本に関する習性

相変わらずボヤボヤしながら、時間だけは過ぎ去っていくという(確かに雑用も多いのだが)、日常を過ごす中、これもすでに日常化しつつある調査への出発が明日に迫っている。向こうでやることの準備は悪くないペースで進んではいるのだが、結局終わらせるべき大きな仕事が一つ終わらず、向こうに持ち込むことになった。非効率なスパイラルである。

そんなこんなで、バタついているものの、昨日までにちょっとした時間の合間に今回の調査にもって行く本を決めた。いつもは小説(逃げ場)を用意したけど、今回は、研究を進めていく上での基本書を中心に持っていくことにした。ボーっと読んでしまったウェーバー、ジンメルの再読(「プロ倫」とか読んだのが昔過ぎて最近ちょっと怪しいので)、あと、この前の研究会でこれくらいは読んどかんといかんだろ、と言われて怒られたアサドを2冊。そして、ちょっと前に「民俗学を読むぞ!」思い立ったときになぜか手に取った鶴見俊介(表題とか目次が魅力的)をとりあえず2冊、あと、小説は田中慎也を2冊。その他、論文資料多数。

毎回そうだけど、結局荷物の半分くらいが本になってしまう。チキンハート丸出しである。

ところで、もともと図書館で本を借りたりするのが苦手で、なぜかと言うと、僕はとても記憶力が悪くて、手元に本がないとアイデアが湧かないため、というのと、うっすらと収集癖があって、常に手元にないといけないこと、そして、何より、本に書き込みができないとちゃんと本が読めないということがある。なので、基本的に本は買う。まだ計算をしていないけど、今年は本のレシート、領収書を保存して置いてみた。カードの引き落としとか、経費で購入した分なんかをあわせると、最低でも50万円くらいは買っているのだと思う。当然、そんなに読めるものではないので、積読が大量に増える。以前はそれはそれで満足していたけど、人の論文を読んで積読になっている本を旨く使われているときには、そのあせることと言ったらない。だったら読めばいいじゃないか、と言っても、そんなことを言ったって時間も限られているから、本を読んでばかりはいられない。

この辺の事情を考えたとき、買った本を読まねばならない、という強迫観念から如何に逃げるか、本当に必要な本をまず読み、それに肉付けするように周辺の、もしくはまったく別の領域の本を読むことが大切ではないかと思い始めている。なので、調査時や長距離移動のあるときに、新しく買ったものと読まねばならない本と、読んでおきたかった本をバランスよく持っていくことにしている。

このブログでも何度か紹介したけど、わが師の言葉。「調査しながら読んで書くんや!」。最近、ようやくこれが必要なことがわかりました。

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