日髙敏隆2010『世界を、こんなふうに見てごらん』集英社


今回は故日髙先生の本。だいたい高校生くらいが対象ではないだろうか。日高先生は職場である地球研の初代所長で、僕がここにくる数年前に亡くなられている。そんなわけで直接は存じ上げないのに、こんなことを言うと手前味噌になってしまう感覚があるのだけど、この本、実にすばらしい本だと思いました。文体も優しい/易しいものだし、もってくる事例はご自身の経験や体験が主体で、まったく難しいものではないわけですが、「研究」という仕事に血道を上げている者にとっては、ハッとさせられる部分が実に多い。

こういう本が書ける人は本当にすばらしいと思う。しかし、いい学者は難しいことを易しく説明できるものだ(大学生時代によく聞いた)、というのは、確かにそうなのだけど、逆に易しい言葉を使わない人がすばらしくないかと言ったら、それは違う。歯ごたえのある文章が書けるのだって大事なのだ。大方こんなことを言う人は読む努力をしていないだけなことが多かった。ゼミあたりでちょっと学者の名前を出して話をした途端に、「難しいことを言うな」と怒られた記憶があるけど、素直に知らないこととして聞いてくれ、と思ったことがある。

話がずれてしまいました。ともあれ、この本に書かれていることは、研究の入り口をどうやって見つけたのか、どうやって研究をしたのか、また、「教育するのは好きではない」といいつつ、やっぱり人を育てるときのスタンスなどなど、もしかすると、研究者、教育者としての(もちろん古き良き時代のものだけど)、日髙先生が心がけていたことが書かれている。

「仮説を立てて、実際に調べてみる。
 具体的なことがわかってくると、だんだん一般にあてはまる理屈が見えてくる。
 行動から見ようと思ったのではなく、なんであそこを飛ぶんだろう、なんでこっちを飛ばないんだろう、という、きわめて具体的な疑問が始まりだった気がする。
 動機はそういうふうに具体的でないと、どうもあとがうまく続かないのではないか。具体的に見なければダメだと、ぼくは強く思っている。
 環境学もそうだと思う。
 ぼくが地球研(総合地球環境学研究所)の所長時代に、「イデオロギーや思想、システムといった大きいとこから話をしがちだが、ひとつひとつの具体例の積み重ねでしか環境問題は動かないものだ」とよく話した。
 具体例をいっしょうけんめい見ていくと、やがて一般解にいたる。
 一般解ができると、今度はそれにあてはまらない変なヤツが出てくるから、それをまた調べていくと、その答えがわかって、また話が広がっていく。」(17-18、強調は清水)

一応、「地球研」という枕がついているけど、基本的には「ひとつひとつの具体例」しかない。詳しく調べれば調べるほど、そこに通底する原理原則というのが怪しく思えるわけで、ほんのちょっとしたことに気が付くまでに時間がかかる。そして、これはとても地道な作業。でもそれでも続けるのは、

「ぼくも生物学者のひとりだが、生物学が好きなのではなくて、生物が好きなのだ」(96)

ということ。でも、人類学の場合は、「人類学」が好きな人が多いし、なんとなく自分でもそう思う。まだ愛おしいとは行かないけど、「人類」ではなくて、「人類学」を語ることにも少しずつ意味があるように思えてきているので。

ともあれ、ちょっと長いけど、さらに引用します。

「世界を構築し、その世界の中で生きていくということは、そのいきものの知覚的な枠のもとに構築される環世界の中で生き、その環世界を見、それに対応しながら動くということであって、それがすなわち生きているということだ。
 それぞれのいきものは、何万年、何十万年もそうやって生きてきた。人間はまた全然別の環世界をつくって、その中でずっと生きてきた。
 環境というものは、そのような非常にたくさんの世界が重なり合ったものだということになる。それぞれの動物的主体は、自分たちの世界を構築しないでは生きていけない。
 読んだ時から、その本に書いてあることは、その通りだ、当たり前だと思っていた。しかし当時の世の中はそうではないとされていて、ユクスキュルのいっていることを非常に否定的に引用する学者もいた。
 このことは、おおげさにいえば、戦後思想史とかかわりがあると思っている。戦後の進歩主義がいかに単純なものであったことか。
 ぼくも含めて時代は長くそれにのっていたわけだが、それでもユクスキュルの本のことはずっと忘れられずにいた。
 ぼくにしてみれば、それはずいぶん本質的な問題だった。
 人間は人間の環世界、すなわち、人間がつくり出した概念的世界に生きている。人間には、その概念的世界、つまりイリュージョンという色眼鏡を通してしか、ものが見えない。
 そう考えると、そのイリュージョンの世界を、人間自身がどう見ているかということを、我々人間はもっと真剣に考えなくてはいけないと思うようになった。」(110-112)

生物学者としての日髙先生らしいたとえだけど、異文化に暮らす人間がつくる環世界というあたりは、僕らも大いに共感を覚える。きっとこのあたりが、一般論になりうるのだろう。しかし、この世界が人によって見え方が違い、ゆえに理解も異なることを、さも一つの普遍的世界があるように論理をくっつけるのが僕ら研究者の仕事。そんなことをして何になるのだろう…と微かな疑問を喚起される。しかし、日髙先生の教育論、つまり、「教えない」ということ、きっと年齢や経験の多寡を外して、それぞれ個の成り立ちから生まれるモノゴトの捉え方に耳を傾ける、そんなところにもつながっているように思った。




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