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卒業論文(2024年度)

今年も卒論の提出日を迎えました。まだ全員提出…というわけにはいきませんでしたが、7名中6名が無事に提出しました。来週にはもう一人も提出できる予定です。今年の7名は、私のゼミ生としては2期目ですが、グローバルスタディーズ学科の第1期生。最初の卒業生です。 昨年 とはまた別の思い入れがありました。 毎年のことですが、それぞれの学生の関心が異なり、あるディシプリンに寄せることはしていないので、多様なテーマがあります。今年は、親族論、ファッション、流通、中国在留邦人、中等教育、在日コリアン、観光と多様なテーマが揃いました。学生とディスカッションしながら私自身も学び、とても面白い事実や資料を見ることができました。学生たちに感謝です。 去年も最後の2カ月くらいでゼミの結束が強まったように感じていましたが、今年は元々仲が良い学年だったのが、さらに強い絆で結ばれたように思います。最後の2週間、私の個人的な都合(言えないやつや博論やらほかの原稿やら…モニョモニョ)もあったのですが、ピアレビューを取り入れて学生同士で読み合わせをする時間を取るようにしました。なんと最後は自主ゼミを毎日のように開き、コメントを付け合い、というサイクルが出来上がっていました(かなり感動モノでした)。 残り数か月ですが、最後まで学生生活を謳歌してほしいと思います。

【映画】「荒野に希望の灯をともす~医師・中村哲 現地活動35年の軌跡~」(日本電波ニュース社, 88分)

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 今年は忙しい中、割と映画が見られているのがうれしいです。 12月4日は中村哲さんが凶弾に倒れて5年目なのだそうです。SNS上には、中村さんのような政治家が…とか、国民栄誉賞を…とか、いう賛辞の言葉が躍っていましたが、私はそんなことは微塵にも思いませんでした。清廉潔白で、利他的で、さらには頭脳明晰、どんな職業であっても成功すべくして成功した方のはずですが、大変幸いに「医」という人を癒す仕事に進み、その究極を突き詰めた方ではないかと思います。 中村さんにとっての「医」とは何だったのか? 上医、中医、下医という、「医」の考え方があります。 中国の陳延之の著書『小品方』に由来しているそうですが、一番有名なのは、「上医は国を治し、中医は人を治し、下医は病を治す」というもの。ほかにも、こんな会社くがあるそうです。 その1、 上医はいまだ病まざるものの病を治し、中医は病まんとするものの病を治し、下医はすでに病みたる病を治す。 その2、 上医の勤勉な医者は、毒さえも薬となして人を助ける。中医の凡庸な医者は、薬を薬として使って人を助ける。下医の怠惰な医者は、薬を毒となして却って病を重篤にする。 その3、 化学合成薬を使って治療する医師を下医と言い、漢方医のことを中医、そして食事で病気を治す人を上医、つまり食医と言う。 ( たかすぎ内科クリニックウェブサイト より) 医師にも関わらず、地形を学び、土木技術を学び、現地の言葉を学び、そして、約230haの砂漠を緑に変える…こんな評価をしてしまうことすら烏滸がましいですが、上医中の上医と言えるでしょう。そして、下の記事を見ると、次世代も育ち、中村医師亡きあとも地道に活動を続けられているあたりは、ペシャワール会の組織としても大変高く評価されるべきだと思います。 そして、私も長く砂漠化対処には関心を持ち、「緑のサヘル」というNGOに関わっています。コロナの影響で活動はかなり縮小しましたが、そうした視点から見ても、中村哲さんの見通しや行動力は、およそ我われ凡人にはたどり着けない境地におられたことを実感します。 昨年、中村哲さんのドキュメンタリー映画(この映画の劇場版)が公開されました。今回見たのは、そのDVD版です。言わずと知れた、食が紛争を止める、という食こそが平和の根源、という中村哲流の哲学が、体現していく様を大変わかりやすく映像に...

大きくなりました

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早いもので、もう12月に入りました。「師走」とはよく言ったもので、机の前から離れられないので走りはしませんが、ものすごい勢いで流れる時間に抗うように、何とか来年に積み残しないよう、日々、何かよくわからないものと戦っています。 さて、そんな中ではありますが、ブログのタイトルを見たら、貴一朗のことも…とか書いているのに、何年も書いていませんでした…ちょっとだけ写真を載せておこうと思います。 これは一乗寺フェス(2024年10月)の写真です。昨年も参加したこのイベント、同僚の安田さんがかかわられていることもあり、サクラ兼です。 その次は、2024年11月。二人で買い物のために道頓堀に。派手な街並みを楽しみました。 毎週日曜日は水泳に通っていますが、そのあとのランチ。もう大人と同じ辛さのカレーうどん、もちろん食べる量は父親譲りで、普通に大人の1人前。 近くの赤宮神社に奉納した書道をバックに。なかなか力強いよい字が書けました。 来年2月で9歳になります。こういう記事を書いていると、ここまで無事に大きくなったことが益々感慨深くなります。親ばかですが、素直で明るくて元気なので、なにを言うこともありません。このまま、大きくなってくれるとよいな、と思っています。  

通勤路にて

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2012年に京都に住み始め、途中3年間は別のところに住みましたが、通算で間もなく京都生活も10年となります。今の住まいに住み始めて4年目になりましたが、毎日大体同じルートで通勤をしています。 約30分の自転車通勤。とにかく上り坂の少ないルートを選ぶのですが、最もアップダウンの少ないのは、住宅地の中を縫っていくように走るルートです。それでも、そこは京都で趣向を凝らした住宅を見ながら走るのも楽しかったのですが、数年前、仕事でいろいろあって気持ちがふさぎ込んでいた時に道を変えてみることにしました。 何のことはなく、北大路通の高野川の橋を渡り、高野川に沿って北上する、というルートです。ほんの少しのデビエーション。その時に見える景色が下の3枚の写真です。雄大な比叡山、光る水面、そして大きな空。京都の北の方に住んでいると割と普通の景色だと思いますが、クサクサした心に突き刺さり、以来、このルートを好んで通勤路にしています。 ほんの数秒立ち止まり、比叡山を眺めてから、時に、写真を2,3枚とってからペダルをこぎだします。写真はもう100枚くらいは溜まったでしょうか。比叡山の定点観測ですね。 通勤路から比叡山を望む(11月27日) 通勤路から比叡山を望む(11月26日) 通勤路から比叡山を望む(11月17日) 下の写真も「定点」近く。春は桜吹雪、秋はこんな紅葉に囲まれながらの通勤路は、運動不足解消のために始めた自転車通勤を続ける動機にもなっています。 秋も深まってきました  

【日本のアフリカン・レストラン】④「Amaging Grace」@草加(ガーナ料理)

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日本のアフリカン・レストラン3軒目。 Amaging Grace @草加市です。こちらも前回のセブンスターと同じく比呂さんのご紹介なのですが、今回は比呂さんとご友人方ともご一緒させていただきました。ちなみに、比呂さんは Ethnic Neighborhood というYoutubeチャンネルを作られています。 東武スカイツリーライン新田駅から徒歩5分ほどのところにあるAmaging Grace。店内には、テーブル席が4つほど。我われ3名が到着した時には、まだ誰もおらず来店1号。 メニューを眺める。いわゆるガーナの定番料理が並んでいるのですが(これがガーナ人が喰いたくなるやつという理解ができた)、とりあえず、食べたことのないものを少しずついただきましょう、ということで、トゥオザーフィ(TZ)とワチェ、ケンケを注文。 ケンケ ケンケは何度かのガーナ滞在の時にも食べましたが、改めて食べてみて、ドンクヌであることを再確認。ベナン、ブルキナと食べ方もほぼ一緒。ブルキナ民としては、魚が大きいのが違和感(うらやましい)ですが、やっぱり海魚が合うのですね。旨いです。ちなみに、ケンケは2階のガーナ食材店で買っていきました(500円!)。 ワチェ(スパゲティの下) 比呂さんの Ethnic Neighborhood でも紹介されています。比呂さんからは、赤飯みたい…と聞いていて、おそらく ベンガ のことだろうと思っていましたが、ビンゴでした。豆も2階のショップで売っていましたが、ササゲですね。ほかのウェブサイト(大体自分が行ったところの名物料理的な書き方ですが、一様に北部(タマレとかワとか)ということも書いてあった)にも、書かれているように北側でよく食べられる、ということは、ブルキナなどとの繋がりあり、と見て、同じものと思っています。 正直なところ、これは旨かった…シトと呼ばれるペーストがあるのですが、これがつくだけでかなりいろんなものが食べられるのですが、これとゆで卵がついて、豪華な感じのするベンガでした。これ、ブルキナに持って行ったら売れると思うのですが。 TZトゥオザーフィ そして、トゥオザーフィ。これも念願でした。これは「ト」ですね。トは何回もこのブログに書いていますので、以下の記事をご参照ください。 https://cacaochemise.blogspot.com/2014/...

【日本のアフリカン・レストラン】③「Seven star international」@草加(ガーナ料理)

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入口写真 埼玉県草加市。この街にアフリカ料理店が5店舗ほどあると言われている。少し前に「ぐるなび」で「アフリカ料理」と検索してGoogle Mapに落とし込んでみたことがあるのだが、都内のよく知られたレストランを除けば、かなりの部分が埼玉県に存在している。ちなみに、関西には非常に少なく、京都に至っては、伏見区に一軒、タンザニア料理店がある程度。とにかく、アクセスしにくい。 今回は、埼玉県東松山市で開かれたセネガルコミュニティの月例Dahiraに参加したのち、草加に移動、ここのところ仲良くさせていただいている比呂さんに教えていただいた Sevenstar international へ。  店内は、カウンター6席ほど、4人掛けのテーブル席が5つほど。カウンター横には、アフリカの食材が積まれている。 この日、僕が店に着いたのが19:30ころ。すでにテーブル席は満席、カウンターには2人の女性が大声で談笑しており、その隣に食事をしている男性がいた。すべてアフリカ系の人たち。全てのテーブルに料理が出されており、客はいるが、店員の男性(おそらく店長)はそれほど忙しそうではない。カウンターの隙間から見えるキッチンには、3名の女性が見える。調理を担当しているのだろう。 店長と思われる男性に、メニューを聞くが、心は決まっている。久しぶりのガーナ料理ということもあり、ここは定番のライト・スープ…頼んではみたものの、実はその直前にセネガルコミュニティでチェブ・ギナールをいただいてきている。ちゃんと喰えるのか… 着丼(?)。 フフーは大人のこぶし二つ分くらいのかなりの大振り(ガーナの通常サイズ)。そしてライト・スープには、臓物と肉がゴロゴロしている。日本基準だと2人前は軽くある。フフーはヤムパウダーっぽい味がしたが、ライト・スープはなかなか(と言っても、それほど味の規準があるわけではないのだが…)。それでも、遠い記憶で、スープを口に運んだ瞬間に汗が噴き出したライト・スープを思い起こすと、若干日本向けか。店は完全にガーナ人向けだが。ともあれ、節度のある辛さ、といったところ。 移動からの調査、夕飯2食目、と言ったところで、テンションが上がりきらず、店長氏に話がほとんど聞けなかったが、とりあえずガーナ料理を思い出す、という最低限のミッションは完了。

【セネガルプログラム】ゴレ島:15年の時を超えて

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ゴレの日の出:学生たちと朝から海に行きました 2007年3月、修士論文を書き上げた私は当たり前のように博士課程に進むことにしていました。後に酷いケンカをしてしまいましたが、某先生の心遣いにより、セネガルに渡航することとなりました。これが私のセネガルとの出会いでした。 セネガルに渡航する際、どのようなことを見に行くのか、本や新聞記事を読みながら、セネガルでどんなことをするのか、ということを思いめぐらしていました。それまでブルキナファソで進めていた、ラスタマンについての研究をセネガルに派生させる形で、セネガルにもう一つフィールドを作るようなイメージを持っていました。そのような訳で、私の最初のそして最大のミッションは、セネガルでラスタマンに出会うことでした。 今、考えれば、当時の無知(もっと勉強してから行けよ!)が小恥ずかしいですが、セネガルに「ラスタマン」はいない…が、ラスタマンのような人たちはたくさんいる、つまり、ムーリッド、バイファルがそこらへんにいるのでした。 初めての滞在中、様々な人に「ダカールにラスタマンはいるか?」と尋ね続けていると、しばしば「ラス・マハ」というラスタマンがゴレ島にいるらしい、ということが分かってきました。そして、確か滞在も終盤に差し掛かったころ、ダカールで知り合ったバックパッカーの青年とゴレ島を訪れ、ラス・マハの営む宿泊施設に泊まり、深夜2時までラス・マハと植民地主義について語り合ったのでした。 ラス・マハ それから15年。昨年のプログラムの際に再開を果たし、その時に約束した通り、今年度ゴレ島に宿泊し、ラス・マハと学生たちと濃密な時間を過ごすことができました。奴隷の家でのラス・マハの解説は、きっとどのガイドさんよりも熱いものだったと思いますし、宿泊先として用意してくれた一軒貸しの家も素晴らしく、環境についてのワークショップも最高でした。 夏のプログラムの報告をだらだらと書いてきましたが、そろそろセーターが必要な季節になりました。これで一区切りとしたいと思います。このプログラム自体は、大学のカリキュラム変更のため、今年がほぼ最後ではないかと思います。アフリカ界隈からは、暖かい目で見守っていただき、アフリカと日本の実質的な架け橋として、たくさん応援もいただいていただけに、4年で終わってしまうのは残念です。しかし、なかなか良い経験でしたし、大きな...

【イベント】京都精華大学CAACCS主催「映像でみるアフリカ・アジア社会とその課題」

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所属する京都精華大学アフリカ・アジア現代文化研究センターでは、毎年恒例のアフリカ・アジア現代文化セミナーを今年も開催します。今年は、「 映像でみるアフリカ・アジア社会とその課題 」を統一テーマとして、全4回開催します。詳細は上のウェブサイトをご覧ください。 今回のイベントで私の担当箇所を特にご案内しておきます。 ・第2回 2024年11月15日(金)  19:00~21:00 「エチオピアの隣人と映像を通して考える未来」 上映作品 作品1『吟遊詩人-声の饗宴-』( 2022 年、 17 分、監督・川瀬慈) エチオピア連邦民主共和国の都市にみうけられる酒場 “ アズマリベット ” 。ここでは楽師アズマリが弦楽器マシンコを弾き語り、人生の無常や恋愛、社会批判等を歌にし、庶民を楽しませる。アズマリのパフォーマンスの特色は歌い手のみならず、聴き手も即興的に詩を生み出し、歌い手に投げかけていくことにある。アズマリはそれらの詩を弦楽器の旋律にのせて一字一句復唱し、聴衆に聴かせる。本作は、アジスアベバのハヤフレット地区にあるアズマリベット Duka Masinqo において、長回しのシングルショットによって記録された、ゴンダール出身のアズマリ、ソロモン・アイヤノー氏と客たちの詩のやりとりである。ここで歌われた詩のテーマは、新型コロナウィルスの世界的な蔓延、ティグライ人民解放戦線( TPLF )と政府軍による戦争、過去と現在のエチオピア首相に対する批判、さらには大エチオピア・ルネサンスダム( GERD) 建設をめぐるエジプトやスーダンとの外交摩擦に至るまで多岐にわたった。アズマリベットの歌は、エチオピアの社会情勢や庶民の気持ちを映し出す鏡である。東京ドキュメンタリー映画祭 2022 「人類学・民俗映像部門」準グランプリ。 作品2.『つながりを生きる東京のエチオピア移民』( 2024 年、 48 分、監督・川瀬慈) 日本社会には、世界のさまざまな地域や文化にルーツを持つ人々がいる。その中でもアフリカからの移民の生活や活動は広く知られていない。東京都葛飾区と墨田区には、 200 人近いエチオピアからの移民が住んでいる。彼ら、彼女らはエチオピア正教会の集会でつながり、同国の音楽や食事を通じて地域住民と交流を行う。本作では、エチオピアの人々が自分たちの文化を守りながら、東京に根を下ろしつつ...

【イベント】”ゼロ”プロパガンダ展 (11月10日/応募はすでに締め切り)

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イベント情報が続きます。こちらはすでに応募が締め切られている、というか、主催の比呂啓さんの周辺で一瞬で埋まってしまう、という超コアイベント。軽く引き受けましたが、何の目的で行われているイベントなのか、また、どんな属性の方が来られるのか、訳が分かりません。 こちらは「”ゼロ”プロパガンダ展」というイベントです。なんと11回目。シンポジウムの翌日の11月10日に開催されます。先日、比呂さんにはブルキナファソの食文化についての話を聞いていただきましたので、また別の話、ということで、少しずつ準備を進めています。 昨年は食文化の講演依頼が多かったですが、皆さん飽きられたのか、今年は別のもの(私にとっては、イレギュラー)が多い感じがします。若干たいへんですが、お呼びいただける限りはできる限りお受けしたいと思います。

【イベント】シンポジウム「西アフリカにおける宗教性と「政治」・「社会」ー「ライシテ」概念の運用をめぐって」

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2021年から始まった科研費「現代西アフリカにおけるライシテと宗教性の連続性の文化人類学的研究」(21H00651)も最終年度を迎え、いよいよ成果報告の時期となりました。始まった当初はコロナ後半。まだまだ海外調査に行きにくい時期でした。しかし、当時の海外渡航におおらかだった本学の仕組みのお陰で何度か海外調査に行くことができ、何とか最終年度を迎えました。 昨年度のアフリカ学会では、「西アフリカのライシテ研究の可能性と課題」と題した フォーラム を組み、プロジェクトの全体的な途中経過を公開しました。また、今年度の文化人類学会では、「 西アフリカのライシテの文化人類学的研究試論 」としてライシテの文化人類学的なアプローチの可能性を議論しました。 このプログラムの最後の締めくくりを、統一テーマとして「西アフリカの宗教性と「政治」・「社会」-ライシテ概念の運用をめぐって」として議論を深めたいと思っています。ここで、「ライシテ」という言葉を副題に落としたことがポイントで、フランス語的なライシテ、というのは、もはや西アフリカで語っても仕方ないのではないか、という結論です。むしろ、宗教(イスラーム)的な事象が正統に評価を受けるための、一つの免罪符的な役割しかしておらず、運用されるものなのではないか、ということを説いたいと思います。私自身は、「西アフリカの人びとの日常から「ライシテ」概念を再考する」という中でこのことをお話しできれば、と思っています。  

【セネガルプログラム】サンルイ②:「(船大工での)フィールドワークを始める」

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散発的ではありましたが、今年度は夏のフィールドの報告をたくさん書けました。この投稿ともう一本くらいで打ち止めとしたいと思います。 さて… サンルイの ピローグツアーの後 には、ゲットンダールに何か所かある船大工さんのところを訪問。セネガルの海沿いには、カラフルな塗装を施した船が目を引く。 この船がどのように作られ、誰が所有するのか。どのようなタイプの船があり、どれくらいの期間漁に出るのか、だれが船を所有し、誰が漁に出るのか、どのような魚が、どれくらいの量が獲れるのか…何から聞けばよいのかわからないくらいに疑問が湧いてくる。 ともあれ、2008年にここを初めて訪問して以来の好機。船の修理をしているところを見せていただきながら、学生たちといろいろと質問させてもらうことに。船のサイズ、修繕の方法、造船について…冗談を言ったりして少し間を詰めながらゆるりと懐に潜っていく。学生に通訳し、疑問を募りながら、巻き込みながら… しかし、30分もすると、初めてみる光景であること、かつ、この前のピローグツアーで2時間炎天下で過ごした学生たちの顔に疲労の色が見えてきた…この辺はちょっと計算外。 確かにかなり厳しい環境ではあるので、「昼食」と言って、チェブジェンが運び込まれたところで1軒目は終了。少し車の中のエアコンに当たり、近くにもう一軒修理工場兼造船所があったので、そちらにも訪問しましたが、やはり若干疲れた様子の学生の顔色を見て、ここで終了…調査初期にどのように現地に入り込んでいくか、ということや振る舞いを学生に見せたかったのに…くーっ… 若干不完全燃焼だったことも否めませんが、ファーストコンタクトとしては、なかなか。うまく調査の種として育つか?!と思っています。備忘録、バックアップを兼ねて下に調査時の写真と、写真をFBに上げた際に(思惑通り)いただけた民博の飯田卓さんからのコメントを載せておきます。気になることがあったら教えてください。   飯田卓さんとのやり取り(メモ) 飯田さん(以後I) 漁船のかたち面白いです。帆をかけて走る船はありますか? 写真に写っている船は船外機で推進するもの? 清水(以後S) 帆をかけたものは見られず、基本的には船外機で走ります。 驚いたのは、木を継ぎ接ぎした船にプラスティックコーティングをしただけで30年ほどの耐久性があるとか、その船を新造する...

【映画】ファミリア(監督:成島出、121分、2023年)

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 いよいよ卒業論文執筆が佳境を迎えつつあります。ゼミの学生がようやく本格的にロウンチ (やっと!)し、私も気合を入れねばなりません。そんな最中、久しぶりの学生が研究室を訪ねてきました。この学生は在日ブラジル人を題材とした卒論を進めようとしているのですが、なかなかうまく書き進められないということで、相談に来られた、ということでした。おしゃべりをしていると、「 ファミリア 」という映画の話に。アンテナの低い私は知る由もなく、他の学生も見たことがない、ということで、ネットで調べると、アマプラで無料配信されているようでした。 そんなわけで、急遽上映会。こういうのが大学っぽくてよいです。 あらすじは調べればすぐに出てくるので、適当にググっていただくということで。 役所広司演じる陶芸家、誠治を中心に、彼の息子の学、彼らが知り合う在日ブラジル人のマルコスとその家族と恋人、友人たちをめぐる現代の不条理を描いた作品です。誠治たちとマルコスの繋がり方や、学とアルジェリア人の恋人の出会いや必然性がよくわからないなど、若干冗長なところが気になりましたが、出演者もなかなかの重厚な配役(MIYAVIがよい)。生活難から日本に移住、移住した先では、恙ない滞在生活を送るため波風は立てられない、それでも波風を立ててしまう若者、そして、その責任を負わされる…という移民特有の負のスパイラルに絡めとられていく。監督の問題意識がどの辺にあるのかがわかりませんが、保見団地をモデルにしたことはよくわかる。陶芸家の役所広司は瀬戸あたりに在住している設定でしょうか。いずれにしても、上に挙げたような在日外国人の悲哀、高度成長期に建設された大規模な公団住宅が外国人街化していく様子など、在日外国人(ブラジル人)のおかれた境遇を考えるには好作品ではないかと思います。 この作品自体は2023年ですが、ちょっと昔の設定で描かれているかもしれません。最近、僕が触れている情報が、ペシミスティックに日本を憂う論調のものが多いためか、今更日本にしがみつくこともないんじゃないかと本気で思っていますし、(在日)外国人の日本へのまなざしも大きく変わっているのではないかと思います。この辺は新しい問題意識、ということにて、私自身の課題としておきたいと思います。

高野川の鹿

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京都で仕事をするようになってから、自転車通勤が多くなっています。日頃の運動不足の解消のためということもありますが、とにかく京都の自転車移動はなかなかに気持ちがよく、朝は山に向かって高野川をさかのぼるように自転車を走らせます。 特にこの時期と春は気持ちがよいものです。春は桜を眺めながら、そして秋は次第に色づく山を眺めながら、と言ったところでしょうか。 通勤路の高野川は、比叡山から流れてくる本流に、鞍馬の方から流れてくる岩倉川が合流して本流となり、出町柳で鴨川と合流して、京都の景観の象徴の一つである鴨川になっていきます。山沿い、ということもあり、京都市内にはしばしば野生動物を見ます。時にクマが出ることもあり、しばしば物騒なものではあるのですが。そのような意味では、鹿はよいもので、これまでも高野川ではしばしば目にした野生動物でした。 しかし、今年は、その頻度が非常に多く、下の写真の9月終盤あたりは、鹿を見ない日の方が 少ないくらい。暑くて水浴びをしにきたのか、と思うと、さすがに水が冷たくなったこの時期にも何頭もの鹿にお目に係りました。 気候の変化、猛暑など、さまざまな環境の変化が重なり、下に降りてこなければならなかった何か原因があるような気がしているのですが… 10月17日 10月17日 9月29日 9月23日 9月23日  

【科研費関連調査】ブルキナファソ20240809-0820④:北部からの避難民たち

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頂いたドキュメント トピックが散漫ですが、フレッシュなうちにブルキナファソ、セネガルに関して記録していこうと思います。 すでに1月半も経ちますが、ブルキナファソ調査のことをもう少し。 Sawadogo Hamidouさんのことは、これまでもしばしば書いてきましたが、ここしばらく、ずっとイスラーム系のNGOについて、彼の友人のことで尋ねてきました。なかなか出口がなかったのですが、今回、ようやく糸口が見えてきました。 これまで、こんな尋ね方をしてきました。 「××みたいなアソシアシオンがありますよね?あそこはキリスト教系のNGOで、教会が活動をバックアップしていますよね?そういう団体、イスラームでもないでしょうか?」 どうもずっとピンと来ていなかったようで、なかなか、こちらが納得いく答えをいただけないままとなっていました。もう一人、ここ2,3年よく合うようになった、Nanaさん。彼もフランコ・アラブを経営している方ですが、彼からは「NGO」というのが、「(イスラームの)協会」として捉えれば、7つほどそうした団体がある、という説明を受けていました。 今回の調査では、その中のいずれか一つでも訪問できれば、と思っていました。お二人には、事前にその旨を伝え、Hamidouさんから、「ブルキナファソ・イスラーム協会」のワガドゥグ第9区支部(Hamidouさんのお住まいの地域)なら、という申し出をいただいていました。ただ、非常に多忙な方なので、早朝に行きましょう、ということで、朝7時に待ち合わせ、8時には支部長のお宅の隣のモスクを訪れました。 迎えてくれたのは、Ouedraogo氏ら数名。穏やかな笑みで迎えられ、静かにそれぞれが自己紹介をし、9区のこと、Hamidouさんとの関係などをお話しいただきました。アフリカのムスリムたちは、その立場が上がるほどに慎ましやかで抑制が効いている。放っておくと、私のことばかり話を聞かれるので、その場の雰囲気をよく見て、ポイントを逃さないようにせねばなりません。今回は、9区での活動を聞きたかったので、Hamidouさんの活動への強い賛意を示し、ムスリムへのシンパシーを目一杯お話ししました。 そこで聞けたのは、9区支部が避難民のリストを作っており、かなり詳しく人数を把握していたこと、避難民の居住地域についてでした。この地域、ワガドゥグの北辺に位置し、...

【セネガルプログラム】セネガルゴハン② チェブジェンー2

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マリアム・バさん セネガル・プログラムの恒例となっているチェブ・ジェンづくりのワークショップ。今年も学生6人を連れて伺いました。卒業論文でも取り上げられることの多いテーマで、一応、「食文化研究」に片足を突っ込んでいる者として、体力的にも大変なテーマであるから、もう一度考え直すように言いますが、やはり「食」という人間にとって最も身近なトピックからは様々なものが透けて見えてくるわけです。 この意味で、いち早くある場所のことを知ろうと思うと、「食」をかませることが非常に効果的なように思っています。 もうすぐ仕上がり 国民食として賞揚されるチェブ・ジェン。料理としての完成度は高く、「味覚」という点からいえば、たくさんの賛辞を添えて賞揚することができますが、食文化の研究となると、また別の角度から見ることも重要です。例えば、下のような視点の立て方が可能ではないでしょうか。 材料:生産と分配(たとえば、農業や流通など)、環境(生産物と自然) 調理:生活習慣、経済(物価)、道具、身体所作 こういう学問的なテーマに結び付ける前に、色々なイメージを持ってほしいと思い、学生たちには具体的な言葉で促していますが、さて、どれくらい関心が持てたでしょう? 家庭の食事はいつも美味しい そんなわけで、今年もたっぷりとチェブ・ジェン、いただきました。また機会がありますように。

【ご報告】アフリカ納豆サミット Vol.4 @東京(2024年9月22日) 

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「第4回 アフリカ納豆サミット」20名の方にご参加いただき、盛会のうちに終了しました。ご参加いただいた皆さま、運営にご協力いただいた皆さま、どうもありがとうございました。 もう1年以上前から相談を始めた荻窪のTribesの店長石川さん(写真)。石川さんとはもう20年近い付き合いで、一緒にイベントの食販をやったり、連続イベントをやったりと、飲食店と客の関係を超えていろいろな局面でご一緒させていただいていました。今回は、石川さんと出会ったころに大学生でアルバイトをしていた現在上智大学にお勤めの山﨑さん、そして、山﨑さんと高校生時代からの同級生で、ブルキナファソでご一緒した神代さんも加わり、様々なご縁が複雑に絡み合ってのイベントとなりました。 石川さん 夏休み前から本格的な企画をはじめ、この第4回目は、学生さんを中心に…という方針で始まりました。参加者の半数以上が学生さん、そして、3人の学生さんたちが準備を手伝ってくれました(写真↓)。 お手伝いしてくれる学生さん 準備完了! この日の料理は、石川さんのアイディア満載のスンバラ料理の数々。 左上のサラダはタンザニアのカチュンバリにスンバラを使用。右上は、何度も登場しているスンバラメシ、下の大きな皿に乗っているのがサモサ(左)、鶏のソテー(中)、エリンギとしめじのスンバラソテー。写真にはないですが、バシ(ミレット粥)をデザートに添えてもらいました。 スンバラ料理 18:30、スンバラ料理が揃い、いよいよ開会。「スンバラって何?」という点と、「なぜ今スンバラなのか」ということを、ブルキナファソの政情とローカルNGOの避難民女性への取り組みとしてのスンバラづくりや、ブルキナファソ、サヘル諸国を知る、という点を強調して話をしました。 スンバラトーク その後はフリートーク。「学生メイン」で始めたものの、写真をご覧ください。西アフリカ界隈に詳しい方なら、ひっくり返るような各界の専門家ぞろい。学生たちもたくさん話をされているようでした。 Photo de famille スタッフ諸々(笑) そんなわけで東京での初開催も無事に終了。貴一朗も同級生の神代さんのところのお子さんと楽しくやれて万事うまくいきました。 今回のイベントを公開したのが直前だったためか、多くの方から2回目の開催のご要望をいただいています。ぜひ年度内にもう一度開催できれば...