アフリカの教育を考える-1

出国前日、ブルキナファソでアフリカの教育に携わる方(日本人)と食事をご一緒しました。若者や子どもを研究対象にしていて、ここのところ、クルアーン学校を追いかけている手前、こういう方にはぜひ一言言いたい、鬱陶しい考えを持つようになってきている。

グーグル先生に「アフリカ 教育」と入れると、やはり割と近しい方の名前が上位に挙がってくる。この方々、「アフリカ教育研究フォーラム」に関わられている方々で、所謂、教育開発の分野の専門家たちだ。これらの検索数が多いということは、つまり、より多く関心を惹いているということ。僕が大学生だったころのゼミにも、やはり教育を扱う人が多かったから、かなり根強い人気のある分野だといえるのではないか。

そして、僕もご多分に漏れず、こういう分野に足を突っ込みつつあるのだけど、研究・調査ということをやってみて、初めて気付くことが多かった。その中の一つのことのがその日お会いした方に言いたかったことだった。

どういうことかというと、実務家にとって、「研究」が取り扱うディテールがどれほど影響するのかわからないのだけど、ブルキナファソであれ、ニジェールであれ、西アフリカの辺りの教育がどのように構築されてきたか、ということが本当によくわかっていない。なのに、なぜそんなに教育に手を出したがるのか、ということ、この話をしてみたかった。もちろん、とても意地悪なことを言っているのはわかっている。つまり、「そもそも、そんなことも知らないでこの国/地域の教育を語ろうというのか?」という裏があるから。彼らも組織に属していて、その方針に従わざるを得ないので、そんなことを言われても…という反応をするに決まっているのだ(しかし、この方はそのあたりは察してくれていると思う)。

ともあれ、アフリカと言っても、自分が関わる西側の内陸部以外の地域のことはよく知らない。たとえば、グーグルの上位に出てくるのは軒並みケニヤを中心とする東アフリカのことだし、中央の熱帯雨林のこととかはなかなか出てこない。しかも、まだまだ研究蓄積の薄い地域なので、体系的に教育ということを考えようと思うと、本当にこの地域は難しい。一緒に研究をしているうちの一人は、ブルキナファソのみならず、フランス、セネガル、この前はコートジボアールの文書館を訪れていた。ブルキナファソの場合、植民地期前後の複雑な政治関係から、それくらい文書の所在が入り乱れていて、我われにとっても整理するところからはじめなければならない。

この地域で行われている「教育」関連の国際的な支援事業は相当な額になるし、そこに投入されている人的資源もかなり多いはず。しかし、こうした未発達な研究の状況をかんがみれば、こうした事業が史的な考察に基づいていないことは明々白々。我われも急いで整理をしなければならないのだけど、なぜそのまま彼らがこうした支援事業を展開してきたのか、展開できたのか。

先日の調査でいただいた資料から、現在ブルキナファソには、約13,000校(内10,000校が公立校)の小学校がある。祖就学率は7割を超えた。僕がアフリカを学び始めた頃、ブルキナファソの祖就学率は3割に満たなかったと思う。ある意味、こうした脆弱な基礎データ(教育史が良く分かっていないこと)に基づいて、ものすごく速いスピードで「教育」が浸透している。そして、この流れは、、国際的な枠組みや、順調に発展する経済状況を見ると、益々強まっていくのではないだろうか。

正にこういう中だからこそ、一旦立ち止まって見直しを図るべきときなのではないだろうか。

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