ワガドゥグ沈没③


3日連続で参加するNGOの事業地に行ってきた。事業地への道のり、調度今回の水害の被害が最も酷いといわれている地域の横を通る。初日、チラチラとそちらの方を見ていると、道沿いにある小学校に多くの人だかりが見える。事務局長に「見れないか?」と言うと、「許可がいる」とのこと。しかし、翌日、事務局長が「テレビで見たから、ジャーナリストのふりをして行こう」ということで、2日目にKARPALAと言う地域に潜入した。
上の写真がKARPALAの写真。バンコ(日干し煉瓦)づくりの家屋が多かったこの地域は、ほぼ壊滅。つい最近まで村だったこの地域は、ワガドゥグ市の拡大とともに、ワガドゥグに取り込まれていった。この写真の左の方、東側に小さな溜池があるらしいのだが、西側の幹線道路からひたすら下っている。つまり、一番低いところにため池があり、その隣にこの地域があるということになる。しかし、高低差は普通に生活していてはわからない。家事で使う水が流れる方向でかろうじて知るくらいだろうか…

そして、次の写真。住民が瓦礫を掘っている。取るものも取りあえず逃げ出したそうだ。家財道具、金、貴重品が瓦礫の下に眠っている、という。瓦礫はその次の写真のような状態。バンコであったことはすっかりわからない。溶けて、まさに土に返っている状態である。
学校には、UNICEFのテントがあり、昨日「和が家」に来たフランス大使館勤務の方によれば、フランスもNGOなどを通して緊急支援のために走り回っている。
とりあえず、援助が決まり、少しでも早い復興を願うばかりだ。ワガドゥグ市の真ん中の橋は落ちたままだし、これから崩れる可能性のあるバンコの家はまだまだ多い。何をどのようにするか。緊急援助はとりあえずの生命維持装置で、生き返ったワガドゥグ市をどのように強くしていくのか。今回は天災で済むかもしれないが、次回は完全に人災になる。
ワガドゥグ市はハリボテ、と言うのは、不肖私がよくワガドゥグを揶揄するいい方である。コンクリートの板を張っただけの水路は、水の勢いでコンクリートがはがれ、コンクリートでつくったかに見える家はよく見るとその後ろ側が崩れてなくなっていたりもする。政治的にハリボテなだけでなく、大工も家のたて主にもハリボテ観がある。
「オリジナル」という言葉をよく聞く。たとえば、日本から直輸入した電化製品であり、フランスから持ってきた自転車、車であったりする。いろんなものにこの言葉を使う。たぶん、これを判断するのは一つの能力やスキルで、なかなかこれを習得するのは難しいものらしい。「ハリボテ」を脱出するためには、この「オリジナル」を見分ける能力を身につける必要がある。
しかし、昨夜、オヤジ氏が奇しくもこんなことを述べた。
「うちで働いている女の子は、先を読まないんだよね~。油がなくなった、とは言うんだけど、だからなんなんだ?なくなったから、買いに行きたい、というところまで言わないんだよ」
そういえば、ここの人たちは自分で判断することを極度に嫌うように思う。もちろん、自分で仕事をしている人たちは、その真逆に独断的なことが多いのだが。ある意味、マスター、パトロンが必要で、指示を常に待っている。リスクはほんの小さなもののはずなのに、それすら負う気はないらしい。だから、マスターであり、パトロンである、フランスや日本で作られた(実際はそのメーカーの冠を持っている商品)がオリジナルだと思ってしまうのではなかろうか。
話はすっ飛んでしまったが、数千人が被害を受けた、今回の洪水。「オリジナル」な街ではないことが露呈した。それを笑い飛ばすここの人たちの気質は見上げたものだと思う。しかし、人が死に、爪に火をともすような努力をしてコツコツと貯めたお金が土砂に埋もれ、住むところすら失ってしまうことは、なかなか笑って済ませられない問題が残る。これはこれからじっくり見て行かねばならないところだろう。

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