投稿

11月, 2013の投稿を表示しています

チムレンガ

イメージ
今年の1月、プロジェクトのメンバーの一人と現地NGOの紹介で知り合ったチムレンガさん(右)。ブルキナファソ中北部のとある村の農家兼ハーバリストだ。篤農家、ということで、畑を見せてもらったり、樹木の現地名を聞いたり、いろいろとお世話になっている。 彼の家、溜まり場が幹線道路沿いにあるので、この地域に出かけるときは必ず彼に挨拶に寄る。僕らの乗った車が通ると大概彼か彼の知り合いが見ているので、僕のところかNGOの方に電話が来る。往路は比較的急いでいることが多いので、ゆっくり寄ることもできないので、大体帰り際による。 今日もこのあたりで調査があったので、帰りにワンタッチ。彼はチャパロ(このあたりのソルガムビール)を飲んでいた。行き際に挨拶がなかったことをぶつぶつ言われたのだけど、「ごめんね。ちょっと急いでたんで…」と言って、隣に座ってご相伴にあずかっているとずいぶん機嫌がよくなる。 今日はワガドゥグでもう一仕事あったので、ちょっと挨拶だけ、ということで、またしばらく日本に帰ることを伝え、彼が取ったラッカセイを持っていけ、ということで、お宅にもお邪魔した。写真はその時のもの。 彼のお宅の日かげに腰かけて、こちらもそろそろ帰国準備に取り掛かっているので、今週末にブルキナを離れることを伝えると、この前は何日間日本にいたから、今回もそれくらいか、とか、まさか僕が数えようもない日数まで持ち出していつ帰ってくるのか、ということを聞かれる。なんか尋問みたいだった。今のところこういう予定で考えてるんだけど、まだちゃんと決まってないんだ、と伝える。そして。そういえば、お前、街ではホテルに泊まってんのか?高いだろ?そうだ、うちの敷地にお前の家を建ててやろう。ブルキナに来たら、ずっとそこにいるといい… 本当に建ててくれなくても嬉しいです。 彼には7人のお子さんがいる。今は奥さんと、90歳になるというお母さん、上の6人はみんな学校に行っていて、一番下の4歳の男の子と暮らしている。奥さんは奥ゆかしく、働き者で、お母さんは歯が抜けた口で「ホンシュール(ボンジュール)」なんて言って顔を皺くちゃにして僕と握手をする。4歳の男の子は見なれぬ「白人」の僕におっかなびっくりでお母さんに促されて挨拶にくる。 このあたりもだいぶ回ったけど、こういう人たちと落ち着いて付き合ってみたい…...

調査の向き不向き

今回の調査に来て2週間余り。残り数日間で今回の調査期間も終わる。今回は依頼調査ということで、調査の結果は迅速にレポートにして報告せねばならない。ほかの提出期限と重なっているが、何とか早いところ結果をお知らせしたいと思う。 しかし、潤沢な資金(ここ2年間ずっとそうだけど)を付けていただいて、体力の続く限りのハードスケジュールで飛び回っているけど、なにかいつもの調査よりも緊張感があって、なかなかすがすがしい。人に頼まれているからだろうか。 ちょっとした時間を見て自分のこともやっているけど、今回の依頼と文脈を合わせる形で、機能的に動いているし、集めるべく情報は集まっている…気はする。 人類学を志す者として、僕は恥ずかしながら、どっぷりとこの社会に浸かって調査をした経験は実に薄い。傍からどう見られているかわからないけど、自分ではいつもそのことが不安で仕方がない。もしかしたら、今回のような仕事の方がはるかに向いていて、人類学の調査は不向きだったのではないか、と今回の調子のいい調査の端々で感じてしまう。元々は人類学も金持ちの道楽から始まった部分もあるし、貧乏性の僕にはあんまり向いていないのではないか…と。 今更そんなこと言っても仕方ないのだけど、素朴にそんなことを考えてみた。やはりそんなわけで人の調査がすごく気になったりもする。

なんとかなる。

今日はワガドゥグで資料集め、ただ、ここのところ毎回車をチャーターしてどんどん回る、ということに馴れてしまったことを反省して、今日くらいは前みたいに自力で動こうと思って乗合タクシーと徒歩で頑張ってみた。 今回の出張、ほとんどが地方出張ということもあり、友人にはほとんど今回の渡航のことを話していない。だが、街を歩いているといろんな人に見つかる。調査の助手をしてもらっている友人がバイクで通りかかり、ひとしきり怒られ、妙な言い訳をしてみたり、いつも泊まっているホテルの人にはなんやかんや言われる。 まあ、それはそれでいいのだけど、帰り際、今泊まっている事務所に帰ろうと、タクシーを探していると、なかなかこちらの方向への車が来ない。ちょっと遠いけど、歩け、という思し召しか、と思い、トボトボ歩いていると、後ろからタクシーが。途中で降りれば捕まるかも、と親切に申し出てくれて(もちろんお金は払った)、そこまで乗ることにする。しかし、降りたところで、タクシーは来ず、いよいよ歩くか、とボチボチと歩き出すと、後ろから「Cacao!」と。 ゴメン、知ってるような知らないような…乗っているバイクからすると、ラスタのあんちゃんなんだけど、どっかで会ったけ?とは言わずに、「もしや!」と思って適当に話を合わせていると、「どこ行くの?」。行先を言うと、「途中だから乗ってけ!」ということで、ありがたく乗っけてもらう。 おかげで歩けば1時間くらいかかるはずだった道のりが5分に短縮された。ありがたや…今度会ったら名前教えてね。

NGOって何だった?

今回の調査は「緑のサヘル」というNGOからの委託だ。あんまり大っぴらにしない方がいいんだろうけど、この辺までは大丈夫だろう。いずれ職場のHPにもアップされるのだし。 2010年以来、NGOからの仕事ではずいぶん久しぶりで、改めて、「ああ、こんな感じだったな」というように感覚を思い出しながらやっている。学術的な研究という、きわめて自由度の高い世界から来ると、ちゃんと「仕事」の感じがしてしまう(適当にやってるわけではないので。為念)。 もう少し踏み込んで書けば、今回の仕事の半分はローカルNGOの情報収集で、これがなかなか面白い。もちろんなんとなくは知っていたけど、NGOの階層がこれほどまで明確だったということは、今回知った中でも最も面白いところ。よく考えれば当然なのだけど、カネを取ってくる人(団体)があって、それを下請けに出して、下請けはさらにその下請け(この辺で村の組織になる)に出す。成果はその逆のルートをたどる。つまり、実際に現場におカネやサービスが落ちていくのに「エイジェント」が媒介しているわけだ。さらに、ドナー⇒エイジェント⇒エイジェント…⇒現場、という構図は、上部組織(ドナーと上部エイジェント)のマネッジメント能力や資金力でカバーできる範囲が異なっていたりもする。 今調査している地域が一つの会社だとすると、すごくわかりやすいけど、会社と違うのは、この地域が物理的空間のみならず、概念的にもクローズドな空間ではなくて、すべてにオープンな公共空間なこと。また、こうした援助活動については、Aider Informationというか、役所が当たり前のように情報提供してくれる。援助が地域ぐるみで完全に一つの産業として考えられている。企業を誘致するように、NGOやドナーを誘致する、何の悪気もなく。ただ、ある意味、ビジネスライクで、「仕事」として来ている僕にとっては楽なんだけど。 で、こういう風潮が良いか悪いかは別として、「NGOからの使者」としての僕は、実はあんまりこういうことにいい気がしない。それは、あまりに日本のNGOとここで考えられているNGOの在り方に違いがあり過ぎるからだ。やはり、NGOというのは、活動理念ありきで、そこにおカネや人がくっついてくる、というのが正しい在り方(ただし、「反政府/権力運動」が最初にありき、はまた違う意味で好きではない)な...

第4回「アフリカ子ども学」研究会

イメージ
    出張帰りすぐに研究会やります。あぁ、言ってはみたものの、発表の資料がまだまだできていません。僕の話題提供は、僕自身の関心の経緯を示しつつ、ニジェールのクルアーン学校の事例を出して、最後に問題意識に戻ってそれに基づく今度の調査のことについて少し話をさせてもらおうかと。最終的には構築主義的な「社会問題」論が中心のテーマになってくる…かな。     いずれにしても、そろそろマジメに考えねば…

『サウスバウンド』奥田英朗著

イメージ
書店で手に取ったか、古本屋で手に取ったか…なんとなく読んだことがあるような気がしながら古本まつりで買ったこの本。やっぱし読んだことがあった…きっと本棚のどこかに眠っていることだろう。 そんなわけで機内で2度目。2度目と言えば、フライト前半で『42』がやっていたので、こっちも2度目だった…それはどうでもいいのだけど、まあ、2度目にしてはずいぶん面白く読めた。奥田英朗の本は3作目か4作目。少し前から注目している作家さんなのだけど、池井戸潤と比べるとストーリーラインはシンプルで、少しコミカルに書く気があるように思っている。 テーマも多彩だし、この本に関してはものすごくたくさんの興味深い要素を扱っている。たとえば子ども、社会運動、家族、学校、メディア、社会通念…そして、この作品の第2の舞台、沖縄での儀礼のこともなかなかよく描けているような気がするし、この人、八重山あたりで生活したことがあるのではないか、と思わせるほど、沖縄の日常生活の描写が瑞々しい。とにかく盛りだくさんなのだ。 アミューズメントとしての小説としては秀逸。2度目を読んでみて改めてそんな評価をしておきたい。

『42-世界を変えた男』

イメージ
出張前、しばらくいないので、買い物がてら連れ合いと映画を見に行ってきた。野球の話であるのと、アフリカン・アメリカンの差別の文化的な側面が描かれているだろう、という期待を胸に、『42-世界を変えた男』を見た。 現時点、メジャー球団共通の永久欠番、42番を付けていたジャッキー・ロビンソンの話。第二次大戦後の赤狩りが激しかった時代、アフリカ系の人びとへの差別は相変わらずはびこり続けていたはずである。なんせキング牧師が60年代だから、いろんなところに差別的な「制度」は残っていたことだろう。 当時のドジャースのオーナー、ブランチ・リッキー(ハリソン・フォード)はこんな時代背景の中でジャッキー・ロビンソンをメジャー選手として採用する。飛行機やレストラン、トイレに至るまで未だアフリカ系を区別する制度が色濃く残るこの時代のアメリカ。さまざまな苦難がジャッキーを襲う。困難を乗り越え、ジャッキーはスターダムを駆け上がる、というストーリー。 まあ、そうだろう。映画として、過去に(もしくは現在に至るまで)アフリカ系に対する差別があったことをハリウッド(アメリカ)が認め、これに対して戦った人がいたことを映画と言う形にしたのは評価。たとえば、オバマが大統領になった、という評価に似ているかもしれない。が、僕はオバマが「ノーベル平和賞」を貰ったことは今でもノーベル財団の価値を大きく落としたと思っているけど、こういう映画もここだけで評価をしてしまうといけないように思う。この映画の問題点は、「苦難」が軽すぎるのである。足を踏まれたり、ビーンボールが飛んでくることは、ちょっといいバッターだったらままあること。野次も時代背景を考えればまたあっただろう。野球を舞台とする映画だけど、この時代、ビーンボールよりももっと恐ろしいことがあったはずで、これをもう少し描いておいてほしかった。 個人的には少々単調、平凡な作品、と評しておきましょう。

From the ground

落合GM就任後、早速取り掛かった仕事は契約更改である。人の懐を覗き込むようで、よく考えたら少々悪趣味だが、1年間野球を見てきて、思い入れた選手たちがどんな評価を受けるのか、九段との間にどんなドラマがあるのか、従来12月あたりのストーブリーグのメインイベントである。 今年のドラゴンズは11月に全選手の契約を更改するという。ニュースでも大きく取り上げられたように、井端が退団し、主力選手が軒並み限界まで年俸カットされている。一野球選手を見れば、たとえば井端など、税金を支払えるのか、というわれわれには関係ないところまで心配してしまうほどで、大方同情的な気分になる。プロ野球の選手がいくらもらおうといいし、誰がもらいすぎで、誰が少なすぎるか、なんて、夢を売る商売の人たちのことで、僕らの世界とはまったく違う原理で動いているはずなので、とやかくいうことはない。 しかし、一野球ファン、ドラゴンズファンとしては、このチームがどうしようとしているのか、ということに関してはとても興味がある。その意味では、今年の契約更改はものすごく分かりやすい。落合GMの一言。「このチームは今年何位だったの?」これに集約されている。この問いは落合GM自身にも向けられる一言なのだろう。ナゴヤドーム来場者数が減少した、ということで首を切られた2年前のことを思うと、球団の最高責任者として、球団運営にも目を配らねばならない。つまり、ハッパをかけられた選手たちががんばって好成績を挙げたら、それに報いる責任は落合GMと球団なのは、僕はよく分かって今回の処遇をしていると思う。 そして、きっとこの時期に契約更改をするのは、もちろん、時間を有効に使え、という落合GMの合理主義的な発想もあっただろうけど、1球団だけが前倒すことで、マスコミの注目が集まることも狙っていたのではないだろうか。公開の禊。 だからこそのほぼ全員の減俸。10年前とは違う意味での「0」からのスタート。From the Groundなのだろう。これで強くならなければきっとうそ。来年は今年よりもいい年になることを確信させられている。

調査「される」

Facebookにこんな投稿をした。 昨日の午後、所内の関係者のお知り合いの先生と学生さんが来られ た。専門は建築学だそうで、オフィスの空間とコミュニケーション の調査をさせてほしいとか。特に今の職場に来て、ほかの分野の調 査方法を学ぶのはとても面白いことを実感している。昨日来られた 方の調査法もずいぶん興味深い。そして、被調査者の経験もおいそ れとできることではないし、これもぜひお願いしたい、という話を した。インタビューでも参与観察でもどんと来い。付け回され、ジ ロジロ観察されるのがどんな気分がするのか、ぜひ体験させて頂き たいもの。 数日前に予告されていたこの調査なのだけど、話を聞いてみて、改めて感じたのが、僕ら人類学者は日常的に「調査」を能動態でしか使っていないな、ということだった。ライティング・カルチャー論争やポスト・コロニアル的な研究の中では、大文字の権利や他者が語られてきた。また、人類学的な参与観察法にあるラポールという概念自体が調査者-被調査者の親密性を重要視すると言う意味ではミクロな視点から語られてきたと言ってもいいだろう。 しかし、逆の立場から調査者を正面から見ながら調査されることは、おそらくほぼない。きっとこれからも少ないだろう。是非ともこれは実現させて欲しいものだ。とても楽しみ。

今年もあと2か月。急きょブルキナファソへ。調査計画もろもろ。

つい2週間くらい前は扇風機が必要だったのに、もう寝るときには厚手の掛布団が必要になってきた。手前味噌だけど2013年も残すところあと2か月、時間が経つのは早いもんだ。 今年の後半は頑張って書き物をしようと思っていたけど、急きょブルキナファソに渡航することになった。超ショートノーティスだったけど、どうしても外せない予定の間にすっぽりとはまって、ご迷惑をかける方は最小限に抑えられた。期間は約3週間。これが終わると今年も押し迫る(=書き物を終えるのがきつくなってくるな…)。 今回の調査は、自分のサブ研究のアンドロポゴンにかかわりの深いNGOからの依頼による。よって、こっちの研究はグッと進むし、研究の社会実装、もしくは、研究と実践のコラボレーションという意味では、多方面に面白いことがある。少し先を見据えることができる調査となるだろう。 そして、せっかくの機会、1日くらいは自分のメイン調査の準備にも少し時間を使いたい。年が明けると、今年度最後の調査が待っている。前に少し書いた「「ストリート・チルドレン」の生態学的調査」と銘打った調査で、現地NGOの助けを借りて子どもたちの数を数える。数千人の子どもの数を数えるわけだから、それなりのおカネもかかる。この辺、トラブルを抱えないように、協力者と膝を突き合わせて話し合いたいと思う。 なんだかんだとやりたいこととやれることが入り混じって、ここの所お断りしたり、ギブアップしたり、ということが続いている。とても心苦しい思いをすることがある。時間が短いこと、もう少し自覚しないといけないな、と思う今日この頃。もうすぐ年末だし、気持ちよく今年を終えることができますように。