ブルキナファソの政変②-a デモ行進前夜

ずいぶん時間が経ってしまいましたが、そろそろまとまった文章も書かねばなりませんので、備忘録的にこちらのブログに書き記していこうと思います。

今回は、カレンダー的に「いつ何があったか」について纏めておこうと思います。ノートですので、基本的にメモです。公開している以上、このようなことを言うべきではないですが、転載などできればご遠慮ください。まず、確認しなければならない新聞がまだいくつかあるので引き続き足していきますし、事実関係の確認が取れているわけではありませんので。

何度か書いていますが、今回の政変では「憲法37条」の改定が中心的な論点です。これに、日常的な物価高や就労に関する不満の原因が付随していく、という見方をしています。ともあれ、「憲法37条」がいかなるものか、まずはこれを示しておきます。

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Article 37(第37条)
Le Président du Faso est élu pour cinq ans au suffrage universel direct, égal et secret. Il est rééligible une fois.
ブルキナファソ大統領は直接的、平等かつ秘密な普通選挙により、5年間の任期を持って選出される。大統領は1度再選可能である。
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この条文は1991年7月2日に制定された。1987年に政権を座についたコンパオレ前大統領の任期中に制定されたこの条文は、コンパオレの当時の任期中には適応されず2005年の選出時から適応されることとなった。数年前からコンパオレ前大統領は自ら定めた37条を改定する動きを見せていた。最近では、2012年末から2013年初頭にかけて、SENAT(元老院)の設立が画策された。元老院は、国民議会の決定を覆すことができるとされ、憲法改正を容易にする目的であったといううわさが広がった。その後、どのようにこの騒ぎが収まったのかは知らないが、このときにも、ワガドゥグの中心部(国連ロンポワン)で大きなデモが起きた。

◆必要な情報はまた適宜入れ込んでいくとして、この憲法改正の動きが顕在化する、10月21日からクロニクルにどんな流れがあったのかを何度かに分けてノートを作っていきます。

10月21日(火)
「臨時閣議において政府が憲法第37条改正のための国民投票実施にかかる法案を国民議会に提出することを決定」(在ブルキナファソ日本大使館、10月22日発表)した。これに対し、野党系の議員(特にAblassé Ouedraogo氏。その他、聞き取りによれば、Zéphirin Diabré, Roch Marc Christian Kaboré, Salif Diallo, Hama Arba Diallo等も)によって、10月28日に「ブルキナファソ全土における抗議のためのデモ行進及び集会を行う」(同上、http://burkina24.com/2014/10/21/ablasse-ouedraogo-lopposition-fera-tout-pour-faire-capoter-cette-initiative/, 2015/1/5閲覧)呼びかけがなされる。
(日本大使館はこの時点で「外出注意」を促す)


10月22日(水)
・Zéphirin Diabré氏(野党連合(?)のリーダー)が臨時閣議決定を「憲法のクーデタun coup d'Etat constitutionnel」と評価し、コンパオレの画策を止めるよう呼びかける。
(http://burkina24.com/2014/10/22/contre-le-referendum-une-journee-nationale-de-protestation-le-mardi-28-octobre/, 2015/1/5閲覧)
・ウェブニュース「Burkina24」に今回の憲法改正計画が公表される。上記37条を、「1度再選可能」⇒「2度再選可能」とし、最大15年の任期に延ばそうとしていること、また、憲法165条(憲法改正要件に関する条項)に「大統領任期の期間と(か)再選回数に関するもの」を付け加えるとしているとした。
(http://burkina24.com/2014/10/22/modification-de-larticle-37-le-text-du-projet-du-loi/, 2015/1/5閲覧)
・10月21日夜間にすでに一部の若者たちが抵抗運動を開始した、という報道がある。
(http://burkina24.com/2014/10/22/ouagadougou-des-jeunes-manifestent-spontanement-contre-le-referendum/, 2015/1/5閲覧)

10月25日(木)
特に動きなし

10月24日(金)
ブルキナファソ内の17のNGOが
(http://burkina24.com/201410/24/burkina-17-organizations-de-la-societe-civile-creent-le-comite-de-soutien-au-referendum/, 20141111閲覧)
日本大使館は28日、29日、30日の外出禁止を在ブルキナ日本人に対して通達。

10月25日(土)
・サンカリスト(サンカラ元大統領支持者*)政党が同盟を組み、l'Union pour la Renaissance Démocratique / Mouvement Sankariste (URD/MS)を設立。
(http://burkina24.com/2014/10/27/burkina-faso-une-autre-union-dans-les-rangs-des-sankaristes/, 20150115閲覧)

*サンカラ元大統領は、1984年に革命政権を樹立。この際の腹心としてブレーズ・コンパオレ前大統領が大きな役割を果たしたものの、1987年のクーデタではコンパオレ前大統領により殺害された。

10月26日(日)
特に動きなし

10月27日(月)
・女性組合が憲法改定に反対してワガドゥグ市中心部でデモ行進を行う。
(http://burkina24.com/2014/10/27/burkina-des-spatules-contre-la-revision-de-la-constitution/, 20150115閲覧)
・国民投票の是非を問う国民議会での議決の時間が30日16時から30日10時に変更される。
(http://burkina24.com/2014/10/28/article-37-le-vote-du-projet-de-loi-ramene-a-10h-le-30-octobre/, 20150115閲覧)
・午前9時頃120万人とも言われる人びとが「国民広場Place de Nation」に押し寄せる。反対派のZéphirine Diabré氏は「今日のデモは大成功だった。これが最後通告。今まさに粉砕すべき場所を通過したのだ(Maintenant, ça passe ou ça casse)」とし、コンパオレ政権に対してけん制した。そして民衆に対しては、「変化は、今か永遠にないか、どちらかだ。Le changement, c'est maintenant ou jamais)」と呼びかけ、30日午前中となった議決次第では最終手段をとるべく呼びかけた。デモの最後にDiabré氏は、彼らに対する闘い(主張)、彼らの(政権)運用に対する反対意見はすでに伝わっただろう、と述べた。しかし、民衆は、「今日はもう帰らないぞ!国民議会に行こう!」と示し合わせ多くの人が国民議会に向かった。
☆私の聞き取りでは、29日から30日にかけて「国連ロンポワンRond-point Nations Unis」での泊りがけでの座り込みが行われたことは確認できたが、27日に既にこうしたことが行われていたらしい。
・また、こうした騒乱はボボ・ディウラッソ、カヤ、ワヒグヤなどの地方都市でも発生した。
(http://burkina24.com/2014/10/28/zephirin-diabre-maintenant-ca-passe-ou-ca-casse/, 20150115閲覧)

日本大使館からの通達。
1. 10月28日(火)の8:00~10:00までの間、野党によるデモ行進及び集会が予定されており、デモ隊は8:00に国民広場に集合し、教会、BCB、国連広場を通り、国民広場に戻る四角形のルートでデモ行進を行う模様。…
2. 10月29日(水)の6:00~15:00の予定で、生活費高等に反対する同盟主催のデモ行進が、28日の野党が更新したルートを逆回りに、デモ行進を行う模様…
3. 10月30日(木)には国民投票実施にかかる法案の採決を阻止するため、野党による国民議会議事堂前の座り込みが行われる模様です。また、国民議会議事堂は早朝から警察による取締りが開始され、厳重な警備体制に入る模様です。

今回はここまでにします。大まかな流れはわかるかと思います。しかし、こうした流れは、急に起こったものではなく、たとえば、サンカラの暗殺、コンパオレ一家の汚職と不正蓄財疑惑、それを暴こうとしたノベル・ゾンゴの暗殺、さらに近年の物価高騰等々が積もりに積もって噴出したものだと考えられます。なので、本来はブルキナファソの近代史を押さえた上でなければ理解しがたいのですが、ここではそこまでは追いつきませんので、岩田卓夫先生らのお仕事にお任せしたいと思います。

そして、ここではほとんど書けませんでしたが、実は、資料を読んでいると、NGOやAssociationによる市民運動がこの動きに大きくかかわっていることがわかってきました。おそらく今回の記事に上げた反対派の政治家だけでは、これほどの盛り上がりを見せなかったのではないか、と思います。

急いで次の記事も纏めます。

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