大豊泰昭さん逝く
ドラゴンズ、タイガースで活躍した大豊泰昭さんが亡くなった。51歳と、まだまだお若いのに。2009年に白血病にかかり、一度は復活したのだが…
大豊さんは90年代の大打者。イメージでは、4番を打つとプレッシャーで潰れてしまうような、少し繊細な部分がありながらも、とにかく、その力強いフォーム(実際にものすごいパワーだった)はいつも何かを期待させられた。僕よりだいぶ先輩だけど、何度かタイトルを取って自信がつけば、きっとものすごいバッターになるだろう、と思っていた。
大豊さんが活躍した当時のドラゴンズは、井端や荒木、森野あたりはまだ入団したかしないかのまだひよっこ。立浪や山崎、投手では山本昌や今中といった選手が中心だった。若き日の福留なんかもちょうど入ったくらいだったか…外国人もパウエルなんかがいて、監督は星野、高木。どちらかと言うと打のチームといった感じだった。本塁打王を取られている大豊さんが3番や6番あたりのイメージが強いから、そういう打線は応援する側としては非常に心強かった。難点負けていても何とかしてくれそうな雰囲気があった。何度もホームランを見ているけど、初速が速くて、放物線を描くというよりも、どこまでもまっすぐに上がっていく打球だった気がする。引退されてずいぶん経つので、「あれが見られなくなる」という喪失感はないけど、しかしながら残念だ。引退後はスカウトなども勤められ、今メジャーにいるチェンを連れてきたのも大豊さんだったという。
引退後は、東山区あたりで中華屋をされていた(のちに岐阜に移られたらしいが)のは知っていて、大学院在学中に「いつかは…」と思っていたが、それも叶わず。いまさらそれも心残りだ。
間違いなく一時代を築き上げた選手。ある人の死に際し、変わることのない弔意を表したいが、同じ時代に僕らを楽しませ、また、自分の道に賭ける覚悟のようなことを見せてくれた大豊さんに感謝の気持ちを表したいと思う。合掌。
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