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【出版】清水貴夫・中尾世治(編著)2025『ブルキナファソを知るための64章』明石書店

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ようやく出版にこぎつけました。『ブルキナファソを知る64章』。2023年に作業をはじめ、はや2年が経ってしまいました。この遅れは一重に私の怠惰によるもの。誰も見ていないと思いますが、この場を借りてお詫びを申し上げたいと思います。 出版の経緯は、中尾くんが書いた「あとがき」をご参照いただくとして、ひょんなことからこの本を作ることを決めました。書き始めのころ、出版社で打ち合わせの後に上野の焼き鳥屋で中尾くんと一杯やりながら「こうやって先のことを妄想するのが一番楽しいんだよね」なんて話していたのをよく覚えている。そして、それは、そのまま自分に返ってきてしまう。 妄想段階では、74章にしようとか、500ページくらい書いたら初の分冊になるのでは…などと威勢のいいことを言っていたものの、実際に目次を組み、中尾くんと僕の前にはそれぞれ15章近い執筆項目が…それでも、研究者で抱えない、というポリシーは曲げずに、これまでブルキナファソに関わった多くの方に、中には何本も執筆を引き受けていただき、ほぼすべての方が期限前にご提出いただいた。この先は言い訳になるから、これ以上言わないが、どうしても時間が取れないこともあり、時間が取れても筆が進まないこともあり、結局、中尾君にばかり負担が行ってしまった。本来、中尾君が筆頭編者となるべきかな…と思いながら、たぶん次の改訂版では中尾君が中心になってやるだろうと思い、今回は甘えさせてもらった。 しかし、ここのところずっと心配事のタネだった一つが仕上がり、少し気分が軽くなった。最後に何度も確認をしたが、入門書としてはなかなかの充実ぶりだし、もう少し平和になったらぜひこの本をもってブルキナに出かける人が出ることを期待したい。 それにしても、今年は明石書店から3冊(もう少しすると3冊目の『ガーナを知る…』が出ます)とは…

セネガルプログラム2025 ② ゴレ島再び

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到着早々、熱く歴史を語るラス・マハ ダカールで滞在の準備を終え、いよいよプログラム本番に突入。今年はダカールからの移動距離の短いところから…ということで、ゴレ島から開始しました。 ゴレ島訪問はセネガル・プログラムで外してはいけないと思っています。「セネガルの歴史」という枠組みだけでなく、世界史を体感できる貴重な機会になるからです。その上、ゴレ島に住む旧知のラス・マハは、プロのガイドではないですが、高い学識とラスタファリアンという立場から、アフリカの側から世界史を俯瞰していただける大変貴重な語り部。そして、毎年彼が調整してくれる宿はとても素敵で、居心地がいい(下の写真)。 ラス・マハが調整してくれた宿泊先 ゴレ島に到着して宿に荷物を置き、早速「 奴隷の家 」へ。「奴隷の家」は毎年行っている。年によって学生の反応は区々で、「ふ~ん」というのから目に涙をためて話を聞く、というのまである。奴隷の経験を自分に引き寄せて考える力、それを感じるためには、少しの英語力(ラス・マハは非常に英語が堪能)と少しの歴史の知識、あとは個人に備わった共感する力。毎年、もう少し歴史についての勉強を…と思うが、資料作成がなかなかに間に合わない。しかし、トイレもない狭い部屋に何十人もが閉じ込められる薄暗い奴隷の部屋の上には、天井の高い海原を見渡すリゾートのような「マスター」たちの執務室、という人種差別が実際の形として現れるグロテスクな建物であることは、多くの学生たちが気が付くポイントです。 奴隷たちはここを通って「積み出された」と言われる いつものようにラス・マハに案内してもらっていましたが、「奴隷の家」には大きな変化が。10時の開場後、ラス・マハが説明を始めると、スタッフから制止され、全体の説明を聞くように促される。しばらくして始まるのだが、すべてフランス語、しかも拡声器を使うので、非フランス語話者は何をいっているのかが全く分からない、という状況に陥る。モグリのガイドによる誤った解説を避けるため、という説明があったが、これは若干興ざめ。 マスターの部屋 そんなわけで、「奴隷の家」に長居できなかったため、今回はもう一つの歴史博物館に向かう。この島は周囲1㎞ほどの小さな島なので、移動は散策しながら。写真の順序が違いますが、何枚か貼っておきます。 以前に比べればずいぶん整備された小道 島の北側の砲台から...

セネガル・プログラム2025 ① 今年も行ってきました

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送り火を眺め、地蔵盆が終わり、原稿は終わっていないが、時間は確実に過ぎ去っていく。夏のもう一つの大仕事セネガル・プログラムを実施しました。今年で4回目となるセネガル・プログラム、今回は3名の参加者と、いつもより少な目だが、毎年続けることが大切。これまで借り物が多かった人脈は濃くなって、自前の人脈ができてきたし、移動のタイミングやプログラムの作り方も少しずつ練れてきた感じがする。 そんなわけで地蔵盆の翌日の8月24日、日本を出発する。できればトランジットが長く、真ん中でたっぷり休めるトルコ回りにしたかったが、価格差を考えると今回もどうしてもエチオピア周り。 円安がしんどすぎる… と言っても、せっかくのプログラム。アフリカなど、人生で何度足を踏み入れるかわからない学生たちにはアフリカをたっぷり味わっていただきたい。 さて、24日夜に成田を飛び立ったエチオピア・エアライン(ET673)は、韓国の仁川を経由して一路アジスアベバへ。長距離フライトに学生たちも若干お疲れか?しかし、せっかくのアジスアベバ。恒例のあれこれを経験します。 まずはコーヒーセレモニー。エチオピア独特ですね。深入りのコーヒーの香ばしい香りに、(私は)疲れも吹き飛ぶようでした。 これはおまけで、アジスでも辛ラーメンが!買う人、いるんでしょうね。しかし、その値段たるや12ドル(約2,000円)…アフリカの空港での韓国、中国の食い込みがすごい! そして、こちらも恒例のインジェラ。お店の方曰く、ここらへんで一番旨い!とのことで、乗っかってみることに。いつもはファラ・フェル(インジェラのトマト炒めのインジェラ詰め)しかないのですが、今回はメニューのものは何でもあるとか。そして、一時期はまってよく食べていたドロワットを選択。あまり辛味は強くなく、学生たちもおいしそうに食べていました。 軽く腹ごしらえをして、いよいよダカールに向けて出発。 さてさて、今回はどんなツアーになるのやら。

【町内会】⑤ 地蔵盆2025

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  現在の住まいに落ち着いたのは、まだまだコロナ禍真っ只中の2020年10月のこと。2021年には町内会の方と交流が生まれ、早くも2023年に町内会の役員となったのですが、その初仕事は「地蔵盆」をご一緒することでした。京都の人間ではない僕にとっては、名前を知っているくらいで、なんとなく地域のお祭り的なものと認識していた程度です。 地蔵盆とは、京都など近畿地方を中心に行われる、町内の地蔵菩薩の縁日(8月23日、24日らしい)に行われる子どもたちが主役の行事のことですが、なぜ、「子どもの祭り」かと言えば、お地蔵さんが子どもの守り神として信仰されてきたからなのだそうです。別に町内会に地蔵が一体しかないわけではないのでしょうが、多くの場合、町内会単位で行われており、コロナ前(平成25年)には、京都では全体の8割の町内会で地蔵盆が行われている、という統計もあり、五山送り火の後の夏の風物詩となっています。( 京都市文化市民局文化財保護課 「 京都をつなぐ無形文化遺産」 ) 運営側に立ってみて、お祭りを維持することはなかなかに難しいことを実感させられます。やることは、お地蔵さんの掃除、近くのご住職に読経してもらい、出店やらへと流れていく。うちの町内はまだ子供の数は少なくない方なのですが、あんまり人が集まらないのはいたしかたなしか。とにかく夏が暑くなったことで、お年寄りが出にきにくくなった、というのも祭りが難しくなった背景にあると言えるでしょう。 こうした「伝統行事」が根強く残る京都ではありますが、近代化の波には逆らえず、お地蔵さんがなくなってしまったりし、地蔵盆自体が成立しないところもあるようです。祭りはするためにお地蔵さんが必要という、もしかすると本末転倒なのかもしれませんが、お地蔵さんの貸し出しの仕組みもあるそうです。 「 貸し出し地蔵」とか「 出開帳」というシステムなのだそうです。 地蔵盆というお祭り自体は、 平安時代にさかのぼる らしいのですが、現代的には、町内の結束を強めるためのお祭りになりつつあるようではあります。ですので、いかに町内の方が参加しやすいか、という力学が強く働いています。私の町内でも、あまりに暑い近年の夏の気候を配慮し、昨年からはお詣りを朝方に済ませ、イベントを夕方~夜にかけて行う、という方法に変更しました。理事会でも、他の町内会の例が紹介され、...

【フィールドワーク】Grand Magal de Touba 2025(マガル・トゥーバ)② 祭り当日

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迎えた8月13日。10時半ころに会場に到着。 会場には、美しく着飾った多くの人が集い、そこここで旧交を温めている。久しぶりの同窓会とか正月の親戚の集まりがいっぺんに来たような、高揚感を伴っている。 到着すると、早々に「朝食」を摂るように促される。 朝食セット ずらりと並んだ料理の列。サンドイッチやらファタヤやらスープやら、ホットドッグやら、その数10種類ほど。食事はどうせ遅いだろう、と思い、ホテルについていた朝食をいただいてきたしまったことを早くも後悔する。ちょっと遠慮がちにとっても、顔見知りから、「もっと食べろ」攻撃。なかなかヘビーだ… 朝から多くの人が訪れる 2008年に初めてセネガルを訪れた際、ちょうどマガルの時期で、僕は世話になっている友人たちとトゥーバに向かった。トゥーバでは、友人の知人のお宅の庭で雑魚寝し、あまりの乾燥と暑さのために朦朧としていると、食事が出てきて、気が付くとウトウトしていて、また食事が出てきて…という繰り返し。夜、涼しくなるとトゥーバの大モスクに続く参道に繰り出す。このようにあまりに大きな流れの中の小さなピースと化した私にとっては、マガル・トゥーバ、そこにいた、というだけで「祭礼」という思い出ではない。 日本でのマガル・トゥーバは、スケジュールが組まれ、粛々とプログラムがこなされていく。昼食をはさみつつ、バイファルたちによるズィクル、宗教談話、礼拝、来賓の紹介、礼拝と続いていく。 バイファルたちによるズィクル 礼拝が行われる 昼食 残念ながら、帰京の予定もあり、この日も17時ころ、皆さんより少し早く中座せざるを得ませんでしたが、初めてのフル参加。やはり参加してみないとわからないことはたくさんありましたし、書きませんでしたが、実は2人の研究者にご同行いただき、ほかのコミュニティを見られている方からの感想も大変参考になりました。 フィールドワークというと、なんだか対象を客観視しようとしているように聞こえますが、私はそういうものではないように思っています。そのコミュニティが進む方向に何らかの関与をしていく、ということにも調査者としての重要な役割がある気がしています。今回のマガル・トゥーバに参加することは、このコミュニティのメンバーと同じ時間を共有し、寿ぐことで経験を共有する、という意味で大変重要な参与であったと思っています。

【フィールドワーク】Grand Magal de Touba 2025(マガル・トゥーバ)① 祭りの前に

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今年の夏は予定モリモリ、仕事モリモリです。しかも、結構いろんな予定がうまくスケジュールにはまり込んでいく。原稿が山ほどあったので、一人の時間が確保しやすいホテル暮らしは望むところで、スケジュールの合うものは積極的に入れていく。原稿は思っていた予定通りにはいかなかった(ブログもまったく追い付いていないけど、さすがにプライオリティが下の方なので…)けど、まあ、比較的心安らかに新学期を迎えようとしています。 前記事のナイジェリアのヤムイモ祭りが終わり、何とか1日だけ帰省して8月12日、13日と東松山のKeur Serigne Toubaへ向かう。今年は8月13日がセネガル最大の祭りのマガル・トゥーバの当日となったので、前日の準備から参加しました。2019年以来のことです。SNSでは、すでに数日前から施設の養生を行う様子が発信されており、祭りの前の高揚感が伝わってくるようでした。 会場の養生をする 会場に到着すると、数十名のメンバーが各々手を動かしている。日陰を作るため、玄関先に東屋を作る者、照明を作る者、建物の中でも何等か相談としていたり…と、のんびりムードの人もいつつ、それぞれの持ち場で汗を流していました。 人生で2度目に見る大量のタマネギ 私も早速お手伝い。どこか入れるところはないかと、あたりを見回していると、やはりありました。タマネギ。今年も大量です。25㎏の袋がゴロゴロ。セネガル料理、本当にたくさんのタマネギを使うことが分かります。旨いですもんね。お手伝いはタマネギのカット。小さな包丁でちょいとやりにくいですが、そこは食文化研究者、サクサクとこなします…と言いたいのですが、タマネギ係長から、「ちょっと粗い」とか、「こうやってほしい」などと注文続出。なかなか難しい… タマネギを同じく、日本で見たことがないほど大量にあるのがマトン。カットしてあるもの、一頭丸々のものなどがゴロゴロと…2019年は20頭ほどのマトンを切り分けましたが、一頭ものはそれだけ需要あるということでしょうか、ブロックが多いのが印象的でした。 マトン、マトン、マトン… マトンを下処理し… マトンを処理する マリネ液を塗りたくって、5㎏ほどごとに袋詰め。冷蔵庫に入れて明日の当日に備えます。 マリネする    この日はチェブ・ギナール 作業が一段落した時点でこの日の作業は終わり。かなり多くの方が東松山に...

【フィールドワーク】A New Yam Festival @ 横浜

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第6回「ヤム芋祭り」次第 家族とのお城廻の旅を終え、私は早々に福岡を離れ、向かった先は横浜。8月10日に横浜で開催される「ヤム芋祭り」に参加のためでした。今回は、在日アフリカ人研究の先輩の 松本尚之さん にお誘いいただきました。 日本で行われる大きな「ヤム芋祭り」は今年で6回目だそう。日本ではまだまだ馴染みはないですが、ナイジェリア(特にイボ)ではそこここで行われているようです。お祭りとしては「収穫祭」的なもので、日本では「米」の収穫を祝うことを考えると、「ヤム芋」がイボの人びとの「食」の象徴だということが分かります。実際にナイジェリアでどのように祭りが行われているのかは、これから勉強する課題として、参加したヤム芋祭りについてメモしておきたいと思います。  開催されたのは、「神奈川労働プラザ」の大ホール。小物政治家の何とかパーティでも使えるくらいの大きさのかなり大きなスペースを貸し切り、横断幕なども用意され、そこら辺のパーティどころではありません。かなり本気度の高い設定に少し気圧されつつ、いざ開始。パーティはMCの発声、自己紹介から始まるのですが、合間合間に仮面のダンスが入り込む。私が馴染んできたアフリカとは、大きく異なり、院生の頃に指導教官から聞かされただけの世界が展開してきます。 そして、どこの世界も大物は遅れてくるもので、宴が始まりしばらくすると少しずつ舞台前の貴賓席に人が埋まっていく(怪しい人ばっかりだ…)。 そして、宴もたけなわになるころ、「ヤム芋祭り」のメインイベント。ヤム芋のカットです。貴賓の皆さんの輪に松本さんの伝手ということでご一緒させていただき、最初のカットをさせていただきました。 メインイベントの「ヤム芋カット」 合間合間に出てくる仮面 次第に宴が深まっていきますが、食事も次から次へと運び込まれます。 まずは、前菜のピザ(!)。最初から空腹では帰さない気満々です。 「前菜」のピザ 前菜のピザの後はコラナッツとデーツが配られ、これがアフリカのイベントだということを思い出させます。 コラが配られる そしてメインの「ジョロフライス」!。お弁当形式ですが、コメの量は軽く一合はあります。肉もでかい… ナイジェリア料理店によるジョロフライスの弁当 内容はこんな感じ。 そして、弁当と前後してヤム芋のラグー(?)。ヤム芋祭りなんだから、こっちメインがよ...

【子ども学と子育て】Vol.33 バックパッカーとフィールドワーク(夏休み企画)- 番外編 おいしかったもの

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今回の旅行は、貧乏旅行の楽しさをきいにも知ってもらう、というのも一つの目的でした。今まで家族で出かけると、なんだかんだお金をかけすぎる(特に食費。私が欲張りだというのが大きい)きらいがある。ただ、そんな旅行、ある程度の年齢にならないとできないし、質素な生活ができないと若い時の旅は難しい。 まま、そんなわけで、今回は我が家としては比較的質素目(当初はアルコール禁止!のつもりでした…)。朝食に吉牛も経験したし、コンビニのパン(自宅ではやらない)、というのもやったし、ちゃんと水筒も持って行った。しかし、これはこれで味気ないので、いくつか美味しいものも食べました。 時系列的には逆ですが、まずは門司の「焼カレー」。門司の船着き場を降りるとすぐにJRの駅があり、この辺に「焼きカレー」屋が固まっています。ウェブで調べたら、どこもそれなりの人気店のようで、とにかく入ってしまえ、と思って入ったのが、 「 伽哩本舗」 。11時過ぎですでに30分待ち(1回転目を逃した…)で、入店し、三人三様できいが和牛(贅沢に育ってしまった…)、連れ合いがシーフード(やはり贅沢させてしまった…)、そして私は三種盛(牛・豚・鶏、一番安い)。 まだまだ暑い時期ではありますが、よくエアコンの利いた部屋の中で食べる濃厚な焼きカレーはなかなか。きいもハフハフ言いながら完食でした。 あともう一つはやはり広島のお好み焼き。前々記事で書いたように、広島ではグズグズになってしまったのだけど、実はその前のお好み焼きの時は上機嫌。さすがに「お好み村」まではいけないので、駅ビル内で我慢。しかし、有名店が軒を連ねており、やはり何十分待ちは必須。もう関西に住んで長いですが、お好み焼きはどちらかと言えば広島派。ソースの味もそうなのですが、山ほど盛られたキャベツで罪悪感は激減、なんなら「焼きサラダ」と自分の中で脳内変換しているほどです。 しかし、ここはおいしいのだけど、どこかポーションが小さい気が…駅構内だから仕方ないか…と思いつつ、ちょっと残念。ただ、久しぶりの広島のお好み焼き堪能できました。 夏休み企画、ちょっと記事にするのが遅くなりましたが、オヤジは楽しい3日間でした。きいもちょっとは楽しんでくれているとよいのですが。  

【子ども学と子育て】Vol.32 バックパッカーとフィールドワーク(夏休み企画)-3 徳山→小倉→義実家 

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この旅行もいよいよ最終日。 徳山から下関を経て連絡船で九州に上陸する、というルートです。徳山→下関は1時間半ほどで、しばらく通勤帯にあたって少し混んでいたけど、そのうちすきはじめる。ここまでの長距離移動のこともあり、きいもウトウトしたり話をしたりと、旅の仕方を少しずつ覚えている。 下関に到着し、フェリー付き場に移動する。電車ばかりでは飽きるだろう、ということで、敢えての連絡船。ちょっと天気が悪かったのですが、10分ほどで対岸の門司に到着する。門司は私が大学卒業後に就職した会社の2年目の乗船研修の起点となった港。今やどうなっているのかわからないが、元船乗りの「ポートキャプテン」という積み荷責任者に連れられて何日間か飲まされ続け、船にぶち込まれた場所。ほとんど記憶がないのだけど、そんな話もしてみる。 定番のスープカレーの話はおいておいて(別便で報告します)、いざ最後の目的地の小倉城へ。3人とも若干食傷気味、というか、小倉城のアミューズメント感がすごい。写真、ほとんど撮れなかったのだけど、(すでに3回目の)きいはお気に入りのコーナーへ。最後は天守閣最上階でお茶を飲んで、小倉駅まで徒歩。 てな感じで、夏休みの企画は終わり。今年はこれをやるために、夏の調査をやめました。本当は自由研究を最後まで見てやりたかったですが、若干中途半端なまま次のスケジュールに移らざるを得ませんでした。これはちょっと後悔。たまにリールで流れてくる動画で見る、「子どもと一緒にいられるのは10年」という言葉…確かに、手も繋がなくなったし、猫なで声ですりよってくることもめっきり少なくなった。もう間もなく「子育て」が次の段階に入るのだと思うと、なかなかに切なく、10歳になろうとしているきいと一緒に旅行の一つも、と思い立った故のこの企画でした。 「貴一朗」の「朗」の字は、外に向く名前なのだそうです。外に向くのであれば、旅をし、そこここで観察し、そこに慣れ、溶け込んでいくこと。父なりに築いてきた一番大きな財産の一つを渡しはじめようということも考えていました。

【子ども学と子育て】Vol.31 バックパッカーとフィールドワーク(夏休み企画)-3 広島→徳山

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福山を後に、3人は一路西へと向かいます。この日は福山を出て、広島でお昼(もちろんお好み焼き)を摂って広島城に行き、さらに西の徳山までというコース。中日でかなりしんどい行程になりました。 毛利隆元によって築城された広島城、広島市内の真ん中にあり、広島大学在職時には何度か近くまでいったように思います。広島市の真ん中にあるとは言え、広島駅からは若干距離がある。アストラムラインに乗り、紙屋町南でおり、500mほどを歩く。だんだんきいの雲行きが怪しくなる…   天守閣が見えるころ、とうとう「つ・か・れ・た!」爆発しました…しかし、広島城は時間管理上、今回の旅の一番の難関で、少し遅れると徳山のホテル着が一気に1-2時間おくれてしまう。そんなわけできいを急き立てざるを得ず… 広島城内、疲れて流しているのかと思いきや、自分なりに楽しんでみていたよう。そこに、遅くなるからササっと見ておいで、というと、とうとう大噴火してしまう。結果、ほぼ見られなかったため、きいの中では、見なかったことになってしまう(自由研究にも全く書かなかった…)。 とほほ…な感じの中日でしたが、これはこれ。スケジュール的な山だとはわかっていたが、うまくコントロールできず…まあ、徳山の変なホテルと夕飯でなんとなく機嫌を直し、無事に二日目を終えました。