「旅」について‐②

http://www.tokyolife.co.jp/blogtokyo/tokyowheels_blog/2013/01/post_235.htmlよりお借りしました

学会シーズンがとりあえずひと段落。6月に入り、さっそく出張に出かけるところです。昨年40代の大台に乗り、認めたくはないけど、多少体力的には弱ってきているのも否定できず、そして、一方でやらないといけないことはドンドン増えてくる…そうすると、できるだけ移動中の時間を有効に、そして、体力を温存できる方法を、と考えてしまうのです。と、言い訳がましいことから入ったのは、現在経由地の成田の「ラウンジ」で作業をしながらブログを書いているからです。

「旅」についての2回目を書きます。今回は、バックパッカーについてです。

1回目に調査やらNGOやらで出かけようと思う人に「旅」をすることを勧める、ということを書いたのですが、「旅」と言っても、(「無駄」とは言いませんが)ツアー旅行ではありません。安いチケットを扱う旅行代理店で如何に安いチケットを手配してもらうか、ホテルもフワフワなベッドと暖かい食事のあるところではなくて、カチカチに2段ベッドのドミトリーで寝て食事は屋台でワイルドにそして安く。つまりバックパッカーのスタイルを勧めます。安く上げること、すなわち、現地と同じ生活に近づくから、どんなに人見知りでも割と人々の日常が見えてくるはずです。

特に国立の大学院に入ると、指導教官や研究室から調査費が支給されることがありますし、援助機関でも、当然、旅費と日当宿泊という形で経済的な補助が得られます。大体の形式は経験しましたが、どうも、バックパッカーで知り合う人と調査や仕事で知り合う人はずいぶん違っているように思うのです。人類学の調査など、大概な人と知り合うわけですが、バックパッカーをしているときに知り合った人のアングラ感には到底及ばない。世の中がアングラな人によって動いているとも思わないですが、NGO関係者はもちろんのこと、人類学者でも特に育ちのいい人などは、順法意識の高さから、こうした人たちへの免疫、耐性はずいぶん低い印象があります。

しかし、バックパッカーはどこか閉鎖的な「自分たちの世界」のようなものを持っていることが多くて、実はかなりこの人たちは厄介です。誰も行ったことのないところに行った、現地の貧民街で泊まった、どれだけ安く飯を喰った、そういう競争が起こって、ある一部の人が神格化されていく。そして、同じ価値観の人たちがかなり閉鎖的なグループを組織する。僕も一時期、「旅」というのが、いかに旅先の人と同じものを共有できたか、遠くまで行けたか、そして、どれだけ感動したか。そんな価値観に埋め尽くされていたような気がします。

僕らのころの大学生、特に僕が通った大学が、一流の大学を狙って滑り止めで入ってきた学生が多かったこともあり、向上心だけは人一倍。なので、分厚い思想書を片手に、キャンパスを闊歩して、休みの期間は海外で経験を積む、こんな人が多かった記憶があります。そして、バブル直後で、瀟洒な海外旅行に行くのは憚られたけど、少しおカネのかからない、バックパッカースタイルで旅行する大学生がずいぶん多かった時代でもあったと思います。

どんなスタイルの「旅」がいいとは言いませんが、「旅」がすべて合目的的になったら、僕にはあまり面白みが感じられません。なので、行った先の観光地くらい回るべきだと思いますし、やっぱり、その土地の人が食べているものを食べてみるべきだとも思いますし、普通のレベルは知っておくこと。後々どんな「仕事」になるにせよ、こんなことは少し意識してみると、いいのではないかと思うのです。これはこれでプラグマティックだけど。

最後に一つ。僕の大学時代の知人と今は行けないドゴン(マリ)を回った時のこと、この人がぽつりと言った一言を紹介したいと思います。僕らはアフリカのギュウギュウ詰めの乗合バスに乗っていて、季節も乾季の終わりの一番暑い時期だったと思います。

「そんなに目的もなく、こうやって「運ばれている」感覚。久しぶりだな…」

こんな感覚、調査や仕事のような積極的な姿勢が求められる状況ではなかなか感じられるものではないでしょう?こういう気持ちで見る風景は、今でも一番印象に残っているものの一つだったりもします。





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