「食文化と博物館 食べるフィールドワーク」2月8日@中部大学 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 1月 31, 2012 今年度は県内の短大で食文化についての講義を頼まれた。中尾佐助、小泉武夫…と並み居る大御所の中で、石毛直道氏の著作はもっとも参照にした文献だった。調査地の幅の広さ、食器や料理器具、所作に至る、食にまつわる分析枠組みは非常に参考になった。すでに第一線からは退かれていることもあり、なかなかお話を伺える機会は少ないのだが、2月に講演会が設定されたので、さっそく予約した。これ以上食欲が増してしまうのは困るが、「研究」のためにて。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
【日本のアフリカン・レストラン】② Tribes(アフリカン・フレンチ) 7月 15, 2024 このレストランに初めて伺ったのはいつのことだろう?【日本のアフリカン・レストラン】シリーズ第一回目は Tribes さん。 おそらくは2002年とか2003年とかあたりではないかと思うのだけど、神楽坂を一本入った静かな街並みの中、「アフリカン・フレンチ」を標榜し、店主の石川さんはイケメン。正直なところ、最初はとてもハードルが高かった。 その後、四谷荒木町、そして荻窪と、お店のロケーションを変えて営業されてるのですが、どんどん庶民的な街に移っているような…なぜお店を移されているのかは聞いたことはほとんどないので、今度伺ってみようと思います。現在の荻窪のお店はラーメン好きならよくご存じの「春木屋」の2件隣り、という悩ましいロケーション。春木屋に行ってからTribesに行くわけにもいかず、帰りは基本的に閉まっており、いつもモヤモヤしているのがここだけの話。ともあれ、このレストランについては、石川さんが「石川コフィ」さんとして、先日『 筋肉坊主のアフリカ仏教化計画 』を上梓されましたが、石川さんの来歴はこちらにしっかり書かれていますので、こちらの本に譲りたいと思います。 店内はかなりムーディーなのですが、今回訪れた際は「青」。ご一緒した旧友たちも、入店するなり「青!」と叫んでいました。窓が青いだけなのですが、夜は外からは何も見えないのだとか。 店主の石川さん とにかくアフリカ好きの石川さん、この店に置いてあるものは、ほとんどは基本的にアフリカがらみ。ビール、ワイン、料理… さすがに「常連」と言っても怒られないと思うので、そういう立場だと説明しておきますが、ここ数年間、メニューを見てお願いしたことがなく、ここの料理を紹介することが叶いません(しかも、久しぶりに見せてもらったのに写真を撮り忘れるという…)。お伺いすることを伝えておくと何某か考えておいていただけるので、毎回それを美味しくいただく、というだけ。 チェブジェン・スンバラ仕立て 石川さんとは、ずいぶん前から、レストランと客、という関係以上のことをさせていただいています。最初は、勤めていたNGOとの「チャリティナイト」の企画だったり、イベントへの食販の出店だったりと一緒に厨房に立たせてもらったりもしました。石川さんご自身も大変なアイディアマンで、いろんなことをされています。それゆえの地力の強さのようなものもあり、お話も実... 続きを読む
【日本のアフリカン・レストラン】④「Amaging Grace」@草加(ガーナ料理) 11月 18, 2024 日本のアフリカン・レストラン3軒目。 Amaging Grace @草加市です。こちらも前回のセブンスターと同じく比呂さんのご紹介なのですが、今回は比呂さんとご友人方ともご一緒させていただきました。ちなみに、比呂さんは Ethnic Neighborhood というYoutubeチャンネルを作られています。 東武スカイツリーライン新田駅から徒歩5分ほどのところにあるAmaging Grace。店内には、テーブル席が4つほど。我われ3名が到着した時には、まだ誰もおらず来店1号。 メニューを眺める。いわゆるガーナの定番料理が並んでいるのですが(これがガーナ人が喰いたくなるやつという理解ができた)、とりあえず、食べたことのないものを少しずついただきましょう、ということで、トゥオザーフィ(TZ)とワチェ、ケンケを注文。 ケンケ ケンケは何度かのガーナ滞在の時にも食べましたが、改めて食べてみて、ドンクヌであることを再確認。ベナン、ブルキナと食べ方もほぼ一緒。ブルキナ民としては、魚が大きいのが違和感(うらやましい)ですが、やっぱり海魚が合うのですね。旨いです。ちなみに、ケンケは2階のガーナ食材店で買っていきました(500円!)。 ワチェ(スパゲティの下) 比呂さんの Ethnic Neighborhood でも紹介されています。比呂さんからは、赤飯みたい…と聞いていて、おそらく ベンガ のことだろうと思っていましたが、ビンゴでした。豆も2階のショップで売っていましたが、ササゲですね。ほかのウェブサイト(大体自分が行ったところの名物料理的な書き方ですが、一様に北部(タマレとかワとか)ということも書いてあった)にも、書かれているように北側でよく食べられる、ということは、ブルキナなどとの繋がりあり、と見て、同じものと思っています。 正直なところ、これは旨かった…シトと呼ばれるペーストがあるのですが、これがつくだけでかなりいろんなものが食べられるのですが、これとゆで卵がついて、豪華な感じのするベンガでした。これ、ブルキナに持って行ったら売れると思うのですが。 TZトゥオザーフィ そして、トゥオザーフィ。これも念願でした。これは「ト」ですね。トは何回もこのブログに書いていますので、以下の記事をご参照ください。 https://cacaochemise.blogspot.com/2014/... 続きを読む
ブルキナファソ・カメルーン調査② ブルキナファソ 10月 28, 2019 今回のブルキナファソ滞在中、ほんの一瞬だけコングシのプロジェクトのサイトを訪問。おそらくしばらくこちらに来られないことを考え、ご挨拶と事情の説明をした。 今年は雨の降りが悪く、昨年44回あった降雨が、今年は22回。ソルガムの茎は細く、かなりの数が風で倒れてしまっていた。それでも、ラッカセイやササゲはそれほど悪くないようで、何とか食いつなげるか、というところらしい。 採れたてのラッカセイ この地域、ほぼレベル4のあたりに近く、僕が訪れる数日前にも、同じ県内で襲撃事件があった。とても気になるのが、「温和なブルキナべ」の間にも、かすかに民族間の亀裂が見え始めていることだ。現在の西アフリカの混乱は、表面的にはいくつかのイスラーム過激派が引っ掻き回していることがその原因だと思われているが、ブルキナファソはこの騒動の中でも周縁部にあたり、マリやニジェールのそれとは若干様相を異にする。 ブルキナファソ、特にモシ社会の中では、イスラームと言えば、ヤルセ(マンデ系)、ハウサ、そしてフルベがその中心にいるが、通商民であるヤルセやハウサは比較的うまく溶け込んでいるが、遊牧民「だった」フルベは、様々なレベルで農耕民とコンタクトを持つ。よくあるのが、フルベがモシの家畜の世話をし、その見返りに穀物を獲得する、また、フルベの家畜を農耕民モシの畑に駐留させて土地の回復を担う、など、持ちつ持たれつの関係性を保ってきた。しかし、人びとの間で、ジハーディスト☞ムスリム☞フルベという連想ゲームが共有されるようになり、そして、実際に起こる暴力事件(もしかするとイスラームの文脈とは一切関係なく)がさらにそれに拍車をかけている、という図式が定式化されてしまっているように見えた。 前回の調査では、調査地の村に住む、フルベの家族の下を訪れたが、どことなくよそよそしかったし、これまでほとんどNGOの支援を受けていないようだった。この村に畑を借りているので、説明に訪れる段になると、NGOの代表は事前に電話をかけて、フルベの様子を探り、私が村に着くと、カラシニコフをもったクリストフさんが…彼は狩人なので、銃を持っているのはあり得ることだが、完全に護衛である。畑の巡検は和やかに進んだが、状況はここまできていることはとても残念なことだ。 ラファエルさん(右)とクリストフさん(左) 調査... 続きを読む
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