が本書の母体となった、アフリカ食文化研究会(正式な名前ではないですが)で、2023年からは東京外国語大学のアジア・アフリカ言語文化研究所の共同研究「 アフリカ食文化研究-変貌しつつあるその実像に迫る―(jrp000289) 」という名前で活動をしています。これまでに、この研究会からは、すでにいくつもの論考を発表し(例えば、 『農耕の技術と文化』30号 など)今回の出版にたどり着きました。 私は以下の4章分を分担執筆しました。 第8章 西アフリカ乾燥地の伝統的主食:雑穀で作られる練粥「ト」 第17章 西アフリカに広がる米食文化:セネガル料理の影響と土着の料理との融合 第36章 アフリカの納豆文化:西アフリカの味を決める発酵食品 第46章 チャパローソルガムでつくる地酒(ビール) しかし、これでいよいよ手持ちのネタは玉切れ。なんか新しいネタを考えておかねば… もし、奇特にもこのブログを読まれている方で、ご所望の方がおられましたら、ほんの少しお安くお譲りできると思いますので、ご遠慮なくお申し出ください。 続きを読む
素晴らしい祝辞②[立教大学2015、立教新座中高等学校2011] 3月 28, 2015 卒業シーズンも一段落。毎年、いくつかの学校の祝辞が注目されますが、今年も素晴らしいものが紹介されていました。 立教という学校には全く縁もゆかりもありませんが、たまたま2つの祝辞に接する機会があり、それらにいたく感銘を受けました。双方、それぞれのホームページから拝借してきました。是非ご一読ください。 立教新座中高の渡辺校長の「祝辞」は、実際には生徒の前に話されていないようです。2011年のものだからです。3.11後、多くの学校の卒業式が中止され、「祝辞」は「メッセージ」と呼び換えられたのが印象でしたが、こうした時期だからこそ新しい門出を迎える若者たちに言葉をかけたい先生たちの言葉はより鋭く、重いものになっていきます。以 前、 高橋源一郎さんの祝辞 を紹介しましたが、これも大変すばらしいものでした。 渡辺校長は、大学に進むことを「海に出ること」にたとえ、「津波」に負けない強い人間になるように訴えています。 「 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。」 ちょっと熱すぎるか、そんな風にも思ってしまいますが、大災害で混乱した当時の社会でのこと、敢えてこうしたことを述べられたのだと思います。 このメッセージを受けた立教新座の高校生たちが進んだであろう、立教大学の吉岡総長は(大学院の卒業式でのものですが)、大学という、知の海で、「考える」ことの大切さを説きました。大きく首肯できる、今の時代にとても大切な言葉を紡がれたと思います。 「 大学は「物事を根源にまで遡って徹底的に考える」場所です。 やや誇張した言い方をすれば、大学が存在しているのは社会の中で大学以外にそのように物事を徹底的に考える場所が他にないからです。もしもそのような場所が、社会の至る所にあるのであれば、大学は不要でしょう。 あるいは逆に、社会がもはや考えることを全く必要としないのであれば,(そのような社会が望ましい社会であるか、そもそも人間の社会と言えるかどうかは別として)、大学は存在意味を失うことになります。 立教大学は、今述べたような「徹底的に考える場所」であることを自らに課してき... 続きを読む
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