「住む」ことを考える。

前回、ブルキナファソに来た時から家屋の調査を始めた。職場のプロジェクト・リーダーの提案で、いわば上司命令だが、とにかく人類学の範疇のことは食いついておけ、と思って、できる限りエフォートを出している。

今、『マルセル・モースの世界』(モース研究会 平凡社新書)という本を読んでいるのだけど、その中にモースの文章を引用して、こんな一文が載せられている。

「現認することと統計をとることによる科学である民族学においては、直観の働く余地はない。社会学と記述的民族学は、研究者に古文書学者であり歴史家であり統計家であることを求める。さらにある社会における生活全体をありありと感じさせる小説家であることも。(ME:8)」(31)

すると、「家屋」を記述しようと思うと、「建築家」にならねばならない…のだろうか?

前回の調査、建築学の先生に同行したのだが、やはり図面の取り方や視点、実に人類学的にも面白いお話を伺いながらの充実した調査だったが、やはり図面などは職人技。これを要求されるなら「建築家」はちょいと難しい。

では、ということで、そこに住む人の履歴を考えてみようと思った。どこにどんな風につながっていくか、いまいち自分でもよくわかっていないのだけど、少なくともそこに住む人は世代ごとに決まった人なのではないか、という「直観」があって、家に象徴される家族関係があるのではないか、というところに行きついている。僕自身が伝統的なものに執着したエキゾチックな感性から抜け出ていないだけかも…という不安は持っているのだけど、まあ、今の自分にできそうなのは、どうもこれくらいではないか、と思っている。

とりあえず、週末の2日間、この調査の続きをやってきた。

ブルキナの6月は雨が降り出すはずなのだが、今年はどうも雨が少ない年らしい。おかげで道はよかったが、少し心配もしつつ。

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