『トウキョウソナタ』黒沢清(監督)2008年
http://mihocinema.com/tokyo-sonata-6146より拝借 |
【あらすじ】
ごく一般的な家庭、佐々木家。ある日突然竜平(父)がリストラされるが、竜平はそのことを家族に言い出すことなく、スーツを来て出勤するふりをする。竜平は再就職先を探すが、仕事は見つからない。ある日、炊き出しをする公園で昼食をとっていると、高校の同級生の黒須と再開する。黒須も職を失い、3か月がたっていたが、やはり、会社勤めを演じていた。しかし、黒須は妻と心中してしまう。竜平はこのことをきっかっけに清掃員としてショッピング・モールで働きだしたのだった。しかし、それでも家族にはそのことを言い出せない。
そんな中、フリーターの長男の貴はアメリカ軍の国外志願兵に応募、次男の健二は竜平の反対に対して隠れて行っていたピアノ教室で才能を見出される。ピアノ教師の金子は健二を音楽専門中学校に行かせることを勧める手紙を送り、竜平の知るところとなる。そして、妻の恵の留守番中に強盗が入り、誘拐されるなどと、一家を様々な事件が襲う。
誘拐された恵は、車での移動中、竜平が働くショッピング・モールを訪れる。そこで、清掃中に札束を拾った竜平にばったりと会う。竜平は走り出す。恵は強盗の元に戻り、やはり車で走り出す。
健二は友人の家出を手伝おうとしたが、友人は途中で喘息の発作を起こし、父親につかまり、健二はバスの無線乗車で警察に補導される。結局不起訴になり、健二は家に帰るが、そこには誰もいない。恵を誘拐した強盗は車で海に突っ込み、走り去った竜平は交通事故に遭い意識を失うが、軽傷でそのまま家に帰る。3人は家で出会い、もくもくと、無言で食卓を囲むのだった。
そして、貴は志願兵を辞めるが、アメリカで学ぶことを選択し、健二は音楽大学付属中学校を受験する。そこで健二を見守る、竜平と恵。健二が演奏するのは『月の光』(ドビュッシー)だった。
【感想】
確かに家族がテーマのこの作品だが、言われなければ、『東京物語』(小津安二郎)をインスパイアした作品ということはわからない。なんせ、『東京物語』の大きなプロットである、竜平の両親に当たる人物が出てこないのだから。現代の家族の中には、それほど田舎の親の存在は小さいのか…
家族の描き方で感じるのが、『東京物語』は休息に成長する日本経済の中に埋没していく家族像が描かれ、その結末を知る僕らは、それほど幸福な未来がやってこないことを感じ、なんだか途方に暮れてしまう。その一方、『トウキョウソナタ』は2008年という、最悪の経済状況の中、家計を維持することも難しく、希望の見いだせない時代のこと。希薄になった家族間の関係性の末、家族を包む妻の恵すら、自暴自棄になり、一緒にいることしかできない。そこには、やはり家族の絆があるのだけど、決して『東京物語』の時代のような、何かを見失うほど浮かれた人間はいない。実は、この時代に暮らす人たちはとても冷静で、しかし、見回すと何もない、これも別の意味で、途方に暮れざるを得ない。
もし、黒沢監督が『月の光』になにかのメッセージを込めていたとしたら、きっとそれが監督の意図するこの作品のゴールなのだろうけど、僕が読み取ったのは、『東京物語』がアポロ的な世界観で描かれたとしたら、この作品はその陰、デュオニソス的な世界だと捉えたのではないか、ということだ。
この作品からそろそろ10年が経とうとして、この暗い時代はある意味過去のものになった。この時代の家族はどのように描かれるのだろうか。
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