『街場のメディア論』内田樹 光文社新書 2010①


やらねばならないことがたくさんあるときほど本が面白い。『街場』シリーズ、実はまだ1冊目。Twitterもフォローしていて、発言が面白いので、古本屋で少しずつ買い揃えている。


僕は内田氏のような素養を持ち合わせていないのだけど、割と共感できることをおっしゃるので、このように言語化するのだ、ということをしばしば学ぶ。この本もそのような部分が非常に多かった。少しまとめてみたい。この本は講義形式で、第1講~第8講で形成されている。第1講、第2講がイントロ部分に当たる。


今回は第1講「キャリアは他人のためのもの」についてのメモ。この講は、ほぼ独立していて、内田氏いわく、メディア業界に就職を目指す人への心構えが述べられる。僕も自分なりに就職活動を経て考えたことに似ていた(もちろん僕は内田氏のように言語化できなかったのだけど)。

就職活動…僕らが就職活動に励んでいたのは、「氷河期」と言われた1995年。自分ではそれなりに頑張って、自分の大学のOBでもないのに、他大学のOBを訪ねてみたり、まだWebでのエントリーシートがなかった時代で、資料請求を150通も出してみたり。すでに「適正検査」とか、怪しい検査があったけど、実は一度も就職セミナーとか受けたことはなかった。なんか、占いで自分の好みを決められてしまいそうで。ちょっと家庭の事情があって、できるだけ給料が高いところがよかったので、好みの会社とかはなかった。

「適正」について、内田氏はこのように述べる。

「もともと備わっている適正とか潜在能力があって、それにジャストフィットする職業を探す、という順番ではないんです。そうではなくて、まず仕事をする。仕事をしているうちに、自分の中にどんな適正や潜在能力があったのかが、だんだんわかってくる」(p.18)

自分に合っているか合っていないか、は潜在的なものではなく後天的なものである。内田氏はさらに…

「与えられた条件のもとで最高のパフォーマンスを発揮するように、自分自身の潜在能力を開花させること」(p.21)

これがキャリア教育の目指す目標だという。戦後民主主義の平等主義、ネオリベ的な弱肉強食的世界観がよく反映されている就職を巡る会社と大学の間の関係、さらに生涯雇用の伝統が1発勝負の就職活動を要求する。たしかに、内田氏が言うとおり、「「適正と天職」幻想にとらえられているから、キャリアを全うできなくなってしまう」(p.17)ということなのであるけど、現在の就職活動が時代の狭間にはまり込んでしまっているようにも思う。僕らのころから3年くらいで会社を辞める(僕も4年なのだけど)人が増えて、生涯雇用など絵に描いた餅のようになった。僕らがすでに内田氏のいう幻想にからめ捕られていたのかもしれないけど、バブル崩壊の余波が強く、会社が信用できなくなったことを実感していたようにも思う。

ある人が就職活動という大きなイベントで自分の適性を図る。リスクが大きい(と喧伝される)こんな時代だから、天職を求めるのかもしれないけど、どこか運命論的なこの考え方は人間に備わる適応能力や狡猾さという能力を切り捨ててしまう。上司の命令に有無も言わさず従属するサラリーマンのステレオタイプから抜け出すこと、サラリーをもらいながらも仕事を客観的に判断すること(これは仕事から逃げるのではなくて)、内田氏の文章からこんなことが引き出せるのではないだろうか。

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