アフリカ報道の変化と人類学と援助




昨夜パリに到着した。出発前、成田で予定になく本屋をぶらついてみたら、下の写真の『日経ビジネス』が目に留まり、とりあえず購入。以前、『東洋経済』でも特集があったな…と思い、写真だけ探してみた。それぞれ、もはや暗黒大陸、援助対象国というステレオタイプを抜け出し、アフリカを市場として捉えるべき、という論調は共通している。東洋経済は立ち読みだったので、どんな内容だったか覚えていないけど、この『日経ビジネス』、現在アフリカで活躍しているいくつかの企業の特集が組まれていて、とても興味深い。

いずれの特集も、「援助対象→市場」という論調。人類学やアフリカ研究で脈々と主張されてきた、他者(アフリカ)理解で乗り越えねばならない壁を一気に超えてしまいそうだ。ある意味、人間の良心に訴えかけるような手段で、ブリコラージュや戦術的な人びとの対応を駆使して、アフリカの人びとがコロニアル、ポストコロニアルな状況の中を生き延びているのだ、とする、私たち(特に援助関係者、人類学者)の欺瞞を暴き立ててきたものが、まったく違うストーリーを通ってぶつかった感じを受ける。

これはこれとして、現在のアフリカを取り巻く外部の(アフリカ人研究者も寄稿しているが)まなざしとして捉えておくべきことだとは思う。ただし、やはりあまりに性急で、ほとんどか一部かわからないけど、僕がもついくつかの風景にはあまりに不釣り合いであることは、人類学者、援助関係者としては、まだしばらくは言い続けなければならないだろう。

たとえば、ブルキナの農村、ニジェールの農村において、一部の機械化は土壌の劣化を招くことがわかっているし、そこに化学肥料を投入すれば、肥料を買うために耕作するというスパイラルに落ち込むことは経験則的にわかっている。こういうところに我われの暮らす世界並の貨幣経済を当てはめた時にどうなるかは火を見るより明らかだ。これまでに十分議論されてきたように、集約的な労働、過度の機械化は決して豊かさをもたらさない。

ところで、先日、ブルキナの親友からメールをもらった。何度か僕も訪問させてもらっているのだが、彼は自身の出身地とワガドゥグの近郊に施設、学校を建てている。彼から、そういう活動に興味のあるNGOやファンドはないか、という問い合わせだったのだが、僕のアンテナにはそういう情報は一切引っかかってこない。というか、停滞する援助業界で、ある意味の淘汰が行われてきているし、これからもっとNGOとか、ODAというのはクオリティワイズで切り捨てられていく傾向になるのではないか。すでに援助業界が資本主義経済のシステムに組み込まれていることは、援助の商品化というのは有名で、僕も援助業界の産業化という言い方をしたことがある。これが益々進むとすると、すぐに結果の出るプロジェクトに重きが置かれ、時間のかかって効果の見えにくい環境や農業への投資/援助は減っていくのではなかろうか。

そのようなわけで、いろいろと問題点を含みこんだ時流だけど、これまで一生懸命振り向かせようとしてきた企業がどのような形にせよ、少しこちらを見始めたことは寿ぐことで、僕らも乗り遅れないように、こういう人たちと交流を深めていかねばならないだろう。研究者がフィールドや研究室、実験室に閉じこもっていればいい時代はとうの昔に過ぎ去ったし、どんどん懐に食い込んでいきたいものである。


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